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お念仏を申す生活法話

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涙いろいろ

 昨日は夏の高校野球決勝戦で大坂の履正社高校が石川の星陵高校を破って初優勝しました。
今大会ナンバーワン投手といわれた星陵高校の奥川投手は常に笑顔を絶やさない投球でした。
試合終了の最後まで笑顔でしたが、閉会式ではずっと泣きじゃくっていました。
 
 勝って涙、負けて涙、見て涙です。
勝った喜び、負けた悔しさ、選手の健闘に見て涙ということでしょうか。
 涙は私たちの喜怒哀楽の思いがそのまま出る表情です。
 
 つとめて笑顔をつくることがあります。
周りの人が不安にならないように思いやってということもあります。
周りを思いやる気持ちです。余裕がないと中々できません
 スマイルシンデレラの愛称がつけられたゴルフ女子全英オープン優勝の渋野日向子選手です。
本当に周りを幸せな気持ちにしてくれました。
 
 ただいつも笑っておられるわけではありません。
何でこんな目に遭わなければならないのかと思い通りにならないことに
自分の至らなさに腹が立って悔しくって流す涙です。
 
 人前で泣くなんて見っともない涙を見せてはいけないと言われそうです。
でもしてはいけないと言われるほどしんどいきついことはありません。
 
 いいんだよ、そのまま泣いて泣きじゃくってもいいんだよ
涙が枯れるまで私の胸で泣きなさいとおはたらきなのが南無阿弥陀仏のお心だといただきます。
 阿弥陀さまのお姿を見ると胸がはだけています。
何か見方によってはだらしがないと思われるかもしれませんが
阿弥陀さまの摂取不捨のお心があらわれたお姿なのです。
 
 誰が見ていても気にしないで私の胸に顔をうずめて泣きなさい
涙いっぱい流していいからそのまま私が引き受けるからと
涙する私をそのまま抱き取ってくださるお姿なのです。
 どんなことがあっても決して私はあなたを見捨てることはないから
ナンマンダブツのお念仏となっていつも私に寄り添って共に生きてくださる仏さまに成ってくださったのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.23)

お仏壇は仏さまの教えそのものです

 昭和30年から40年50年代にかけて戦後の日本社会がまだ不安定だった頃
新興宗教が大きなブームになりました。
 その最たるものがSG会です。
SG会は斥伏といってそのお家の仏壇を焚き払いSG会の仏壇にして改宗させるというわかりやすさがありました。
 一方RY会とかRK会といった新興宗教は伝統仏教宗派の仏壇にそのまま入ってくるんです。
例えば浄土真宗のお仏壇だったらご本尊の阿弥陀さまはそのままで
その中にその宗教独自のものが目に見える形で入ってきて浄土真宗の仏壇とは全く様子が違ったものになるのです。
 
 三佐もある時期新興宗教が大流行しました。
今生きていたら100歳前後の方が有力メンバーとなって地縁血縁の関係を通して入会勧誘するのです。
 はっきりと断わる人もいたと思いますが
日頃から昔からの付き合いのなかで家の宗教そのものは変わらないなどと言われて入会した人もいたのではないでしょうか。
 ご門徒を預かるお寺の住職として当時どのように対処していったのかご苦労を思います。
 
 今は信仰する人も殆どいなくなりましたが
その宗教の姿形がお仏壇のお荘厳となってそのまま残っています。
 実際に信仰しているわけではなくても親や身内が信仰していたものに触ることができず
子どもの頃から見て育ったお家の仏壇を変えることに抵抗があるのではないのでしょうか。
 これが本当に厄介なのです。
 
 ここはお寺の住職の出番ですが
むやみにこうしなさいと言えないところがあります。
これはこれまで問題を放置してきた住職の責任です。
 ご縁ご縁に少しずつお話をして徐々に本来の浄土真宗のお仏壇に返していただくことが大事だと思います。
お寺の住職だからといって中々難しいところがあるのです。
 
 そしてもう一つこうした宗教を信仰しているご門徒さんほどお寺を大事にしてくれるのです。
お寺にもよくお参りするし色んな協力お手伝いも率先してしてくれます。
 有難いご門徒さんなのです。
そういうところが逆に悩ましいのです。
 
 どうぞお念仏のみ教えを聞かせていただきましょう。
聞くいって言葉で聞くことですが、見て聞くということもあります。
 お仏壇は仏さまのみ教えそのものです。
仏さまのみ教えがお仏壇のお荘厳姿形となってくださってあるのです。
 お仏壇はこの目で見せていただく仏さまの教科書です。
その教科書に私の手が入ったら教科書ではなくなってしまいます。
 
 お仏壇にお参りしてそのまま聞かせていただきましょう。
お仏壇のお荘厳を日々一つ一つ丁寧にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.22)

8月21日の今を生きる

 8月21日です。
小中学生の頃この日は夏休みの中の登校日でした。
 いよいよ夏休みもあと10日を残すなかで、夏休みの宿題です。
大方夏の友などの宿題は済んでいましたが、残った宿題は工作であったり読書感想文です。
ちょっと腰を据えてかからないと簡単には済まない宿題ばかりです。
 
 早く済ませておけば後はゆっくり最後の夏休みを楽しめるということですが
明日がある明日があると宿題を先送りにして最後の10日間一週間数日間があっという間に過ぎて苦痛でした。
 
 この人生もある意味夏休みの宿題のように思います。
若いうちは夢をもって自分がやりたいことを結構してきましたが
歳を重ねていくなかで一年一年があっという間に過ぎ去り
気が付いてみれば60歳になり70歳を間近に控えて
大きなため息とともにこの人生を振り返りそして思います。
 
 果たしてこの人生、一体何をして生きてきたのだろうか、やり残したことはないかと。
人生の宿題です。
 この先残された時間はどのくらいあるのかわかりませんが
限られた時間をどのように生きていくのか。
人生最後の宿題です。
 
 一度しかない人生です。
昨日を振り返ることでも明日を夢見ることでもありません。
確かなことは今を生きるということです。
 
 お念仏申す生活のなかにお浄土への人生を歩ませていただきます。
この人間界に生を享けて仏法聴聞のご縁に遇わせていただきました。
 煩悩いっぱいに生きる私をそのまんま抱き取りご一緒してくださる南無阿弥陀仏のおはたらき一つに
この人生を生き抜かせていただきこの命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれさせてもらい仏さまと成って
これからもずっと阿弥陀さまのお手伝いをさせていただけると聞かせていただきます。
 
 8月21日の今をお念仏申して私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.21)

何かおかしい、嫌な社会の事件です

 常磐自動車道であおり運転をして暴行をはたらき指名手配されていた容疑者男女が逮捕された事件が
トップニュースとなって大きく報道されています。
 
 ドライブレコーダーの映像が何度も放映されるたびに本当に嫌な思いがします。
高速道路に車を止め行く手をふさいで「殺すぞ」と叫び駆け寄り無抵抗の人を何度も殴打するものです。
高速道路で運転することがある私が何か一方的にやられている感じがして恐怖さえ覚えます。
 
 逮捕状が出て顔が映し出されその怒り狂った剣幕をみて
また逮捕された時の二人の言動をみても、とても常軌の沙汰とは思えません。
 
 自己中心の極まり自分勝手な行為で周囲に嫌な思いをさせることで本当に情けなく悲しい気持ちになります。
容疑者の男性の供述では前に行く車がのろのろしていたからといいますが
そういうことって私にも経験があります。
すーっと横を追い越して行ったから腹が立ったということもあります。
 でもそれでもって相手の車を止めて暴行に及ぶことには中々ならないと思うのですが
同乗の女性も同じく逮捕されました。
 
 こんな凶行に及んだら普通は友だちだったら止めますよね。
しかしこの女性、今回の映像からはまさに助勢しているように
はやし立てるというか、この女性も自己中心の極みです。
 
 子どもを虐待して死亡させた事件を思い出します。
虐待したのはお父さんですがお母さんもそこにいました。
言うことを聞かなかったら自分がやられると、言われるままに虐待に加担し見て見ぬふりをしたというのです。
我が子を守ることより自分のことです。どこまでも自己中心です。
 
 何かおかしいですね。
自分のすることは何でも正しくて他人のすることは間違っているという自己中心のものの見方考え方です。
 そのおかしさが自分ではわからないのでしょうが
だからこそ周りの者が諌め止めるんですよね。
 それが賛同者になり小さな小さな自分たちの世界に閉じこもって自己中心の妄想を一層ふくらまして
それが重大な事件取り返しのつかない事件になるのではないでしょうか。
 
 社会が病んでいるようにも思います。
そして私もこの社会の一員なのです。
 この社会は私一人では生きてはいけません。
それぞれ生き方生活ぶりの異なる者同士が一緒に生きているのが私たちの社会です。
お互いが自分勝手な言動で自分中心に振る舞って自分さえよければと生きていたら
どこかしこで衝突が起こって社会そのものが成り立っていきません。
 だからこそお互いに認め合い支え合って生きようと知恵を出し合って生きるのではないでしょうか。
人間の知恵の限界さえ思います。
 
 仏さまの智慧にみ教えに聞かせていただきましょう。
御仏前阿弥陀仏の御前に身を置きましょう。
南無阿弥陀仏の救いの法を聞かせていただきましょう。
自己中心煩悩いっぱいのありのままのこの身の真実を知らせていただきその上で救うてくださるのです。
 阿弥陀仏に手を合わせナンマンダブツとお念仏申してお礼をさせていただきましょう。
私一人ではなくてあなたも私も共々にお礼のお念仏ができるのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきに遇わせていただき
「そのまま救う我にまかせよ」のおよび声に支えられ励まされて生かされて生きていけるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.20)

私たちそれぞれの日常いつものことの有難さ

 京都アニメーション社の放火殺人事件から1か月が経ちます。
新聞等の報道で亡くなられた方のことが取り上げられています。
 
 35人の方それぞれの日常に思いをはせます。
朝目が覚めて一日の生活が始まり食事をし仕事をして友だちと語らい遊んで過ごすいつもの日常です。
 一人一人それぞれの日常があってそれぞれの人生を夢をもって生きる日暮しです。
生きよう生きようと精いっぱい生きる日常です。
 
 終戦の日を機縁にこの時期戦時中のことが取り上げられます。
特攻隊志願兵の方々の人生です。国のため家族のためにと死を覚悟し亡くなっていかれた方々です。
 その人人のそれぞれの日常です。
手紙などの遺品が出てきて、その日常にふれます。
 その日常はどこにでもあるような普段の日常です。
その日常にふれることでご遺族関係者の方々の気持ちが揺れます。
 
 誰しも生きよう生きようという思いをもって生きています。
それがどんな生き方生きざまであっても誰彼から批評されたりするものではなく
その人人なりに精いっぱい生きている日常です。
 
 その日常を容赦なく一方的に奪ってしまう無くしてしまったのが京都アニメの事件です。
誰一人犯人と面識ある人はなく恨みつらみの感情もない事件です。
 
 今日もこうしてお朝事という私たちの日常です。
このお朝事から私たちそれぞれの日常が始まります。
 お念仏申して始まる日常です。
それぞれの日常ですが、大きな大きな阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
共々に生かされてあることを尊く有難く思います
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに皆さんご一緒に生かされて往くという尊さ有難さです。
 
 今日の一日、いつものような日常の繰り返しかもしれませんが
ナンマンダブツとお念仏申すなかにこのいのち精いっぱい輝かせて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.19)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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