「誕生日ありがとう!」
2024-04-08
今日4月8日は
お釈迦さまの誕生日です。
お釈迦さまは2500年ほど前に
インドの国に生まれて仏教を開かれたお方です。
私たちもみんな誕生日がありますね。
あなたも私もみんなこの人間界に生まれてきました。
誕生日には「お誕生日おめでとう!」と
周囲の人からお祝いしてもらいます。
誕生したことに私の手柄は何一つありませんが
当然のように祝ってもらい
「ありがとう!」とお礼を言います。
なぜ「おめでとう」なのでしょうか。
人と生まれてこれまで生きてきたことについて
様々に大変困難なこともあったでしょうが
生まれて生きることの有難さ尊さを思い起こして
<生まれてくれてありがとう>と
心から「おめでとう」と祝福するのでしょう。
それに対して「ありがとう」です。
生まれてきたことも今生きていることも
お父さんお母さんをはじめ
周囲の皆さんの支えがあったからこそと
<生んでくれてありがとう>と
「お誕生日おめでとう!」より先に
有縁の皆さんに
「誕生日ありがとう!」と感謝するのが
誕生日を迎える人の心構えではないでしょうか。
私がこの世に生まれたいと思って自ら努力して
生まれてきた人は誰もいません。
気がついてみたら人間に生まれていました。
気がついてみたら周囲の誰とも違うこの私でした。
仏教は縁起の理法で
縁あってこの人間界に生まれ
縁あって生かされて生きてきて
これからも縁あって生かされて生きていくと
説いてくださいます。
人それぞれに生き方は違いますが
仏さまの大きないのちのご縁に共々につながって
生かされて生きていると教えていただきます。
多くの生きとし生けるいのちの中で
有ること難き人間の命を恵まれてありがとう
人間に生まれて仏さまのみ教えに
遇わせていただいてありがとうと
遇い難き仏法に遇わせていただくことで
「私は私でよかった」と
南無阿弥陀仏のご縁つながりのなかに
これからも生かされて生きて往くことができるのです。
お釈迦さまお誕生の説話に
お釈迦さまは生まれてすぐ七歩あゆまれ
右手を天に左手は地を指して
「天上天下唯我独尊」と言われたといいます。
あらゆる世界の中で我独り尊いということですが
これはお釈迦さまだけのことではなくて
私たち一人一人の人間に生まれた誕生宣言でもあるのです。
かけがえのない尊い命を恵まれて生まれてきました。
仏さまに成るいのちと仏法に聞かせていただきます。
私だけではありません。
あなたも私も皆ともに
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて
往生浄土のお念仏の道をご一緒させていただき
「人間に生まれて本当によかった。
あなたに会えてよかった」と
心から「誕生日ありがとう!」と
御礼のお念仏を申させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.9)
<花まつりの会>のご縁です
2024-04-07
心配していた天気も
昨日までの雨も上がって
今日はお釈迦さまのお誕生をお祝いする
<花まつりの会>のご縁です。
曇り空のなかでしたが
お寺の周辺を<白象パレード>を行い
お寺に戻ってお釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけ
灌仏会(かんぶつえ)のお勤めをして
<小学新一年生を祝う会>をしました。
門徒さんが地域の方々に広く声かけをして
8人のお友だちが参加してくれました。
「ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブツ」と
子どもたちの大きな声がこだましてよかったです。
その後5年ぶりに<花まつりコンサート>を開きました。
ピアノと二胡の優雅な演奏が本堂から境内に響き渡り
大人も子どももみんなうっとり聞き入りました。
久しぶりに満堂の本堂で
お念仏の有難いご縁をいただきました。
仏教壮年会・婦人会の皆さんには
色々とお手伝いいただき有難うございました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.7)
「念仏の いのちの花を 開かせて 同じ浄土の 花となる」
2024-04-06
今日も朝から曇り
そして昼から雨模様です。
まだかまだかと待ちこがれた
桜の開花宣言が3月30日にあって
昨日4月5日には満開宣言でしたが
ここずっと天気がすぐれません。
どんより曇った空から
花散らしの雨が早々に降ってくる事態でしょうか。
見れるときにしっかり見ておかないと
いつの間にか桜の花が散って
また来年ということになるかもしれません。
歳を重ねていくなかで
今年の桜が見納めになるかもと
ちょっと心の片隅で思いながらも
時は淡々と過ぎ行きます。
「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠まれた
良寛和尚の心境に思いをはせます。
青空のなかをひらひらと風に吹かれて散る桜
突風に煽られて舞い上がって散る桜
雨とともに散る桜
桜の散り様はそれぞれですが
同じ大地に散って行きます。
散る桜を見送る桜も
時間の差こそあれ
同じ大地に散って行きます。
お念仏のご法義です。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
生き様死に様それぞれ違う私たちですが
どんな人も阿弥陀さまのお浄土に生まれ往くいのちを
今ここに生かされて生きている有難さ尊さです。
「念仏の いのちの花を 開かせて 同じ浄土の 花となる」
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.6)
人に会って元気をいただく
2024-04-05
久しぶりに同級生の家を訪ねました。
すぐ近くに在り、行こうと思えばすぐ行けるのですが
何か用事がないと行けません。
玄関のチャイムを数回鳴らし
ドアを開けて待っていると
お母さんが出てきました。
すぐ私が誰かわかったようで
不在の同級生宛に用件を伝えて
少し話になりました。
母の葬儀に関する用事だったこともあり
生前同じ病院に通院していて何度かそこで会って
一緒にバスとタクシーを乗り継いで帰ったという話です。
94歳ということですが
その時のことを詳細に覚えていてスラスラと話す様子に
元気だった母のことを重ねて思いました。
ゆっくりですが杖をつくこともなく
自力で歩けるお姿に
「ボチボチしてくださいね」と声をかけました。
一つ一つできることをさせていただきましょう。
若い頃のようなことはできなくなりますが
今私にできることです。
杖のお世話になるときはなりましょう。
周りの方々の支えがあって
若いときも老いたときも
いつでもどこにいても
生かされて生きていることを
わが身のことと聞かせていただきます。
ご縁があって
懐かしい人に会ってお話ができて
何か元気をいただきました。
ありがとうございました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.5)
不適切な発言
2024-04-04
またしても某県知事の不適切な発言です。
入庁式で新入職員を前に激励のエールをおくる訓示が
いろんな職業に携わる人を差別する発言になったとの
指摘です。
知事は改めて発言の真意を述べる会見で
「マスメディアに言葉を切り取られて
私の真意が伝わっていない」としたうえで
唐突に知事を辞職する意向を述べて退席しました。
これまでにも何度もあったことです。
話の内容はそれぞれ違いますが
その話しぶりはその場にいる人を持ち上げるのに
他者を貶め軽んじて比較するという同じ手法です。
わかりやすくて受けがいいとでも
思っているのでしょうか
その場の雰囲気を和ませるかのように思い込んで
政治家がよく口にする発言です。
実際こうした発言は身内の会でよく行われることで
会場の笑いを取るようなこともあって
こうした発言がずっとまかり通ってきたのでしょうか。
私たちも日常生活を営むなかで
人人と向き合い言葉を交わして生きています。
言葉はお互いの思いをはかり
人間関係を円滑にする大事な手段ですが
逆に人を傷つけるようなこともあります。
特に公の人の発言は
その発言が及ぼす影響はよくも悪くも大きなもので
発言には十分配慮が必要ですが
口達者な方ほどその場の雰囲気に流されて
リップサービスのように
言わなくてもいいことまで言って
逆効果なこともあります。
私たち僧侶も大衆にご法話という
仏さまのお話をする機会があります。
仏さまの教えのお取り次ぎですから
そのまま話せばよいことですが
わかりやすく聞いていただけるように
世間のたとえ話などを織り込んで話すことがあります。
お話をどう受け止めるかは聞く人の心情ですが
話の内容によっては
嫌な思いをする方もいるということです。
お寺の本堂や大きな会場に招かれて
お話をするときに
人数が多いことを自分の手柄のように勘違いして
大衆受けするお話をするようなときに
落とし穴が待っています。
ご法話のお取り次ぎは
僧侶からあなたへの
一方通行のその場限りのご縁ではなくて
話し手も聞き手も
同じ仏さまのご縁をいただいて
仏さまのお心を共に聞かせていただくことが肝要です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4。4)