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お念仏を申す生活法話

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ネットで本山参り

 ご本山京都西本願寺では1月9日から16日まで親鸞聖人御正忌報恩講がお勤まりで
日本全国各地からたくさんのお同行がご本山にお参りされていることです。
 
 今日15日は大逮夜と申します。
毎日日中逮夜という午前午後の法要がありますが
今日は大逮夜ということで通夜布教があります。
 
 今はインターネットで法要の様子を見ることができます。
暖かな部屋でこたつに入ってネットで法要にお参りできるのです。
 通夜布教は今日の夜から明日の朝にかけて夜を通して
全国の布教使のお坊さんが入れ代わり立ち代わり40分ほどご法話お取り次ぎをしてくださいます。
 
 布教使の方も大変ですがお聴聞される方はずっと眠らなくてずっとご法話お聴聞されるのです。
半分眠っているかもしれませんがその場に身を置くことで聞こえている聞こえてくるといいます。
 耳から聞くことですが南無阿弥陀仏のご法義おはたらきは毛穴から入るというお話もあります。
私が意識するしないにかかわらず無意識の中にも入ってくるというのです。
 
 南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のご法義おはたらき念仏一つで救われるというみ教えを
私たちに伝えてくださった親鸞聖人の祥月の御命日が明日1月16日です。
 今日がお通夜で明日がお葬式という昔から伝わる習いをさせていただくことです。
ご本山にお参りすることがかなわなくてもネットで法要や通夜布教のようすが届けられています。
 ご本山に思いを致し私たちの生活の場でお勤めさせていただきご法話お聴聞させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.15)

子どもの頃から仏さまのご縁に遇わせていただきましょう

 昨日はご法事のご縁で祝日ということもあって子どもさんが三人お参りされていました。
小学生の子どもたちです。
 
 皆さんに配った聖典を手にしてお母さんがお勤めする頁を教えていました。
お勤めが始まります。
 初めての経験で最初は声が出にくかったと思いますが
周りの大人たちの声につられて少しずつ声が聞こえてきました。
 お勤めが終わってお話をさせていただきます。
すると前に座っていた男の子がお母さんに隠れるように後ずさりしました。
 お母さんから一緒にお勤めをしてねと言われていたのではないのでしょうか
お勤めが終わってちょっとほっとしたような感じでした。
 
 それでお話を聞いているかどうかはわかりませんが
最後までその部屋から出るということはありませんでした。
 仏さまのお部屋にずっと一緒にいてくれて有難かったです。
 
 仏さまのご縁に遇うとはこういうことかなと思います。
仏さまのご縁に連なる身を置くということです。
 仏さまのお話を聞いて覚えるということではありません。
仏法聴聞は聞いておくということが大事なのです。
 聞いておくことで後々そのことが聞こえてくるのです。
聞いた時には気づかなかったことに気づかせていただくことがあるのです。
 
 仏さまのお話を聞いておくことです。
仏さまのご縁に身を置くということです。
 
 この本堂阿弥陀さまの御前に身を置いてお勤めができるのです。
私の口からお念仏が出てくださって仏さまのお喚び声おはたらきを聞かせていただくのです。
 
 仏さまのご縁を子どもの頃から頂くことって本当に大事なことだと思います。
大人の了見で子どもはうるさいから法事に参らなくていいなどと勝手に決めつけないで
ご一緒にお参りさせていただきましょう。
 ご先祖の方々は子どもにとっても大事な命の大恩人なのです。
子どもは子どもでその身をもって今を生きているわけですからね。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.14)

成人の日に思うこと、今を生きる

 今日は成人の日で祝日です。
1月の第二月曜日が成人の日になっていますが私の頃は1月15日でした。
 学生や会社勤めで遠く故郷を離れて正月に帰省しまた成人式に帰って来るのは大変なことで
今は正月休みの帰省に合わせて成人式をするところが増えて20歳の同窓会になります。
 
 私の20歳の頃を思い出します。
当時は家を離れていましたが15日の成人式は大分で迎えました。
 地元の成人式に出席して懐かしい同級生に再会しそのまま同窓会です。
広い場所があるお寺でみんなで夜遅くまで賑やかに過ごしたことを昨日のことのように懐かしく思い出します。
 
 ただこれは本当の同窓会にはなりませんでした。
当時の成人式は前年の1月16日から1月15日までに20歳になった人が対象で
同級生でも1月16日以降に生まれた同級生は同じ成人式には出られなかったのです。
 当時のことを思い出すとちょっと反省するようなこともありますが
青春まっただ中のまぶしい思い出です。
 
 20歳の成人式です。私の今の年齢でいったら三度の成人式が済みました。
長い人生の歳月を経てきて今私たちは仕事を終えて第二第三の人生を歩み始めているということです。
亡くなっていかれた方もいらっしゃいます。
 
 今を生きるということを思います。
過ぎ去った日々を想い起こすこともいいでしょう。
ただこれからの人生はそんなに長いものではありません。
 今を生きているということにしっかり向き合うことの大切さです。
 
 仏法は今を生きよと教えてくださいます。
今を生きるなかに本当の意味での明日があるというのです。
 阿弥陀さまは私たちにお浄土を用意してくださってあると聞かせていただきます。
私たちが生まれ往くいのちの古里です。
 死んだら終いの命を生きているのではなく浄土に生まれて仏と成る命を今生きているのです。
そのことを聞かせていただくなかに安心して今日の一日今私をここに生きることができるのです。
 
 これからの人生は老病死の思い通りにならない身を生きることで
悩み苦しみ迷うこともたくさんあると思います。
 それこそ今日一日も何が待ち受けているのか思いがけないことに遭遇するかもしれません。
ただこの身を生きることには変わりません。
 そしてこの身を案じていつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒してくださり
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」とおはたらきだということです。
 
 今を生きる。
今日お朝事のご縁に今ここ阿弥陀さまの御尊前に座らせていただき
お念仏を申すなかに今日の一日を始めさせていただける身の幸せです。
 
 一緒に成人式を迎えた同級生のみんなが今どういう生活をしているのかと思いつつ
仏さまのご縁に遇ってほしい仏さまのみ教えを聞きてほしいと思い
この身を生きる私が今何かできることがないかと思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.13)

欲を貪り愚痴がこぼれるこの口からお念仏が出てくださる

 今日は仏教壮年会の今年初めての例会です。
この一年もよろしくお願いいたします。
 
 親鸞聖人が開かれた浄土真宗のご宗旨は信心正因称名報恩といわれます。
阿弥陀仏の真実信心を聞かせていただき浄土に生まれて仏と成るという仏教のみ教えです。
そして称名念仏は南無阿弥陀仏のお救いのなかにある御恩に報謝するものと聞かせていただきます。
 
 毎日拝読させていただく蓮如上人の御文章「聖人一流章」には
「聖人一流のご勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候」と
そして「称名念仏は如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏とこころうべきなり」とあります。
 
 仏恩報謝の念仏お礼の念仏といい阿弥陀さまにお願いしたりお祈りしたりするお念仏ではありません。
「阿弥陀仏さまにお礼をしましょう」とご一緒にお念仏申させていただきます。
 
 ただ私が称える念仏です。
どこかに私の力が入ったりすることがありませんか。
 お念仏申すなかに私の思いが家族への思いが入って
阿弥陀さまにお願いしたりお祈りしたりするようなことがありませんでしたか。
 自分でもどんなにお願いしてもお祈りしてもどうにもならないことはどこかで分かっていても
自分の思いを阿弥陀さまに聞いてほしいと思うことってありませんか。
 
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきです。
阿弥陀さまは私の思いをそのまま聞いてくださる仏さまなのです。
 思いを聞いて思い通りにしてくれるのではなくて
欲の心怒りの心愚痴の心といった煩悩いっぱいの苦悩のわが身をそのまま抱き取って迷いから救うてくださるのです。
 
 自分勝手な自分の都合だけで生きているようなこの私を阿弥陀さまは叱りません。
「そんなことをしているから駄目なんだ。こうしたら救うよ」と救いの条件を出す仏さまでもありません。
 そのまま救うのです。
「南無阿弥陀仏とわが名をよんでくれよ」と私たちにお念仏をお勧めです。
 お念仏申すところ「私がいるよ大丈夫だよ。どんなことがあっても決してあなたを見放さないよ。
私が一緒だから安心してあなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて一緒に生きて往こうね」と
いつでもどこでも私に寄り添って必ず救うそのまま救うとおはたらきの仏さまに成ってくださったのです。
 
 欲を貪り愚痴がこぼれるこの口からお念仏が出てくださいます。
お念仏申すところ南無阿弥陀仏のお心おはたらきが聞こえてきます。
 この私を放っておかず喚び通しに喚んでくださる阿弥陀さまのお喚び声です。
南無阿弥陀仏にまかせてこの一年も仏教壮年会の活動をご一緒しましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.12)

阿弥陀さまの御用心

 今朝本堂の鍵を開け忘れて大変失礼しました。
お朝事のいつも準備することが順番に決まっているんですが
そのなかで今日は違う事を一つして案の定というか次のことができていませんでした。
 梵鐘を撞いた後で確かめればよかったんですが本当に迷惑をかけました。
 
 私たちの日々の生活です。
特に朝起きてすることは決まって身に付いていることが多いのですが
何かいつもと違うことをすると次のことを忘れることにもなります。
 
 用心しなさいということです。
物事に慣れてくればくるほど心してさせていただくことが大切です。
 つとめてできることを丁寧に精いっぱいさせていただくように心得たいものです。
 
 阿弥陀さまの御用心です。
阿弥陀さまは私たちを必ず救うと心してあらゆる手立てといろんな工夫を施されて
私たちを今こうしてここ阿弥陀さまの御尊前に座らせてくださり
この口からナンマンダブツとお念仏申す身にしてくださったのです。
 
 阿弥陀さまの御用心をいただいて大安心のなかに今日一日も日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.11)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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