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お念仏を申す生活法話

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南無阿弥陀仏のいのちと光の仏さまに成ってくださいました。

 私たちの浄土真宗のご本尊の阿弥陀さまはどんな仏さまかというと
摂取不捨の仏さま、無量寿無量光の仏さま、智慧と慈悲の仏さま
いつでもどこでもの仏さまと色んな言い方がありますが
南無阿弥陀仏の仏さまといただきます。
 
 南無阿弥陀仏のお名号になってくださった仏さまです。
私のこの口からナンマンダブツと声になって出てくださる仏さまです。
 南無阿弥陀仏と無量のいのちとなり光となって私のところに至り届き
摂取の光明のおはたらきで私たちを摂め取って決して捨てない仏さまになってくださいました。
 
 阿弥陀さまのおはたらきはお浄土からのおはたらきです。
お浄土から光を放ち私たちをそのまま摂め取って必ず救うとおはたらきです。
 
 五濁悪世に生きる私たちです。
私が私がとどこまでも自分を中心に欲の心怒りの心愚かな心の煩悩を絶えずおこし
生きているお互いです。
 
 そういうなかにあって阿弥陀さまはどんな人も必ず救うとおはたらきです。
極端な言い方をするとどんな悪いことをした人もということです。
 それは他人のことを言っているのではありません。
この私のことです。
この私一人を南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救うてくださる
南無阿弥陀仏のいのちになってくださった仏さまといただきます。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申すところに
「私がいるよ大丈夫だよ」といつでもどこでもこの私のところに来てくださり寄り添ってくださっています。
そのおはたらきはそのままこの私をお浄土に生まれさせていただくおはたらきなのです。
 
 お念仏一つのお救いのおはたらきです。
すえ通った修行の一つもできない私をもうすでに見抜かれて
これこれこういうことをしなければ救わないという仏さまではありません。
 
 お念仏一つで救うてくださるのです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでと阿弥陀さまのひとりばたらきで
この私がそのまま救われて往くのです。
 
 お念仏申してくれよとおはたらきです。
ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申すなかに
今日の一日もお浄土への人生を歩ませていただく一日といただいて
それぞれの生業に生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.4)

一年365日お寺はいつも生きています

 昨日大分合同新聞から子ども新聞という一年一回夏休み明けのこの時期に発行される新聞が届きました。
県内の小学生5,6年生が夏休みを利用して自分の興味のある所や仕事、社会のことについて
直接取材をして記事にするという企画です。
 
 その新聞に円光寺のことが大きく載っていました。
「みんながおまいりお寺の一日」というタイトルでした。
水曜学校の子ども会に来ている5年生の男の子の記事です。
 
 お寺のすぐ近くのお家ですからお寺の6時の梵鐘と6時半の喚鐘の音が聞こえるんでしょうね。
そのことがまず書かれてありました。
 お寺の一日です。どんな生活をしているのか興味があったんでしょうね。
 
 毎朝定時に鳴る梵鐘や喚鐘は機械が自動的についているのではなく、そこに人がいるということです。
6時半に朝のおつとめをして近所の方が来られるとありました。
 皆さんのことです。
記事にはありませんでしたが、ご一緒にお勤めをしてナンマンダブツとお念仏申し
仏さまにお礼をして皆さん私たちの一日が始まるということです。
 
 お寺が生きているということです。
生きているというのはそこに人がいるということです。
毎日何人もの人がお寺に出入りしてそれぞれのおつとめをしているということです。
 
 最後にお寺はどんな人も来れるところですというコメントがありました。
どんな人もです。それはお寺にいらっしゃる阿弥陀さまのお心そのものなのです。
 ただご縁がないと中々お参りするのは難しいことです。
だから鐘が鳴るんですね。
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお呼び声です。
どんな人にも聞こえてきます。
うるさいなと思われる人もいるかもしれません。でも聞こえるんです。
 
 その仏さまの声が聞こえて聞こえてご縁になって今日の皆さん私たちになるんです。
お寺の一日、そこには人がいます。お念仏申す人がいます。
南無阿弥陀仏のおはたらきは朝だけではなくずっとずっと
いつでもどこでも誰にでも一年365日毎日止むことなく続いてあるのです。
 
 どうぞ皆さんこれからもお誘い合わせお参りさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.3)

「ご一緒にお念仏を申しましょう」

 今朝の空はうろこ雲が広がってすっかり秋の様相です。
長雨の影響か涼しいです。秋が早く来るような来たような気配です。
 
 さて最近お寺のご法座のご縁でちょっと気になることがあります。
ご法話お取り次ぎされる御講師が「皆さんご一緒にお念仏を申しましょう」と手を合わせお念仏を促すことです。
 その場の雰囲気ということもありますが何か不自然で違和感をもちます。
何か強制されているように感じられる方もいるのではないでしょうか。
 
 何が違和感かというと、御講師とお聴聞のお同行が向き合うなかでのお念仏なのです。
お念仏申しているのかな声が出ているのかな口が動いているのかななどと見られているような気がしてならないのです。
これはあくまで私の見方ですが皆さんはどのように思いますか。
 
 毎朝のこのお朝事の最後に「ご一緒にお念仏申しましょう」と言って
私も阿弥陀さまの方を向き直り皆さんとご一緒にナマンダブナマンダブとお念仏申します。
 共に阿弥陀さまの方を向いてご一緒にお念仏申します。
皆さん一緒に同じ方向を向けるということです。
 阿弥陀さまのお浄土です。
一人一人それぞれに生活ぶりが違うお互いが阿弥陀さまの御仏前に座り同一にお念仏できるということです。
 南無阿弥陀仏のご法義の有難いところです。
私たちが救われて往く手立てを南無阿弥陀仏一つに決めてくださり
私たちが往き生れるところをお浄土と定めてくださったということなのです。
 
 とはいえお寺の本堂やお家のお仏壇の前に来ないと阿弥陀さまを目にしないと
お念仏申せないというお念仏ではありません。
 生活のなかでナマンダブナマンダブってふと出るお念仏ってありませんか。
私が称えようと思って称えるお念仏ではありません。
私の口からふと出てくださるお念仏になってくださったということです。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏はいつでもどこでも私が一緒だよという阿弥陀さまのお喚び声なのです。
お念仏申しましょうと言われて申すお念仏でもどんな時でもお念仏申していいのです。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツと声に出してお念仏を申すとそのまんま聞こえてきます。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのお喚び声です。
 いつも私が一緒だよどんなことがあってもあなたを決して見捨てることがないから安心して
この私阿弥陀にまかせてくれよ必ず救うという力強いおはたらきのお念仏なのです。
 
 日々の生活のなかでお念仏を申させていただきましょう。
お念仏が出ないと救われないのではありません。
 お念仏を申そうと思い立つ心のおこる時もうすでに
私たちは大きな大きな阿弥陀さまのお救いのなかにあるということを
今日の日暮しのなかにまた聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.2)

9月1日に思う

 今日9月1日は日曜日ですが、通常9月1日は長い夏休みが終わって学校の二学期が始まるという日です。
今朝新聞を開いて大きな一面広告が目に入りました。
去年9月に亡くなった女優の樹木希林さんの娘さんが書かれた本の広告です。
 「9月1日母からのバトン」というタイトルで「今日は、子どもたちの運命を分ける大切な一日。」とあって
短い文章が添えてありました。
 
 樹木さんが去年の9月1日病室で「死なないで、ね‥‥どうか、生きてください…」と繰り返し言っていたそうです。
娘さんはそれを見て気がふれたのではないかと思い話を聞くと
9月1日に学校に行けない子どもが多いというのです。
 学校でいじめにあったりして、夏休みの間は学校に行かなくてすみますが
9月1日になって学校に行かなければならない学校に行きたくないと思いつめ自殺する子どもたちが多いといいます。
 死なないでと、もったいないと、この命いただいて本当にこれほどもったいないことはないと樹木さんは言うのです。
 
 先日田畑正久先生のお話を聞きました。
先生が大分合同新聞にずっと連載しているコラムのタイトルが「今を生きる」です。
昨日を生きるのでもない明日を生きるのでもない今を生きる生き切ることが大事だというのです。
 ただこれは私が私がと生きるのではなく、仏さまのみ教えを聞かせていただくなかでのことですが
生かされていることに目覚めて生かされて今を生きるということです。
 
 何に生かされているのか。
自然の恩恵であり周りの人たちであり色んな命のおかげということですが
南無阿弥陀仏に生かされていると聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏のいのちが私を生きているということです。
阿弥陀さまが願っているこのいのちを生きているというのです。
 どんな願いでしょうか。
仏法に出遇って聞いてくれよといいます。
 あなたのいのちはかけがえのないいのちなんだよと。
人間に生まれたからには今度こそは迷いの境涯を離れてさとりの境涯に生きてくれよと。
同じ南無阿弥陀仏のいのちとなるいのちを精いっぱい生かされて生きてほしい願われているというのです。
 
 いのちが本当に愛おしく思います。
今日のこの一日です。
 今日今この命こここの私を南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのおはたらきのなかに
生かされて生きてまいりましょう
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.1)

8月31日に思う

 今日は8月31日です。
今は夏休みが早く繰り上がってもう学校は始まっていますが
私が学校の頃は8月31日が夏休み最後の日でした。
 
 8月31日は私にとって良い思い出はありません。
夏休みの宿題を早く済ませてゆっくり夏休み最後の日を遊んで過ごせばいいのですが
最後の最後まで宿題に追われる始末です。
 早く宿題を済ませておけばよかったと悔やんでも仕方ありません。
 
 今日31日の御文章さまは「大聖世尊の章」です。
まさに一月の終わり31日にあって人生の終わりに重ねて私たちのあり方を教えてくださいます。
 
 どんな人もこの命いつか必ず終えていかねばなりません。
まさに無常の世に生きる私たちですが
「ただいたずらに明かしいたずらに暮らして年月を送るばかり」と私たちの生活ぶりを指摘されます。
それこそ明日がある明日があると宿題を先送りにして日々生きている私たちです。
 
 それこそ嘆かわしいことはない本当にもったいないと言われ
阿弥陀仏の本願念仏の法に遇うことをすすめられるのです。
 「何のために人間に生まれてきたのか、生きているのか」「死んだらどうなるのか」という人生の宿題です。
仏法に聞かせていただきましょうと、仏法に遇うために人間に生まれて来たのですよというのです。
 
 臨終です。この人生の終わりに臨んで不安や苦悩が交錯するなかで仏法を聞かせていただくことは甚だ難しいです。
だからこそ南無阿弥陀仏の法に早く出遇ってほしいというのがこの御文章さまのお心なのです。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏となって今こここの私のところに至り届いてくださっているのです。
南無阿弥陀仏「我にまかせよ必ず救う」と喚び通しに喚びかけおはたらきになっている
阿弥陀さまのお心を聞けよというのです。
 それは今です。今聞けよというのです。
いたずらに毎日を過ごしている私たちをすでに見抜かれた阿弥陀さまが
座っておれなくて立ち上がってそのまま救うとおはたらきになっているのです。
 
 8月31日夏休み最後の日です。
人生最後の日と重ねてお念仏を申すなかに今日一日も日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.31)
円光寺
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