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お念仏を申す生活法話

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「比べることから離れよう」※転載

2024-08-18
 次のような昔話を聞いたことがあります。

 ある人がお隣の家を見て
「障子が破れているのに何カ月も貼り替えていない。
なんてズボラなんだ」と言うのですが
当の本人は、自分の部屋の破れた障子から
お隣を覗いていたというのです。

 このように、私たちは
自分のことになかなか気づけないのかもしれません。

 さらに言えば
自分を見つめるのは勇気がいるでしょう。

 家族の誰かが手を滑らせて湯飲みを床に落とした場合
ケガの無かったことを確認して一緒に片づけたとしても
頭の中では「(家族の誰それが)湯飲みを割った」という
言葉が思い浮かぶのではないでしょうか。

 ところが自分が湯飲みを落とした時には
「湯飲みが割れた」と
湯飲みがひとりでに落ちたようにつぶやいて
反射的に他のせいにするのですね。

 今日はネットを通じて自分以外のことを
容易に大量に知ることができます。
 かといってスマホを手放す生活など
容易ではありません。

 せめてときどきは
本願寺インスタグラムを見ながら
他との比較を離れた仏さまの言葉に触れて
自分自身を見つめていたいと思います。

※『本願寺インスタ倶楽部』
   (本願寺派総合研究所 高田未明副所長)より転載
    ー本願寺新報2024年6月20日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.18)

平和を願う鐘つき

2024-08-17
 私たちのお寺では
毎年8月15日の終戦記念日に
「全戦没者追悼法要」をお勤めし
正午から「平和を願う鐘つき」をしています。

 戦争に勝者も敗者もありません。
戦勝国といったり敗戦国といったりしますが
戦争で亡くなられた人の命は
勝って名誉の死と讃えられ
負けて辱められるものでもありません。
 みんな同じ仏さまに願われた
尊いいのちであると聞かせていただきます。

 梵鐘には「響流十方 南無阿弥陀仏」と
刻印されています。

 『大無量寿経・讃仏偈』に
「正覚大音 響流十方」
(さとりの声は高らかに、すべての世界に響きわたる)
と説かれています。

 十方衆生を分け隔てなく必ず救うと
南無阿弥陀仏のお喚び声おはたらきです。
 すべての世界の生きとし生けるもの
私たちに等しく届けられている
阿弥陀如来のお心です。

 戦場で亡くなられた人だけでなく
空襲でそして原爆で亡くなられた人
全ての戦没者を追悼し
「二度と過ちは繰り返しません」と
平和を願い誓って梵鐘を撞きます。

 親鸞さまは
「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と
述べられています。

 仏法がひろまるところ
世のなかが安穏になると聞かせていただきます。
 仏法聴聞させていただき
お念仏申す身にお育ていただくなかに
私にできる仏恩報謝のお手伝いを
精いっぱいさせていただきましょう。

 今年も燃えるような猛暑のなかに
9人のお同行で平和の鐘つきをいたしました。

ご一緒に、お念部t申しましょう。(2024.8.17) 

身を引く覚悟

2024-08-16
 岸田首相が来月の自民党総裁選挙の不出馬を
突如表明しました。
 自民党総裁を引くことは
そのまま首相を辞することで
国家の一大事です。

 新聞の号外も出たそうですが
自民党の裏金問題が起こって政治不信を招き
内閣支持率の長期低迷から抜け出すことができず
最後は「自分が身を引くことで自民党が再生できる」と
裏金問題の責任をとったようなことです。

 自ら最高権力の座から身を引く決断には
相当な覚悟があってからこそです。
 職を辞して「後は知らない」と高見の見物を
決め込むことではありません。

 「これからも一兵卒として自民党を支えていく」と
言いますが
何か型通りの発言のように聞こえて
覚悟が感じられないのは私だけでしょうか。

 覚悟とは元々仏語で
迷いを脱して真理を覚る(悟る)という意味です。
 つまり仏に成るということですが
私たち人間が言う覚悟は
その時どきの決断を促す覚悟ということで
時が経てばその覚悟はゆらぎ
また迷いに転じるというものです。

 生死流転のわが身の事実です。
迷いを繰り返しながら生きる私たちを見た
阿弥陀さまは迷いの衆生をそのまま救うと
南無阿弥陀仏のみ名となっておはたらきです。

 岸田さんの迷いとは一体何だったのでしょうか。
総裁選に出るか出ないか
自民党の将来を自らの政治家人生を
どう思い描いたのか
国を背負う首相の覚悟のほどが問われます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.16)

盆中の葬儀

2024-08-15
 盆中に親族の葬儀ができました。
大分の実家の高齢のお母さんの葬儀で
東京近郊在住の長男が喪主です。

 地元の浄土宗のお寺の檀家で
葬儀のことや今後の仏事について
予め相談がありました。

 お寺が法務で忙しい盆中の葬儀で
通夜葬儀等の日程をどうするのか
長い間施設に入所して誰も住んでいないお家で
これからの仏事をどうお勤めするのか
お墓に納骨するまでお遺骨をどこにご安置するのか等々
実家から遠く離れて生活している現実の問題です。

 これまで私のお寺で経験したことなどを話し
こちらの希望も伝えて
お寺さんに何でも相談したらよいですよと
アドバイスしました。

 最近特に葬儀について
どこで聞いたか誰から聞いたかわかりませんが
一方的に「これこれで葬儀をお願いします」と
自分たちの都合ばかり言ってくるところがあります。
 日頃お寺とお付き合いがないお家の関係者ですが
何かお寺を葬儀のお経配達人ぐらいに
思っているようなことです。

 誰が言うのか何を聞くのか。
今の葬儀は葬儀社が中に入りますので
葬儀社が喪主の都合に合わせて
言っているところがあります。
 そして今のネット社会でいうと
ネットでさまざまな情報を調べて
自分たちに都合のいい情報だけを取り入れます。

 「葬儀社が言った」「ネットで調べた」といって
葬儀はお寺が執行します。
 私のお寺でいうと浄土真宗の教えに則った
葬儀をおつとめします。
 またお寺には昔からの伝承や地域の習わしもあって
葬儀のあり方も多少特徴があります。

 ただ現代の少子高齢化核家族社会において
葬儀のあり方もそれぞれのお家の事情で
違ってきています。
 お寺もそうしたことに十分配慮して
「浄土真宗では」「うちのお寺では」と
葬儀のあり方を押し付けるのではなく
そのお家の様々な事情に柔軟に対応して
相談させていただくことが大切です。

 先の盆中の葬儀の件は
お寺さんに相談したら
お寺の方でお家の事情を把握してくださっており
通夜葬儀初七日のお勤めの段取りができて
お遺骨は納骨の時まで
お寺で預かっていただくことになったそうです。

 お父さんお母さん共に
日頃からお寺の護持によくつとめられて
お寺とのご縁つながりがあったということです。

 葬儀は大切な人とお別れをする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただき
お寺ともご縁をいただくことでお寺に親しみ
仏法聴聞のご縁にしていただきたいと思います。

 南無阿弥陀仏のご縁つながりです。
お念仏申して共々に
大きないのちのつながりのなかに生かされて
これからも生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.15)

日頃のお付き合いがあってからこそ

2024-08-14
 「昨日は誰も来んやった!」
理髪店を営むご門徒さんがふっと漏らしました。
 12日はお盆の三が日前の通常は月曜日の定休日ですが
お店を開けてお客さんを待っていたということです。

 いつ誰が来るのか分からないなかで
来る人を待つことです。

 お店でいうと常連客がいますから
たまたま誰も来ない日があっても
同じ時間に複数人か来て混み合うこともあったりして
まあまあお商売としては成り立っているということです。

 さて今年のお盆は母の初盆会ということで
お参りにみえる方を想定して種々準備をしていますが
昨日13日は近所の隣保班の方をはじめ
20数名のお参りでした。

 お参りのお返しの品も足らないように
十分準備をしていましたが
思った以上にお参りが少ないことに
待ちくたびれてちょっとショックでした。

 今は葬儀も家族葬が主流ということで
以前のように参り合いということが
極端に少なくなりました。

 日頃のお付き合いが薄くなったということです。
高齢化が進んで先に往かれた故人の関係は基より
施主の日頃の人間関係です。
 日頃のお付き合いがあってからこそと思います。

 私たちのお念仏のご縁つながりです。
初盆会のご縁に御仏前にお参りいただき
ご一緒にお念仏申します。
 お念仏の声が聞こえます。
「いつも私が一緒ですよ」と
いつでもどこでもどんな時でも
私のところに還って来てご一緒くださる
南無阿弥陀仏のおはたらきに安心して
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.14)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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