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お念仏を申す生活法話

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12月8日今日は成道会です

 今日12月8日はお釈迦さまがおさとりを開かれた成道会(じょうどうえ)という
私たち仏教徒にとっては大切な日です。
 
 今から2500年ほど前インドの国にお生まれになったお釈迦さまが35歳のとき
菩提樹の下で瞑想に入られ12月8日の暁の頃(夜明け前)におさとりを開かれたと伝えられます。
 
 そのおさとりの内容が仏教、お釈迦さまが説かれた教えとして私たちに伝え届けられているのです。
仏教は成仏道の教えであり迷いの私が悟りの仏に成る道を教えてくださっています。
 
 昨日は海潮寺さんの洗心保育園で成道まつりという行事がありました。
私も保育園にお世話になってこの時期成道まつりでお遊戯をしたり歌ったりしたことを思い出します。
 小さい頃から仏さまのご縁に遇うことの有難さを思います。
ののさま仏さまに手を合わせてお礼ができていました。
 
 今日は仏教壮年会の例会ということで皆さんお参りです。
お釈迦さまが開かれた仏さまの教えのなかでも
阿弥陀仏さまの本願念仏の救いの法浄土真宗の教えをたずねていく会です。
 
 これから益々寒くなりますがどうぞご縁ご縁にこのお朝事にお参りください。
ナンマンダブツとお念仏申して共々に今日の一日を始めさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.8)

町に「雪やこんこん…」の歌が流れます

 昨日七日日のご縁でお勤めをしていましたら外から「雪やこんこん」の歌が聞こえてきて
後ろに座っていたそのお家の方が外に出ていった気配がしました。
 
 「雪やこんこん」の歌です。
昨日いつもの日課のように朝の7時半からNHKの衛星放送で朝ドラを観て
そのまま続けて俳優の火野正平さんが日本全国をチャリで行く「心の旅」を観ます。
 ちょうど今週は大分県で昨日は狭間から野津原の塚野温泉をめざす放送でした。
寒い中を自転車をこぐなかで「雪やこんこん」の歌が聞こえてくるんです。
それに火野さんが「こんな寒いのに雪やこんかんかい」とつぶやきます。
 
 そのことを思い出してお勤め中に不謹慎ですが今朝この歌を聞いたなと思いを巡らしました。
お勤めが終わって「雪やこんこんって何ですか」とお家の方に尋ねました。
 皆さんはご存知ですね。灯油の宅配サービスだというのです。
家に帰って坊守にそのことを話すとさっきここにも来たということです。
そして夕方玄関のポストに「雪やこんこん」の灯油のチラシが入っていました。
 昨日は何か「雪やこんこん」で一日中つながったように思います。
 
 灯油の宅配です。寒い時に外まで買いに行くのではなく家まで届けてくれるのです。便利で助かります。
うちは以前からあるところに頼んで持ってきてもらっています。
 
 今お坊さんの宅配があることをご存知ですか。
お坊さん便といってお葬式や法事のお勤めをお坊さんにお願いするサービスです。
 決まったお寺にではなく葬儀社などがそうした手配をしてくれるそうです。
便利で今のニーズにあったサービスなんでしょう。ネット上でよく見かけます。
 
 お寺とご門徒の関係はその時どきのサービスではありません。
今までもそうだったしこれからもという関係です。
 葬式法事の時だけ用事がある関係ではないのです。
お念仏のご縁つながりは平生からの関係です。
 
 今お寺との関係を疎んじる傾向がお坊さん便というようなサービスを生んだのではないかなと思います。
日頃からお寺にお参りしたり懇志をはこんだりというお寺との関係を負担に思う人が増えているということです。
 
 お寺とのご縁つながりはズバリ安心だと思います。
決まったお寺があることで何かの時におまかせできるという安心です。
 その時どきで対応を考えることはできるようで不安がつきまといます。
そして後で後悔することもあるように聞きます。
 
 そして何よりもこの安心は仏さまの安心をいただくことにあります。
仏さまのサービスです。「我にまかせよ必ず救う」南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 今朝の御文章さまにも他力の信心と何度もでてきました。
信心とは安心(あんじん)なりと聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏の信心をいただいて大安心のなかに今日の一日も寒い中ですが日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.7)

「永眠する」ってどういうことでしょうか?

 11月に入って年賀欠礼のハガキが届くようになりました。
ほぼ同じような定形の決まった文言です。
 
 まず「喪中につき新年のご挨拶を失礼します」と書かれています。
父・母何々が何歳で「永眠しました」とあります。
 届いた4通の内3通がみんな永眠です。
永眠とは永くずっと眠り続けるということですね。
今生きている私たちも死んでずっと永眠するということでしょうか。
 
 お葬式の弔辞で決まって「安らかにお眠りください」と言われ
その延長上にこの永眠ということかなと思ったりしますが
何か違和感を覚えます。皆さんはどのように受けとめられますか。
 
 仏教浄土真宗のご法義は
私たちはこの命終えるとき南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏となり
この世に還って来て人々を救うと聞かせていただきます。
 
 仏さまになったうえは後に遺った私たちを救うと
眠っておれなくてお浄土からすぐさま還って来て
「仏法を聞いてお念仏申す身になってくれよ」と南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
ずっと私とご一緒してくださるというのです。
 
 もう一通はお寺の方からのものでそれには「往生の素懐を遂げました」と書かれてありました。
お寺さんが永眠すると言ったらおかしいです。ただこれも定形の言葉で何か物足りない感じです。
 
 何年か前に心なごむハガキをいただきました。
紙面いっぱいに文字が綴られ故人の人となり家族の思い出が書かれて
これからも私たちを見守ってくれてると思いますとありました。
 実際にお会いしたことがない方ですが生前のあり様が偲ばれ
今も大きないのちのつながりのなかに共々に生かされてあることを思いました。
 
 今はパソコンという便利なものがあり定形の文章も宛名書きもすべてできて私も助かっていますが
ちょっと寂しい気がして何か一工夫できないものかと思います。
 自分の思いを文章にして伝えることは大変ですが互いに通じ合うご縁になります。
日頃からそうした文章を考えるのも一つの終活かなと思ったりもします。
 お寺の私たちもこんなことを書かれたらどうですかと
日頃から皆さんと話して文章を考え作ってみるのもいいかなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.6)

中村哲さんのこと

 昨日の夕方のテレビのトップニュースそして今朝の新聞の第一面は全て「中村哲医師銃撃され死亡」報道でした。
随分前からペシャワール会中村医師のことは知っていましたし福岡の方で近くで講演もされていましたが
実際にお会いしお話を聞くことができませんでした。
 
 その功績は本当にすごいものです。
お医者さんです。日本で医師の仕事をしていたらこんな目に遭うことはなかったのです。
医者としてのご苦労はあるとしても生活は十分保障されたものだったと思います。
 
 パキスタンで医療活動に取り組むなかで1983年にペシャワール会を立ち上げ
ロシアが軍事侵攻して以来紛争が絶えず常にテロの脅威と隣り合わせの危険な状況下で
中村さんは医療だけではなく井戸掘りを続けたといいます。
 
 現地は砂漠の地で大干ばつにあい雨が降らない水が無いということで
作物が育たない食べるものがないというなかで
「餓えや乾きは薬では治せない」と井戸を掘り水路をつくって農業を根付かせよ作物を育てようとしたのです。
 日本の井戸掘りの技術を伝え自ら重機を運転して作業にあたったといいます。
 
 今回の事件も作業現場に行く途中のことだったといいます。
「軍事より農業」という強い信念をもって現地の方々と信頼関係を築き活動されてきたのです。
 
 貧しい生活のなかで若者がテロ集団に入り武器をもって闘う現実を見て
武器で平和にはならない貧困こそが戦争のもとという信念だったと思います。
 世界の主要な国々日本もまた多くの軍事費を使っています。
そのお金がそのまま貧困対策に行き渡ったら餓えに苦しむ人々の大きな生活援助になるのでしょうが
世界のそれぞれの国々の思惑も絡んでそこは中々うまくいかない現実があります。
 そこで中村さんをはじめ多くの有志の方々のまさに命がけの活動がなされてあるということです。
 
 そこに困ってらっしゃる方がいたら助けを求めている方がいたら
何はさておき援助の手を差し伸べるといった活動はまさに仏菩薩の行です。
 智慧と慈悲の仏さまのおはたらきです。
何が大切か本当に見てとり何をすべきか本当にわかって自ら実践するお方です。
 人々と向き合いその人の苦しみ悩みを聞いて少しでもより良い方向にいくように
決してあなたを見捨てないという信念で自分にできることをさせていただくということです。
 
 それは頭の中でいくら考えてもできることではありません。
私にできることは本当に難しい、小さな限られたことです。
 ただ何もできないことではありません。
私にもできることがあると思うのです。
 
 人と人とのつながり今日のご縁です。
仏さまのご縁にお互い遇うなかに南無阿弥陀仏の大きな大きなお心を聞かせていただき
日頃から私にできる精いっぱいのことをさせていただくことの大切さを
中村さんのこれまでの活動を通してまた思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.5)

「アミダさまは、あなたをほっとけない仏さま」

 毎月ご本山から届く「仏教こども新聞」に今月のことばがあります。
12月のことばは「アミダさまは、あなたをほっとけない仏さま」です。
 
 あなたとは私のことです。
ほっとけないとは見放すことができないいつも見ていてくださるということです。
 
 どういう私なのでしょうか。
譬えで目の前を赤ちゃんが好奇心いっぱいに今まさに火に向かってハイハイして近づいていたら
皆さんだったらどうしますか?ずっと眺めていられますかと?
 火のある危ない所に向かっていく赤ちゃんを見てとっさに駆けつけ抱き取って火から遠ざけるでしょというのです。
 
 そのすがたがこのお立ち姿の阿弥陀さまというのです。
私たちは危なっかしい赤ちゃんのような存在です。
 阿弥陀さまは座ってませんね寝転がったりもしてません。
いつもすーっと立ち詰めに立ってらっしゃいます。
 
 いつも私たちのことをほっとけなくて共にあるご一緒してくださるお姿に
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお救いの教えを聞かせていただきます。
 
 ナンマンダブツとお念仏申すところ「私がいるよ大丈夫だよ。我にまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって私を喚び続け
私のところに来てくださってこの口からナンマンダブツとお念仏が出てくださるのです。
 
 そのこと一つ聞いてくれよお念仏申す身になってくれよというのです。
阿弥陀さまはこの私をほっとけない仏さまになってくださったのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.4)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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