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お念仏を申す生活法話

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歳を重ねお念仏の人となりお念仏の仏さまに成らせていただきます

 昨日は新院が留守で久しぶりに私が月参りをさせていただきました。
8年前に新院が寺に帰って来て月参りをするようになりましたが
お参りをするお家お家のご門徒さんの顔ぶれは7、8年前と全く変わっていません。
 
 私もそうですがお互いに7歳8歳年を重ねてきたということです。
お話をしていますと「もう何もできん耳も聞こえん体も動かん」とついつい愚痴が出てきます。
 皆さんもう70歳80歳を超える方ばかりです。
 
 ただ有難いのはお正信偈さまのお勤めを皆さんご一緒に声を出してしていただけることです。
ナンマンダブナンマンダブとお念仏を一堂に申すことができるのです。
 
 お念仏を申す身にさせていただくのです。
お念仏申す身になるまでにどのくらい年月がかかったんでしょうかと思います。
 
 歳をとるということはお念仏を申すご縁を愈々いただけるということです。
そして人間の命は終えていきますがお念仏の人となりお念仏の仏さまに成らせていただけるのです。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すなかに
南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって私たちはこうしてお朝事のお勤めをご一緒させていただき
お念仏申す生活お浄土への人生を共々に生かされて生きて往けるのです。
 本当に有難いことだと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.31)

「身の丈に合わせて」発言から

 文部科学大臣の「身の丈に合わせて」という発言が問題になっています。
大学入試に新たに英語の民間試験を導入することについての発言だったといいます。
 
 大学入試には受験料をはじめたくさんのお金がかかります。
それに加えて英語検定試験は受験地が首都圏や大都市に限られ高額な受験料に交通費や宿泊費も要ります。
 地方の受験生には不利な条件が重なり地方格差経済格差がいわれて
教育の機会均等に反し不公平ではないかという指摘もあるなかでの発言です。
 
 身の丈に応じてということは受験生個々の生活状況経済状態に鑑みて
自ずから判断しなさいと聞こえます。
 いくら頑張ってもあなたの身の丈では希望の大学は難しいからあきらめなさいと言われているようで
何か虚しさが残ります。
 
 私たちの阿弥陀さまのお救いはそのままの救いといいます。
あなたの身の丈に合わせて救うと聞こえるかもしれませんが違います。
 身の丈というと昔の身分や家柄といったものを連想し
生まれた家のこと社会的経済的な生活ぶりといったものを思います。
 
 阿弥陀さまのお救いはこの身を目当てのお救いです。
今ここに生きているこの私この身です。
 これまでの人生で多くの人と出会いいろんなことを経験するなかで
思い通りにならないことに苦しみ悩み迷うこの身です。
 
 この身そのままの私を必ず救うと南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったのです。
ありのままの私のすべてを見て取られ必ず救うと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 
 阿弥陀さまのお救いをオーダーメイドの服に喩えます。
サイズの決まった既製服に合うように生きなさいと言われたらしんどいですが
阿弥陀さまは私のこの身にぴたっと合うような服を作ってくださってあるというのです。
 
 オーダーは本来私の注文ですが
阿弥陀さまの仕立てた服は阿弥陀さまが私に相談なしに作ってくださった
阿弥陀メイドの服なのです。
 阿弥陀さまに背を向けるような生き方ばかりしているこの私を阿弥陀さまは決して見逃しません。
追っかけて追っかけて追っかけてついには摂め取って捨てないのです。
 
 阿弥陀メイドの服が南無阿弥陀仏と私に届いてこの口からお念仏が出てくださいます。
声に出してお念仏を申させていただきましょう。
 私のこの身そのままを必ず救うとおはたらきの阿弥陀さまがいらっしゃるのです。
ナンマンダブツナンマンダブツと今日一日もお念仏申す生活をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.30)

どんな人もみんな命終えていくのです

 女優の八千草薫さんがお亡くなりになりました。88歳ということです。
その前はプロ野球で活躍された金田正一さんが亡くなられました。
 
 もういいお歳です。
どんな人もみんな命終えていくことを私たちは知ってはいますが
つい最近までテレビで観ていた身近な俳優さんでありあこがれの人が亡くなることは本当に寂しいことです。
 何といっても一番身近な親であり兄弟であり友人とも必ず別れなければならないことは
皆さん知ってはいますが中々考えられないことです。
 みんな命終えていきます。そしてそれは実はこの私のことなのです。
 
 去年お寺の掲示板の全国コンクールがあって大賞に「釈尊 お前も死ぬぞ」という言葉が選ばれました。
釈尊とは仏教を開かれたお釈迦さまです。
 私たちと同じ人間に生まれこの身をもって悟りを開かれたお方です。
仏に成られたお釈迦さまもまた80歳のご生涯を終えていきました。
 
 「釈尊 お前も死ぬぞ」と、私たちはどんな人もみんな死んでいくのです。
ただ死んだらお終いではありません。
 私たちの仏教浄土真宗のみ教えを聞かせていただきますと
人の命は終えていくけれども南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれ
仏のいのちとなってこれからもずっと生きていくというのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきでこの世に還って来てすべてのものを救うというのです。
自由自在の仏さまのおはたらきです。
 仏さまは今現に南無阿弥陀仏とおはたらきです。
この人間界に生まれて私たちは仏さまのご縁に遇わせていただくことができるのです。
 
 昨日はお葬式のご縁で火葬の後還骨のお勤めをこの本堂でしました。
20人ほどの方でしたが初めてお寺にお参りされる人で初めてお会いする人ばかりでした。
 最後に御文章さま『白骨の章』をいただきました。
その時です。ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏が聞こえてきました。
 仏さまのご縁のある方がいらっしゃったのです。
これまで面識のない方にもお念仏のご法義が至り届いていることを有難く思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.29)

門徒であるということの有難さです

 昨日がお通夜で今日がお葬式というご縁です。
すぐ近くに住んでらっしゃるお家の方ですが
決まったお寺の門徒ということではなく初めてお寺のご縁をいただくということです。
 
 まだ若い方急なことでお葬式をどうしたらいいのかご家族が迷うなかでお寺を訪ねてみえました。
お話を聞き臨終勤行にお家にお参りしますとお仏壇がご安置されていました。
 浄土真宗のお仏壇です。
もうすぐ50回忌を迎える方がいらっしゃってお仏壇を申されたということで
大分のこの地に転居され今は決まったお寺との関係がないということなのです。
 
 先に往かれた仏さまが用意をしてくださったご縁だといただきます。
私たちの日々の生活は自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
まさか自分が家族が死の縁にあうことなど思って生きている人っていないのではないでしょうか。
 
 そういうなかで死の縁にあいます。
前もって準備できるものではなく限られた時間のなかで慌てます。
そして後で後悔することにもなります。
 
 皆さんは浄土真宗の門徒でお寺とのつながり関係があります。
お寺とのご縁はご先祖有縁の方とお別れするという悲しみのご縁から始まります。
 そして平素は門徒という意識もあまりなく
今は門徒ということを負担に思いお寺とのつながりが希薄になっているような現状です。
 
 門徒ということの意味有難さを聞いてまいりましょう。
浄土真宗のお念仏のみ教えにつながる私たちは阿弥陀さまの摂取不捨のお救いのなかにあって
阿弥陀さまが私の命の往く先を決めてくださってある有難さなのです。
 
 南無阿弥陀仏「阿弥陀にまかせよ必ず救う」とおはたらきですから
「おまかせします阿弥陀さま」とまかせればいいのです。
 
 そこに私が私がという思いはからいとらわれる我執の心が入ってくるからややこしくなるのです。
確かに私は死ぬまでずっと我執という煩悩の心をもって苦悩のなかに迷い続けて生きていきます。
 阿弥陀さまはそのことをすでに見抜き私に知らせたうえで必ず救うとおはたらきなのです。
私に何の一つの注文も下されずそのまま救うと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 
 そのこと一つ聞かせていただくご縁です。
悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただけるのです。
門徒であるということの有難さです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.28)

おばあちゃんの仏さまのにぎやかなご法事のご縁です

 昨日は土曜日でご法事がお勤めがありました。
施主の妻の17回忌でいつも以上にお参りの方が多く施主に並んで高校生ぐらいの男女二人が一番前にお参りでした。
 お勤めの後でお話を聞きますと大阪から帰ってみえた長女の子どもさんです。
17回忌のお方のお孫さんです。
 
 土日の二日間学校がお休みということでお母さんと一緒にご法事に帰ってみえたということです。
土曜日にご法事に参ってこの後はお斎そして夕食をしたりして
おじいちゃんはじめ皆さんとゆっくり一緒に過ごすのかなと思ったりしました。
 
 「にぎやかでいいですね」と声をかけました。
最近はそのお家の方だけのご法事が多くなりましたが
ご法事のご縁に日頃中々会えない親族有縁の方々がご一緒されて大変にぎやかです。
 先に往かれた大切なお方の仏さまのご縁をいただくなかに皆さんが仏さまの御仏前に一堂に集うことができるご縁です。
 
 17回忌といいますと16年前に亡くなられたお方のご縁です。
高校生のお孫さんでいったら生前におばあちゃんに会っているかなと思ったり
生まれていたとしても一歳か二歳で記憶があるかどうかなと思ったりします。
 
 ご法事は先に往かれた故人を偲ぶということで
有縁の皆さんが故人のお話をするなかに「こういうおばあちゃんだったよ」というお話を聞くのです。
 
 おばあちゃんだったという過去の話だけではなく今もおばあちゃんというお話も聞かせていただくのです。
おばあちゃんの人の命は終わりましたが今はお浄土の仏さまとなって
南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきでいつでもどこでも私たちとご一緒してくださってあるのです。
 
 「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のみ名となって絶えず私に喚びかけてくださっています。
「いつも私が見守っているから 安心して あなたのいのち精いっぱい 輝かせて生きていこうね」と
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて
お念仏申しておばあちゃんの仏さまにお礼ができるご法事のご縁なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.27)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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