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お念仏を申す生活法話

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私の依って立つところ

 この時期にしては珍しい長雨でそれも大きな雨になっています。
雨の中を今日もようこそお朝事にお参りなさいました。
 
 私事ですが最近色んなことがあってといいますか
昨日も別府の別院で大きな会がありその後会議もあったりして何やかんやで
一体何をしているのかよくわからないフラフラしている状況で
こんなことではいけないしっかりしないといけないと力が入ります。
 
 よくない状況から立ち直るといいます。
依って立つところに立ちかえるのです。
帰るところです。
 
 「帰るところがある安心」といいます。
皆さんこれからお家に帰りますね。
帰る家があるから安心して今があるということです。
 
 お念仏のご法義に重ねて
この命終わって阿弥陀さまのお家お浄土に生れさせていただけると聞かせていただきます。
 死んだらお終いではなくて帰るところがあるというのです。
だから安心して今生を生きていけるというのです。
 
 さて現実生活のなかで帰るところです。
このお朝事というご縁が私の帰らせていただくところだといただきます。
 何かいつも同じようなことを繰り返してしていることですが、これがいいんですね。
 
 毎朝6時半です。
円光寺の本堂阿弥陀さまの御前に座らせていただけるのです。
私の依って立つところ、帰るところです。帰依所です。
 それも私一人ではなく皆さんと共々にこのお朝事のご縁、お正信偈さまのお勤めをさせていただけるというご縁です。
そしてこの口からナンマンダブツナンマンダブツとお念仏が出てくださいます。
それも私もそうですが、皆さんもそうです。
皆さんもナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申すなかに立ち返らせていただく、立ち直るのです。
 
 フラフラフラフラしてる私を南無阿弥陀仏がいつも支えてくださってあるということです。
南無阿弥陀仏、阿弥陀仏に南無します。
帰命無量寿如来、無量寿如来に帰命します。
南無不可思議光、不可思議光仏に南無します。
 
 南無も帰命も依りどころとさせていただくということです。
私が依りどころとすると私に力が入るのではなく
阿弥陀さまの方でこの私をこそ必ず救うと南無阿弥陀仏のお名号と仕上げてはたらいてくださってあるのです。
 「よりかかれよりたのめ」とお念仏となって私を喚んでくださり
いつでもどこでも私阿弥陀が一緒だから安心して今日の一日も共に生きて参りましょうと
私の口からお念仏が出てくださいます。
 
 毎日毎朝こうして皆さんと共々にお念仏申させていただくなかに
フラフラフラフラしてる私が立ち直させていただけるのです。
お念仏のご法義の有難さ頼もしさをまた思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.28)

死んだらゴミになるのではありません

 生活するなかにゴミがいっぱいでます。
ゴミというのは生活に必要がないものです。必要なものは取っておいて必要のないものはゴミに出します。
大きなごみ袋にいっぱいゴミをつめてゴミ箱に入れると、何かすっきりします。
 ゴミを捨ててゴミが我が身から離れるのです。
ただこのゴミの行方です。
ゴミを出すことでそのゴミが無くなるのかというと、ゴミ収集車が来て持って行って焼却処分をしたりとか
再利用したりとかして全く消えて無くなるということではありません。
 
 人間死んだらゴミになるとある識者が言われました。大変なインパクトがありました。
死んだら火葬されます。火葬されるとお骨と灰になります。
骨壺に入れますが全部入るわけではありません。残ってものがゴミとして捨てられるのです。
 
 でも皆さんどうですか、皆さんの大切なお方とお別れをしてお遺骨はこの目に見える形で残ります。
捨てられますか。お骨はゴミですか。
 たとえ他の人がゴミだと言ってもゴミではありませんよね。
だからこそ骨壺に入れてご安置するところに納骨するのです。
 
 一昨日納骨堂に新たに納骨された方がありました。
そのお方は一年以上前にご往生されましたがその時は納骨堂がいっぱいでした。
それで方々納骨堂をさがしたそうですが、その間お遺骨はずっとお家でご安置されていました。
 このたび納骨堂に空きができたということで一昨日十数人ほどのご縁の方がお参りされて納骨されたことです。
子どもさんもいました。おばあちゃんでありお母さんのお遺骨の行く先です。
ゴミに出して安心するのではありません。
その行方をここだと決めてお墓や納骨壇にご安置できるということです。
 
 決まったところにご安置できることはまた会いに行けるということです。
会いに行って手が合わさるのです。
それも一人ではなくご家族ご親族みんなで会いに行けるのです。
 
 納骨堂は明るいうちは開いていますからいつでもご自由に本堂から入ってお参りしてくださいとお話しました。
ご縁です。お寺参りのご縁がいよいよできるのです。
 先に往かれた大切なお方がつくってくださったご縁です。
仏さまです。大切なお方をこれからも仏さまと仰いでいけるのです。
 
 死んだらゴミになるのではありません。
人間の命を終えて南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちを仏法の世界に導きお念仏申す身にさせていただく
仏さまに成ってくださるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.27)

お朝事から今日の一日が始まります

 今朝もいつものように起きてお朝事の準備で本堂にお参りし戸を開けて冷やっとしました。
雨の影響でしょう、昨日から温度が急に下がって秋の気配がします。
 
 今日も6時の梵鐘をついてその後ラジオ体操をしました。
夏休みが今日で終わります。7月20日から37日間です。
 今年で3年目になりますが、夏休みの期間中毎朝鐘つきと体操を続けました。
田仲さんと三浦さんがずっと参加してくださって今年もできました。
 
 それぞれの役割分担といいますか、私がこうしなさいと言ったことではありません。
三浦さんが6時前に来られて本堂のチャイムが「ピンポーンピンポーン」となります。
体操の準備をしてレコーダーを外にはこんでくれます。
 6時になると田仲さんが梵鐘をついてくださいます。
体操をして6時半からいつものようにお朝事のお勤めをご一緒します。
 こうして円光寺の一日が始まります。
毎日毎朝本当に有難いご縁をいただきます。
 
 皆さんそれぞれに朝の営みがあると思います。
いつまでも寝ているわけにはいきません。
 それぞれの日々の営みの中でこうしてご一緒に阿弥陀さまの前に座ることができて
お正信偈さまのお勤めができて阿弥陀さまに御礼のお念仏ができるということは本当に有難いことだなと思います。
 
 この後皆さんそれぞれのお家に帰られて今日一日もそれぞれの生活が始まります。
それぞれに今日一日も色んなことがあると思いますが日暮しして
明日の朝またこの本堂でご一緒して阿弥陀さまの前に座らせていただきます。
 
 「帰るところがある安心」です。南無阿弥陀仏です。
「帰命無量寿如来南無不可思議光」光といのちきわみない阿弥陀さまを南無阿弥陀仏と仰いで生活させていただきます。
 今日の一日もナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すなかに日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.25)

お念仏のご縁につながって生かされて今を生きる

 昨日お昼頃ご夫婦の方がお寺にみえられました。
犬飼の方で、後でわかったんですがご主人とは一年に2回お寺の会合でお会いするご縁の方でした。
 
 写真を持っていらっしゃいました。
明治40年5月8日円光寺山門鐘楼落成法要の記念写真でした。
 この写真は私の方にもあって知っていましたが
曾祖父の方におくられた写真ということで家の整理をしていたら出てきたのでお持ちしましたということでした。
 
 その方のお手次ぎのお寺が野津町の了仁寺さんです。
実は私の曽祖父15代照然住職の出身の寺で、了仁寺から兄弟が多く他のお寺にも入寺しています。
 
 そんなお話もしながら明治40年頃の円光寺のことを思いました。
当時円光寺の門徒で山門鐘楼を普請することは到底出来ないことだったと思います。
それで親族のお寺にも声をかけて御懇志をあげていただいたのではないかなと思うのです。
 その曾祖父の方にも大きな御寄附をいただいて落成法要にもお参りいただいたことだと思います。
みんな貧しかった時代ですが、お寺への思いは大変有難いものがあったということです。
 
 明治40年もう100年以上前のことですが、ご縁ですね。
お話をしていると現在につながります。
ご親戚が三佐に嫁いでいるということで、うちのご門徒でいつも大変お世話になっているお家の方でした。
 
 この本堂でお話をしましたが、ご縁ですね。
仏さまのご縁をいただいている私たちだという有難さです。
 今の私たちもそうですが、先の世代の方々も昨日お話では曾祖父の世代です。
名前は知っていますが会ったことはありません。
でも確かにいらっしゃったのです。皆さんの曾祖父もいらっしゃったのです。
もっともっと前の世代の方もご先祖がいらっしゃって今の私たちがあるのです。
 
 皆さん南無阿弥陀仏のお念仏のご縁でずっと今もつながっているということです。
私たちのご縁つながりの中心です。
 浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来の仏さまです。
世代を超えて場所を超えていつでもどこでも私たちとご一緒してくださる仏さまです。
 
 昨日も今日も皆さん一堂に阿弥陀さまの御前に座ることができました。
手が合わさってナンマンダブツとお念仏申し仏さまに御礼ができました。
 皆さん同じくお念仏申す身にさせていただいたということです。
南無阿弥陀仏のおはたらき、お念仏の先人のお育てのおかげだと有難くといただきます。
お念仏申させていただくなかに生かされて生きてあるんだなとまた頼もしく思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.26)

日韓関係悪化のはざまで

 今日本と韓国との関係が良くない状況になっています。
私たちの仏教でいいますと、仏教は5世紀の頃朝鮮半島から入ってきました。
 インドを起源とする仏教が北伝といって中央アジアを通って中国に入り
中国で大成された仏教が朝鮮半島を経て日本に入ってくるという歴史です。
 
 当時の日本は蘇我氏と物部氏という二つの大きな勢力があって
蘇我氏は仏教を受け入れる側物部氏は仏教を排斥する側で争いになり結局は蘇我氏の力が勝って仏教が伝来します。
そして間もなくして出られたのが聖徳太子さまなのです。
 
 聖徳太子は摂政という国政の重要ポストにあって仏教に基づく十七か条の憲法を制定するなど
仏教を広く弘める役割を果たします。
 親鸞聖人は聖徳太子さまを「和国の教主」日本のお釈迦さまと敬愛されています。
 
 国ということです。今回の日韓関係も国と国との問題です。
この地球上にはたくさんの国があります。
人と人との関係のように国と国との関係も仲の良し悪しがあり、それは時代や社会の現況に応じて変わってきます。
 
 国と国は国境という境界線で分け隔てをしています。
この目で見ることができない国境線ですが、人間が引いたものです。
 それぞれの国が主義主張を展開しある時は戦争の成果として自分たち本位に引いてきたのが国境線です。
ここは我が国の領土であり領土に侵入したものは容赦しないと主張し
線引きをするなかで私たち人間の争いの歴史がずっと続いてきたしこれからも続いていくのです。
 
 その争いの元こそ私たち人間がかねそなえている煩悩だと明らかにして
その煩悩がなくなるところに真の平和があると教えてくださるのが仏教なのです。
 欲の心怒りの心愚かな心の煩悩です。
この煩悩を断つことが肝要ですが私たちは互いに煩悩具足の凡夫の身を生きていることを聞かせていただくことが大事です。
 
 韓国も日本も仏教のみ教えを生活のなかで聞いてきた先人の歴史があります。
仏教の精神に立ち返ればお互いに何と情けない何と愚かなことをしていることだということです。
 国と国のはざまで一番迷惑を被っているのが一般市民です。
韓国から観光客が来なくなって生活が困窮しこの先大きな不安を抱える人もたくさんいらっしゃいます。
 今こそお互いに先人の歴史に学び仏さまの大きな広いお心を聞かせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.24)
円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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