どのお念仏も阿弥陀さまのお喚び声です
2024-07-09
皆さんはどんな時にどんな気持ちで
お念仏を申していますか?
病気治癒や商売繁盛受験合格など
自らの思いを込めて阿弥陀仏に祈願したり
先祖の供養のためにするお念仏は
自力の念仏といわれます。
また自分の至らなさに愚痴をこぼし
周りの人への不満をもらす念仏もあります。
浄土真宗のお念仏は
阿弥陀如来より賜わる他力の信心から
口にこぼれる他力の念仏といわれます。
自力他力といわれて
これは自力だからダメ
これは他力だから合格と
いちいち思いはかって
お念仏申しているでしょうか。
お同行と一緒に申す念仏もあれば
ふと申す念仏もあります。
他力の念仏は
お念仏が出てくださると言われます。
阿弥陀さまのおはたらきが
私の心に届いて口に出てくださるのでしょうね。
ただ自力の念仏他力の念仏といって
この口から出てくださるお念仏は
南無阿弥陀仏です。
私の思いはからいで称えるお念仏も
南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏がこの口から
出てくださることの有難さです。
お念仏の先人が私に届け伝えてくださった
南無阿弥陀仏です。
私の思いはからいはどうであれ
南無阿弥陀仏とこの耳に聞こえます。
私が称える声のお念仏ですが
南無阿弥陀仏は「まかせよ救う」の
阿弥陀さまのお喚び声です。
祈りの念仏も愚痴の念仏も
私のさまざまな思いに寄り添って
「どんなことがあってもいつも私が一緒だから大丈夫
安心していのち輝かせて生きて往こうね」と
この私を喚んでくださる
阿弥陀さまのお心を聞かせていただき
今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.9)
ネットとリアルの融合
2024-07-08
注目の東京都知事選で
現職の小池さんが三期目の当選を果たしました。
当初蓮昉
ネットとリアルの融合ということで
街頭演説の様子や選挙公約自身の思いなどを
ネットで次々に生配信し
それをSNSで拡散するという
ネットを最大限に活用した選挙戦術で
既成の政党にとらわれない無党派層の票を取り込み
特に10代20代30代の若者層の
支持を得たということです。
面白い指摘があります。
今の若者は新聞やテレビをみないで
ネットで自分の興味ある情報を読み込むといわれます。
今回の選挙は小池さんと蓮昉さんの一騎打ちと
取り上げたのは新聞テレビのマスメディアでした。
これまで多くの人の唯一といっていい情報源でしたが
今の時代若者世代が生きる社会は
ネットを中心に様々な情報が
瞬時に行き交うものになっており
興味ある情報をネット配信することで
ネットが得票数というリアルに
つながったということです。
これからの選挙がそして政治が大きく変わる
今回が起点になるとの指摘ですが
これからのお寺のあり方にも重ねて
大きな課題が見えてきます。
お寺と門徒さんとの関係です。
門徒さんが自らお寺を選んだわけではなく
昔からあった寺と門徒の既成事実の関係性です。
そこには先祖から代々受け伝えられてきた
仏さまのご縁つながりという大事な意味があるのですが
日頃からお寺とのご縁がないままに生きてきて
家族の死という悲しみのご縁で
初めてお寺との関係がクローズアップされるときに
お寺の門徒という認識がないままに
直葬というお寺に葬儀を頼まない
葬儀のあり方が増えてきているのです。
これはお寺が捨てられるという事態であり
お寺が選ばれる時代になったということです。
昔からある既成の組織に帰属する安心より
既成のものにとらわれないで
ネットの情報を駆使して
自分の思いで選び取るという感覚です。
今日のネット社会にあって
お寺も情報発信のあり方を見直し
ネットを有効活用することが求められます。
これは世の習いですが
ネットとリアルの融合でいうと
お念仏のご法義は南無阿弥陀仏の声となって
人から人へとお念仏の先人から伝わって
今こここの私に届けられたというリアルです。
ネットはあくまでも情報伝達の手段であり
お念仏のひとにあうことでご法義に遇えるのです。
ネットで石丸さんを知った方々が
石丸さんに会いに街頭演説会に自ら出向き
その人となりに接し共感してボランティアの輪が広がり
2億円超の献金が集まり165万票を獲得したという
リアルです。
お念仏のご法義のリアルは
一人でも多くの人が仏法聴聞のご縁にあって
阿弥陀仏の本願を信じ
お念仏申す身にさせていただくことです。
常日頃からお念仏のご縁づくりをこころがけ
ご法義繁盛のお手伝いをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.8)
蓮の花がきれいです
2024-07-07
今朝早起きして臼杵石仏に蓮の花を見に行きました。
6時前の時間でしたが
すでに多くの人が見学に来ていました。
蓮畑一面にいっぱい植わった蓮から
白やピンクの花が咲き誇っています。
『阿弥陀経』には
「池中蓮華 大如車輪
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
微妙香潔 舎利弗 極楽国土 成就如是 功徳荘厳」
(池の中には車輪のように大きな蓮の花があって
青い花は青い光を、黄色の花は黄色の光を
赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち
いずれも美しく、その香りは気高く清らかである。
舎利弗よ、極楽世界はこのようなうるわしい
すがたをそなえているのである)と説かれています。
仏教では、仏さまが蓮華に譬えられます。
泥の中から美しい花を咲かせる蓮華は
さまざまな煩悩をもつものが
さとりをひらくことの比喩として用いられます。
『観無量寿経』では、念仏するものは
「人中の分陀利華(白蓮華)」と喩えられ
親鸞聖人は『正信偈』のなかで
「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願
仏言広大勝解者 是人名分陀利華」
<一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば
仏、広大勝解のひととのたまへり
この人を分陀利華と名づく>
(善人も悪人も、どのような凡夫であっても
阿弥陀仏の本願を信じれば
仏はこの人をすぐれた智慧を得たものであるとたたえ
汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになる)
とお念仏のひとを讃嘆されています。
蓮のお花一輪一輪がお念仏のひとで
阿弥陀さまの大きなみ光につつまれて
それぞれお互いが輝き合って
共々に生かされて生きているのです。
お念仏申して
お念仏の花を咲かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.7)
降っても 照っても ナモアミダブツ お慈悲の中
2024-07-06
まだ梅雨の真っ只中というのに
今日も朝から物凄い暑さです。
数日前よりまさに真夏の装いで
まとまった雨の天気から後の
蒸し風呂のような湿った暑さで
気温以上に体がぐったりします。
天気予報士の方が
「こんな暑さの予防は涼しくした部屋の中に
じっとしていることです」と言っていました。
コロナの頃よく聞いた
「不要不急の外出は止めましょう」ということです。
大分の夏祭りの先陣を切る
「長浜さま」(大分市長浜神社夏季大祭)が始まりました。
いつも梅雨のこの時期にあることで
「雨の長浜さま」といわれ
今年は雨の心配をしなくて済むと思いきや
猛暑が続く中に「少しは雨が降ってほしい」と
関係者から声がこぼれるということです。
天気をはじめ大自然の営みは
私たち人間の思うようにはなりません。
自分たちの都合に良くも悪くも
今日一日を生きていかねばなりません。
阿弥陀さまのご本願のお救いは
私たちがどんな状況にあっても
いつでもどこでもご一緒してくださるという安心です。
雨の日も晴れの日も曇りの日も風の日も
暑い中も寒い中も
「われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
今日一日もお念仏申してお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.6)
お念仏の間合い
2024-07-05
昨日大分グランシアタで前進座公演の
『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』を観劇しました。
浄土真宗の宗祖親鸞さまと
お連れ合いの恵信尼さまの物語です。
親鸞さまは日本で初めて肉食妻帯された
お坊さんといわれ
末娘の覚信尼さま宛のお手紙『恵信尼消息』をもとに
脚色構成されています。
比叡山で堂僧として修行され
六角堂に籠もり夢告を受けて法然聖人の門弟になり
念仏禁制で越後に流罪され
その後関東に赴き多くの人びとにお念仏のみ教えを伝え
京都に帰って著述活動につとめて
90歳で往生されるご生涯を
有名なエピソードをもって演じられます。
ご夫婦で周囲の方々と生活を共にするなかで
色んな相談事があり事件もあったりして
お念仏のみ教えをお味わいする
劇中で「お念仏申しましょう」という場面が
何度も出てまいります。
親鸞さまが恵信尼さまがそして周りの方々が
「ナモアミダブツナモアミダブツ」と声をそろえて
お念仏申します。
その間合いがさすがプロの俳優さんの演技です。
「ナモアミダブツナモアミダブツ」と
人人に連なるようにお念仏の輪が広がっていきます。
お念仏の間合いとでもいいましょうか
「ご一緒にお念仏申しましょう」と
阿弥陀さまから促されるように
私に届けられるお念仏です。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきが
私に届いて
「おまかせします阿弥陀さま」とお念仏とともに
阿弥陀さまにお礼を申させていただきます。
このたびのご縁で
『恵信尼消息』を読み返してみたくなりました。
親鸞さまと恵信尼さまのお念仏申す生活を想いつつ
今日も一日お念仏申して
往生浄土の歩みをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.5)