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お念仏を申す生活法話

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ご本山のお朝事参り

 昨日今日と大海組の連続研修会の修了生の皆さんが京都のご本山に修了奉告参拝でお参りしています。
円光寺からは連研担当の新院と修了生二人が参加です。
 
 ご本山にお参りしますと毎朝晨朝勤行(じんじょうごんぎょう)というお朝事のお勤めにお参りできます。
別に申込みすることもなく誰でもその時間にお参りできるのです。
 
 ご本山のお朝事は毎朝6時からです。
近くの旅館に宿泊し5時前から目覚めて身仕度を整えお参りして今はもうお勤めが終わった頃だと思います。
 
 有難いのはお朝事に毎日お参りされる常朝事のお同行がいらっしゃるということです。
お坊さんだけがお勤めするお朝事でしたら中々お参りしにくいと思いますが
常朝事のお同行がいて全国各地からお参りされるお同行とご一緒に大きなご縁になるのです。
 お正信偈さまを共々に唱和してお念仏の輪が広がります。
初めてお会いする者同士でも何か懐かしい感じがしてとても有難いご縁です。
 
 ご本山のお朝事のご縁も円光寺のお朝事のご縁も
ご本尊の阿弥陀さまを中心とした南無阿弥陀仏のご縁です。
 私たちの生活ぶりはそれぞれに違いますが
お朝事のご縁をいただいて今日も一日お念仏申す生活を始めさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.20)

ご本尊の阿弥陀さまを中心とした仏事私たちの念仏生活です

 昨日別府でお葬式をお勤めさせていただきました。
葬儀社の式場に入り何か違和感を覚えました。
 ご本尊の阿弥陀さまの前に大きなご遺影とその前に法名を書いた位牌が真ん中に並べられていました。
今大分でお勤めする私たちの浄土真宗のお葬式は真ん中に阿弥陀さまをご安置しお遺影と位牌は一段下の左右に置きます。
ご本尊を中心にしてセンターがすーっと空いているのです。
 大海組で『浄土真宗の葬儀のしおり』を作りご本尊を中心とした葬儀の執行をテーマに
葬儀場のお荘厳の形から統一していきましょうという取り組みです。
 
 別府は以前の大分のまんまで違和感を感じるということですが
数年前まではそうしたお荘厳が当たり前だったのです。
 宗派によって違いもありお葬式にお参りされる皆さんは昔のまんまが当たり前で
今のものに抵抗感を感じる人もあると思いますが
この目で見ることから変えていくことでそれが落ち着いてくると返って昔のものに違和感があるということです。
 
 この本堂そして皆さんのお家のお仏壇も同じことが言えます。
お仏壇の真ん中に位牌と写真があると何か亡き人を偲ぶということのようですが
私たちのお念仏のご法義はどこまでもご本尊の阿弥陀さまを中心としたご法義なのです。
 すべてのものを分け隔てなく必ず救うとおはたらきにくださっている阿弥陀さまのご法義です。
中央に位牌や写真を置かないことで先に往かれた方を粗末にしているのではありません。
 阿弥陀さまのお念仏のお救いのなかに先に往かれた方も後にのこった私たちもあり
南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりのなかに生かされてあるといただいてお念仏申させていただくのです。
 
 位牌や写真を置くことにとらわれてお経をあげてもらうことで追善供養するということなのでしょうか。
それではお経をあげて供養しなければ安心できないという不安や迷いから逃れることはできません。
 
 本来のお念仏のご法義をこの目に見える形から改めて聞いていきましょうというのが
大海組の葬儀のしおりの取り組みです。
 
 ただお坊さんだけが自己満足するのではなくご門徒皆さんも一般の方にも
悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただいて
お念仏のみ教えをお互いに聞かせていただくなかに
ご本尊の阿弥陀さまを中心とした日々の生活お浄土への人生を歩ませていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.17)

「ここに座れ」と待ったなしのご縁です

 昨日は別府でお通夜のご縁がありました。
お家と会社合同の社葬ということでたくさんのお方がお参りでした。
 社葬という限りはお仕事の関係の方が殆どです。
黒い礼服に身を固めた皆さんがお参りでした。
 
 お通夜のご縁にご法話をさせていただきます。
ご法話の内容はずっと変わっていません。
同じことを繰り返し繰り返しお話しています。
 何度も何度もご縁のある方は「この話はもう聞いた」
「もう聞いた」「もう聞いた」と聞かれる方もいらっしゃるかと思います。
 
 ただ昨日のお通夜は初めてのご縁の方私からいうと初めて会う人知らない人ばかりです。
いつもと同じお話ですがこれはいいご縁だと思ってちょっと力が入りました。
阿弥陀さまのお話を聞いてくれよというのが私たちのご法義ですからね。
 
 待ったなしのご縁です。
お通夜のご縁でいまだかつてお勤めが終わってすっと背中を向けて帰る人はいません。
 もうどうしようもありません。
最後に喪主の挨拶があるまでここに座るしかないわけです。
 
 ここという場が大事なんです。
皆さんが今座っているところです。
 仏さまの御仏前です。
仏さまから頂いた席、指定席です。
 
 「ここに座れ」って、ここに座ってどうかどうか仏さまのみ教えを聞いておくれという仏さまのご催促なのです。
仏さまのみ教えを聞いて覚えて知って救われるということではありません。
 聞いても聞いても右から左にスーッと抜けてすぐ忘れることもあるでしょう。
心ここにあらずで忙しい私たちです。
 
 ただ阿弥陀さまのお心南無阿弥陀仏のおはたらきはすごいですよ。
私たちの有り様をもうすでに見抜かれて
お念仏となっていつでもどこでも付いて離れず私たちを決して見捨てないとおはたらきくださってあるのです。
 
 いつか何かのご縁でふっと仏さまのお話を思い起こすこともあるでしょう。
お念仏申してくれよと喚び続け、お念仏申すところ阿弥陀さまがこの私を必ず救うとご一緒してくださっているのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきがもうすでに私のところに届いているのです。
「いつもの話だもう聞いた」と聞く人もいつもの話が確かに届いているのです。
 
 大切なお方とお別れする悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
どうぞご縁ご縁にお念仏申すなかにお聴聞させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.16)

30年後の私、30年後の社会このお寺

 台風19号の被害状況が連日報道されています。
「50年に一度」とか「これまでに経験したことがない」という災害予報を最近よく聞きます。
そして今回も甚大な被害を広範囲の地域にもたらして多くの人が被災し死者行方不明者は現在も増え続けています。
 
 50年に一度ということではない経験したことがないことでもない大きな災害が頻繁に起こっているのです。
昨日は早速ボランテイアの方が活動されていました。
そして義援金の募金が各方面で呼びかけられています。
 本当に有難い尊いことですが
次から次と起こる災害に支援活動も混乱してしまうような事態です。
 
 大自然の猛威を見せつけられる思いですが
地球温暖化の影響も指摘され地球環境問題がこれから一層クローズアップされそうです。
 
 小泉進次郎さんが環境大臣になり国連での地球環境問題についてのやり取りが報道されています。
パリ協定で温室効果ガスの排出制限を決めたものも最大排出国のアメリカがパリ協定離脱を決めたり
自国の利益を優先して世界各国の足並みがそろわない現状に危機感が募ります。
 
 小泉大臣が福島で原発汚染土を30年以内に県外の処分場に移すとの約束にふれたときのエピソードから
30年後の地球はどうなるのかということです。
科学的な立証を総合して地球全体で考え今できることから早速取り組んでいかないとと思います。
 
 30年後の日本です。
想像しましょう、考えましょうそして行動しましょう。
 
 30年後の私です。
30年は一世代で、30年経つと世代が変わるということです。
 25回忌33回忌のご法事で子どもが親とほぼ同じ年齢になります。
子どもが親の世代になる責任と親が子どもにおくる未来の責任を思います。
 
 30年後私自身生きているかわかりません。
ただ死んだらお終いではなく私がいなくなってもこの社会は残るということです。
 もっと間近なことで言いますと、このお寺です。
このお寺の30年後はどうなるのか。
 広く思いを致し南無阿弥陀仏のみ教えに聞かせていただくなかで
今私にできることを精いっぱいさせていただきたいと思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.15)

「いつも私が一緒だよ大丈夫だよ」のお念仏の声に励まされて生きて往きましょう

 今朝の新聞の第一面は台風19号による被害状況が大きく報道され
ラグビーワールドカップで日本が初のベスト8進出という記事がありました。
 
 昨夜はラグビーの対スコットランド戦を観た人も多かった思いますが
このたびの大水害で亡くなられた方々に選手も観衆も一緒に黙祷して試合が始まりました。
 
 スポーツの力といいます。
8年前の東日本大震災の時日本女子サッカーのなでしこジャパンが戦前の予想を覆し世界一になって
被災地の方々を勇気づけたということが思い出されます。
「一緒に頑張りましょう」というメッセージが日本中からそして世界からも送られました。
 
 今回東海から関東東北の広範囲で大雨によって多くの河川が氾濫し
辺り一面が泥水に浸かって被災された方はこれからどうしていいのか途方に暮れている現状だと思います。
 泥を掃き出すといういつ終わるとも分からない作業を今から一つ一つ積み重ねていかねばなりません。
到底一人でできることではありません。長い長い時間がかかります。
 
 そうした困難な状況のなかで誰か彼かから思われているというメッセージです。
自分一人じゃない独りぼっちじゃない思われているという心の支えをいただくことで
私たちは生きていけるのではないでしょうか。
 
 私たちの阿弥陀さまはこの私一人を目当てに必ず救うと思うばかりではなく
南無阿弥陀仏のおはたらきとなっていつでもどこでも私に寄り添いご一緒してくださる仏さまになってくださいました。
 
 この目には見えない実態がないものと言うなかれ
ナムアミダブツとお念仏申すところ私に寄り添い「必ず救うまかせよ」と喚んでくださっているのです。
 悲しい時も嬉しい時も苦しい時も楽しい時もどんな時もご一緒してくださいます。
 
 そのこと一つお念仏申すなかに聞かせていただきましょう。
 無常の世に生きる私たちです。
いつ何時私が思ってもいないことがわが身に起こるかもしれません。
 でも大丈夫、どんな状況にあっても「いつも私が一緒だよ大丈夫だよ」の真実まことの南無阿弥陀仏の声に励まされて
今日も一日も共々に日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.14)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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