本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

人生の最期をどこでどのように迎えますか

 昨夜Iさんの奥さんがご往生されて臨終勤行にお参りさせていただきました。
日曜日に病院からお家に帰って来られて4日目ということです。
 
 昨日は初七日のお勤めのお家があって私と同学年の方のご縁でした。
4月に病気が分かって最後は先生から余命一カ月と告知をされお家に帰って三日目だったといいます。
 
 病院や施設で亡くなる方が多いなかでお二人の方が続いてお家で臨終を迎えられたということです。
長く入院されて一向に回復の兆しが見えないなかで、早く家に帰りたいと家族に言うそうです。
 ただ家に帰っても病院にいるようなことは到底できないのですが、最期は家で迎えたいという思いなのでしょう。
 
 今は医療福祉体制が充実しており
主治医を中心に看護士や保健士など色んな専門分野の方がチームを組んで最期まで看取ってくださるといいます。  
 それで治る見込みはないのですが、心身の痛みを和らげ最期を懐かしいお家で迎えるというのです。
 
 昨日の臨終勤行は懐かしいお家の阿弥陀さまのご尊前でお勤めさせていただきました。
今は葬儀社でのお通夜お葬式が一般的になりましたが
お家での最後の夜です、ゆっくりご家族皆さんで過ごしてくださいと声をかけて臨終勤行のお勤めを終えました。
 
 他人の話ではなくて私の話です。
いつどういうかたちでこの命を終えていくのか分かりません。
私が決められることでもありません。
 ただこの命終える時が必ず来ることは確かなことです。
仏さまのみ教えを聞かせていただくことの有難さを思います。
 
 大切なお方とお別れしなければいけませんが
ナンマンダブツとお念仏申してお別れができ阿弥陀さまのお浄土に送ることができるのです。
 お浄土に生まれて大切なお方は南無阿弥陀仏の仏さまとなってこの世に私たちのところに還って来るというのです。
迷いの中にある私たちを必ず救うそのまま救うというおはたらき一つにです。
 
 そのまま聞かせていただきましょう。
大切な方とお別れする悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただきましょう。
七日七日に始まるこれからのご縁を精いっぱいお勤めさせていただきましょう。
とお取り次ぎさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.28)

子ども食堂が増えてきています

 子ども食堂が全国的に増えているという報道です。
3700余りあって去年から比べると1.6倍増えているといいます。
鶴崎にも子ども食堂があると聞きます。
 
 子ども食堂は親御さんが働いて一人で食事をするような孤食の子どもさん
また経済的に困窮している家庭の子どもさんを対象としたもので
無料または低価格で食事を提供する取り組みです。
 
 お寺の御講のお斎を思います。
円光寺では両彼岸と報恩講の年に3回御講をします。
御講に直る人に200円、お参りされない方は100円を出してもらって賄っています。
 
 最近御講のお参りがずっと減ってきました。
仕事をもっている方が増え時間的にも11時から3時までの長時間だったりその他色んな理由があると思います。
 
 私たちが小さい頃は近くでお葬式があると近所の子どもも一緒にお葬式のお斎になおっていました。
お腹をすかせた子どもたちが腹いっぱいご飯を食べていました。
御講の献立はずっと変わらずけんちん汁とご飯に和え物です。
 今の食卓に並ぶ食事に比べたら本当に粗末なものですが
みんなで一緒に腹いっぱい食べて本当においしかったです。
 
 あるお寺のお斎には門徒さんがビニール袋を持って来られるそうです。
お給仕する方がご飯を山盛りついでその袋にご飯を入れて家に持ち帰るのです。
 お仏飯のおすそ分けです。
お寺にお参りできない家族の方も一緒にお仏飯をいただくのです。
 
 お互いに助け合い支え合う心意気が御講だったということです。
そして今は子ども食堂ということで地域の心ある方が手をあげてボランティアでお手伝いしています。
 
 お寺でも子ども食堂をしているところがあります。
お寺の御講のようにどこのお寺でも子ども食堂をすればということですが
何をするにも多くの人の加勢があってできることで
お互いに気持ちをもって理解し合い協力しないと難しい問題にもなります。
 まずはお念仏の心で私にできることを精いっぱいさせていただくことが大事だと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.27)

梅雨になります

 今日は朝から大変蒸します。
天気予報では今日からずっと雨マークでいよいよ今日から梅雨に入るということです。
これまでで一番遅い梅雨入りだそうです。
 
 最近は気象庁が梅雨入り宣言を公表しなくなりました。
というのは梅雨入り宣言したとたんに晴天が続いたり梅雨明け宣言をしても長雨が続くとかいうことがあって
気象庁に文句を言う人がいたりということがあったそうです。
 
 ただこれは気象庁のせいではありません。そのことはみんな知ってはいます。
自分の都合に合わせて天気も良い悪いと見る私たち人間の身勝手なものの見方に問題があります。
 天気は自然現象で人間がどんなに偉くなっても天気を都合の良いように変えることは到底できません。
 
 水は自然の恵みです。私たちが生活するうえで水は決して欠かすことはできません。
昨日のニュースでは田植えをした田圃にひび割れができたりとかダムの貯水量が減って心配だということでした。
 
 雨を待ってる人がいらっしゃるということです。
昔は雨乞いをして神仏に降雨を祈り願ったと言い伝えられています。
雨乞いをして雨が降ればいいのでしょうがどうでしょうか。
 
 雨は降る時は降って降らない時には降りません。
これは大自然の摂理であり真実です。
 
 ずっと長く雨が降らなかったら私たち人間はみんな死んでしまいます。
そこは自然の営みでうまくなっているというのが自然の摂理道理ということではないでしょうか。
 
 そこに人間の手が入ることによって自然がおかしくなったと見た方がいいと思います。
地球温暖化の問題は次代に負の遺産を遺すことで現代を生きる私たちの責任で改善しなければならない喫緊の大問題です。
 
 私たちのこの身体も自然です。
自然の道理はたらきのなかに生きているのです。
 お釈迦さまは自ら生老病死の身を生きるなかで
生老病死の四苦を明かされ私たち人間が等しく背負う苦悩からの解脱の道を仏教と示してくださいました。
 
 生きることは老いること病むこと死ぬことだよとの自然の摂理です。
一方私たちはいつまでも若くありたい健康でいたい死にたくないと思い頑張って生きています。
 そこで思い通りにいかない我が身の事実に向き合うなかに苦悩し迷うのです。
 
 どんな人も等しく命終えていかねばなりません。
大切な方と別れなければなりません。
これさえあれば大丈夫を握りしめていた健康もお金も家族もこの世のすべてのことは死の前には無力です。
 
 我がいのちの真実のあり方に背を向けどこまでも自分の思いを中心に生きようと頑張る私たちを見てとられた阿弥陀さまは大きな悲しみのなかから誓願をおこされ「すべてのものを必ず救うそのまま救う」と南無阿弥陀仏となっておはたらきです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきにそのまままかせてお念仏のなかに日々生かされて生き
この命終えてそのまんま阿弥陀さまのお浄土に往生させていただき
苦悩から解脱して涅槃の仏にさせていただけると聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏の大きなおはたらきにあって
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに私たちのいのちがこれからもずっとずっとずっとつながっていくことを
お念仏申して聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.26)

還骨となられてお寺の阿弥陀さまのおそばにお参りです

 昨日お葬式がありました。
西大分のご門徒の方で近くの斎場でお勤めをした後竹中の火葬場に向かわれます。
いつものように火葬場からお遺骨をお供して直接お寺にお参りしてくださいとご案内をしました。
 
 西大分から竹中までは高速で30分もかからないで行けるということです。
それで竹中から円光寺まで大変な大回りになりますがお参りに来ていただきました。
 
 20人ほどのご親族皆さんで火葬場に行かれ収骨されてそのままお寺にお参りされたということです。
実はこのお家は3,4年前に新しくご門徒になられたところです。
熊本の実家に居た一人暮らしのお母さんが亡くなりお家のお仏壇を引き取ることで円光寺とのご縁ができたということです。
 
 昨日皆さん初めてお寺にお参りされたことだと思います。
わずかな時間のご縁でしたが、皆さんお寺の本堂にお参りされてどんなことを思われたのでしょうか。
 
 どんなに大きな体の人もみんな等しく4、5寸の壺に納められ
そのお遺骨を私が胸に抱えて阿弥陀さまのおそばにご安置してお勤めをさせていただきます。
 
 お浄土参りです。
私たちのこの目に見える形はお遺骨ですが
確かに確かに南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に往生されたといただきます。
 
 私たちが南無阿弥陀仏のお救いのご法義を聞かせていただけるのはここです。
お寺の門を通って阿弥陀さまのお浄土にお参りさせていただけるのです。
 そしてお浄土に往きっ放しではなく南無阿弥陀仏となって私たちのところに還って来てくださると
聞かせていただきます。
 
 昨日お参りの皆さんの口からナモアミダブツの声が出ていたかどうかわかりませんが、これからです。
これから七日七日の中陰に始まる仏さまのご縁をいただくなかに
ナモアミダブツとこの口からお念仏の声が出てくださるのです。
 
 お念仏の声となって先に往かれた大切な方がご先祖有縁の仏さまがいらっしゃるのです。
私と一緒に共にいらっしゃるのです。南無阿弥陀仏といらっしゃるのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
これから私たちは日々お念仏申す生活をさせていただけると有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.25)

仏さまのご縁に遇わせていただく日曜日の朝です

 日曜日の朝です。
仕事をもたれている方は平生の日常とは違うということで、今日の朝を迎えられたのでしょうか。
 
 毎日6時に梵鐘をついています。
平日につく6時の鐘と日曜日につく6時の鐘とでは、人によって鐘の音が違って聞こえるのではないでしょうか。
 平日朝6時の円光寺の鐘が生活の中で意味あるものになっていることもあると思います。
鐘の音を合図に朝起きて身支度をして朝ご飯を食べてそして職場に学校に行くということでしょう。
 ただ日曜日の鐘ということになりますと、もうちょっと眠たいなという思いで聞いてらっしゃる方もあると思います。
 
 お寺の梵鐘は時刻を告げる鐘ではなく法要前の合図の鐘なのです。
法要が始まる一時間前に撞くのが本来の梵鐘のあり方です。
そろそろ準備をしてお寺にお参りしましょうという鐘、お誘いの鐘なのです。
 
 そして6時半に喚鐘が鳴りますが、いよいよこれからお勤めが始まることを告げる鐘です。
この喚鐘の喚は喚ぶという意味があります。
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声といただきます。
「我にまかせよ必ず救う」のお喚び声を何度も何度もガンガンガーンとこの耳に届くように響かせてくださるのです。
それこそやかましいと聞く人もあるかもしれませんがどんな人の耳にも届いてあるのです。
 
 ナンマンダブナンマンダブと何度も何度も繰り返し繰り返し巻き返し巻き返し
私のところに届いてくださる阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声です。
 お念仏の声に喚び目覚めさせていただいてこうして皆さん今日もお朝事のご縁にお参りをさせていただけました。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきの有難さをまた日曜日の朝のご縁に深く味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.23)
 
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
4
6
9
2
7
TOPへ戻る