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お念仏を申す生活法話

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往生めでたし

 昨日の夕刻KSさんがご往生されました。
昨年末に骨折され入院されてその後リハビリのために施設に移ったということで
家族の方からはそんなに悪いとは聞いていませんでしたのでびっくりしました。
 
 百歳になったばかりで先日ご家族ご親族でKSさんを囲んでお祝いをされたそうです。
1月14日が戸籍上の誕生日で実際は4月6日に生まれたと言われていました。
 百歳と二十日のご生涯でした。
大変なご長寿ですが何よりもこの円光寺にとって大切なお方でした。
 
 このお朝事は43年前に本堂新築を機縁に前住職がご門徒皆さんに呼びかけ始めたことですが
大変多くのお同行が毎朝6時半にお参りされました。
 その中の一人がKSさんで
当時のお同行はすでに往生されています。
 
 KSさんは4年前の1月に向拝の階段で転んで入院しそれ以来お朝事にお参りではありませんでしたが
一番前列のその席がKSさんの指定席です。皆さんが座ってらっしゃるところも指定席です。
 いつもKSさんの席の隣にKKさんが座ってということでいつものお朝事の光景でした。
 
 今はKSさんもKKさんもFHさんもいらっしゃらなくてちょっと寂しんですが
これも世の習いでいつまでもというわけにはいきません。
 私のことです。いつか必ずこの命を終えていかねばなりません。
ただ私たちのお念仏のご法義を聞かせていただきますと「往生めでたし」といいます。
 関東のお同行が亡くなったという知らせが京都の親鸞聖人に届きます。
その時の返事の御文に「往生めでたし」と書かれているのです。
 百歳を超える長寿で亡くなられても有縁の方の死に際してめでたいなどとは不謹慎極まるということでしょうが
浄土真宗のご法義を常日頃から聞かせていただくと往生めでたしなのです。
 
 往生とは往き生まれるということで
人の命は終えるけれども阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらき一つでそのまま阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて
さとりの仏さまに成らせていただくというみ教えなのです。
 お浄土には懐かしい方々が待っていらっしゃるといいます。
お浄土を俱会一処の世界といいお浄土で仏と仏としてまた会うことができるというのです。
 そしてずっとお浄土に往きっ放しではなくてこの娑婆世界に還って来るといいます。
後に残った有縁の者が心配で心配で「あなたも一緒にお念仏を申してお浄土にお参りしようえ〜」と
南無阿弥陀仏のおはたらきしてくださるのです。
 
 常日頃のKSさんがそうでした。
大きな声を出して先頭を切ってこうしようああしようという方ではありませんでした。
 ただ常にいつもいらっしゃっいました。
私たちのそばにご一緒にいらっしゃっいました。
 本堂のいつもの席にいらっしゃっいました。
そして今もいらっしゃいます。
 
 KSさんのお念仏の声はずっと聞こえてまいります。
これからも私たちに「一緒にお参りしましょうえ」と喚びかけてくださいます。
 円光寺にお参りしようえお浄土にお参りしようえと声かけ導いてくださるお念仏の声に
励まされ支えられてこれからもお朝事のご縁を共々にいただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.27)

阿弥陀さまのご尊前に座らせていただきます

 今日もこうして御仏前に座らせていただきお勤めをさせていただきます。
真正面にお立ち姿の阿弥陀さまを拝見します。
 この本堂でいいますとお内陣、皆さんのお家のお仏壇は
阿弥陀さまのお浄土のおすがたを表しています。
 
 この私が往き生まれるところを阿弥陀さまがお浄土と決めてつくってくださいました。
お浄土を真実の依りどころとする浄土真宗のみ教えです。
 南無阿弥陀仏のお名号となってお浄土から「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
そのこと一つ聞かせていただきお念仏を申させていただきます。
 
 聞いたから救われるのではなくて
もうすでに私たちは阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに抱かれ生かされてあると聞かせていただくのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つでお浄土への道を歩ませていただき
この命終わる時に浄土に生まれさせていただき仏に成らせていただけるのです。
 
 この凡夫の目に見えるおすがたでお念仏のみ教えを毎日説いてくださってあるのです。
南無阿弥陀仏と喚んでくださってあるのです。
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏の力強いお喚び声おはたらきを聞きまかせて
お浄土への道を歩ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.26)

マスク越しのお念仏の声が聞こえます

 中国の武漢を中心に新型肺炎が猛威をふるい警戒感が日に日に強まっています。
武漢は大分市と友好都市という深い関係にありますが
一千万人の大都市の道路空路鉄道を封鎖して人と人との交流を断つという感染防止のための隔離政策にでました。
 
 とはいえ人の動きを完全に止めることはできません。
今中国は春節という旧正月の大型連休の最中で
国内外で人の大移動があり日本にも多くの中国人観光客がいらっしゃっています。
 
 東京のデパートでは店員にマスクの着用をすすめているということです。
接客業の方がマスクをつけることは甚だ失礼なことですが
今の状況下ではマスクをつけることで安心感を与えるということでしょうね。
 
 今日は皆さんマスクをしていませんが
風邪の症状がある人がマスクをしないで咳をするってちょっと非常識ですね。
 マスクは内外からの感染の防御に役立つものです。
どうぞ気になるときはマスクをつけることをこころがけましょう。
 
 さてマスクをつけてのお勤めです。
仏さまに無礼なことだと言うなかれ
重い症状があればゆっくり安静にすることをおすすめしますが
マスクをつけてのお勤めもあるのかなと思います。
 マスクをつけてもお勤めはできます。
 
 マスク越しのお念仏です。
マスク越しのお念仏の声が聞こえます。
 必ず救うまかせよの阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声です。
お念仏は無碍光のおはたらきでさえぎるものは一つもないといいます。
 
 お念仏のおはたらきに感染して今この私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいました。
お念仏のかぜを見事に引きこんだ私です。
 
 「かぜをひけばせきがでる/才市はご法義のかぜをひいた/念仏のせきがでるでる」と
浅原才市さんのお念仏のうたです。
 阿弥陀さまの真実信心のおはたらきがこの身に届いて
お念仏となって出てくださる有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.25)

お墓選びの条件は?

 昨日テレビの番組でお墓選びについて老夫婦の方がインタビューに応えていました。
どういう基準でお墓を選びますかということです。
 自宅から近い1時間範囲のところで何といってもできるだけ安い方がいいということです。
いろんな希望があるなかで今は屋外のお墓より納骨堂が人気があるといわれます。
 
 お墓選びの条件ではっと思ったのは檀家にはなりたくないということでした。
浄土真宗でいう門徒です。
 お墓はもちたいがお寺とのつながり関係はもちたくないというのです。
お寺に対する先入観があるように思えて残念です。
 
 一般の人からいうとお寺の檀家門徒になると
大きな寄付であったり分からない納め金があったりお寺での務め事があって大変だということです。
 お寺は法事や葬式の時だけ用事のあるところで
お坊さんはお経をあげてもらう人でその対価としてお布施を包むことはわかるということなのでしょう。
 お寺は日頃は関係ないところで今は葬式や法事の時だけお願いできる
便利なお坊さんがいるということなのでしょうか。
 
 もういいお歳の方です。
年輩の方がそうですから若い世代になると増々お寺離れの傾向が強くなるのではと思ってしまいます。
 お寺の側からいうとそれではお寺が成り立っていかないのです。
お寺の護持ができなくなり、お寺がなくなりお坊さんもいなくなってしまうことになります。
 お葬式やご法事は誰がどのようにお勤めするのでしょうか。
お寺が管理するお墓はどうなってしまうのでしょうか。
 
 私たちは当面する目先のことについて自分を中心に損得で物事を考えがちです。
仏さまの教えを聞いて広い視野で私たちのあり方を見つめ直すことも大事だと思うのですが
仏さまのご縁に遇うことが本当に難しくなりました。
 
 その番組でいつも斬新な発想で発言される若いコメンテーターの方の見解です。
私は昔から伝わる古里の先祖代々の墓に入りたいと言ったのです。ちょっと意外でした。
 私がどうしようかと迷うのではなく既に決めてくれてあることが素直に有難いと言うのです。
決めてくれているお墓に入ることで安心できると。
 
 次に付け加えて言われたことに注目しました。
昔からのお墓はそれぞれのお家の墓だがこれからはお墓の形態が大きく変わるというのです。
 遠く地方から東京大阪の都会に出てきて就職し家庭をもって生活し定年を迎えた方が
古里のお家の墓をどうするのか大きな問題になっています。
 子や孫にお墓のお守りを任せることを負担に思い
自分の代で墓終いを考え自分または夫婦の墓を近くに求めるということです。
 
 代々のお墓から個人墓へということですが
現在のお墓事情では中々思うようにいかないというのが現状です。
 そこで先のコメンテーターの意見です。
他家に嫁いだ妹が実家のお墓に入りたいと言ったらそれもいいのではないかと思うと言われたのです。
 
 これは今から実際に起こり得る事例だと思います。
代々のお墓をお守りする人がいなくなり墓終いをしてもお遺骨は残るのです。
 そのお遺骨をどこにご安置するかということです。
お家のご先祖のお遺骨にこだわらずお遺骨をご安置できる場所です。
 有縁のお家のお墓ということもあると思いますし
今は友だち同士の共同墓もあると聞きます。
 
 もっと発想を広げてこのお寺です。
浄土真宗のお寺は私たちが救われる阿弥陀さまのお浄土への道行きを聞かせていただくお念仏の道場です。
 お浄土はお念仏の人がみんな等しく往き生まれることのできる俱会一処の世界と聞かせていただきます。
お家のお墓という発想を超えてお浄土参りのお寺でご門徒の方々を広く預かるということです。
 
 日頃からお寺がより身近なところになり仏さまのご縁につながります。
仏さまのご縁に遇えてお寺の門徒でよかったと喜んでもらえる方に一人でも多くあえることが
このお寺をあずかる住職の楽しみです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.24)

大丈夫じゃない私に寄り添って「大丈夫だよ」とご一緒くださる仏さま

 歳を重ねると物忘れが多くなると言われます。
私自身のことで先日お参りを忘れていました。
先方から電話があり坊守がすぐ私に連絡をしようと私の携帯に電話したのですが私が携帯を忘れていたのです。
携帯が携帯になっていません。
 
 そして昨日そこのお家にお参りしたことです。
準備怠りなく忘れ物のないようにと携帯は第一に持っていきました。
 これで大丈夫と車に乗って途中で気がついたのです。
このご縁にお届けしようと思って準備していたものをそのまま忘れてきたのです。
 
 これで大丈夫と思っていても忘れることがあるのです。
注意が足りないと言われればそうですが準備万端と思って何か一つ忘れることがあります。
 
 私が準備をしてこれで大丈夫と思って私が忘れるのです。誰のせいでもありません。
大丈夫と思い込んでいる私ですが実は大丈夫ではないのです。
 
 この生死の身のことです。
私は大丈夫とこの身を当て頼りに生きていますがちっとも大丈夫じゃないのです。
 いつ何時どんな事態が待ち受けているのかもわからないなかに私たちは生きているのです。
 
 大丈夫じゃない私に寄り添って「大丈夫だよ」とおはたらきくださる南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。
お念仏申すところに阿弥陀さまが私に付いて離れずご一緒してくださっているのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるご法義です。
阿弥陀さまの本願念仏のお心を聞かせていただきお念仏申す身にさせていただきます。
 お浄土参りにお金が要るとか善いことをしないといけないとかの条件は一切ありません。
お念仏申す身そのまんまのお救いと聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏とわが名を称えてくれよと申されます。
はいっとお念仏申すところに今こここの私にご一緒してくださる阿弥陀さまがいらっしゃいます。
 私が忘れようが忘れまいが阿弥陀さまはいつでもどこでも私とご一緒です。
決してあなたを忘れない決してあなたを見捨てることはないとおはたらきの仏さまになってくださったと有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.23)
円光寺
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