「ごめんなさい」と頭が下がります
今朝いつもより早く目が覚めて居間で本を読んでいました。
蚊が飛んできて気になって止まったところを叩きました。
蚊の死に様を見て「ごめんなさい」とお念仏が出ました。
仏教には五戒という仏教者が修める五つの戒律があって第一番目に殺生戒があります。
ものの命を奪ってはいけません殺してはいけませんということです。
ただ私たちの日々の生活をちょっと振り返ってみてもものの命を殺し続けて生きているというのが事実です。
人を殺すといったような極悪非道の行為ではありませんが
毎日食事をすることもものの命を奪うという行為です。
他のものの命をいただかないと生きていけないこの私です。
食事をするとき「いただきます」「ごちそうさま」と命に向き合い手を合わせお礼をさせていただきます。
多くの命のおかげで生かされてあるということです。
「ごめんなさい」と手が合わさって頭が下がります。
仏さまのみ教えに遇わせていただいてこの口からお念仏が出てくださいます。
ものの道理が分かって理解して私が偉くてお念仏申すのではありません。
お念仏のおはたらきが私のところに来てくださってお念仏が出てくださるのです。
そしてすべてのものの命にも南無阿弥陀仏と来てくださっているのです。
本当にすまんことやなあごめんなさいとお念仏が出てくださいます。
食卓にいただく多くの命、蚊の命もそうです。どんな命もそうです。
たくさんの命をいっぱいいただいて私の命がつながっていくのです。
生かされて生きる私です。
多く命に支えられ生かされて
私たちはその中心に阿弥陀さまという無量のいのちの仏さまをいただいているのです。
ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すなかに
私たちはみんな南無阿弥陀仏の大きないのちにつながった命をいただいていることを
有難く尊く聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.22)
お仏壇を申します
浄土真宗のお仏壇のお話です。
ご縁があってお仏壇をお家の中心に申します。
お仏壇だったら何でもいいということではなく
仏教の各宗派でお仏壇のかたちが違います。
一番の違いはお仏壇の真ん真ん中にご安置するご本尊の仏さまです。
お仏壇は仏さまの教えそのものを表すものですからここが肝心要です。
同じ仏教なのに何故?と思われるかもしれませんが
仏教は成仏道の教えであり各宗派で仏に成る道が違うのです。
浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来さまです。
すべてのものを分け隔てなく必ず救うとおはたらきの仏さまです。
浄土真宗のお仏壇は金仏壇が一般的です。
阿弥陀さまの光明無量のおはたらきのお浄土を表します。
大悲の光明を放って阿弥陀さまが私たちを救いとるところを決めて建立されたお浄土です。
阿弥陀さまは諸仏諸菩薩共々にお浄土にましまして南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださってあるのです。
阿弥陀さまのおすがたにこの私が救われていく全ての手立てが込められてあるということを
この目で拝見させていただき教えていただきます。
今日もこうして本堂のお内陣お寺のお仏壇のご本尊を中心にお朝事のお勤めをさせていただきます。
お寺のご本尊の阿弥陀さまはお木像のおすがたですが
そのお姿をほれぼれと拝して阿弥陀さまの恩徳ご恩おはたらきをほめたたえます。
「必ず救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきがお念仏となって私の口から出てくださいます。
皆さんと共々にお念仏申して今日の一日を始めさせていただきます。
本当に本当に有難い有難いご縁だなと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.21)
お寺をあずかる住職の楽しみ
今度納骨堂に新しく納骨壇を増設することで
昨日納骨壇を求めてお参りされた方がありました。
昔でいう本家は円光寺のご門徒で分家になる方で
前々からお墓のことお仏壇のことが気になっていたということです。
ご夫婦ともいよいよ高齢になりこのたび納骨壇の申込みを思い立ったといいます。
あわせて円光寺の門徒登録の手続きもしていただきました。
納骨堂にご案内し納骨壇を見てもらって説明させていただきました。
お知り合いの方のお家の納骨壇をすぐ見つけられて何か安心されたようでした。
ずっと以前からのお友だちで納骨堂の話もその人から聞いていたということです。
どうぞお寺のご縁にこれからお参りしてくださいと言いましたら
お友だちと一緒にお参りしたいと思いますと言ってくださいました。
門徒になってお寺とのご縁ができるということです。
お寺とのご縁を前向きに思ってもらって本当に嬉しかったです。
何かお寺の門徒になることをマイナスイメージで見られている方が多いのではないでしょうか。
門徒になるとお寺の務め事が色々あってそれが負担になって門徒になることに抵抗感があるといったようなことです。
お葬儀のご縁で門徒になることが今まで多かったのですが
今はお葬儀もお寺に頼むのではなく葬儀社を通してその時だけのお坊さんに頼むケースが多くなったと聞きます。
お寺との関係を持ちたくないということなのでしょうか。
お葬儀の後の仏事はどのようにお勤めするのでしょうか。
門徒になるということは仏さまのご縁をいただくということです。
仏さまのご縁をいただいて帰る家ができるという安心です。
お寺とご門徒のご縁つながりはこれからもずっと安心できる仏さまのご縁
大安心のなかのご縁つながりなのです。
南無阿弥陀仏のご縁つながりのなかに一人二人三人と
お念仏をよろこび申すお同行が増えることほど
お寺をあずかる住職として有難く嬉しいことはありません。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.20)
何かやりきれない悲しい事件です
風が強い朝になりました。
福井県で71歳の女性が家族3人を殺害したという悲しい事件が起こりました。
夫と夫の両親3人です。建設会社を経営されていて夫が会長で容疑者は会社役員で経理を担当していたということです。
報道によると介護の疲れが原因といいます。
周囲の人に「しんどい」ということをもらしていたということです。
何か本当にやりきれないですね。
会社経営は並大抵のことではありません。
色んなご苦労があって事業を成し遂げ社員家族の生活もみてきたのではないでしょうか。
私たちが生きるこの社会は決して自分一人で生きているわけではなくて
たくさんの方々人と人とのつながり関係の中でお互いに支え合い助け合って生きているというのが本当のことです。
ただ自分の思い通りに生きることは難しくいろんな悩み苦しみがあります。
しんどいことを周囲に漏らすこともはばかられ「助けて」と声を上げることも難しいなかで
周囲は会社の社長さんだから何だからと勝手な見方でしか見てくれないところもあったのではないでしょうか。
「困った時にゃお念仏に相談しなされや」とはお念仏を喜ばれた先人のことばです。
困った時とはどういうときでしょうか。
お金がなくて困る病気になって困ると色んな困ることがありますが
一番困ること悩み苦しみって独りぼっちということではないでしょうか。
そばに人がいても独りぼっち大勢のなかに行っても独りぼっちということ
何かすべての困り事を自分一人が背負わされているようで
これほどつらい悲しいしんどいことはないと思います。
ナンマンダブツとお念仏申して金回りがよくなる病気が治るということではありません。
南無阿弥陀仏のお念仏のお心おはたらきを聞かせていただきます。
自分の世界に固く閉じこもり悩み苦しむこの私のことを阿弥陀さまはもうすでにご存知で
南無阿弥陀仏といつも私に寄り添い必ず救うとおはたらきなのです。
今日もこの本堂いっぱいにお念仏の声が聞こえます。
この目には見えないけれどもお念仏の声の仏さまとなって私のすぐ隣にいてくださいます。
お念仏の人がいます。ご先祖有縁の仏さまがいます。
阿弥陀さまがいつでもどこでも私について離れずご一緒してくださっているのです。
この後『浄土真宗の教章(私の歩む道)』を皆さんで拝読します。
最後に「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」と結ばれます。
自他です。自分だけではなく他の人みんなのお念仏の世界です。
私独りぼっちじゃありません。私を思うてくださる方がいます。
ナンマンダブツとお念仏申し阿弥陀さまのお心を聞かせていただき
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて今日一日も
あなたと私お互いに支え合って生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.19)
今ここがお念仏の道場です
私たちの浄土真宗のご法義は南無阿弥陀仏のご法義です。
この南無阿弥陀仏はインドの言葉を中国の漢字に音訳したものでその文字自体には意味はありません。
お正信偈の初めに「帰命無量寿如来」無量寿如来に帰命し
「南無不可思議光」不可思議光に南無したてまつるとあります。
無量寿如来不可思議光は阿弥陀さまのことで阿弥陀仏に帰命するということです。
親鸞聖人は南無阿弥陀仏のご法義を「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号として大切にされました。
帰命の命は教命勅命の意味で如来の「まかせよ救う」の命令に
帰は帰順したがうという意味で
阿弥陀さまの仰せにおまかせしてしたがうということです。
こちらが先におまかせするのではなく阿弥陀さまの方が先なのです。
まかせよ救うの仰せです。
帰命尽十方無碍光如来です。
尽十方無碍光如来の仰せにまかせるということです。
尽十方とは十方を尽くすということであらゆる世界どこでもということです。
私がどこにいてもこの仏さまは私のところに来てくださって
いつでもご一緒してくださる仏さまに成ってくださったというのです。
今日も皆さんは円光寺のお朝事にお参りされ今ご本尊の阿弥陀さまの前に座っていますが
これからお家に帰り一日の生活が始まります。
この本堂にだけではなく私たちが生活するところどこでもこの阿弥陀さまはご一緒してくださるのです。
ナンマンダブツとお念仏申すところ
必ず必ずあなたを救うと力強い南無阿弥陀仏のお喚び声となりおはたらきとなって
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒です。
浄土真宗はお聴聞が大事といわれます。
今こここの私がお念仏申すままが阿弥陀さまのお心を聞かせていただくお聴聞の道場と聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のお喚び声にかけられた大きな阿弥陀さまのお心をまた有難くいただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.18)