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お念仏を申す生活法話

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法名をいただく一生に一度のご縁です

 大海組連続研修会の修了生で先日ご本山にお参りされたご門徒さんがお寺にみえました。
このたびのご縁で帰敬式(ききょうしき)を受けて法名をいただいたことのご奉告のお礼参りです。
 
 仏弟子としていただく「釈○○」という法名です。
皆さんの中でも法名を頂いている方もいますが、京都西本願寺でのご縁です。
 「厳かな雰囲気で緊張しました」とそして「不謹慎ですがこれは一生に一度のことだと思いました」と言われました。
今日本で開催されているラグビーワールドカップのキャッチフレーズ「4年に一度じゃない。一生に一度だ」を思ってです。
日本にまたこの大会が来ることはまずないから見逃さないようにということです。
 
 法名を頂くというのはこの一生で二度も三度もあることではなくて一度っきりのことです。
ただお念仏のご法義をいただきますと一生に一度どころではない大変有難いことだというのです。
 一生というとこの人生の一生人に生まれて死ぬまでの間のことですが
南無阿弥陀仏の救いの法はただ人間の一生という期間限定のことではないのです。
 
 親鸞聖人はご和讃に法然聖人に出遇いお念仏のみ教えに出遇われたよろこびを
「永劫多生の間にも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたび空しく過ぎなまし」とうたっています。
 
 永劫多生(ようごうたしょう)です。一生ではなく多くの生です。
私たちは何度も何度も生まれては死に生れては死にを繰り返し今こうして人間に生まれて生きているというのです。
 そしてこの人間に生まれたのは仏法に遇うためだと仏法聴聞をすすめられるのです。
お念仏のみ教えに遇わずじまいに終わることほど空しいことはないといわれるのです。
 
 ただ南無阿弥陀仏の救いの法は誰一人漏らさず必ず救うとおはたらきですから
迷いの世界を何度も何度も経巡ってきたこの私のことを決して見捨てることがなかったのです。
 
 この人生でいったら一生に一度のご縁です。
「一生に一度のご縁に遇えてよかったです」と言われご一緒にお念仏申しました。
 
 法名を頂くということはこの私が阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせいただき信じまかせて
お念仏申す身にさせていただくという大きな有難いご縁です。
 
 一生に一度のご縁をいただいて今日の皆さんです。
お念仏申して一日一日を大切に過ごしお浄土への人生を共々に生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.23)

天皇即位の礼に思う

 今日は祝日で学校もお休みです。
天皇陛下が国内外に天皇即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が行われるということです。
 
 大きな造りの台座に天皇陛下がましましてお言葉を述べられます。
古くから伝わる儀式ですが大正天皇の頃から大きな台座が二つ並ぶようになったそうです。
天皇陛下と皇后陛下のそれぞれの台座です。
 
 日本は島国で江戸時代は鎖国をして国外との交流がなく国内向けの儀式でよかったのですが
明治以降の開国で外国との交流を積極的にはかる上で
ヨーロッパの伝統ある王室の国王と王妃という形態に学び
大正時代から国外へも広く天皇即位を伝えることで天皇陛下皇后陛下と並んでという儀式になったそうです。
 時代の変遷とともに伝統的な行事も変わっていくということです。
 
 私たちの浄土真宗のお寺の形態を重ねて思います。
浄土真宗のお寺には住職と坊守がいます。
 親鸞聖人は自ら妻帯し家族をもたれました。
それまでの僧侶にはなかったことですが
浄土真宗のお寺は住職坊守という家族の形態をもってお念仏のみ教えが伝えられてきたのです。
 
 住職坊守それぞれにお寺を護持しみ教えを伝えるというお役目があります。
今は他宗のお寺も住職と家族が一緒に住まいすることが一般的になりました。
 ただ浄土真宗の坊守ほど明確な役割はないと思います。
浄土真宗のお寺はこれまで女性で支えられてきたと言われます。
坊守を中心とした仏教婦人会活動は長い歴史がありお寺の活力そのものです。
 最近仏教壮年会ができていよいよ男性の出番になりました。
 
 私たちのお寺です。
住職坊守そしてご門徒皆さんと共々に念仏聞法の道場のお寺を護り
お念仏のみ教えを聞かせていただき伝えていきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.22)

お茶日というご法座

 昨日大在のT寺さんで大海組の仏教婦人会の年に一度の大会がありました。
本堂満堂の170人の方がお参りでした。
 
 午前中ご門徒の七日日のご縁にお参りしました。
4人の方がお参りで2人は近所の方でした。
生前亡くなられた方に大変お世話になったということです。
 
 もう随分前の話になりますかお茶日(ちゃび)というご法座がありました。
七日七日やご法事のご縁に近所の方に声をかけご法座が立ちます。
 大きな看板をあげてということではなく一人一人に声かけをし皆さんが気持ちをもって集まるのです。
 
 お茶日ですからお茶がでます。
お茶の友もでますがお斎という食事を出すほどではありません。
 
 ご一緒にお勤めをし仏さまのお話をお取り次ぎさせていただいて私は失礼しましたが
その後四人でゆっくりお茶を飲みながら色んな話になったのではないかなと思います。
 
 今日のお朝事のご縁もそうですが
お寺のご縁もお家のご縁も私たちのご縁はみんなご本尊の阿弥陀さまを中心としたご法座なのです。
 人数は170人4人ですが人数の問題ではありません。
170人4人の人人人なのです。
 その一人一人の方に仏法に遇ってほしいお念仏を申す身になってほしいという仏さまのご催促です。
仏さまのご催促をいっぱいいっぱいいただくお念仏のご縁です。
 
 お茶日というご法座の有難さを思います。
年に一度の大きな行事になると人数を集めることに力が入って行事をする前にくたびれ果てることにもなります。
 お茶日は日常平生のご縁です。
ご縁ご縁に集まりましょうと気軽に声をかけ合ってご一緒にお念仏のご縁をいただきましょう。
お念仏のご法義が私たち一人一人のところに届けられているのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.18)

お朝事のご縁お念仏の同行

 こうしてお朝事のご縁は毎日です。
一日一日お勤めさせていただくご縁です。
 
 昨日は毎月の用事で一カ月に一度のご縁がありました。
ご縁をいただく度に一か月が経つということです。
12回繰り返すと一年が経ちます。
 
 時の経つことの早さを身をもって思います。
それこそ駆け足のように過ぎ去っていくという感じです。
 
 そのなかに私たちの日々の生活があります。
一日一日お朝事のご縁でお浄土への人生を皆さんとご一緒に歩ませていただきます。
 
 皆さんの生活ぶりはそれぞれ違いますが私たちは同じ南無阿弥陀仏のみ教えにつながったお仲間です。
お浄土への旅といいますから私たちはお同行です。
同じ道を往く同じところに往くお同行です。
 
 お念仏の道を往きお浄土に生まれる道すがらをお朝事のご縁で共々にして
それぞれの生活を今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.19)

名残り惜しく思えどもお念仏申して今を生きる

 昨日はラグビーワールドカップの準々決勝日本対南アフリカの試合をずっとテレビで観ていました。
試合が終わり日本が負けましたがずっとテレビの前から離れられませんでした。
 
 会場の観衆もずっとスタンドにとどまった方が多かったようです。
日本の選手もずっとグランドで健闘を讃え合いほっとした表情を浮かべて写真を撮ったりしていました。
 
 何かみんなが名残りを惜しむような感じでした。
日本の試合はこれで最後で寂しいという感情とありがとうという気持ちが行き交う名残り惜しさです。
 名残り惜しくてその場を中々立ち去れない思い、もっともっと余韻に浸っていたいということでしょう。
 
 『歎異抄』の御文に
「名残り惜しく思えども娑婆の縁尽きて力なくして終わる時に彼の土には参るべきなり」とあります。
 名残り惜しく思ってもこの世を去っていかねばならない時が来ます。その寂しさはありますが
この命終わっても南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけるというのです。
 
 名残り惜しいといって選手も観衆もスタジアムにずっと留まるわけにはいきません。
試合に負けてこの大会での日本の活躍はもう観ることはできませんが、次の試合次の大会があるのです。
 次の楽しみです。次に向けてこれからも続くのです。
 
 私たちのこの命です。
死んだら終いの命ではなくお浄土で仏さまと成りこの世に還って来て人々を救うというのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちの営みつながりのなかに生かされているというのです。
だからこそ今を精いっぱい生きていこうというのです。
 
 南無阿弥陀仏の仏さまは死んでから後に用事のある仏さまではありません。
今まさに私のところに来てくれて私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださるのです。
 お念仏申しお念仏のお心を聞かせていただくなかに今日の一日も生き抜かせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.21)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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