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お念仏を申す生活法話

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今ここがお念仏の道場です

 私たちの浄土真宗のご法義は南無阿弥陀仏のご法義です。
この南無阿弥陀仏はインドの言葉を中国の漢字に音訳したものでその文字自体には意味はありません。
 
 お正信偈の初めに「帰命無量寿如来」無量寿如来に帰命し
「南無不可思議光」不可思議光に南無したてまつるとあります。
 無量寿如来不可思議光は阿弥陀さまのことで阿弥陀仏に帰命するということです。
 
 親鸞聖人は南無阿弥陀仏のご法義を「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号として大切にされました。
帰命の命は教命勅命の意味で如来の「まかせよ救う」の命令に
帰は帰順したがうという意味で
阿弥陀さまの仰せにおまかせしてしたがうということです。
 こちらが先におまかせするのではなく阿弥陀さまの方が先なのです。
まかせよ救うの仰せです。
 
 帰命尽十方無碍光如来です。
尽十方無碍光如来の仰せにまかせるということです。
尽十方とは十方を尽くすということであらゆる世界どこでもということです。
 私がどこにいてもこの仏さまは私のところに来てくださって
いつでもご一緒してくださる仏さまに成ってくださったというのです。
 
 今日も皆さんは円光寺のお朝事にお参りされ今ご本尊の阿弥陀さまの前に座っていますが
これからお家に帰り一日の生活が始まります。
 この本堂にだけではなく私たちが生活するところどこでもこの阿弥陀さまはご一緒してくださるのです。
ナンマンダブツとお念仏申すところ
必ず必ずあなたを救うと力強い南無阿弥陀仏のお喚び声となりおはたらきとなって
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒です。
 
 浄土真宗はお聴聞が大事といわれます。
今こここの私がお念仏申すままが阿弥陀さまのお心を聞かせていただくお聴聞の道場と聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のお喚び声にかけられた大きな阿弥陀さまのお心をまた有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.18)

私たちは共に如来の御弟子御同朋御同行です

 今朝6時からのラジオ放送を聴きました。
この後「西本願寺の時間」を聞きますが
日曜日の朝の時間帯はいろんな宗教団体の放送があっています。
 
 放送のなかで親鸞聖人とか平生業成という言葉が出てきました。
浄土真宗のみ教えの大切な言葉です。
 あれって思いながらああそうかということで最後まで聴きました。
宗教団体ではなく○○出版というところからの放送ということでした。
 
 新聞の広告欄に時どき「歎異抄をひらく」という本の宣伝が載っています。
歎異抄は親鸞聖人のお弟子の唯円坊が書かれたといわれる親鸞聖人のお言葉を集めたものです。
 古くからの書物ですがずっと門外不出のもので
明治以降一般に紹介され真宗僧侶門徒だけでなく広く皆さんに読まれ親しまれています。
 
 「歎異抄をひらく」を書かれたのは浄土真宗のお坊さんですが
今はS会という宗教団体の方で西本願寺をご本山とする私たちとはちょっと距離を置く会です。
 放送の中で読者からの感想がありました。
私は最近母を亡くし近くの本願寺さんにお参りして
ご法話で歎異抄のことを聞き「歎異抄をひらく」を読んで
これまで意味も分からないで拝読していたお経の言葉が
すーっと入ってくるようになりましたというのです。
 
 歎異抄の魅力です。
どこか私たちを引きつけるはたらきを思います。
 そしてS会のことです。
確かに私たちの本願寺とは違うグループで活動も別ですが
親鸞聖人のお心をたずねていくことに変わりはありません。
 
 親鸞聖人が示された浄土真宗のご法義は阿弥陀さまのお救いの法南無阿弥陀仏のご法義です。
親鸞聖人がつくったご法義ではありません。
 歎異抄に「親鸞は弟子一人ももたず候」と御文があります。
親鸞聖人は生涯如来の御弟子という座にあって今も私たちと共にご一緒してくださるお方です。
 
 ご縁です。阿弥陀さまのご縁をいただくということです。
そのご縁はそれぞれ違うかもしれませんが目指すところは一緒です。
 往生浄土のお念仏の道を共々に歩ませていただく私たちは御同朋御同行なのです。
 
 歎異抄に遇って親鸞聖人のことを慕う方々がたくさんいらっしゃいます。
皆さんもご縁がありましたらどうぞ歎異抄を開いてみてください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.17)

「帰っておいで」

 急に寒くなりました。
北海道は猛吹雪だそうです。
 つい先日まで暑い暑いと言ってたことがウソのように一変に冬になるということです。
 
 11月15日です。もう晩秋です。
寒くなってもおかしくないのです。
 
 夕暮れ時が早くなりました。
秋の日のつるべ落としといいます。
 
 子どもの頃学校から帰って外に出て友だちみんなと遊んでいたらすぐうす暗くなって
家に急いで帰ったものです。
 
 「遊ぶ子に 帰っておいでと 母の声 はいっとかけだす 秋の夕暮れ」
「ご飯ができたよ 早く帰っておいで」とお母さんのよぶ声がします。
家路を急いで帰ります。
 その家はお母さんや家族が待っている家です。
「帰っておいで」とみんなが待っている家に帰ることができる有難さです。
 
 私たちのいのちの古里を阿弥陀さまはお浄土と決めて用意をしてくださっています。
お浄土に私は往ったことはありませんが
「帰って来いよ」という南無阿弥陀仏のご法義おはたらきです。
 そのお浄土には私の大切な先に往かれた方が私を待ってくださっているのです。
私のことをいつも思い心配して待ってくださる方がいるお浄土に私たちは安心して帰らせていただけるのです。
 
 「帰る家がある安心」です。 
ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日一日も日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.15)

桜を見る会と大嘗祭

 首相主催の「桜を見る会」が来年は中止されるというニュースです。
そして今晩から明日にかけて「大嘗祭(だいじょうさい)」という天皇即位に係る大きな儀式があります。
 ともに公費という税金を使った行事です。
桜を見る会は年々公費の額が大きくなり1億円近くになっているということで
一方大嘗祭は24億円の経費です。
 
 金額だけの問題ではなく
前回平成の大嘗祭は大変な騒動になりました。
 大嘗祭という祭祀宗教行事に公費を使うのは
政教分離の憲法に反するとの指摘です。
 
 この大嘗祭は毎年行われる新嘗祭(にいなめさい)とは異なり
新天皇の一世一度の国家の安寧と五穀豊穣を祈願する祭祀で
天皇がその年にできた米を皇祖神と共に食するのがメインです。
 その米を献納する田圃が占いで全国各地より二か所選ばれ
今回令和の大嘗祭は京都と栃木が前回は秋田と大分が選ばれました。
 前回は過激派のテロ放火事件もあって非常な厳戒態勢のもとでのことでしたが
今回は祝賀ムードに包まれてそうした騒動にはなっていません。
 
 一方の桜を見る会は騒動が日に日に大きくなっています。
これはどういうことでしょうか。
 
 前回平成の大嘗祭は昭和からの継承ということで
昭和の時代は戦争の時代でした。
 天皇を現人神とする国家神道という日本独特の宗教を背景に
国民統合が為され戦争への道を突き進んだといわれます。
 
 平成になって30年、平成は戦争のない時代でした。
大きな災害が続きましたが国民に寄り添う天皇皇后の姿が
国民のなかに皇室を親しみをもって受け入れる現状をつくってきました。
 
 秋篠宮さまは大嘗祭は身の丈に合ったものに縮小して
経費は公費からではなく皇室の内廷費から支出すべきと問題提起されましたが
議論することもなく今回の即位の礼の一連の行事は前回を踏襲するかたちですーっと行われました。
 
 一方桜を見る会は安倍首相にスポットが当てられています。
安倍さん自身「あのような人たち」と言ったり国会で自らヤジを呼ばしたりと好き嫌いを言葉にする人です。
 だからでしょうか安倍さんに対しても好き嫌いがでてきます。
ここはどう切り抜けるのか見物です。
 
 もっと身近な私のところで今回のことを思うと人の好みものの見方です。
その人人でものの見方は異なります。
ただみんな自分の都合に合わせて物事を見ているということは同じです。
 その人人のものの見方ですが
私のものの見方の依るべきところをもつことの大切さを思います。
 
 生活のなかにご本尊をいただくことの意味です。
南無阿弥陀仏です。阿弥陀さまの言うことを聞くという基本です。
私の依るべきところです。
 
 浄土真宗はお聴聞が大事だといいます。
お念仏申すなかに仏さまのお心を聞かせていただきます。
 私の見方にとらわれるのではなくいつも仏さまの見方を心して
今日一日も自他共に心豊かに生きたいものです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.14)

いつでもどこでも思われている

 昨日お会いした方から「お元気でしたか心配していました」と声をかけられました。
えっと思いましたが
ホームページを見てくれている方で「最近ホームページの更新がずっとありませんよね」と言われました。
 
 殆ど毎日更新しているのですが
その方がいつも気をつけてみているお寺の案内などのトップページの更新があまりされてなかったということです。
 
 有難いことです。
一つはホームページをいつも気をかけてくれていること
そして私のことを思うてくださっているということです。
 
 私たちは何か自分一人で頑張って頑張って頑張って生きているお互いではないでしょうか。
ただこの目に見えないところで私のことを思うて心配してくれている人がいるということです。
 
 私たちのお念仏のご法義でいいますと
私たちの大切な先に往かれたお方です。
今はお浄土の仏さまと私のことをいつも見守り
必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきとなって私のところに来てくださってあると聞かせていただきます。
 
 その懐かしいお姿をこの目で見ることはできません。
写真に声をかけても声が返ってくるわけでもありません。
 ただ確かに確かに私のことをいつでもどこでも思ってご一緒くださり
私の口からお念仏となって出てくださるのです。
 
 それは私たちの理屈を超えた世界のこと
不可称不可思議不可思議の自然のおはたらきです。
 
 「必ず救うまかせよ」との南無阿弥陀仏のお喚び声に
「はい。おまかせします阿弥陀さま」とお念仏申しお礼をさせていただきます。
 
 今日一日もお念仏申して南無阿弥陀仏の大きな世界に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.11.16)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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