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お念仏を申す生活法話

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お仏壇のお荘厳は仏さまのみ教えそのものです

 お仏壇には仏具が備わっています。
ろうそく立て、花瓶、香炉はどの宗派のお仏壇にもあります。
すべて仏さまの智慧と慈悲の功徳を表すものです。
 
 先日お参りしたお家で湯呑のようなお道具に水を入れて「お水はどこにあげるのですか」と聞かれました。
お水は華瓶(けびょう)という仏具にあげるのですとお答えしました。
 
 この本堂お内陣のお荘厳でいうと、阿弥陀さまの前の上卓にお仏飯が二つあがっていますが
その外側にあるのが華瓶一対で樒や青木を入れその中に水をお供えしているのです。
 
 この水は阿弥陀さまのお浄土に流れる清らかな水を表していて
香りのよい香木に水を入れて香水、香りのよい水をお供えするのです。
 お浄土の水は八功徳水という八つの功徳があるといいます。
清らかで美しく軟らかな甘い水で、おいしく飲みやすい水ということにもなりますが
仏さまが飲む水、飲むための水ということではありません。
 
 皆さんの思いのなかにお仏飯をお供えするようにお水もお供えして
仏さまがご飯を食べるのに水がないとのどに引っかかるとか
暑いとのどが渇くので水をあげるという人もあると思いますが
仏さまの世界のことは私たちがあれこれ思いはかることではないのです。
 
 今日の御和讃御文章さまの中にもありましたが、仏さまの功徳は不可思議といいます。
私たちの思いはからいを超えているというのです。
 
 ではどうしてお線香を炊いたりお灯りをあげたりするのかというと
お浄土の仏さまの功徳をお経さまからいただいて先人がお浄土の荘厳として
私たちに伝えてくださったものだからなのです。
 
 お仏壇のお荘厳は仏さまのみ教えそのものです。
私たち凡夫の目にも見えるような形で教えてくださるそのままをお飾りさせていただきましょう。
 そこに私たちの思いがちょっとでも入ると仏さまのお心を疑うことにもなります。
分からないことは何でも聞いてください。
 
 宗派によってお仏壇自体そしてお荘厳が違うことを心得ておきましょう。
他の宗派のお仏壇をみて「水はあげなくていいですよ」とか言わなくていいです。
逆に他の宗派の方が私たちのお仏壇をみて「お水があがってないけど」と言われても
その時は「そうですか。お寺さんに聞いてみます」と受け返してください。
そして「お寺さんに聞いたらこうでした」とお話したらいいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.16)

阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲に抱かれてお念仏の道を歩ませていただきます

 阿弥陀さまを摂取不捨の仏さまといいます。
この私を摂め取って決して捨てない必ず救うとおはたらきの仏さまになってくださいました。
 
 摂も取も「とる」という字ですが
摂の字を親鸞聖人は「ものの逃ぐるを追はへとるなり」といただかれています。
 逃げる私です。阿弥陀さまからいうと背中を向けている私です。
背中を向けて逃げる私を追いかけて追いかけて救いとるというのです。
 
 取は「迎えとる」といい
逃げる私をどこまでも追いかけ迎えとるというのです。
 阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲にくるめ取られるということです。
 
 そのこと一つ聞いてくれよ信じてくれよと南無阿弥陀仏のお喚び声となっておはたらきです。
声となってどこまでも私を追いかけ、追いかけられて聞かせていただくのです。
 
 私が聞いて私が信じて救われるのではありません。
阿弥陀さまのお心を聞かせていただくそのままが信心いただくことなのです。
 
 聞かせていただくことが肝要ですが、聞くことが救いの条件ということではありません。
阿弥陀さまの御尊前にこの身を置かせていただきます。お念仏を申させていただきます。
 「我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せに
「はい。おまかせします阿弥陀さま」とそのままお礼をさせていただきます。
 
 今朝はひやっとするなかにも本当にさわやかな朝になりました。
いよいよ絶好のお朝事参りの時節になります。
 この一年でいいますと、暗い寒い時期もあり暑くて汗が噴き出す時期もあります。
 
 お参りしてくれよ聞いてくれよお念仏申してくれよと
阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲のなかに
今日もこうして皆さんと共々に遇わせていただく身の幸せを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.15)

浄土真宗南無阿弥陀仏のお救い

 浄土真宗の救いです。南無阿弥陀仏の救いの法おはたらきです。
現当二益の救いといって、現在の救いと当来の救いといいます。
 
 浄土真宗は浄土に往生して仏に成るという死んでから後の教えだから、今は救われていないと言われる方がいます。
蓮如上人は浄土真宗は平生業成の教えだと、今まさに救われてあるとお示しです。
 
 帰る家がある安心です。お浄土がある安心です。
家にはまだ帰ってはいませんが、帰る家があると聞かせていただく今の安心です。今の救いです。
 
 現生正定聚の現益といいます。
この命終えて阿弥陀さまのお浄土に往生し仏に成ることを決めてくださってあるという安心こそ現在の救いであり
お浄土で大般涅槃の仏さまのおさとりを開かせていただくことが当益当来の救いです。
 
 現益と当益は別々のことではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つだと聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つに今もそしてこれからも命終わってからも
大きな大きな阿弥陀さまのお慈悲のなかに救われてあるといただけるのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきはいつでもどこでも誰にでものお救いです。
いつでもは今です。どこでもはここです。
そして誰にでもというのはこの私めあてにお救いくださってあるといただきます。
 
 ずっとずっとお立ち姿の阿弥陀さまです。
阿弥陀さまのおすがたをほれぼれと拝見し今日もこうして仏徳讃嘆のお勤めができたことの有難さ尊さです。
そのこと一つ心にいれて今日の一日もナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申す日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.14)

仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただきましょう

 昨日お葬式がありました。初めてのご縁の方でした。
一週間10日ほど前からご様子が悪いということで
もしもの時にはお葬式をお願いしたいという連絡があって
昨日の日曜日にお寺に相談にみえる予定でした。
その二日前のご往生でした。
 
 お顔を拝見しご遺族の方からお話を聞いて
初めて会う方ではなくて実はずっとずっと前から深い深いご縁があった方でした。
 
 ご縁といいます。ご縁をいただくといいます。
私たちの人と人との関係もご縁といわれます。
縁あって人間に生まれお母さんお父さんとご縁をいただきました。
 
 ただ今日こうして御仏前につらなる私たちのご縁は仏さまのご縁といただけるのです。
人と人とのつながりは生きている間のつながりということですが
仏教のみ教えを聞かせていただきますと、私たちのご縁は生まれる前からつながってあったというのです。
そしてこの命終えてもずっとずっとつながっていくというのです。
 
 このいのちのご縁こそ南無阿弥陀仏といただけるのです。
私の口からナンマンダブツナンマンダブツとお念仏が出てくださるというのは
南無阿弥陀仏の大きなご縁に遇って今を生かされてあるということです。
今までも生かされていたということであり、これからも生かされていくという広く開かれたご縁つながりであります。
 
 死のご縁は本当に悲しいご縁です。
悲しいご縁ですがこれから七日七日のご縁をいただくなかに
仏さまのみ教えをああそうやったああそそうやったと聞かせていただけるのです。
 仏さまのご縁を共々にいっぱいいっぱいいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.13)

慶び事も悲しみ事もみんな仏さまのご縁です

 昨日はお寺さんの結婚式があり、先日はお寺で8年ぶりにご門徒さんのお葬式をお勤めしました。
結婚式は慶び事でお葬式は悲しみ事ですが、共通してご本尊の阿弥陀如来さまのご尊前で執り行います。
 
 今日のご縁もご本尊の阿弥陀さまを中心とした仏教壮年会の例会です。
一人一人それぞれ生活ぶりが違うお互い私たちが一つ処に集うことができるということです。
慶び事の縁であれ悲しみ事の縁であれみんな仏さまのご縁なのです。
 
 仏さまのご縁を私たちが一緒に一つ処でいただける
その一つ処こそ阿弥陀さまが私たちのために用有をしてくださってあるお浄土といただきます。
 
 ナンマンダブナンマンダブとお念仏申して自分の思い通りになるという人生ではありません。
人生は苦なりとお釈迦さまがご教示のように思い通りにならない人生を私たちは生きています。
 
 苦しみ悩み迷いのなかにあっても南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
阿弥陀さまが決して私たちを見捨てることなくご一緒してくださる人生を共々に歩ませていただけるのです。
そこにあなたに遇えたこの人生でよかったと安心できるお念仏のお救いがあるといただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.12)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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