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お念仏を申す生活法話

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岡江久美子さん

 今朝も早くからお陽さまがすっと昇り光をいっぱい浴びて気持ちがいいです。
すっかり明るくなりました。
1か月2か月前のこの時間はまだ暗い中でのお朝事のご縁でした。
 
 昨日女優の岡江久美子さんがお亡くなりになりました。
新型コロナウイルスによる肺炎ということです。
 ニュース速報で聞いて皆さんびっくりしたのではないでしょうか。
体調が悪いということもコロナ感染していることも知りませんでしたし
本当に急なことです。
 
 6年前まで朝の情報番組に17年半出演司会をつとめられ
朝の顔として全国の皆さんになじみのあった方です。
 どんな経過か詳細は分かりませんが
「コロナウイルスは恐ろしいです。皆さんくれぐれも気を付けてください」という
夫の大和田獏さんのコメントが本当に悲しいです。
 志村けんさんと同じようにお別れは亡くなってガラス越しにということだったと聞くと
また悲しくなります。
 
 お浄土のお話をしています。
大切な方が命終えてお浄土に往生しすぐこの世に還って来るというお話です。
 還って来るといって私たちのこの目に見える姿でということではありません。
 
 お浄土で仏さまと成って還って来ると聞かせていただて
懐かしい方はお浄土にはお留守で私がお浄土に生まれた時に再び会えないのではないかと
不審に思って尋ねた人がいたそうです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきで還って来るのです。
この私の口から出てくださるお念仏となって還って来てるといわれます。
 お浄土の仏さまと成っていらっしゃって
今すでに私のところに南無阿弥陀仏と還って来て必ず救うとおはたらきなのです。
 
 太陽のはたらきに譬えて
太陽は遠く離れたところに見えますが
そのはたらきは今日もこうして私たちのところに明るい光とあたたかい日差しとなって届き
私たちが生きるエネルギーとなってくださってあるというのです。
 
 テレビ画面から観る岡江さんは元気はつらつ太陽のような印象でした。
人の命は終えましたが仏さまと成ってこれからも太陽のようなおはたらきで
後に遺った方々とご一緒してくださることだと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.24)

私の根っこを見つめ直してみませんか!

 今日からゴールデンウィークに入りますが
今はコロナウイルス感染禍で昨日小池東京都知事が
今年のゴールデンウィークはステイホームウィークということで家に居ましょうと呼びかけていました。
 テレビは連日コロナの話題でいっぱいで
専門家と言われる方や政治のトップリーダーの発言が注目です。
 なかでも小池さんと安倍首相です。
テレビに映し出されるお二人のマスク姿がまた注目です。
 
 昨日の大分合同新聞第一面トップに由布院のまちづくりのリーダー中谷健太郎さんの寄稿文を読みました。
『コロナ禍に想う』というシリーズもので
「現代の文明を土台から揺るがす新型コロナウイルス。
社会は、地域はいかにコロナ禍と向き合い、変化に対応するか。
大分県内各界のキーマンに想いを聞く」というテーマです。
 注目です。
今回のコロナ禍で私たちのあり方が問われています。
コロナが私たちに教えていることです。
 ステイホームで家に居て何をしますか。
私たちの生活を見つめ直すチャンスだと思います。
 
 中谷さんが20代の頃故郷の由布院に戻ってきた昭和30年代
由布院は静かで歩いている人がほとんどいないムラだったといいます。
 中谷さんは映画祭や音楽祭、牛喰い絶叫大会といったユニークな取り組みを仕掛け
宿泊施設の増設充実をはかり起業者の移住もすすめて
今や由布院温泉は全国ブランドに発展し
一年中日本各地からそして海外からも大勢の観光客が押し寄せ
経済的にも豊かな町になりました。
 60年前からいうと夢のような話が実現したのです。
そのなかで今回のコロナ禍です。
 
 <観光客増加、量で自慢しても…>
<忘れていた根っこ見つめ直す契機に>と新聞の見出しにあり
 記事の最後に
「大事なのは『あまり多くを欲しがらないこと』
地球上の人はお互いが支えたり、支えられたりして生きている
その感覚を僕らが持つことができるか」とありました。
 
 仏さまの教えを聞くようです。
縁起の理法です。
私たちはお互いに支え合い生かされて生きているのです。
 多くを欲しがらない。
「少欲知足」です。欲は少なく足ることを知るです。
 支え合って一つのいのちを生きている私たち
仏教の教えです。
 私たちの根っこです。
私たちが生きている根っこ、立ち返っていくところです。
 
 私たちの日々の生活です。
日々の日暮らしの中に私たちが本当に求めていくものがあるのではないか
あったのではないか忘れているのではないか。
 私たちの根っこです。
 
 ステイホームといって家から出てはいけないということではありません。
外に出て太陽をいっぱい浴びましょう。
明るい光とあたたかい日差しです。
 
 お寺の諸行事は当分取り止めますが
お朝事のご縁はいつも通りです。
 お念仏申して阿弥陀さまの智慧の光とあたたかいお慈悲のおはたらきをいただいて
今日も一日共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.25)

見送る子に「帰って来なさい」と母の声があたたかいです

 葬儀とは葬送の儀といって送るといいます。
大切な人を命終えて送ります。
 
 どこに?
昨日お話しましたがあの世に送るという不確かなところではありません。
 私たちが大切な方を送らせていただきまたこの私が往かせていただくところは
阿弥陀さまが決めてくださったお浄土ですから確かな安心があるのです。
 
 日常生活で家族を家から送るときに「行ってらっしゃい」と言います。
送られる方は「行ってきます」です。
 そこには送る方も送られる方も行くところがわかっているから
安心して見送ることができるのです。
 
 テレビドラマで故郷から遠く離れた東京とか大阪に就職で出て行く子どもを
母親が見送る場面を思い浮かべてください。
 母が子に「行って来なさい」と言います。
これは「行ってらっしゃい」と「帰って来なさい」を重ねた言葉だと聞きました。
 親の子への思い心情です。
見知らぬ土地でこれから生活するのにいろんなことがあるだろうと心配し
何かあったらいつでも帰って来いよと帰るところはここだという思いいっぱいが
「行って来なさい」という言葉になったというのです。
 
 阿弥陀さまのお浄土には往きっぱなしではなく還って来るのです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで往って還って来るのです。
 往って還ってと南無阿弥陀仏の回向往相還相のおはたらきです。
南無阿弥陀仏のいのちの循環です。
 限りある人の命を生きている私たちですが
南無阿弥陀仏のおはたらきに遇って無量のいのち永遠のいのちを生きて往くのです。
 
 皆さんもこれまでに有縁の方を見送られたと思います。
人の命は終えましたから懐かしいお姿はこの目には見えませんが
南無阿弥陀仏のいのちとなって私のところに還って来ていると聞かせていただきます。
 この口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいます。
先に往かれた大切な方々が南無阿弥陀仏と還って来て
今日もこの私を護り支えてご一緒してくださっているのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.23)

「父ちゃんが往ってるところに往かせてもらう」と覚悟が決まりました

 十数年前ガンの病気になって入院治療された方のお話です。
ガンと告知され入院したときにこの命も残り少ないと思い悩み大きな不安と苦しみのなかで
早く亡くなったお父さんのことを思い
「父ちゃんが往ったところに往かせてもらう」と覚悟ができて死が怖くなくなったということです。
 
 私たちの浄土真宗のご法義は阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成る教えです。
ただお浄土と聞いても阿弥陀さまのいらっしゃるところと聞いても何かピーンときませんが
そのお浄土に先に往かれた有縁の方々が往ってらっしゃると聞くと何か身近に感じて少し安心できます。
 
 私たちの理屈でいうと何でそんなことが言えるのか本当のことかと疑い心が起こりますが
生きとし生けるすべてのものを必ず救うとの南無阿弥陀仏のおはたらきがあると聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私もあなたもみんな
お浄土という一つ処に生まれさせていただけると聞かせていただけるのです。
 
 私が善いことをしたから救われて生まれるところ
あの人と同じところに往きたいとかあの人が往ってるところには往きたくないとか
私の料簡が一つも入らない阿弥陀さまのおはからいおはたらき一つのお救いですから確かなのです。
 
 「娑婆の縁尽きてちからなくしてをはるときにかの土へはまいるべきなり」と
歎異抄に親鸞聖人の仰せです。
 彼の土です。ここ此の土ではありません。
最近よく「あちらにいく」とか「あちらの世界で」とか言われます。
この世に対するあの世です。
 
 ただ彼の土とあの世は違います。
私たちの人間関係でいいますと
私とあなたそして彼とか彼女といいます。
 この場合みんな個々の決まった人をいいます。
この人です。あの人ではありません。
 距離がずっと近い人です。
あの人といったら何か遠くのぼんやりした存在です。
 
 あちらの世界です。
ぼんやりした情緒的なあちらの世界ではなく
お浄土は阿弥陀さまがこの私を必ず救うと決めてくださった確かな世界であり
確かに確かに私たちが生まれ往くところそれがお浄土なのです。
 
 お浄土には私たちの懐かしい方々が生まれて往ってらっしゃる。
だからそのお浄土でまた再会再び会うことができると聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏ひとつでいいんだよと
ナンマンダブツとお念仏申して来いよ必ずお浄土に生まれさせるとの仰せですから
「はい」と阿弥陀さまの仰せに順っておまかせをして
そしてこの世のことは命ある限り精いっぱいのことをさせていただけるのです。
 
 病気になってからではなく平生です。
平生今こそ後生の一大事の解決です。
 南無阿弥陀仏のおはたらきで覚悟を決めさせていただくのです。
そのこと一つお念仏を申すなかにまた聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.22)

「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ住む」

 昨日月の話をしました。
法然聖人がよまれた歌に
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」があります。
 
 月の光が届かない人里はありません。
すべての里に届いていますが月を眺める人の心にこそ届いてあるというのです。
 月の光は闇夜を照らしてくれます。
月の光の有難さですが月を眺めて思う人はなかなかいません。
 
 お念仏のお心を歌でたとえて教えてくださっています。
阿弥陀さまの智慧の光明に照らされて
私たちは南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲のお救いのなかにあるのですが
阿弥陀さまのお心を聞くことがなかったらもったいないことです。
 
 月を眺めて「本当にきれいだなあ有難いなあ」と心に思うように
仏法に遇わせていただいた人は「ああ有り難いことだなあ」とお念仏を申す人になるというのです。
 
 私たちの日々の生活を振り返るとき
当たり前当たり前と過ごしていることが何と多いことでしょう。
 当たり前ということが本当に有り難いと知らされるのが
今のコロナ感染禍のなかでの私たちの日暮らしではないでしょうか。
 
 今まで気づかなかったことに気づかせていただける
今まで見えなかったことが見えてくると
お念仏のお心おはたらきをいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.21)
円光寺
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