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お念仏を申す生活法話

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阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲に抱かれてお念仏の道を歩ませていただきます

 阿弥陀さまを摂取不捨の仏さまといいます。
この私を摂め取って決して捨てない必ず救うとおはたらきの仏さまになってくださいました。
 
 摂も取も「とる」という字ですが
摂の字を親鸞聖人は「ものの逃ぐるを追はへとるなり」といただかれています。
 逃げる私です。阿弥陀さまからいうと背中を向けている私です。
背中を向けて逃げる私を追いかけて追いかけて救いとるというのです。
 
 取は「迎えとる」といい
逃げる私をどこまでも追いかけ迎えとるというのです。
 阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲にくるめ取られるということです。
 
 そのこと一つ聞いてくれよ信じてくれよと南無阿弥陀仏のお喚び声となっておはたらきです。
声となってどこまでも私を追いかけ、追いかけられて聞かせていただくのです。
 
 私が聞いて私が信じて救われるのではありません。
阿弥陀さまのお心を聞かせていただくそのままが信心いただくことなのです。
 
 聞かせていただくことが肝要ですが、聞くことが救いの条件ということではありません。
阿弥陀さまの御尊前にこの身を置かせていただきます。お念仏を申させていただきます。
 「我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せに
「はい。おまかせします阿弥陀さま」とそのままお礼をさせていただきます。
 
 今朝はひやっとするなかにも本当にさわやかな朝になりました。
いよいよ絶好のお朝事参りの時節になります。
 この一年でいいますと、暗い寒い時期もあり暑くて汗が噴き出す時期もあります。
 
 お参りしてくれよ聞いてくれよお念仏申してくれよと
阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲のなかに
今日もこうして皆さんと共々に遇わせていただく身の幸せを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.15)

浄土真宗南無阿弥陀仏のお救い

 浄土真宗の救いです。南無阿弥陀仏の救いの法おはたらきです。
現当二益の救いといって、現在の救いと当来の救いといいます。
 
 浄土真宗は浄土に往生して仏に成るという死んでから後の教えだから、今は救われていないと言われる方がいます。
蓮如上人は浄土真宗は平生業成の教えだと、今まさに救われてあるとお示しです。
 
 帰る家がある安心です。お浄土がある安心です。
家にはまだ帰ってはいませんが、帰る家があると聞かせていただく今の安心です。今の救いです。
 
 現生正定聚の現益といいます。
この命終えて阿弥陀さまのお浄土に往生し仏に成ることを決めてくださってあるという安心こそ現在の救いであり
お浄土で大般涅槃の仏さまのおさとりを開かせていただくことが当益当来の救いです。
 
 現益と当益は別々のことではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つだと聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つに今もそしてこれからも命終わってからも
大きな大きな阿弥陀さまのお慈悲のなかに救われてあるといただけるのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきはいつでもどこでも誰にでものお救いです。
いつでもは今です。どこでもはここです。
そして誰にでもというのはこの私めあてにお救いくださってあるといただきます。
 
 ずっとずっとお立ち姿の阿弥陀さまです。
阿弥陀さまのおすがたをほれぼれと拝見し今日もこうして仏徳讃嘆のお勤めができたことの有難さ尊さです。
そのこと一つ心にいれて今日の一日もナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申す日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.14)

仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただきましょう

 昨日お葬式がありました。初めてのご縁の方でした。
一週間10日ほど前からご様子が悪いということで
もしもの時にはお葬式をお願いしたいという連絡があって
昨日の日曜日にお寺に相談にみえる予定でした。
その二日前のご往生でした。
 
 お顔を拝見しご遺族の方からお話を聞いて
初めて会う方ではなくて実はずっとずっと前から深い深いご縁があった方でした。
 
 ご縁といいます。ご縁をいただくといいます。
私たちの人と人との関係もご縁といわれます。
縁あって人間に生まれお母さんお父さんとご縁をいただきました。
 
 ただ今日こうして御仏前につらなる私たちのご縁は仏さまのご縁といただけるのです。
人と人とのつながりは生きている間のつながりということですが
仏教のみ教えを聞かせていただきますと、私たちのご縁は生まれる前からつながってあったというのです。
そしてこの命終えてもずっとずっとつながっていくというのです。
 
 このいのちのご縁こそ南無阿弥陀仏といただけるのです。
私の口からナンマンダブツナンマンダブツとお念仏が出てくださるというのは
南無阿弥陀仏の大きなご縁に遇って今を生かされてあるということです。
今までも生かされていたということであり、これからも生かされていくという広く開かれたご縁つながりであります。
 
 死のご縁は本当に悲しいご縁です。
悲しいご縁ですがこれから七日七日のご縁をいただくなかに
仏さまのみ教えをああそうやったああそそうやったと聞かせていただけるのです。
 仏さまのご縁を共々にいっぱいいっぱいいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.13)

慶び事も悲しみ事もみんな仏さまのご縁です

 昨日はお寺さんの結婚式があり、先日はお寺で8年ぶりにご門徒さんのお葬式をお勤めしました。
結婚式は慶び事でお葬式は悲しみ事ですが、共通してご本尊の阿弥陀如来さまのご尊前で執り行います。
 
 今日のご縁もご本尊の阿弥陀さまを中心とした仏教壮年会の例会です。
一人一人それぞれ生活ぶりが違うお互い私たちが一つ処に集うことができるということです。
慶び事の縁であれ悲しみ事の縁であれみんな仏さまのご縁なのです。
 
 仏さまのご縁を私たちが一緒に一つ処でいただける
その一つ処こそ阿弥陀さまが私たちのために用有をしてくださってあるお浄土といただきます。
 
 ナンマンダブナンマンダブとお念仏申して自分の思い通りになるという人生ではありません。
人生は苦なりとお釈迦さまがご教示のように思い通りにならない人生を私たちは生きています。
 
 苦しみ悩み迷いのなかにあっても南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
阿弥陀さまが決して私たちを見捨てることなくご一緒してくださる人生を共々に歩ませていただけるのです。
そこにあなたに遇えたこの人生でよかったと安心できるお念仏のお救いがあるといただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.12)

50回忌は昭和45年にご往生された方のご法事です

 昨日50回忌のご法事がありました。
50回忌といいますと昭和45年にご往生された方のご法事です。
 
 令和の元号になりました。
この前が平成ですが、私の年回の数え方では今は昭和94年です。
 50回忌の方の往生は、94から49を引いて45、昭和45年になるのです。
 
 50回忌と33回忌のご法事は昭和に亡くなった方になります。
あとは平成に往生された方でこれからは昭和と平成の二本立てで
今年は平成31年、来年は平成32年、再来年は平成33年ということになります。
 
 50回忌は49年前のことです。半世紀です。
人生の半分以上が経過しました。
 昨日も当時の話になりました。
家も周りの環境もすっかり変わった、生活ぶりも豊かに便利になったという話です。
 
 49年前はまだ学生時代、就職して間もない頃です。
遊んで回っていたとか親の言うことを聞かないで悪いことばかりして学校の先生にも怒られたとか
そんな話が次ぎ次ぎと出てきます。
 
 今は笑って話せることですが、親も周りの人たちも一体これからどうなるのかと
心配ごともたくさんあったと思います。
 ただ色々あるなかにもみんな元気で大らかだった時代がよみがえってきます。
 
 先人に育まれて今の私たちがあるということです。
これまでの歩みを振り返ることができるのもご法事の有難さです。
 そして今度は私たちが次の世代に伝えていくことです。
私が死んで50回忌のご法事の時に子や孫はどんなことを話すのでしょうか。
 
 最近はご法事を勤めないところもでてきました。
勤めても家族だけというご法事が多くなりました。
 本当にもったいないことだと思います。
ご法事は先人が今は仏さまとなって私と共に生きてくださってあると聞かせていただくご縁です。
 
 私が私がと自分を中心に生きることで人を思いやる気持ちが薄くなってきたように思います。
この目には見えないけれども先人の仏さまの大きなお慈悲のなかに生かされて生きてきた49年の歩みを
本当によかったと感謝の気持ちで振り返ることができるのもご法事の大きな意味だと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.11)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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