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お念仏を申す生活法話

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他力の信心いただいてお念仏申し往生浄土の道行きを歩ませていただきます

 ラグビーのワールドカップで日本が世界ランキング2位で優勝候補のアイルランドに勝ったということで
昨日も終日テレビ報道があり日本中が勝利の余韻に浸っているなかで
リーチ主将は記者会見で「あと残っている2試合で負けてしまったら意味がない」と勝って兜の緒を締める発言です。
当事者が一番わかっていることで、いつまでも大騒ぎをするのは周りだけです。
 
 会見で勝因はと聞かれて「勝ちたい」と思う気持ちと「勝てる」という自信といっていました。
ラグビーの専門家でも冷静に見て日本が勝てると予想した人が少ない中で
選手たちは勝つ勝てると思ってこれまで厳しい練習にも耐えてきたといいます。
 
 勝ちたいと思う気持ちと勝てるという自信です。
私たちが阿弥陀さまのお救いに遇うということを重ねて思います。
 
 浄土真宗は往生浄土の仏教です。
迷いの私が阿弥陀さまのお浄土に往生してさとりの仏に成る仏道を明かします。
 浄土に「生まれたい」と思う心と浄土に「必ず生まれる」自信です。
 
 勝負の世界は互いに相手があることで勝ちたいと思う気持ちがないと試合をする前から結果は見えています。
ではお念仏の世界も浄土に生まれたいという気持ちがないと阿弥陀さまのお救いの外になってしまうのでしょうか。
 
 阿弥陀さまは救われたいとも浄土に往生したいとも思わないこの私をこそ目当てに
お念仏一つで必ず救うそのまま救うとご本願を建てられ成就して南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったのです。
 
 どうかお念仏の救いの法に遇ってお念仏申す身になってくれよと阿弥陀さまがおはたらきです。
私が浄土に生まれたいと思う心も私が浄土に生まれることも
もうすでに阿弥陀さまの方で完成し用意をしてくださってあるというのです。
 
 私が信じて起こす信心ではなく阿弥陀さまの他力の信心をいただくことが肝要です。
南無阿弥陀仏の救いのみ教えに遇って阿弥陀さまの本願念仏のお心を聞かせていただき他力の信心をいただいて
お念仏申し往生浄土の道行きを今日も一日歩ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.30)

花火が決めてくれる

 昨日は三佐小学校の運動会でした。
夜中に雨が降って運動会があるのかないのか不安な中に花火が上がって「今日は運動会」が決まりました。
 私が子どもの頃は花火が上がっていたかどうかは定かではありませんが
もし私が今小学生だったら昨日の花火をどう聞いただろうかと思います。
 
 私は運動会が苦手でした。運動会なんかなければいいのにとさえ思ったことがあります。
それで夜中に雨です。心の中でもっと降れもっと降れと思います。
そして朝が明け花火が上がります。
「えっ何で、雨が止んだの。運動会があるの」という複雑な気持ちで学校に行ったのではないでしょうか。
 
 考えてみれば運動会は延期にこそなれ中止にはなりません。
延期になって嫌な気持ちが先延ばしになるだけのことです。
 
 花火の音で揺らぐ心が決まるんですね。
今日は運動会で待ったなしと心に決め覚悟を決めて運動会に臨むしかないのです。
 花火が揺らぐ私の心を決心させてくれるんですね。
ここは覚悟を決めてやるしかない
自分ができる精いっぱいのことをやるしかないという気持ちにさせてくれるのがこの花火なのかもしれません。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏のお心おはたらきです。
阿弥陀さまのお喚び声をいただきます。
阿弥陀さまが「必ず救うまかせよ」と私を喚んでくださるお喚び声です。
 
 南無阿弥陀仏のお救いの法を聞かせていただきます。
まかせよ救うとおはたらきなのですから私はただまかせればいいのですが
仏智不思議を疑う心が次から次におこってきます。
 もうまかせる以外に私の手立ては一つも要らないと聞かせていただきますが
どこまでも私のところに重心をおいて阿弥陀さまにまかせられないのです。
 
 阿弥陀さまは迷いのなかにあって決心がつかない私のあり様もすでにご存知で
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と何度も何度も遠い遠いはるか昔から繰り返し繰り返し
私を喚び覚ますように喚んでくださるお喚び声になってくださったのです。
 
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきにおまかせして
私たちはそれぞれに生活ぶりは違いますが
私にできる精いっぱいのお念仏申す生活をさせていただくのです。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏の声が私に決心をさせそのまま阿弥陀さまの大きなお救いのなかに生かされて往くのです。
花火の音が何かお念仏の声のように頼もしく聞こえます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.29)

「62円のうた」最後の便りです

 雨に濡れて彼岸花が今満開です。
今朝6時に花火が何か所から上がりました。小学校の運動会のようです。
 夜中に雨が降って皆さん心配したと思いますが
花火の音で「さあやるぞー」と思いが一つ決まったのではないでしょうか。
 
 10月から消費税が上がります。
毎月法話会の案内をハガキでしていますが昨日早々に来月の案内をしました。
 ハガキも62円から1円上がって63円になります。
1円ぐらいとお思いでしょうが、私のささやかな抵抗です。
 
 ハガキにいつも文章を添えて投函します。
若い頃年賀状を出すのに通り一遍のものではもったいない面白くないと文章を添えるようになったのが始まりです。
文字だらけのハガキで読んでもらえるのかなと思ったりしますがその時どきの思いを書いて届けます。
 
 今はハガキをあまり使わくなったように思います。
日常何かの連絡はメールで即座にできるからです。
 
 ハガキで思い出すのは永六輔さんと遠藤康子さんの「だれかとどこかで」というラジオ番組です。
毎週金曜日に「7円のうた」というコーナーがあって
放送開始当時7円のハガキに全国の視聴者が思いをつづり届けられたものを放送するのです。
 ハガキの限られた紙面にそれぞれの思いを簡潔に文章にまとめて書くのです。
大変難しいことですが思いが端的に詰まって届けられ思い当たることがあったり教えられることがあったりしたものです。
 
 その7円のハガキが何度も値上がりして10月からは63円です。
改めてこれは凄い値上がりです。
 
 ハガキでまた思い出すのが映画「男はつらいよ」のラストシーンです。
とら屋のちゃぶ台かそこらに置かれたハガキが最後にクローズアップされます。
寅さんからの便りのものもありマドンナからのものもあります。
 それがどこかに無造作に置いてあるのがいいんです。
その人に宛てたハガキですが他の人もそれを見る読むことができるのです。
 ハガキにしたためて思いを届ける、届いてほしいと思います。
 
 阿弥陀さまのご本願のお心です。
南無阿弥陀仏の声になって私たちに届けられています。
 阿弥陀さまは私たちが後ろを向いていても耳をふさいでいても
厭きることなく何度も何度も何度も何度も遠い遠い昔から
この私に南無阿弥陀仏のお念仏の声を届けてくださってあるのです。
 
 今日も今もです。昨日も一昨日もそうでしたし、明日も明後日もこれからもずっとです。
「私がいるよ大丈夫だよ。我にまかせよ必ず救う」のお喚び声に生きる力をいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。 (2019.9.28)

目に見えないいのちの営みに思いをはせましょう

 秋の彼岸週間が昨日まででした。
6時の梵鐘をつく時に山門の門灯が点いていることに気づきました。
夜明けの時刻が遅くなりこれから来年の春の彼岸明けまで続きます。
 
 鐘楼前に今年もこの時期彼岸花が咲いています。
9月に入ってほどなく一本すっーと茎を出し花をつけました。
今年は早いのかなと見ているといつもと同じ今日この頃の彼岸花のお花見です。
 
 彼岸花は急にひゅーっと出てきて花を咲かせます。
そして枯れて間もなく葉を出します。
 それもずっとではなく一年の大半は土の中です。
私たちの目にする彼岸花はちょっとの間です。
 
 でも彼岸花のいのちはずっとつながっているんですね。
土の中で力を蓄えスーッと茎を出し花を咲かせ枯れて次のいのちを育むのです。
 
 私たちのいのちです。
今人生100年といっていますが、この宇宙地球のいのちの営みからいったらわずかな時間です。
 何か人間が地球を宇宙までも自分たちの思い通りにするようにわがもの顔で勝手に振る舞っていますが
地球の歴史からいっても人類は新参者です。
 私の命でいうとちょっと地球上に出てきてすぐいなくなります。
 
 ただ私たちの仏法を聞かせていただくと
この人間界に生まれてくるまでに数え切れないほどの時間何度も何度もいのちの歴史を繰り返し
いのちのつながりのなかにこの私が生まれてきたといいます。
 そしてこの命終わって次があるというのです。
次に私がここに生まれたいと思って生まれるのではなく自然の道理自業自得の道理によるといいます。
 
 今度こそは迷いの世界を超えてさとりの仏の世界に生まれて来いよという阿弥陀さまの願い
必ず生まれさせるという本願念仏の力おはたらきで私たちはお念仏申す身にさせていただき
そのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏にさせていただいて
この世に還って来て衆生を救う仏さまのおはたらきをさせていただくと聞かせていただきます。
 
 この前16歳の環境活動家グレタさんのお話をしましたが
あの女の子が言っているのは「科学を信じましょう」ということです。
 科学とはこれまでの人類の歴史生活のなかで体験し実証されたきた道理です。
科学的にこのままでは地球環境は悪化の一途をたどり取り返しのつかないことになるという予測です。
わかっていることだから信じてそのことにきちんと対処していきましょうということです。
 
 ただこの科学の世界も宇宙の真理真実からいうとまだまだ分からないことがたくさんあります。
そうした目に見えないいのちの営みのなかに私たちは生かされ支えられて生きているのです。
 
 人間が自分の勝手な思いで欲の心を起こし思い通りにしようともがけばもがくほど
何か変てこなことになってくるのかなと思ったりします。
 あらゆるいのちに謙虚に向き合うことが求められます。
いのちの声をそのまま聞きましょう。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申し南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくなかに
このいのち今日も一日生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.27)

釜石のまち復興スタジアムでラグビーワールドカップの試合がありました

 東北の釜石でラグビーワールドカップのウルグアイとフィジーの試合がありました。
釜石はラグビーで黄金時代を築いた新日鉄釜石があるラグビーの町で東日本大震災では壊滅的な被害に遭いました。
 
 崩壊した小学校中学校の跡地に建てられた鵜住居復興スタジアムという地元の人にとっては懐かしい所です。
地元の皆さんをはじめチームを応援する外国の方も県外からもたくさん人が集まりました。
復興の力になりますとワールドカップ誘致に尽力した関係者の方々が言われていました。
 
 スタジアムの近くに慰霊碑が建っています。
小学校に勤められていた奥さんとお母さんを震災で亡くされた方が中心となって建てられたそうで
碑文に「あなたも逃げて」と記されています。万感の思いが込められたものです。
 
 あなたも逃げてとにかく逃げて生きてというメッセージです。
生きていくなかで色んなことがあるけれどもまた頑張れるっていう思いいっぱいです。
 
 釜石の奇跡と言われます。
今度の震災では子どもたちも多く犠牲になりましたが、釜石の子どもたちはみんな無事でした。
これまで震災に遭った先人の教訓を守って高台に逃げろ山に逃げろと逃げて助かったということです。
 
 その子どもたちが通っていた小学校中学校の跡地です。
地元の皆さんが小さい頃から慣れ親しんでいた懐かしいところです。
 建物は残っていませんが山とか海とか自然の目印はそのまま残って
以前に学校があったことを教えてくれています。
 
 お寺という存在も重ねて思います。
海辺のお寺さんが被災されました。
町は壊滅状態で住民の方は他所に避難し移り住んだ方もいらっしゃいます。
 お寺のご院家さんはお寺は動かない同じところに復興させると決めました。
ご門徒さんも思いを同じくして人が次第に帰って来たということです。
 
 そうしたなかで行政は津波対策として新たな防波堤を海から離れた奥の方につくろうと計画しました。
計画ではそのお寺は防波堤の外に位置することになり元の場所から他所に移らなければならないことになったのです。
 ところが人人が帰って来るなかで声をあげそして防波堤は外にできお寺は動かなくてよくなったということです。
 
 その土地土地の人にとって小さい時分からこのお寺はここにあるということで
いつも心の依りどころになって伝えられてきたのではないでしょうか。
 
 小学校中学校の跡地のスタジアムが大きな復興のシンボルになります。
学校やお寺お宮が復興へ動いていく人人の心の依りどころになります。
 たとえ方々に移り住むことになっても帰って来る古里があるのです。
大きないのちのつながりのなかに私たちは生きる力をいただけるということをまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.26)
円光寺
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