本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

「続きはまた明日」

2024-12-16
 NHK大河ドラマ『光る君へ』の
最終回の放送がありました。

 藤原道長の臨終の寝処に
まひろ(紫式部)が通います。

 阿弥陀如来と右手を五色の紐でつないで
臨終来迎の仏教行儀です。
 道長が床からやっとの思いで出した左手に
まひろが重ねて物語を語ります。
 何日も何日も
「続きはまた明日(あした)」と話し終えて別れては
また通い続けます。

 お通夜のご縁を重ねて思います。
お通夜は夜伽(よとぎ)ともいい
子どもにお伽話を聞かせて寝せつけるように
夜を通して亡き人に添い寝して
最後の夜をいろんなお話をして過ごす習いです。

 まひろと道長の今生の物語です。
安やかな時間が流れて行きます。
 そしていよいよ命終の時を迎えます。
強大な権勢を誇った道長も死んでいきます。

 どんな人もです。
無常の世に生きる私たちの定めですが
南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちは人の命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に
往き生まれさせていただくと
お念仏のお救いのみ教えを聞かせていただきます。

 「俱会一処(くえいっしょ)」と
お経さまに説かれるお浄土で
苦しみ悲しみを超えて
先に往かれた方々と
再び会うことができるというのです。

 阿弥陀さまのお慈悲のおはたらき
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちはあなたも私も皆共に生かされて
これからも生きて往けるのです。

 南無阿弥陀仏のいのちの物語は
また明日も続きます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241216)

とんでもない勘違いと思い上がり

2024-12-15
 韓国国会で大統領の弾劾訴追案が可決されました。
今後大統領職務が停止となり180日以内に弾劾の可否が
裁判所で審議決定されるということです。

 野党を中心に弾劾支持派は
「民主主義の勝利だ」と気勢をあげています。

 韓国は長く軍事政権が続き
民主化の息吹きも軍事クーデターで戒厳令下のもと
光州事件が起こり民主勢力が弾圧される歴史の中で
市井の国民が立ち上がり
民主主義を勝ち取ったという自負があり
今回の緊急事態にも多くの国民が国会に押しかけて
結果的に大統領の横暴を阻止したというのです。

 世界の国々の政治情勢をみると
アメリカでトランプ大統領が復職し
欧州でも右派勢力が発言力を強めるなど
左右の分断対立が顕著になるなかで
政治のリーダーのあり方が問われるところです。

 そもそも政治家たるもの権力にすがりつき
権力を自分の身を護る保身の具にしてはなりません。

 自国ファースト中心の政治に固執すれば
他国との衝突を招き
ひいては戦争という事態にもなりかねません。
 他国があっての自国があるという
大きな視点に立って
国際政治が行われてほしいものです。

 自分中心の思いはからいで生きている私たちです。
その思いはからいは人人それぞれ違います。
 みんながよかったということは
この世の中を一人で生きていくことがかなわない
現実を見ればわかるはずです。

 自分一人が正しく自分の意見に違う人は間違いといい
自分一人で何とかなると思い上がり勘違いして
わがもの顔に振る舞う愚かな人間の有り様を
阿弥陀さまは
「仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫」と見抜かれ
そのまま必ず救うとご本願を立てられ
「まかせよ救う」と南無阿弥陀仏の名号を成就されて
今こここの私に至り届けおはたらきです。

 さてこの現実社会を生きる私たちです。
この現実にどう向き合うのか
阿弥陀仏の発願回向のお心に聞かせていただきます。
 なぜ本願を立てられたのか。
南無阿弥陀仏のお心に重ねて
今私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241215)

先人をたずねて

2024-12-14
 今年も残すところ半月余りとなり
この一年もあっという間に
過ぎ去っていったという実感です。

 年明けて1月に母の一周忌を
お勤めさせていただきます。
 もう一年経ったのかと思いますし
随分前のことのようでもあり
今もすぐ近くに居てくれてるようにも感じます。

 以前、ある地方では年忌法要のご法事を
<おとぶらい>とよんでいるという話を聞きました。
 「とぶらう」といって
人の死別を悔やみ悲しむ「弔う」ではなく
「訪う」という字を当てるということに
なるほどと思ったしだいです。

 先に往かれた方を訪う
たずねていくということです。

 生前「どんな人だった」と
親族有縁の方々からいろんな話を聞きます。
 初めて聞くようなこともあり
あらためてその人となりにふれて
懐かしく思い出されます。
 25回忌以降になると
生前に会ったことがない子や孫に
話をしてあげる楽しみもでてきます。

 生前はお互いに自分の思いはからいで
ぶつかることもあったけれども
あの時何を教えてくださったのかと
今だから思い返すこともあります。

 そして先に往かれたお浄土をたずねていく
ということです。
 今はお浄土の仏さまとなって
南無阿弥陀仏のおはたらきでこの世に還って来て
後に遺った私たちに仏法聴聞を勧め
お念仏申す身にお育てくださるのです。

 御仏前に座りこの口から出てくださるお念仏は
「いつでもどこでもどんなことがあっても
私はあなたと一緒だから
大丈夫安心して生きて往こう」と
お念仏の先人のおはたらきと聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先人をたずねてお浄土参りのお念仏の旅を
共々にさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241214)

何のために浄土に生れてどうなる?

2024-12-13
 仏教は迷いの私がさとりの仏に成る成仏道の教えで
自力聖道門の仏道と他力浄土門の仏道に大別されます。

 私たち浄土真宗の仏道は
阿弥陀仏の「われにまかせよ必ず救う」
ご本願の力おはたらきで
迷いの私がそのまま浄土に往生して
仏に成ると説かれますが
古来浄土教では
浄土に往生して仏道修行が始まるとされており
お浄土に生れることと仏のさとりを得ることは
イコールではありませんでした。

 親鸞さまは「よきひと」法然さまから
「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と
専修念仏のお救いの法によって
本願力回向のおはたらきで
往生即成仏の道を聞かれました。

 臨終のときに往生が決まるのではなく
阿弥陀回向の他力の信心をいただくときに
浄土の往生が決まり
現生に必ず仏に成るなかまに定まる
正定聚の位につかせていただくというのです。

 浄土に生れて仏に成るのです。
つまりは仏に成るために
浄土に往生させていただくのです。

 なぜ仏に成るのかというと
仏に成るとは迷いの私の救いの完成ですが
仏に成ってこの迷いの世に還って来て
衆生済度の阿弥陀さまのお手伝い
南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。

 お念仏申して生きる私たちは
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
死んでも生きてもお慈悲の中と
これまでもそしてこれからもずっとつながって
共々に生かされて生きて往くのです。

 阿弥陀仏の本願念仏の救いの法に遇って
お念仏申す身にお育ていただき仏に成るために
このたびこの人間界に生まれて来たと
如来の仰せにまかせお念仏申して
今私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241213)

混ぜご飯とけんちんと雑炊

2024-12-12
 テレビでご当地の名物料理として
椎茸を使った混ぜご飯が紹介されていました。

 その土地特産の椎茸に色んな野菜を混ぜ合わせて
つくるご飯ですが
元々は主食のお米が少ないなかでの窮余の策で
先人が工夫して考案したものだったといいます。

 私たちのお寺のお斎の定番はけんちん汁です。
旬の様々な野菜に豆腐やコンニャクを入れて
しょうゆで味を調えたお汁です。
 いろんな野菜の味が出て
あたたかくほっとする本当においしいものです。

 雑炊もまたお腹がふくれる食事です。
戦時中はいも類が主食になり
飢えをしのいできたといいます。

 大勢で同じものを食するおいしさでもあります。
大鍋で炊いたご飯をみんなで一緒に食べます。

 これを作ろうと食材を買い込んで
レシピ通りにつくるものではなくて
今家にあるもので工夫してつくるものです。

 食事の献立に困った時に
「今日はあるもので賄いましょう」という食事です。

 飽食ということが言われ
食べ残しの食品ロスが問題にもなっています。
 一方で今日の食事に困っている人もいます。
一日三食ではなく
二食や一食で済ませる人もいるようです。

 食事は生活の基本です。
食べることは生きること
生きることは食べることです。
 食べることは他の命をいただくということで
「生きることは殺し続けるということ」
と言われた方がいます。
 他の命をいただかなければ
生きていけないということで
「いただきます」と
いのちを尊び感謝していただきます。

 仏法聴聞について
聞くことは食べることと心得なさいと
教えていただきます。
 食べることは覚えなくても溜めなくても
必要なものは身につくといいます。
 仏法を聞くことも覚えなくても
阿弥陀さまのおはたらきはこの身について
この口から出てくださるお念仏となって
これからもずっと私にご一緒してくださると
聞かせていただきます。

 ただ食べることを止めたら死んでしまいます。
ご縁ご縁に仏法聴聞させていただくことで
私たちはこの人生をお念仏申して
生かされて生きて往くことができるのです。

 今あるものでつくる食事ということも
欲を張らず今あるものを互いに活かして
共に生きるということにつながります。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お念仏申して共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241212)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
5
8
2
3
4
TOPへ戻る