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お念仏を申す生活法話

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お寺は気持ちがある人がお参りできる所?

 台風が来るということで今日の彼岸会の行事は取り止めることにしました。
朝明けてみたら普通に雨降りのちょっと風のある天気で
今日はいつもの皆さんがいつものようにお朝事にお参りです。
 
 「お寺にはお参りする気持ちがある人がお参りする」と言われます。
逆にお参りする気持ちがないとお参りしないのかというとどうでしょうか。
 確かに私のところではお参りするかしないかの二者選択です。
ただお寺のご縁は仏さまのご縁、仏さまが私たちのために開いてくださったご縁です。
 気持ちがある人にもない人にも開かれたご縁ですから
気持ちがある人もない人もみんなお参りしていいのです。
 
 お寺参りの定番の断り方です。
「お寺に一緒にお参りしましょう」と誘われます。断わってください。
 大方「用事があって忙しいからお参りできません」と「気持ちはあるけど」と前置きして答えるのではないでしょうか。
今回は「台風が来るから」という断わり方もできます。
 私たちは否この私は何でも理屈をつけて自分の思いを通すことがうまくできています。
 
 自分を中心に自分の都合に合わせていたら仏さまのご縁に遇うのは難しいです。
「お寺にお参りしましょう」を誘われたら、あれこれ思いを巡らすのではなく
そのまま「はい」ってお参りされる方はお参りすればいいのです。
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお喚び声に「はい」でいいのです。
周囲のことを気にする必要はありません。
 仏さまの方を向いてお念仏申しましょう。
 
 お念仏申すなかに私ができる精いっぱいのことをさせていただくのがおつとめです。
おつとめというと何かしないといけないものと聞く人もいますが
仏さまのお喚び声に「はい」っと私にできることをさせていただくのです。
 
 お寺にお参りしないからといって阿弥陀さまはお前なんか知らないと私を見捨てる仏さまではありません。
明日はお彼岸のお中日で予定通りおつとめをさせていただきます。
 皆さんお誘い合わせお寺にお参りましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.22)

ラグビーワールドカップの開幕です

 ラグビーのワールドカップが始まりました。
前回の大会から4年です。まだ4年あると思っていたらすぐでした。
 今回は大分で5試合があるということでこれから増々盛り上がってくるのではないかと思います。
 
 昨日は開幕ゲームで開催国の日本とロシアが対戦し日本が30対10で完勝しました。
以前の日本代表の国際試合とはちょっと趣が違います。
 日本選手は小さな体で大きな外国選手相手に体力的に大きなハンディを感じていましたが
今は決して見劣りがしません。
 選手の半分が外国籍の選手ということです。
これは国際ラグビーの特別なルールで他の国も自国以外の選手が多いことが今は一般的になっているようです。
 
 顔も体型も日本人のイメージとは違う選手が同じ桜のジャージを着けて戦う姿に違和感をもつ人もあるでしょうが
試合になるとどの選手ということではなく応援します。
 選手もヘッドコーチも「私たちはワンチームだ」と言っていました。
一つの国ではなく一つのチームとして戦っているというのです。
 同じチームに色々な国籍のメンバーチームメイトがいるということです。
 
 世界を舞台に活躍している人のものの見方に教えられます。
ラグビーだけではありません。サッカーも野球も他の競技スポーツもです。
 同じスポーツをする選手お互いは国籍とか言わないのです。
ただ私たちに何かこだわりがあり複雑な思いがあるということです。
 ワンチーム同士で死力を尽くして戦いノーサイドの笛が鳴れば
勝者敗者を超えて互いに健闘をたたえ合うというラグビーの精神です。
 
 仏さまの教えを聞いているようです。
私たちのこの世界も本来はワンチームなんですね。
 一つの世界を分断するように国境線を引き
国が違う言葉が違う民族が違う宗教が違うなどと分別し自国中心のものの見方を振りかざして
ある時は敵味方に分かれて戦争をし政治の駆け引きが渦巻く国際情勢にみんなが振り回されている現実です。
 ワンチームで同じ方向をめざすところにみんなが本当に幸せになれればいいことだと思います。
何かおかしいと思うことがたくさんあります。
 
 私がというはからいです。
どこまでも自分を中心にしたものの見方考え方が自国を中心にしたものの見方考え方になって
他の人や他の国との関係つながりを危うくします。
 
 ここは仏さまの教えに聞かせていただきましょう。
仏さまの教えを聞いたから世界の困難な問題が解決し平和になるかというとそうはいきません。
 お互いに課題を共有し理解を深め協力していくなかに問題の解決には時間がかかります。
ただ同じ方向をめざしていきましょうとお互いに確かめさせていただくことの大切さを思います。
 
 まさに今お彼岸です。到彼岸です。
彼岸に到る道を歩むということです。仏さまのみ教えに聞かせていただくご縁です。
 同じ目標をめざしてです。
私たちの彼岸、お浄土をめざして
南無阿弥陀仏の大きなお心おはたらきのなかに往生浄土の道すがらを歩ませていただく
私たちはお念仏のワンチームのメンバーです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.21)

秋のお彼岸です

 今日から一週間秋のお彼岸です。
彼岸というのは彼の岸、仏さまのさとりの世界です。
一方私たちが生きる此の岸は迷いの世界です。
 
 私たちの彼の岸を阿弥陀さまのお浄土と聞かせていただきます。
迷いの私が南無阿弥陀仏のおはたらき一つでお浄土に往生させていただき
さとりの仏さまに成らせていただく浄土真宗のご法義です。
 お彼岸にお浄土を思います。
行ったことがないところです。
自分勝手に自分の都合に合わせて思うのではなく仏さまのみ教えに聞かせていただきましょう。
 
 そして先にお浄土に往かれたご先祖有縁の方々を思います。
大切な私の命の大恩人です。
 思うといっていつでも思えるということですが、そうでしょうか。
これが中々難しいことなのです。
 
 ご法事のご縁に重ねて思います。
ご法事は毎年勤めるということではありません。
何年かに一回とんでとんでとんでやってまいります。
 
 仏さまって私たちのことをちゃんとご存知なんですね。
日々の生活に忙しい私たち自分のことで生きることで精いっぱいの私たちです。
 仏さまはいつでもどこでも変わることなく「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
どんなあり様の私たちでもただ南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。
 
 お彼岸のご縁に遇ってほしいお寺にお参りしてほしいと願いながら
仏さまのご縁に背中を向けている者も見捨てたりはしないのです。
 
 仏さまの大きなお心おはたらきに甘えるのではなく
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 22日23日とお寺の彼岸会をお勤めさせていただきます。
私にできることをさせていただきましょう。
 皆さんの隣の方有縁の方に声かけをしてご一緒にお寺にお参りしてください。
仏さまのみ教えを聞かせていただきましょう。
 私もあなたも共々に私たちの彼岸阿弥陀さまのお浄土への道行きをご一緒させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.20)

50回忌のご縁を有難くいただきます

 昨日は50回忌のご法事のご縁をいただきました。
49年前の昭和45年にご往生された4歳の方のご縁です。
 悲しいご縁ですがお家にお仏壇を申すことになりました。
それから49年お家は転々としてお仏壇も大きさは変わりましたが
真ん中にご安置のご本尊の仏さま阿弥陀さまは変わりません。
 阿弥陀さまの仏さまに見守られて49年が経ったということです。
 
 お仏壇はそのお家の方が亡くなられてからご安置するものと受けとめられ
核家族ということもあって今はお仏壇のないお家が結構多いのです。
 浄土真宗のご法義を聞かせていただきますと
阿弥陀さまという仏さまは亡くなってから用事のある仏さまではなくて
今ここに生きるこの私を必ず救うとおはたらきの仏さまですから
私たちが日暮しするどのお家にあってもいいわけです。
 
 ただ仏さまのこと死んでから後のことと昔からみんなが言っているということで
反対に何もないのにお仏壇を申したりすると不幸事が起こるという迷信さえあるのです。
 
 悲しみのご縁のなかでお仏壇を申されたということです。
4歳の子どもさんです。
お父さんお母さんはどんなお気持ちでお仏壇にお参りされていたのでしょうか。
 悲しいご縁です。少しでも長く一緒にいたかったという思いでしょう。
あの子が生きておれば今は小学校に入学して卒業して成人して就職してと
今はこうなっているのではという思いがずっとずっとこれからもあると思います。
 
 ただ有難いことは悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁をいただけたということです。
阿弥陀さまのお仏壇をお家の中心にご安置して先に往かれた方を仏さまと拝んでいけるということです。
 これまでもそうでしたしこれからもそうです。
ナンマンダブツとお念仏申すなかにこの目には見えないけれども仏さまとなってこの人生をご一緒してくださるのです。
 
 50回忌のご縁です。お寺からご通知する最後のご法事のご縁と常々申していますが
仏さまのご縁はこれからもずっとずっと続きます。
 今日も明日も明後日も私と共に生きてくださる仏さまです。
そのこと一つお念仏申すなかに有難く聞かせていただきましょう・
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.19)

「負けた相撲が一番印象に残っています」

 今大相撲が面白いです。
今まではそんなに相撲を観ることはなかったのですが
若い力士が力をつけ次々と頭角を現して活気のある土俵に魅力を感じます。
 
 そんななかかつて兄弟で大いに人気を博した元逆鉾関が亡くなりました。
昨日テレビの解説で弟の元寺尾関が出演して思い出多い話をしていました。
 逆鉾寺尾のお父さんが鶴ヶ峰でもろ差し名人の人気力士でした。
私が子どもの頃の力士で相撲好きのじいちゃんを思い出します。
 学校から帰るとテレビの前に座って取り組みの一番一番を凝視するように観て
手製の星取表に勝敗と決まり手を書いていたような記憶が残っています。
 
 先日嘉風関が引退して一昨日会見がありました。
その内容が興味深いものでした。
 まず「悔いが残る」と切り出したことです。
大方は「やることはやった。やり残したことはない。悔いはない」と言われる中で「悔いが残る」と言われます。
 正直な気持ちだと思います。
力士として土俵に上がることはできなくなりますが、相撲人生はいよいよこれからということです。
今後は親方として後進を指導し共々に相撲道を極めることだと思います。
 
 会見でもう一つ「一番印象に残っている相撲は」と聞かれて
横綱や大関名だたる力士に勝った相撲を大抵言うのですが嘉風関は負けた相撲を言ったのです。
 その発言の前に「私が勝った相撲をいうとそれが映像に出て負けた人は辛い思いをすることになる」と
対戦相手のことを思いやって自分が負けた相撲を言ったらしいのです。
 当時最強の大関稀勢の里との壮絶な相撲です。
健闘むなしく負けたけれども花道を引き揚げるときに観客からすごい声援をいただいてそれが自信になったと言うのです。
 正直に自分の気持ちを言葉にし周りの人を思いやる気持ちも忘れないところが本当にすごいなと思います。
 
 相撲は勝負の世界です。
勝つ者があれば負ける者があり、負ける者があって勝つ者があります。
 どんなに強い力士でも一人で相撲を取ることはできません。そこに常に相手がいます。
勝負ですからお互いに勝ちをめざし、結果はどちらかが勝ちどちらかが負けます。
ただ勝負を超えてお互いに支え合う仲間であることはこれまでもそしてこれからも変わらないということですね。
 
 私たちの日々の生活のなかでも他の人を思いやることは本当に大事なことですが中々難しいことです。
私たちは常に自分を中心に私が私がというものの見方で生活をしています。
 他人のことなど構ってられない、自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいという私たちお互いです。
 
 そういう私たちを阿弥陀さまはちゃんとご存知で南無阿弥陀仏のおはたらきで常に私に寄り添い見守ってくださるのです。
「我にまかせよ必ず救う」と喚び通しに喚んでくださる声の仏さまになってくださいました。
 阿弥陀さまの言うことを聞かない聞こうとしない私を決して見捨てることなく
大悲のお心で常に思いやってどんな人も無条件に抱き取ってくださる
大きなお心おはたらきを南無阿弥陀仏と聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.18)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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