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お念仏を申す生活法話

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秋のお彼岸です

 今日から一週間秋のお彼岸です。
彼岸というのは彼の岸、仏さまのさとりの世界です。
一方私たちが生きる此の岸は迷いの世界です。
 
 私たちの彼の岸を阿弥陀さまのお浄土と聞かせていただきます。
迷いの私が南無阿弥陀仏のおはたらき一つでお浄土に往生させていただき
さとりの仏さまに成らせていただく浄土真宗のご法義です。
 お彼岸にお浄土を思います。
行ったことがないところです。
自分勝手に自分の都合に合わせて思うのではなく仏さまのみ教えに聞かせていただきましょう。
 
 そして先にお浄土に往かれたご先祖有縁の方々を思います。
大切な私の命の大恩人です。
 思うといっていつでも思えるということですが、そうでしょうか。
これが中々難しいことなのです。
 
 ご法事のご縁に重ねて思います。
ご法事は毎年勤めるということではありません。
何年かに一回とんでとんでとんでやってまいります。
 
 仏さまって私たちのことをちゃんとご存知なんですね。
日々の生活に忙しい私たち自分のことで生きることで精いっぱいの私たちです。
 仏さまはいつでもどこでも変わることなく「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
どんなあり様の私たちでもただ南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。
 
 お彼岸のご縁に遇ってほしいお寺にお参りしてほしいと願いながら
仏さまのご縁に背中を向けている者も見捨てたりはしないのです。
 
 仏さまの大きなお心おはたらきに甘えるのではなく
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 22日23日とお寺の彼岸会をお勤めさせていただきます。
私にできることをさせていただきましょう。
 皆さんの隣の方有縁の方に声かけをしてご一緒にお寺にお参りしてください。
仏さまのみ教えを聞かせていただきましょう。
 私もあなたも共々に私たちの彼岸阿弥陀さまのお浄土への道行きをご一緒させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.20)

50回忌のご縁を有難くいただきます

 昨日は50回忌のご法事のご縁をいただきました。
49年前の昭和45年にご往生された4歳の方のご縁です。
 悲しいご縁ですがお家にお仏壇を申すことになりました。
それから49年お家は転々としてお仏壇も大きさは変わりましたが
真ん中にご安置のご本尊の仏さま阿弥陀さまは変わりません。
 阿弥陀さまの仏さまに見守られて49年が経ったということです。
 
 お仏壇はそのお家の方が亡くなられてからご安置するものと受けとめられ
核家族ということもあって今はお仏壇のないお家が結構多いのです。
 浄土真宗のご法義を聞かせていただきますと
阿弥陀さまという仏さまは亡くなってから用事のある仏さまではなくて
今ここに生きるこの私を必ず救うとおはたらきの仏さまですから
私たちが日暮しするどのお家にあってもいいわけです。
 
 ただ仏さまのこと死んでから後のことと昔からみんなが言っているということで
反対に何もないのにお仏壇を申したりすると不幸事が起こるという迷信さえあるのです。
 
 悲しみのご縁のなかでお仏壇を申されたということです。
4歳の子どもさんです。
お父さんお母さんはどんなお気持ちでお仏壇にお参りされていたのでしょうか。
 悲しいご縁です。少しでも長く一緒にいたかったという思いでしょう。
あの子が生きておれば今は小学校に入学して卒業して成人して就職してと
今はこうなっているのではという思いがずっとずっとこれからもあると思います。
 
 ただ有難いことは悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁をいただけたということです。
阿弥陀さまのお仏壇をお家の中心にご安置して先に往かれた方を仏さまと拝んでいけるということです。
 これまでもそうでしたしこれからもそうです。
ナンマンダブツとお念仏申すなかにこの目には見えないけれども仏さまとなってこの人生をご一緒してくださるのです。
 
 50回忌のご縁です。お寺からご通知する最後のご法事のご縁と常々申していますが
仏さまのご縁はこれからもずっとずっと続きます。
 今日も明日も明後日も私と共に生きてくださる仏さまです。
そのこと一つお念仏申すなかに有難く聞かせていただきましょう・
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.19)

「負けた相撲が一番印象に残っています」

 今大相撲が面白いです。
今まではそんなに相撲を観ることはなかったのですが
若い力士が力をつけ次々と頭角を現して活気のある土俵に魅力を感じます。
 
 そんななかかつて兄弟で大いに人気を博した元逆鉾関が亡くなりました。
昨日テレビの解説で弟の元寺尾関が出演して思い出多い話をしていました。
 逆鉾寺尾のお父さんが鶴ヶ峰でもろ差し名人の人気力士でした。
私が子どもの頃の力士で相撲好きのじいちゃんを思い出します。
 学校から帰るとテレビの前に座って取り組みの一番一番を凝視するように観て
手製の星取表に勝敗と決まり手を書いていたような記憶が残っています。
 
 先日嘉風関が引退して一昨日会見がありました。
その内容が興味深いものでした。
 まず「悔いが残る」と切り出したことです。
大方は「やることはやった。やり残したことはない。悔いはない」と言われる中で「悔いが残る」と言われます。
 正直な気持ちだと思います。
力士として土俵に上がることはできなくなりますが、相撲人生はいよいよこれからということです。
今後は親方として後進を指導し共々に相撲道を極めることだと思います。
 
 会見でもう一つ「一番印象に残っている相撲は」と聞かれて
横綱や大関名だたる力士に勝った相撲を大抵言うのですが嘉風関は負けた相撲を言ったのです。
 その発言の前に「私が勝った相撲をいうとそれが映像に出て負けた人は辛い思いをすることになる」と
対戦相手のことを思いやって自分が負けた相撲を言ったらしいのです。
 当時最強の大関稀勢の里との壮絶な相撲です。
健闘むなしく負けたけれども花道を引き揚げるときに観客からすごい声援をいただいてそれが自信になったと言うのです。
 正直に自分の気持ちを言葉にし周りの人を思いやる気持ちも忘れないところが本当にすごいなと思います。
 
 相撲は勝負の世界です。
勝つ者があれば負ける者があり、負ける者があって勝つ者があります。
 どんなに強い力士でも一人で相撲を取ることはできません。そこに常に相手がいます。
勝負ですからお互いに勝ちをめざし、結果はどちらかが勝ちどちらかが負けます。
ただ勝負を超えてお互いに支え合う仲間であることはこれまでもそしてこれからも変わらないということですね。
 
 私たちの日々の生活のなかでも他の人を思いやることは本当に大事なことですが中々難しいことです。
私たちは常に自分を中心に私が私がというものの見方で生活をしています。
 他人のことなど構ってられない、自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいという私たちお互いです。
 
 そういう私たちを阿弥陀さまはちゃんとご存知で南無阿弥陀仏のおはたらきで常に私に寄り添い見守ってくださるのです。
「我にまかせよ必ず救う」と喚び通しに喚んでくださる声の仏さまになってくださいました。
 阿弥陀さまの言うことを聞かない聞こうとしない私を決して見捨てることなく
大悲のお心で常に思いやってどんな人も無条件に抱き取ってくださる
大きなお心おはたらきを南無阿弥陀仏と聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.18)

お念仏は人生の伴走者阿弥陀さまの力強い声援です

 先日日曜日はマラソンのMGC東京オリンピック選手選考会があって大変な話題になりました。
昨日も代表に内定した四人の選手がテレビ出演して特集番組がありました。
 
 男子はビック4女子は有力3選手を中心にした展開が大方の予想でしたが
優勝したのは男子も女子もそれ以外の選手でした。
 一発選考レースの難しさですが見応え十分のレースになりました。
 
 男子は大本命の一人設楽選手が最初から独り飛出し逃げ切る作戦にでました。
35キロ過ぎで後続集団に吸収されましたがそれまでは独走です。
 どんどん引き離されて設楽選手の姿が見えなくなった後続の選手たちは不安になります。
その時路上で応援する人たちから「何秒差」と教えられその声が心強かったといいます。
 走るのは選手一人ですが日頃から選手を支えるチームの方々がいてそして観客の皆さんです。
そういう声に励まされてということです。
 
 この前の土曜日には陸上競技場でサッカーの大分トリニータの試合がありました。
ラグビーのワールドカップの関係でいつものドームが使えず久しぶりに陸上競技場での試合ということです。
 偶々3時間程前に近くを通りかかったらサポーターの方々が応援のために陸上競技場に歩いて向かっていました。
青いユニホームに背番号12をつけている人が目立ちました。
 サッカーはチーム11人でする競技で12の背番号は12番目の選手サポーターを表します。
サポーターもチームの一員で一緒に試合をするということです。
サポーターという支えてくれる人がいるということです。
 
 私たちは何か自分一人で頑張って生きているようですが
目には見えないところで私のことを思い支え応援してくれる方がいらっしゃるということです。
 
 南無阿弥陀仏のご法義です。
ナンマンダブツとお念仏を申すところに「私がいるよ大丈夫だよ」と
お念仏の声となっていつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒してくださってあるのです。
 
 それもどんな人にでもです。
どんな人もですからそこには勝者も敗者もありません。
 どんな生き方をしている人も生活ぶりは違ってもどんな人にも寄り添ってくださってあるのです。
力強い私の味方です。
 
 南無阿弥陀仏そのこと一つ聞かせていただくなかに今日の一日を生き抜く力をいただきます。
南無阿弥陀仏は阿弥陀さまの本願念仏の力おはたらきです。
 
 スポーツの力です。
選手はサポーターに支えられますが、選手によってサポーターも生きる力をいただくのです。
 
 大きないのちのつながりのなかにお互いに支え合う社会でありたいと
お念仏を申し阿弥陀さまのお心に聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.17)

お念仏の光あふれてありがとうの生活をさせていただきましょう

 いつも毎朝6時半に喚鐘をつきますが昨日から東の空から昇る太陽の光をいっぱい浴びて眩しいぐらいです。
昨日は満月で一昨日が十五夜ということでした。
 
 きれいな満月の月夜でした。
暗闇のなかにあって月の光は明るく清かに輝きます。
太陽は光あふれて私たちを包み込んでくださいます。
 
 先日の台風15号の被害で千葉ではまだ停電が続いているところが多くあるようです。
電気のない生活です。皆さん想像できますか。
 今は夜だけではなく昼間も一日中電気のある生活が当たり前で
それこそ電気がストップしたら生活が一変に暗転してしまいます。
便利な生活が一転不自由不便な生活になってしまうのです。
 
 千葉は首都圏といわれ東京のすぐ隣に位置します。
東京に近い日本で最も便利な所に住む人が不便な生活を余儀なくされているのです。
 私たちの生活のなかでも今日明日にでも同じような事態が起こり得るということです。
 
 テレビのニュースで電気の復旧工事を終えた電力会社の人に
子どもたちが「ありがとうございます」とお礼を言う映像が流れていました。
「観たかったテレビが観れるようになって嬉しいです」と子どもらしいですね。
 
 私たちは毎日電気があって当たり前の生活をしています。
電気のある生活に慣れてしまって電気が通らなくなるとすぐ不平不満があふれます。
 
 電気のある生活は私たち人類の歴史の中でもつい最近のことです。
それでは電気が発明される前は一日中暗闇の中で私たちの先祖は生活していたかというと光がいっぱいあふれていたのです。
 今と同じ太陽の光であり熱のはたらきがあったのです。
太陽のおかげで大自然のいのちの営みが育まれその恵みをいただいて人類は生き抜いてこられたのです。
 私たちはいつしか大自然の大いなる営みまでも人間の思い通りになるもののように思い込んでしまい
日々の生活のなかでその有難さがわからなくなってしまったのではないでしょうか。
 
 太陽が隠れた闇夜も月の光は私たちを清かに照らしてくれています。
光あふれる大自然の恵みをいっぱいいただいて私たちの先人は生きてきたのです。
 光あふれるなかに「ありがとうございます」とすべてのいのちに感謝して生きていきたいですね。
 
 阿弥陀さまは限りない無量の光といのちの仏さまです。
南無阿弥陀仏の大いなる光といのちのおはたらきをいただいて
お念仏の光あふれるなかに「ありがとう」がいっぱいあふれる生活を
今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.15)
円光寺
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