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お念仏を申す生活法話

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「何も変わっとらん!」

2025-02-27
 2月も残すところあと一日です。
いつもの月より2日3日少ないいつもの年のことですが
あっという間に過ぎ行く時の流れに身を置いて
「何も変わっとらん!」と
ため息まじりの声が聞こえます。

 私たちのものの見方は往々にして
自己中心の自分の思いはからいで物事を見ては
都合の良いことはそのまま受け入れ
都合の悪いことは「何でどうして?」とはねつけ
受け入れようとしません。

 「何も変わっとらん!」と
自分の思い通りにいかない周りの状況に
腹を立て悔やみ嘆く私がいます。
 仏さまはそんな私を見てとって
お慈悲の心でそのまま抱き取り
「われにまかせよ必ず救う」と
おはたらきです。

 仏さまは「如実知見」のものの見方で
真実ありのままをそのまま知る智慧の眼で
私をそのまま見守ってくださっているのです。

 諸行無常の世にあって
周囲のものもすべてがそうですが
この私も移り変わって行ってる現実を
そのまま受け入れるなかに
私たちはそれぞれのいのちを互いに生かされて
共々に生きているのです。

 私の思いはからいを超えて
すべてのいのちはみんな変わって行くのです。
 生きるということは変わって行くことで
その生き方変わり方は人それぞれに千差万別です。

 人それぞれに生きて変わって行く中に
互いにいのちを認め合い支え合っていくことで
私たちは大きないのちにつながって
安心して生きていけるのです。

 すべてが阿弥陀仏さまの
「いのちあるものすべてを分け隔てなく必ず救う」との
ご本願のお心おはたらきと聞かせていただきます。

 あなたも私もお念仏申して自他共に
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.27)

同級生がやって来た!

2025-02-26
 あんのん館の<すいようサロン>に
中学の同級生が3人お参りされました。

 一人はご門徒の方で
もう一人と二人で先々月はじめてお参りされ
今回はもう一人の同級生と三人一緒のご縁です。

 前以て聞いていましたが
名前は思い出しても会ってすぐ分かるか心配でした。
 バレー部だった記憶があって
背の高い彼に会うなり
「〇〇さん?」と声をかけました。

 何せ中学卒業以来47年ぶりの再会で
町ですれ違ってもわからなかったでしょう。
 その彼とあんのん館の阿弥陀さまの御仏前で
会い直すことができたということです。

 仏さまのご縁です。
仏さまのご縁で私たちはつながっていることを
あらためて思います。

 ここで会うことが約束されてあったという
仏さまのご縁といただきます。
 あなたと私が約束して会えたということではなく
仏さまがあなたと私が会えるご縁を
つくってくださっていたということです。

 私たちはこの人間界に生まれて
多くの人と出会いそして別れを繰り返していますが
初めて会う人も実はすでに過去世で会っていた人が
必然的に会えたということではないかと
思ったりします。

 私からいうと仏さまのご縁は
偶々会うということですが
仏さまかいうと必ず会うということだということです。

 仏さまが約束してくれていた
あなたとの出会いがあり再会がありの人生の営みです。

 お念仏申して
人の命は終えていきますが
先に往かれた方とまたお浄土で再会でき
この世に還って懐かしい方々とまた再会できる
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
あなたと私自他皆共に生かされて生きていると
聞かせていただき
今日一日もあなたとの出会いを楽しみに
お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.27)

「不快なことばを言われても 怒りに流されない人でいてほしい」※転載

2025-02-25
 不快な言葉をかけられて
その言葉が心に残って
不快な感情にさいなまれた経験は
ありませんか?

 人は皆、好ましいものに対して
心地よい感覚を受けて
「うれしい」という感情が生まれます。
 逆に、好ましくないものに対しては
不快な感覚を受けて
「いら立ち」や「怒り」の感情が生まれます。

 このように心身を煩わせ、悩ませる心のはたらきを
「煩悩」といいます。

 仏教では、人間は無意識に
「自分に都合のいいものさし」で物事を捉え
好き嫌いや損得を判断する
それが煩悩が生まれる理由だと教えています。

 人はその「ものさし」に合わない言葉を言われたとき
不快に感じ、怒りの心を発してしまうのです。

 お釈迦さまは
そもそも怒りは怒りの心を発した人のもので
わざわざ他の人の怒りを受け取る必要はないと
言われます。

 しかし、なかなかそうはいかないのが現実の私です。
けれど、阿弥陀如来という仏さまは
怒りの心に苦しむ私に寄り添ってくださっています。
 その優しさに触れるとき
ともに不完全な人間だからこそ
お互いが支え合うべきであると気づかされるのです。

 ※『本願寺インスタ倶楽部』
    (隅倉浩信 本願寺派総合研究所研究員)より転載
      ー本願寺新報2025年2月20日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.25)

ロシアウクライナ侵攻3年

2025-02-24
 ロシアのウクライナ侵攻から3年
両国間の戦争状態は続き多数の死傷者が増え続け
ウクライナ国内では建物の崩壊や環境破壊が進み
大き不安と混乱のなかに市民は今も生活しています。

 戦争の正当性にどんな正義を振りかざしても
結局はすべてのいのちの尊厳を踏みにじる
愚かな人間の行為であり
決して許されるものではありません。

 とにかく戦争を止めることです。
戦争で雌雄を決することはできません。
 敵味方に分かれた戦争に
勝者も無く敗者もありません。
 廃墟の中に空虚感だけが残り憎しみ恨みの心が
また次の戦争へと駆り立てるのが
戦争の真実です。

 お釈迦さまは
「怨みに報いるに怨みを以てしたならば
ついに怨みの息むことがない」と
述べられています。

 今こそ真実の言葉に耳を傾けて
戦争終結のためにあらゆる方策を講じるのが
双方のリーダーの務めであり
全世界の政治指導者の資質が問われている
喫緊の事態です。

 このままではただ平和な日常生活を望む
市民の犠牲が増え続けるばかりです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.24)

梅が満開です

2025-02-23
 この冬何度目かの日本列島を襲う大寒波です。
各地の大雪情報を観ながら
今日は日曜日ということで
自宅でゆっくりを決め込んでいましたが
近くの公園にウォーキングに出かけました。

 空は晴れて風もありませんでしたが
冷たい寒気に少し厚着をして
1時間余り歩きました。

 幾つもの梅の木にお花が満開です。
紅梅白梅ピンクの梅の花もあって
いつもより少し遅い春の訪れを
告げてくれているようです。

 四季折々の自然の営みです。
大いなる自然のいのちのご縁つながりのなかに
私たちもまた生かされて生きているということです。

 梅の花もいつも同じように見えて
去年の梅の花ではありません。
 毎年新たに命芽生えて花をつけ命終えていく
いのちの物語を生きているのです。

 私たちも縁あってこの人間界に生を享けて
いのちの花を咲かせて生きて命終えていきます。

 目に見える私のいのちの物語ですが
南無阿弥陀仏の大きないのちの物語の一小節です。

 この目に見えないなかに
人の世に生れ出るご縁が恵まれこの世に生まれ
仏法に遇うご縁をいただいて
仏のいのちに成らせていただくのです。
 そのすべてのいのちのあり方が
阿弥陀さまのご本願のご縁であり
南無阿弥陀仏のご縁つながりのいのちの物語です。

 南無阿弥陀仏のいのちの物語を今日一日も生かされて
往生浄土のお念仏の道を生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.23)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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