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お念仏を申す生活法話

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限られた命を無量のいのちに生かされて生きていく

 夫婦漫才の大助花子の宮川花子さんががんを公表され大助さんと共に会見されました。
いつもの漫才のようすではありません。
 しゃべくり漫才で花子さんが一方的にしゃべって大助さんは合いの手を打つのが精いっぱいで圧倒される
小気味よい話芸の面白さです。
 
 もう二年近く前にがんが分かっていたが舞台の仕事との関係で治療もままならなかったなかでの今回の公表です。
花子さんは65歳で私より2つ下です。
 60歳代70歳代の私たちのことです。
いつ私が家族がどういうことになるのかわかりません。
 
 身近な方でがんになったことを聞きます。
家族の方にお話をお聞きします。
 今は本人にがんを告知することが一般的ですが
がんが分かって急に落ち込んで食欲がなくなり以前の様子では全くないと家族の方が心配します。
すぐ近くにいながらどうしていいのか家族ができることって限られています。
 
 病気になったらお医者さんです。
お医者さんは検査をしその症状に応じた療法をすすめてくれます。
 がんの治療に大きく三つあるそうです。
手術してがんを取り除くことそして放射線治療もう一つが抗がん剤による化学療法です。
 新薬もいろいろと開発されているようです。
今はネットでがんに関する様々な情報を検索することもできます。
 ただ迷います。お医者さんにまかせるしかないのですが迷います。
それでまたストレスがたまって落ち込むことにもなります。
 
 もう一つ究極的な選択です。
「もう治療の仕様がありません」と医者から言われて緩和ケア療法です。
 緩和といってがんを治すのではありません。
体の痛み心の痛みを少しでも和らげるなかで最期を迎えるということです。
 
 最終的には本人が選択することですがつらいですね。
家族もつらいですね。
 いい方向に行けばいいんでしょうが分からない。
でも一つ方向を決める方向が決まるということでこれから生きていくということです。
 がんになっても生きているのです。そしていつか命を終えていきます。
がんになってもならなくても私たちもです。
 そういうなかに一つこの方向で生きていきましょうと決めて
本人も家族も医療関係者有縁の方々に支えられて生きていけるのです。
 
 私たちの仏教浄土真宗のご法義は死んだらお終いではないというご法義です。
これからもずっとずっと生きていくのです。
 ただ人の命は終えます。
死にたくない病気を早く治したい元気になりたいという思いは皆さん同じです。
ただかないません。どんな人もかないません。
 限られた命に向き合うなかにお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
私たちは人の命は終わりますが南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏さまに成らせていただきこの世に還って来て有縁の人を救うおはたらきをさせていただくのです。
 
 南無阿弥陀仏の無量のいのちのおはたらきに生かされて仏さまに成らせていただくいのちを今生きていると
聞かせていただくなかに老いていくなかも病むなかも命終えていくなかも
「いつも私が一緒だから大丈夫だよ」と私に寄り添い見守ってくださる仏さまと共に
支えてくれる家族や周りの方々と一緒に私たちは生きていけるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.13)

冬の夜空に月がとってもきれいです

 昨日門徒報恩講の夜の御座があって外に出たら東の空に満月がきれいでした。
今朝6時に梵鐘をついて西の空を見たら満月が低く大きくありました。
 寒い冬の暗い空に闇夜を照らしてお月さまがぽっかり浮かんで光を放ってくださいます。
仏さまの智慧の光あたたかいお慈悲の光を思います。
 月を愛でるといいます。
太陽の光はまぶしくて直接見ることはできませんが月の光はしみじみと眺められもの思いにふけります。
 
 昨日中村哲さんのお葬式が福岡でありました。
亡くなられて以降テレビ新聞の報道で中村さんの功績そしてお人柄を知るほどに
本当に仏さまのような方だったんだなと思います。
 
 色紙に「一隅を照らす」と書かれていました。
世界の片隅の光の当たらない人に光を照らすような活動です。
 無私でただ人のために尽くすということで
それも小さな小さなことをずっとずっと続けてやり通していかれました。
 
 中村さんにはおごるところが一つもなかったと周囲の方は言われます。
私たちはちょっといいことをするとそれを自慢し人に話したがります。
そんなことが微塵もなかったといいます。
 
 その人生の哲学は「人間三食ご飯が食べられて家族がいっしょに暮らす」日々の生活にあったといいます。
30年来外国の軍隊が侵攻し内戦が続くアフガニスタンで
大干ばつもあって自然が破壊され飲む水も大地を潤す水も無い状況で井戸を掘り始めたといいます。
そして何年も何年もかかって水路をつくり砂漠の大地を緑の大地に戻して
農業ができるようになり人がそこに帰って来たというのです。
 
 アフガニスタンの住民は食うために軍隊に入るといいます。
政府側か非政府側かテロ集団かどこかの軍隊に入ることで報酬を得て家族を養っていくというのです。
 結局は同じ国民同士人と人とが殺し合い家族は引き裂かれていくという悲惨な悪い状況がいつまでも続くということです。
 
 中村さんは貧困こそが戦争の原因であり貧困からの脱却こそが平和への道と思いを定め
何が必要なことか見極めてやるべきことを信念をもって一つ一つやり通していかれたのです。
 ほんとに気の遠くなるような活動であり何の保証もないまさに命がけの事業だったのです。
道半ばにして銃弾に倒れた中村さんの意志はこれからも多くの人に色んな形で受け継がれていくことだと思います。
 
 闇夜を照らすお月さまの光です。
燦々と光り輝く太陽の光ではありませんが確かに確かに一隅を照らしてくださっています。
 阿弥陀さまの智慧の光お慈悲のおはたらきです。
南無阿弥陀仏となって私に届いてくださっています。
 
 お念仏申し南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただいて
私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.12)

お念仏申すところ南無阿弥陀仏のお喚び声が聞こえてきます

 称名念仏といいます。
称名は名を称えるということで南無阿弥陀仏のお名号を称えさせていただきます。
 
 この称名を親鸞聖人はそのまま聞名と示されます。
阿弥陀さまのご本願第18願成就文の「聞其名号信心歓喜」のお心です。
其の名号南無阿弥陀仏のお心おいわれを聞かせて信心いただいて
身も心も喜ぶといわれます。
 
 この人生です。
お釈迦さまは「人生は苦なり」とおっしゃいました。
この人生は私の思い通りにならないということです。
迷いの人生ともいいます。
 
 阿弥陀さまの真のお心信心をいただいてお念仏申す身になったら
苦悩が無くなるのか迷いが晴れるのかというと
お念仏申すなかにもこの苦悩の人生迷いの人生を生きていかなければなりません。
 
 ただ苦悩を超えて迷いを超えてお浄土への人生往生浄土の道を
阿弥陀さまの方でもう既に開いてくださってあるというのです。
 
 「この道を来い」と阿弥陀さまが喚んでくださり「この道を往け」とお釈迦さまがお勧めです。
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただいてそのままこの道を往かせていただきましょう。
 
 「この道を来い」とのお喚び声が南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
ナンマンダブツとお念仏申すところ南無阿弥陀仏の声が聞こえてきます。
 「私がいるよ大丈夫だよ。どんなことがあってもあなたを決して見捨てることがないから安心して
一緒に生きて往きましょう」との力強いお喚び声に励まされて
どうぞ今日の一日もお念仏を申すなかに生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.11)

どんな心持ちでお念仏申されますか?

 私たちのご法義は念仏一つで救われるというご法義です。
親鸞さまが法然さまから教えていただいた浄土真宗阿弥陀さまの本願念仏の救いの法です。
 
 ただお念仏申す。
皆さん今日もこの口からお念仏が何度も何度も出ましたね。
 お念仏を申す、どういう心持ちでお念仏を申してらっしゃいますか。
今日のお念仏と昨日のお念仏、お念仏申す心持ちはいつも同じでしょうか。
 
 この本堂阿弥陀さまのご尊前に座ると自然に手が合わさりナマンダブナマンダブとお念仏申せます。
それも皆さんご一緒にということで本当に有難いことです。
 
 皆さんはお念仏を申したらどうなるのか考えたことがありますか。
お念仏申したらどんなご利益があるのかということです。
 
 お念仏一つで救われるといってお念仏の救いってどういうことでしょうか。
病気が治るとか金回りがよくなるとかというご利益をいう宗教がありますが
お念仏申して自分の思いがかなう何かいいことがあるということが救いなのでしょうか。
 
 それこそ何でも自分の思い通りになればいいですね。
でも昨日一日のことを振り返ってみても中々どころではない思い通りにならないことばかりです。
 周りのこともそうですがこの身のことです。
思い通りにならないと腹が立ちます。そして愚痴がこぼれます。
 
 その悪たれをたたくこの口からナンマンダブツとお念仏が出てくださるのです。
欲をだし腹を立て愚痴をこぼすこの私を阿弥陀さまは叱るのではありません。
 ずっとずっと私に寄り添ってただただ寄り添って南無阿弥陀仏と喚んでくださるのです。
「私がいるよ大丈夫だよ。どんなことがあっても決してあなたを見捨てないから安心して
あなたのできることを一緒にさせてもらうよ」とのお喚び声です。
 
 阿弥陀さまはいつでもどこでも私のことを心配して見て取って
護ってくださってあるのです。
 
 ナンマンダブツとお念仏申し南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただいて
阿弥陀さまのおはたらきにまかせて励まされて生きて往けるのです。
 
 南無阿弥陀仏の大安心のなかに今日も一日日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.10)

大きな声でお念仏

 昨日ご法事があって私のすぐ後ろに小学5年生の男の子が座ってお勤めをしました。
私につけるようにナマンダブナマンダブと大きな声でお念仏申して
お正信偈さまも一緒に大きな声でお勤めしてくれました。
 
 お参りされていたご家族ご親族の方も嬉しく思ったんでしょうね。
「よう声が出てばあちゃんきっと喜びよんよ」と言われます。
ひいばあちゃんのご法事のご縁でした。
 
 お念仏の声が出るといいます。
声を出せと言われれば声が出るようなものですが中々声がでません。
 ご法事で聖典をお配りして皆さんご一緒にお勤めしましょうといって
全くお勤めの声が聞こえない本をめくる気配だけ感じるご法事があります。
何かちゃんと間違わずに読んでいるのか見られているみたいで変な感じです。
 
 子どもっていいなと思います。
素直にそのまま「はーい」と受け入れて声を出してくれます。
 ご家族の方が「サマースクールのおかげです」と言われました。
夏休みの子ども会に何回も参加していることでナマンダブっと声が出ると言われるのです。
 
 ご一緒にお念仏申しましょうと言われて大人は考えますね。
南無阿弥陀仏ナモアミダブツって何かどんな意味か
ナマンダブってお念仏申したらどんなご利益よいことがあるのかなどと理屈が先行します。
 確かに理屈も大事です。南無阿弥陀仏のお心を聞くたずねていくということです。
この頭で理解整理して行動することは私たちが小さい頃からしっかり教えられてきたことです。
 
 ただ私たちのご法義です。
念仏一つで救われると聞かせていただきお念仏の先人がしていることを見てまねる
仏さまに手を合わせお念仏申してお礼をすることの大切さです。
 
 私のこの口を通して声が出ます。お念仏の声が出ます。
私が出す声ですがそのまま阿弥陀さまのおはたらきがこの私に届きお念仏の声となって
この口から出てくださるといただきます。
 子どもの声も大人の声もみんな南無阿弥陀仏のお喚び声
「必ず救うまかせよ」の阿弥陀さまのお心おはたらきがお念仏の声となって私に届けられているのです。
 
 ナンマンダブツとお念仏が出てくださる有難さをそのままいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.12.9)
円光寺
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