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お念仏を申す生活法話

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お念仏の声となって私のことを思うてくださる

 お念仏申す生活をさせていただきます。
念仏は仏を念じると書きます。
 念の字は今の心、今こころする今思うということです。
仏さまを思います。
 
 お念仏の心は、これまでもそしてこれからも今の私に寄り添ってくださる南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
これまでもずっと私が仏さまを思う前から仏さまから思われていたということです。
 そしてこれからもずっとです。
それは今の私にずっと寄り添ってくださることなのです。
 
 今の私を思うてくださる
「どんなことがあってもいつも私が一緒だから安心して、あなたの命を精いっぱい輝かせて生きて往こうね」と
私が思う前に仏さまの方が私のことを思うてくださるのです。
 
 「あなたを必ずお浄土に生まれさせて仏にさせるよ」という思い一つです。
その思いが私のところに至り届いてナンマンダブツと私の口から出てくださるお念仏はお礼のお念仏といいます。
 ナンマンダブツ、聞こえてきますね阿弥陀さまのおよび声が。
南無阿弥陀仏のおよび声に励まされて支えられて生かされてこれからも生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.18)

三願転入のお救いの道

 今日拝読のご和讃は「大経讃」といって大無量寿経のお心を讃嘆されたものです。
親鸞聖人は浄土三部経のなかで大無量寿経を真実の教とお示しです。
 
 この大無量寿経には阿弥陀さまのご本願が説かれてあります。
阿弥陀如来の四十八願です。
 このご本願の中の第18願に私たち凡夫が救われていく道が説かれてあるといただきます。
 
 今日拝読のご和讃には第18願のお心そして第19願のお心、明日は第20願のお心がでてまいります。
この第18願,19願,20願を三願とよび、三願転入の道を示されます。
 阿弥陀さまの浄土往生を願う三願です。
三願ともに浄土往生を願う心は同じですが、その往生の手立て道すがらは異なります。
 
 第19願は自力修行、自ら善行を積んで浄土往生を願うのです。
第20願は自力の念仏を積み重ねる功徳によって浄土往生を願うのです。
ただ19願も20願も方便化土の願といって真実報土の浄土には往生できないといわれます。
浄土は浄土でもお浄土の片隅に生まれるといいます。
 
 ただこの方便ということ、方便と聞くと皆さん嘘も方便ということで方便イコール嘘と聞かれますが
方便とは真実に至る道すがら真実に導くための手立てというのです。
 
 真実の本願こそ第18願です。
他力回向の願といいます。
 阿弥陀さまの本願力回向の南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちの往生が定まり
私たちは阿弥陀さまの本願力を信じおまかせするばかりだと聞かせていただきます。
 
 第19願20願が方便の願といわれるのは自力で浄土往生を願う心がおこるということで
阿弥陀さまの他力におまかせする心が欠けているということなのです。
 
 この三願転入の道すがらは親鸞聖人の歩まれた道でもあります。
比叡山での厳しい学問修行です。自力の念仏修行もありました。
そして法然聖人にお出遇いされて「雑行を捨てて本願に帰す」と他力の念仏に帰入されたのです。
 
 私たちも親鸞聖人と同じように三願転入の道すがらを歩まなければ真実報土の浄土往生ができないのではありません。
要は阿弥陀さまのご本願のお心南無阿弥陀仏のお心を聴けよとお聴聞をおすすめなのです。
 聴いて聴いて聴きぬけといわれます。
仏さまの前に身を置いてお念仏申す身にさせていただくことです。
 
 これも自力といえば自力のようですが
お念仏申す身にさせていただいた上はすべてが阿弥陀さまのお手回しであったといただけるのが
阿弥陀さまの本願念仏のお救いのお心なのです。
 
 私の救いの大本は南無阿弥陀仏の仏さま阿弥陀如来さまですが
皆さんのご先祖有縁の仏さまです。
 皆さんのご先祖有縁の仏さまのおはからいがあってお手回しがあって
この私が今こうして御仏前に座ることができているこの口からナンマンダブツとお念仏申すことができているのです。
そのことをそのまま喜ばせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.17)

お盆の行事を終えて

 昨日でお寺のお盆の行事が終わりました。
今年のお盆は最後に台風が来て昨日の「戦没者追悼法要・平和を願い鐘つき・還暦を祝う会」は取りやめにしました。
前の日から交通機関や各種催し、商業施設の休止が決定するなどしてそんなに混乱はなかったようですが
お盆休みで色々と楽しみに計画していたことができなかった方もたくさんいらっしゃったと思います。
 
 私たちの日々の生活は大自然の営みのなかにあることを思います。
いつもは当たり前のように享受している自然の恩恵ですが
自然の脅威には人間はなす術もないことを改めて思い知らされます。
 
 さて盆参りは5日から始まりましたが、風邪を引きこんで翌日6日には全く声がでなくなり
新院に私の分も代わってお参りしてもらったことです。
 ただ15日までしっかり盆参りの分担をしていますので休んでばかりいられず
病院で薬をもらいガラガラ声で15日まで持つのか不安を抱えながら過ごした辛いお盆になりました。
 
 昨日は終戦記念日で東京では全国の戦没者追悼式が行われ令和になって初めて天皇がお言葉を述べられました。
平成の天皇のお心を受け継いで不戦を誓い平和を祈るというお言葉でした。
 戦後生まれが今国民の8割を超すといいます。今日お参りの皆さんも戦後生まれの方です。
戦後生まれで戦争を知らないといっても、私たちの先祖父母祖父母が戦争という苦しい時代を生き抜いてきて
今この私の命があるということに思いを致します。
 
 戦没者追悼法要は私たちが毎年お勤めする戦没者お一人お一人のご法事です。
追悼です。追って悼むといいます。
 追うということが大事なのです。
近年戦争の風化が言われ最近は戦争の風化そのものが言われなくなったように思います。
もう74年前の私が生まれていなかった頃のことで知らないから関係ない忘れてもいいということではありません。
 
 追って行くんです。
あの戦争のなかを生きてそして死んでいった先人のことに思いをはせ考えるのです。
 追って来られるんです。
ご先祖の方々が追って来られる、追って来ているということです。
「戦争という愚かなことはもう二度としてはいけないよ」と言い続けているのではないでしょうか。
 
 戦争は人間が行う最も愚かな行為です。
国と国同士が敵味方に別れ互いに正義という大義名分を振りかざして武器を駆使して戦う戦争ですが
所詮戦争は人と人との殺し合いです。
 これまで一度も会ったことがない者同士恨みつらみのない者同士が敵味方に別たれ
殺さなければ殺されるといった異常事態のなかで殺し合うのです。
人を殺すことが何人殺すことが英雄の証となることで、これほど理不尽なことはありません。
 
 人は人を殺すために人から殺されるために生まれて来たのでしょうか。
こう言うと、何か大義名分の声が聞こえてきそうですが
 この命誰からも殺されたくないし誰をも一人として殺したくありません。
みんなお互いに精いっぱい生きよう生きようと生きている命なのです。
 戦争に勝者も敗者もありません。みんなが傷つきいつまでも癒されないのが戦争です。
私たち人間はそのような愚かな戦争を有史以来続けてきています。
 
 仏教徒が修める戒律の最初に不殺生戒が説かれます。
「殺すなかれ殺さしむるなかれ」と仏法の世界には争いごとはないと言われます。
 先の大戦では僧侶をはじめ仏教徒が争いごとの中心にありました。
戦争当時このお寺でどのようなことが行われご門徒を戦地に送り出し戦死者の遺骨を迎えたのでしょうか。
 
 戦争の記憶を訪ねていき真摯に振り返って戦争のない世界になるように心がけ
私にできることを精いっぱいさせていただきたいと思います。
 
 今日は台風一過ということですが小雨模様になりました。
さきほどのラジオ体操の時には霧雨のような感じで何か心地よかったです。
 自然の恵みといい脅威といい、大自然の営みのなかに生かされてあることを深く味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.16)

にぎやかな初盆の仏さまのご縁です

 初盆のお家にお参りします。
「静かなお盆になりました」「寂しいお盆になりました」とご挨拶します。
大切な家族が一人いなくなって寂しい、悲しいお盆のご縁です。
 
 ただお参りするとにぎやかです。
盆提灯や盆飾りが仏間いっぱいにあってご家族ご親族有縁の方がたくさん集まっています。
 聖典をお配りしてお正信偈さまをご一緒にお勤めさせていただきます。
大切なお方のお葬儀で始まる悲しいご縁ですが
初七日から七日七日満中陰百か日のご縁とずっとご一緒にお正信偈さまのお勤めをして
皆さん大きな声でお勤めができるようになって本当に有難い仏さまのご縁だなと思います。
 
 最近は葬儀をしないお家が増えてきたといいます。
葬儀をしないとその後のご法事もないということですが
大切な方とお別れして初めて迎えるお盆をご遺族はどのように過ごしているのでしょうか。
 
 お家にお仏壇をご安置させていただく有難さを思います。
初盆のご縁にご親族ご縁の皆さんがお仏壇のある仏間にご一緒できるということです。
お仏壇の御仏前に一堂に座ることができるのです。
そして仏さまに手を合わせお礼ができるのです。
 
 お仏壇のないお家はどこに皆さんが集まって故人を偲ぶのでしょうか。
思い出の写真でも出していろんなお話をするのでしょうか。
どこに向かって手を合わすのでしょうか。
 
 皆さんご一緒にお勤めができて南無阿弥陀仏とお念仏を申すことができることの有難さです。
私たちのために阿弥陀さまが成就してくださった南無阿弥陀仏のお救いの法です。
初盆のご縁をいただいてお念仏申す私にしてくださった、先に往かれた方はまさに仏さまです。
 
 こっちを向いて手を合わせお念仏申してくれよとのご催促です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土から還って来て
お念仏の声となっていつでもどこでも私にご一緒してくださいます。
 「どんなことがあってもあなたを決して見捨てないよ。必ず浄土に生まれさせ仏にさせる」とはたらいて
私が生かされて生きる力になってくださることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.14)

今年も盆おどり大会が皆さんのおかげでできました

 昨日はご門徒皆さんのおかげで恒例の門徒初盆会そして盆おどり大会ができました。
昨日早朝からの準備そして今朝の片づけと仏教壮年会の皆さんには大変お世話になりました。
かき氷の無料提供も大人気で仏教婦人会の役員さんにはお茶出しのご加勢をいただきました。
どれもこれもご門徒皆さんのご協力の賜物です。ありがとうございました。
 
 昨日盆おどり大会に初めて参加された方が盆おどり大会のようすを見て
にぎやかに舞台をくんで提灯をめぐらしお囃子の生演奏まであって本格的ですねと
びっくりして話されていました。
 
 本場の鶴崎踊にはかないませんが
円光寺の盆おどり大会にふさわしいこじんまりしたなかにも二重三重と踊りの輪ができて
皆さん一緒に鶴崎踊を踊って今年もいよいよお盆を迎えさせていただけると有難く思いました。
 
 今日から三日間のお盆に入ります。
盆参りは5日から始めていますが、今日明日と初盆のお家にお参りさせていただきます。
 最近は三佐地区内より地区外のご門徒さんが増えて初盆のところも地区外のご門徒のお家が多くなりました。
今日は朝一番に別府の方にお参りします。それから西大分、南大分そして明野とお参りいたします。
明日は鶴崎から城東地区へ、両日とも夕方には三佐地区内のお家にお参りします。
 
 核家族化による人口移動でお寺とご門徒のお家が遠くなりご縁が薄くなったと言われます。
ただ薄くなったということは無くなったということではありません。
まだまだご縁はあります。
 
 私たちのご縁はお念仏のご縁です。
人から人にお念仏が伝わり伝わって今こうしてこの私がお念仏のご縁に遇わせていただき
お念仏申す身にさせていただいたということです。
 
 本当に有難いご縁です。
このご縁を今度は私からあなたへと伝えていく番です。
 私にできるお念仏の声かけを精いっぱいさせていただき
ご一緒にお念仏申して阿弥陀さまのお浄土への人生を共々にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.13)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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