スマホめし
2024-11-30
一人で食事をする時スマホを見て楽しむ
<スマホめし>の話題です。
初めて聞く言葉です。
一人暮らしの若者を中心に
スマホめしを経験した人は10~20代で77.5%
30~40代も半数いるといいます。
ながらスマホの話題が事欠かないほど
日常生活の中でスマホの存在は若者ばかりでなく
今や全世界の人々の主要アイテムになっています。
新聞を読まないテレビを観ない人が増えるなかで
孤独感を楽しむ工夫として
誰かの存在を感じながら食事をしたいということで
スマホやテレビラジオで人の声を感じながら
よりおいしく食事をするというのです。
ただスマホに夢中になって
何を食べているのか満足度が少なく
食べ過ぎになってしまうとの指摘もあり
食べ物に向き合うことなく
いのちへの感謝が薄れるのではとも言われます。
私の口からふと出る出てくださる
<ながら念仏>です。
わが身について離れず
いつでもどこでもご一緒くださる
お念仏のおはたらきです。
食事をしながらふと出てくださるお念仏は
「まかせよ救う、いつも私が一緒だよ」と
阿弥陀さまのお喚び声のおはたらきで
食事をいただくいのちもこの私のいのちも
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々につながって生かされて生きていることを
聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.30)

門徒報恩講のお参りです
2024-11-29
昨日でお寺の<御正忌報恩講>がご満座となり
今日からご門徒皆さんのお家で
親鸞聖人のご法事をお勤めさせていただきます。
お仏壇をきれいにお荘厳されて
阿弥陀さま親鸞さま蓮如さまご先祖有縁の仏さまに
お念仏申してこの一年のご報告と御礼をします。
日々お念仏申す生活をさせていただき
お浄土への人生を共々にさせていただける
有難さ尊さです。
歳を重ねるなかで様々なことが起こってきます。
自分に不都合な思い通りにならないわが身の事実です。
この苦悩の凡夫をそのまま救う
南無阿弥陀仏のお心おはたらきが
この身に届いてご信心をいただき
お念仏を申す身にさせていただきます。
お念仏申して
私の思い通りにいく人生ではありませんが
ご縁ご縁にお念仏申させていただき
「必ず救うまかせよ」と
阿弥陀さまのお喚び声を聞きつつ
往生浄土のお念仏の道行きを
共々にさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.29)

迷惑をかける
2024-11-28
中学生になったばかりの子どもに
「もう中学生になったのだから
人に迷惑をかけるようなことはしてはいけないよ」と
父親が諭したといいます。
皆さん「その通り!」と
頷かれるのではないでしょうか。
中学生になり大人の階段を上り始めた子どもへの
お父さんのエールです。
数日後
そのお子さんは自死しました。
「何でどうして」と
お父さんは何度も何度も思い返し自分を責めて
「迷惑をかけたらいけないというのではなく
迷惑をかけて生きていることに気づいて
生きてほしいと言ってあげればよかった」と
後悔したといいます。
私たちが生きるこの社会は
たくさんの人がそれぞれの思いをもって
生きている社会です。
迷惑をかけることは悪いことといって
皆が自分の思い通りに生きていけば
他の人の迷惑になるし
お互いに迷惑をかけ合いながら
私たちは生きているというのが
本当のことのようです。
私一人でこの社会を生きてはいけません。
私の思い都合に良くも悪くも
人と人との関係つながりのなかで
私たちは生きています。
そのなかで誰にも迷惑をかけずに
生きている人はいないし
そこに私の思い通りにならない苦悩があり
迷いがあります。
お念仏を喜び申して生きた妙好人の
足利源左さんのことばです。
「ひとさんに堪忍してもらってばかりおりますだがや」
仏教ではこの世を娑婆といい
堪忍土という意味があります。
この娑婆世界は堪え忍んで生きていく世界ということで
大変な苦悩ストレスがたまります。
源左さんが聞かれたお念仏のみ教えは
どんな人も阿弥陀仏のお慈悲の中に生かされて
南無阿弥陀仏のお心おはたらきでそのまま救われていく
他力浄土の仏道でした。
迷惑をかけていい堪忍しなくていいと
言うのではありません。
迷惑をかけずには生きていけないと
堪忍してもらって生きていますと
源左同行はお念仏申して
皆さんと共々に生きて往かれたのではないでしょうか。
阿弥陀仏の本願は
自分の思い通りに生きて
人に迷惑をかけ堪忍してもらって生きている
この私を目当てのお救いの法を
南無阿弥陀仏と成就してくださったのです。
あなたと私がお互いに自分中心に生きるなかで
それぞれの思いが行き違うとても悲しい事実です。
あなたと私皆共にお念仏のみ教えに生きるとき
お互いに迷惑をかけ合い堪忍してもらって
生きていることに目覚め敬い支え合って
おかげさまと共に生かされて生きることできるのです。
堪忍しないといけないとストレスをためるのではなく
堪忍してもらっているとあなたに感謝していく
迷惑をかけてはいけないと
自分の殻に閉じこもるように
窮屈な生き方に固執するのではなく
お互いに迷惑をかけ合い共に生きていることに目覚めて
共々に成長していくお念仏の道を
ご一緒させていただくのです。
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
あなたも私も皆共に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.28)

「そんな時代もあったね」と
2024-11-27
年末恒例のNHK紅白歌合戦を振り返る番組があり
昭和28年第4回から始まるテレビ放送の名場面が
時代の変遷とともに紹介されました。
年々演出が大掛かりに派手になって
会場を埋め尽くす観客の
大声援の熱狂ぶりが伝わってきて
当時の世相と共にわが人生を振り返りました。
コロナ禍で中止も考えられたそうですが
無観客での開催という決断になったそうです。
年末の風物詩というばかりではなく
人それぞれにこの一年を顧みるという大きな意味が
あったのでしょうね。
さて私たちにとって親鸞聖人のご法事である
<御正忌報恩講>のお勤めにも
そうした意味合いがあるのではないでしょうか。
5年ぶりに従来通りのお寺の<御正忌報恩講法要>を
お勤めさせていただきます。
コロナ禍で昔から伝統の手作りの落雁小餅のお飾りや
お斎(とき)ができなかったりと
それでも内容を変更工夫して
毎年親鸞聖人のご法事を続けてきました。
浄土真宗門徒の心意気です。
今は「そんな(困難な)時代もあったね」と
お念仏の先人のご苦労に重ねて思います。
どんなことがあろうとも
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きて往ける
お念仏の有難さ尊さです。
今こここの私にお念仏を届けてくださった
親鸞さまそしてお念仏の先人のご恩に思いを致し
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.27)

ほどほどに上手くつきあう
2024-11-26
先日の健康診断の結果が
郵送されてきました。
今現在治療中のことを含めて
概ね想定内のことで
今回新たにわかった異常事態はありませんでした。
保健指導コメントに
「これからも健康を考えた
習慣(食事・睡眠・運動など)を
こころがけましょう」と
「甘い飲料や間食はほどほどに
上手にアルコールとつき合いましょう」とありました。
生身のいのちを生きているということです。
わが身のことであって
自分の思い通りにはいかないことばかりですが
何でもほどほどに上手につき合っていく
ということでしょう。
健康のためには良くないことと
わかっちゃいるけど……やめられない
ついつい湧き上がる煩悩に負けてしまう私です。
ちょっとこのぐらいならということが
何度も続けば大事になるのが
生身を生きているということで
反省します。
生死の一大事は阿弥陀さまにすべてまかせて
南無阿弥陀仏のお慈悲の中に
お念仏申して私にできることをさせていただき
日々生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.26)
