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お念仏を申す生活法話

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念仏家族というご縁つながり

 今は家族の形態が多様で変ってきています。
ある調査で、家族ということについて、親子の関係は家族というが祖父母との関係は親族ということを聞きました。
 
 日頃一緒に生活をしている親子は家族なのです。
おじいちゃんおばあちゃんはたまに家に来たりとか
夏休みにおじいちゃんおばあちゃんの家に行ったりとかいう関係つながりだといいます。
言われてみればそうかなと思ったりもします。
 
 もう一つ葬儀の後の法事についての調査結果です。
今は葬儀をしない、葬儀をしても法事はしないところが増えてきて、法事を勤めても7回忌ぐらいまでで
それ以降の13回忌17回忌25回忌33回忌50回忌の法事は勤めないということです。
 
 今は超高齢社会になって90歳代の親の葬儀の喪主を70歳代の子どもが勤めるということで
70歳代の子どもが元気で勤められる法事の年忌は7回忌までかんということのようです。
 子どもが勤められなくても孫がいるではないかということですが先ほどの話です。
孫からいったら祖父母は家族ではない親族です。
ご法事の施主は直接の家族が勤めることで、親族になると法事の案内を待つ人になるわけです。
 
 こうした現実のなかで私たちはお念仏のご法義をどのように伝えていくのか
今まで通りのようなことをしていても中々先が見えない難しい事態が実際に起こっています。
 
 お念仏のご法義です。
私たちがこの人間界に生まれて来たのは仏さまのみ教えに遇うためなんだよと
お釈迦さまは私たちに教えてくださりお念仏の法を勧めてくださっています。
 
 日々の生活ぶりは皆さんそれぞれ違いますが
こうして毎朝お朝事のご縁にお参りされて今日の一日をご一緒に始めさせていただける
私たちはお念仏のご法義につながった念仏家族だといただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.27)

ご法事のご縁で家族になれる

 昨日ご法事がありましてお昼の2時からのお勤めでした。
二人の息子さんが遠方から家族連れで帰ってみえるということでした。
 
 お勤めの後で「今日は久しぶりに家族全員が揃いました」と聞きました。
二人の息子さんご夫婦に子どもさん二人の二家族で8人、計10人のご縁になりました。
 
 お孫さんからいったら七回忌のおじいちゃんのご縁です。
ご往生から6年が経ったということです。
 四人のお孫さんのうち1歳の子どもさんはおじいちゃんに直接会っていませんが
三人のうち一人は6歳になる子です。生れたばかりでおじいちゃんとお別れしたということです。
一番年長の子が小学6年生ということですから、小学校に入学して卒業するという6年です。
 
 昨日お話しましたが、今は核家族の形態が殆どで
家族といえば親子の関係を言いおじいちゃんおばあちゃんになると親族という見方があるそうです。
 ご法事のご縁に親族のお孫さんが帰ってみえたということです。
そして皆さんご一緒に御仏前に座ってお勤めができました。
 お孫さんは終始神妙な顔つきでした。
日頃そのお家で暮らしているわけではありません。
よその家です。ある意味そのお家のお客さんなのです。
 
 ただ皆さんご一緒にお勤めができて昨日の夜は10人でゆっくり食事をして過ごされると聞きました。
ご法事のご縁で家族になれるということです。
 家族になれるって、元々家族なのですが
それぞれ住む家が違いそれぞれの生活をしているお互いです。
 そのそれぞれを一処に集めてくださって家族にしてくれるのです。
 
 おじいちゃんは人の命を終えたけれどもおじいちゃんがおじいちゃんでなくなったわけではないよとお話しました。
人の命は終えましたが、仏さまのいのちとなっておじいちゃんの仏さまが
いつどもどこでもみんなのことを見守りご一緒してくださってあるのです。
 ナンマンダブツとお念仏を申すところにみんながずっとずっとつながってあるということです。
 
 今はご法事に子どもさんがお参りすることが本当に珍しくなりました。
直接の親子兄弟の関係が殆どでその他の親戚の方のお参りも見かけません。
 お孫さんにとっておじいちゃんおばあちゃんは命の大恩人です。
子どもの頃からご法事のご縁に遇うことは本当に大事なことなのです。
 
 今6年生の子が次の13回忌のご縁には高校3年生になります。
その年齢年齢で違う思いでご法事を迎えられることだと思います。
 
 仏さまのご縁は平素日頃のご縁です。いつでも仏さまのご縁に遇うことができます。
ただ自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私たちが日頃のご縁に遇う頃は本当に難しいことです。
だからこそご法事のご縁を大切に受け止め有縁の方に広く呼びかけて
精いっぱいお勤めさせていただきたいとまた思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.28)

参議院選挙の後で

 参議院選挙が終わって総括というかテレビ番組で各党の代表が討論しています。
今度の選挙は今までにない特徴があったと思います。
 今回も投票率が50%を切って半分以上の人が選挙に行かず自らの権利を放棄する異常事態が続きます。
 
 そのなかで「れいわ新選組」と「NHKから国民を守る党」が
議席を獲得し政党としての要件を満たす得票を得たということです。
 特にれいわ新選組は200万以上の票を獲得しました。
結党僅か3か月で社民党の倍以上の得票を伸ばし選挙資金も用立てたといいます。
 
 れいわ新撰組について選挙後の報道で知ったことが多く東京を中心とした大きな動きだったということです。
SNSというネットを使った選挙手法だったといいます。
 
 一方NHKから国民を守る党は新選組とはまた違った手法を使いました。
各選挙区に候補者を全部立てたということです。
各選挙区の得票数は少ないものの全国では100万近くを集めました。
国民の小さな声を丁寧に得票として集めたということです。
 
 今のネット社会の選挙戦術と昔ながらの草の根の取り組みです。
これは選挙だけのことではなくこれからの社会の様々な取り組みに当てはまる大きなヒントになることだと思います。
 
 このお寺の活動もそうです。
日頃です。日頃というのがここです。このお朝事のご縁もそうです。
仏さまのご縁を日頃から頂くということです。ここから始まる日頃です。
お互いの顔と顔を合わせ見て声が聞こえるということです。
 
 もう一つはネットです。
円光寺も3年になりますかインターネットをしています。
 ネットは発信する者がいて受信する者がいます。
ただ受信する物が必要だし受信をする者が受信をしないとボタンを押さないといけません。
 
 これまでのお寺とご門徒皆さんとの通信つながりは今も紙媒体です。
皆さんに紙文書で法要行事のご案内を配っています。それを見るか見ないかは皆さんです。
ボタンを押すというはっきりした意思表示がなくても目に付けばそれを見る読むことができます。
 この前還暦を祝う会のご案内を直接該当者に名前を書いて手紙で出しましたが
その人から「還暦を祝う会ってこれまでにあったんですか」と言われました。
10年以上前からありました。ご門徒皆さんへの通信にご案内もし報告もしています。
ただそれは紙で、それを見てるか見ていないかの違いです。
 
 年間たくさんのご案内を丁寧に出してはいます。
ただ皆さんがそれを隅から隅まで読んでいるかといったら殆どの人は見てもいないのではないでしょうか」
気持ちのある人しか見ていません。
それでも気持ちのある人は見ていますからやはり丁寧に一つ一つご案内することからすべてが始まるのです。
ちゃんと宛名書きしたものは見るのでしょうが、全て宛名書きすることまでできません。
 
 そしてこれからはよりネットになってきます。
ネットでボタン一つで方々に発信することができるのです。それも不特定多数です。
発信しないと受信することはできません。
 そして受信する方がボタンを押すんです。そのつながりです。
たとえ顔と顔は見えてなくてもつながっているんです。
つながってここ、お寺のご縁です。互いに仏さまのご縁に遇って顔と顔が見えるんです。
そしてお念仏のみ教えがつながるのです。
 
 人から人へ確かに確かにお念仏のみ教えが伝わってき私のところに届けられたのです。
顔と顔が見えるなかに子や孫に次の世代へと先人の思いがずっとつながって今日のこのご縁になって結ばれているのです。
 
 そういうことでいったら今度の参議院選挙はいつものように自民党が一人勝ちで終わったという見方ではなく
今ある政党に期待していない者の動きが一つ始まったのかなと思ってお寺のことをまた重ねて思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.23)

監督の決断

 夏の高校野球地方大会が佳境に入っています。
昨日は岩手県予選の決勝戦があり注目の佐々木投手を擁する大船渡高校が常連校の花巻東高校と対戦しました。
 
 大谷翔平投手を上回る高校生最速の163キロを記録して全国区の人気を集めることになった佐々木投手ですが
決勝戦に登板することなくチームも敗れて悲願の甲子園出場を果たすことができませんでした。
 
 この佐々木投手の登板回避が大きな話題になり今日の新聞テレビ等でも取り上げられることでしょう。
なぜ佐々木投手が登板しなかったのか監督は登板させなかったのかということです。
 大船渡高校のエースであり甲子園めざして3年間一緒に戦ってきた仲間とのそれも最後の大事な試合です。
佐々木投手を中心にみんなで甲子園に行こうとチームメイト後援者の思いいっぱいだったと思います。
 
 ただ監督は自らの責任で登板させないという決断だったといいます。
監督が一番選手のこと、まだまだ高校生の成長途上の子どものことを3年間ずっと見てきたと思います。
 そうしたなかで最終的には監督の判断です。
それはそれで監督の判断でしかないと思うのですが、やっぱり傍から見るとなぜどうしてということです。
 
 結果甲子園に行けなかったということですが、佐々木投手やナイン選手たちの人生がこれで終わるわけではありません。
これからそれぞれのいろんな人生の歩みのなかで
その時の監督の決断監督の思い願いというのがどういうことだったのかまた思い起こすことがあると思います。
 それは〇か×かではないと思います。
登板させる登板させないという二者選択ではなくて多くのものの見方があると思います。
 
 そういうなかに監督はまさに親ですよ。
親の心が聞こえてくるわかることもあるということではないでしょうか。
 私たちの阿弥陀さまを親さまといいます。
親さまのお心が分かるでしょうか。
 私が私がとどこまでも自分を中心に生きている私たちお互いです。
親さまのお心は南無阿弥陀仏「まかせよ救う」とおはたらきくださり
いつも私が一緒だよ、あなたのことは私が一番よく知っているからね、私にまかせなさいというんです。
 
 まかせよ救うの南無阿弥陀仏のお心おはたらきに「おまかせします阿弥陀さま」と
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.26)

今朝梵鐘が撞けませんでした

 昨日はお朝事をお休みして6時の梵鐘もお朝事の調声も坊守と新院が代わってしてくれたことですが
今日は鐘つきの時間を過ぎて結局梵鐘を撞くことができませんでした。
 
 いつもの時間に起きていつも朝の用意をしましたが、一つだけいつもと違うことをしたのです。
そのことで鐘を撞くタイミングを逸してしまったということです。
 
 朝の梵鐘は時報という時刻を告げる鐘ではありません。
でも聞く人にとっては6時の鐘なんでしょうね。
 今日は円光寺の鐘がならないなと思った方もいたのではないでしょうか。
聞き過ごしたのかなあと思った方もいらっしゃるのではないかと思います。
 
 日々の生活ということを思います。
私たちは有難いことにご本尊を中心にナンマンダブツとお念仏を申す日暮しさせていただいています。
 何かいつもと違うことをしてしまうようなことがあっても
右に行ったり左に行ったりと迷う私を阿弥陀さまはちゃんとご存知で
いつでもどこでも見てござる知ってござると
ナンマンダブツとお念仏となってご一緒してくださるのです。
その有難さ尊さをまた思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.10)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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