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お念仏を申す生活法話

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今日は母の日です

 今日は5月の第2日曜日で母の日です。
私が小学生の頃には母の日にカーネーションを贈るということを知っていましたが
母の日は110年ほど前にアメリカで始まったといわれます。
 もっと古くからある行事のように
今はすっかり私たちの生活に定着して
お花に限らずお母さんへの感謝の気持ちをプレゼントにして贈りましょうと
毎年春に入ると早々に母の日商戦がにぎやかになりますが
今年は大分様子が違うようです。
 
 コロナ禍の影響でお花屋さんも大変困っているということです。
今お内陣の花瓶にきれいな菊の花があがっていますが
いつもお世話になっているお花屋さんが数日前に届けてくださったものです。
 お花屋さんは生産者からお花を仕入れて販売しますが
お花の需要がずっと落ち込み生産者から仕入れても売れ残るものが多くあって
もったいないから使ってくださいといただきました。
 おかげで仏さまにお供えができてよかったです。
 
 お花をはじめ今年の母の日のプレゼントはネット販売が好調と聞きます。
お花の注文も配達もネットでできるということでのコロナ対策です。
 本来なら直接プレゼントを届けることで顔を見て言葉を交わしてということですが
今のコロナ事情ではそうしたことが押しなべて敬遠されます。
 
 母なるいのちです。
私のこの命、お父さんお母さんがいて恵まれた命です。
 そのお父さんお母さんにもお父さんお母さんがいてそのまたお父さんお母さんと
どこまでたどれば私の命の始まりがあるのかといって
始まりはあるのだけれども始まりを確認することはできませんが
私がこの命恵まれて今ここに生きていることは確かな事実です。
 無始と言われるような長い長いいのちの営みと歴史があるかけがえのない命です。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて生きているとお聞かせいただきます。
阿弥陀さまの本願念仏のお心おはたらきです。
 お念仏の先人は阿弥陀さまのことを親さまと仰いでこられました。
親からいうと私は子であり親さまの大きな願いがかかった仏の子なのです。
 阿弥陀さまの大きなお慈悲に抱かれてお育てにあずかっている私ですが
そのことに気づくことなく私が私がと自分中心の思いをもって
苦悩の中に迷い生きている私のことが放っておけず
「必ず救うまかせよ」と南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって喚びづめに喚んでくださる親さまです。
 
 法語カレンダーの今月5月のことばは
「いだかれて ありとも知らず おろかにも われ反抗す 大いなるみ手に」(九條武子夫人)です。
 私のことを一人子のようにおもい抱きとってくださってある
阿弥陀さま親さまのお心を味わわせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.10)

南無阿弥陀仏は阿弥陀さまのエールです

 今NHKの連続テレビ小説朝ドラは「エール」です。
作曲家古関裕而さんをモデルにした物語です。
 大変裕福な呉服屋の長男に生まれた裕一が作曲家を目指して家を出て
妻の音と二人の東京での生活が始まるというドラマの展開です。
 
 第1回目は昭和39年の東京オリンピックの開会式から始まりました。
開会式の入場行進曲を作曲したのが古関裕而さんということです。
 NHKも2020年の東京オリンピックを目指して大河ドラマの「いだてん」をはじめ企画を立て放送してきましたが
コロナ感染禍で東京オリンピックは来年に延期になりました。
 
 エールとは声援応援という意味です。
野球の試合などで応援団が相手方にエールを送ります。
相手があっての試合であってお互いに健闘を誓い合い
試合が終わっても勝敗を超えて相手の健闘をたたえるというエールです。
 
 古関さんの作曲は皆さんに聞き覚えのあるものばかりたくさんあります。
代表作の一つが夏の甲子園全国高校野球大会歌の「栄冠は君に輝く」です。
阪神タイガースの球団歌「六甲おろし」もそしてライバルの巨人の球団歌も作ってらっしゃいます。
 まさにエールです。
人をみんなを勇気づける応援歌です。
 
 毎朝お正信偈さまのお勤めを皆さんとご一緒にさせていただきます。
親鸞聖人が書かれた阿弥陀さまの応援歌です。
阿弥陀さまが私たち一人一人にくだされるエールです。
 南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏一つに込められた阿弥陀さまのご本願のお心おはたらきです。
 
 私が救われるすべての手立てを南無阿弥陀仏に成就して
「わが名を称えてくれよ」「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
 
 ナンマンダブツと声に出してお念仏申してくれよの仰せです。
ナンマンダブツと声に出してお念仏申しましょう。
 そのお念仏の声はそのまま隣の人にも届けられ
大きな大きなお念仏の輪になって広がっていくのです。
 
 いつでもどこでもこの目には見えないけれども南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
私たちと共々に生きてくださってあるのです。
 今日もお念仏の声を力強く聞かせていただき一日を始めさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.9)

いのちの備えはできていますか

 コロナ禍のことで識者から新聞等に投稿が寄せられています。
世界各地で医療崩壊ということがいわれるなかで日本は特に危機管理が足りないという指摘です。
 感染の程度で重篤者、中軽症者に分けて入院治療したりホテルや自宅で療養したりと様々に対応していますが
基本的に感染症に対して専門の医師や看護師が足りない病院ベットが足りない
医療器材やマスクなどの装備品も足りないことが一気に露呈しました。
 今回のような事態が想定できていない準備ができていないということで
医療の現場で危機的な事態が物理的に起こるべくして起こっているとの指摘です。
 
 日本人には危機管理ができない心性が標準装備されていると言われます。
あいまいで楽天的なものの見方とでもいうのでしょうか。
こういうことは起こらないだろう起こっても何とか対処できるだろうといった根拠のない自信みたいなものです。
 例えば屋外で大きな行事をするときに
雨が降ったらどうするといった意見に対し
主催者リーダーが雨が降るわけがないと返すような論理です。
 
 雨が降るか降らないか天気はその時になってみないとわからないというのが正しいものの見方です。
だったら雨が降ることも想定して準備をしておけばいいことなのですが
そんなことを一々考えていたら大変で時間もかかるしお金もかかって無駄なことだとまで言い出すのです。
 当面のことだけやっていけばいいのであってその時はその時で考えたらいいというものの考え方がどこかにあって
今回のような事態になったというのです。
 当面のことだけ考えて無駄をなくし予算を削り人的物的なものを削除してきたということです・
 
 これは生老病死ということにも通じることです。
今は若くて健康であっても老いていきますし病むこともあってそして命終えていくというのが
私たちどんな人ものいのちのあり方です。
 人は生まれて老いて病んで死んでいくということは誰でも知っていることですが
自分のことと考えようとせず私は大丈夫と根拠のない自信でいのちの真実に中々向き合おうとしません。
 
 でもその時が来ます。
いつどんな形でかわかりませんがわが身の上に来るのです。
 その時に考えることさえ許されません。
そのまま引き受けていかねばなりません。
 
 私がこれからもずっと元気でいるということではありません。
私が病気になり生活の中からいなくなることを想定して元気なうちから考えていかねばならないことです。
 私の問題であり家族お互いの問題でもありますが
そんな時「縁起でもないことを言うなよ」と言い出したりするのです。
話をするのがはばかれます。そして時間だけが経っていきます。
 
 今回のコロナ禍は世界中の国の私たちの生活を揺るがす大きな問題です。
危機管理は危機的な最悪の事態を想定したものです。
 その時誰が困るのか。その時の人が困るんです。
私がその時生きていなかったら関係ないという話ではありません。
 今の時代を生きる私たちは次の世代に何を残し伝えようとしているのか
自分たちの享楽の果てに負の遺産を次の世代に送るようなことをやっているのではないでしょうか。
 
 私たちのいのちの歴史です。
先人の思いがあって今ここに私たちは生きているのではないでしょうか。
 先人が思ってくれたからこそ今の私たちがあるのです。
今度は今の私たちが後の者を思う番です。
 いのちの備えはできていますか。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて生きている私たちです。
「お念仏に生かされて生きてきた
 お念仏に生かされて生きている
 お念仏に生かされて生きていこうと
 手を合わす南無阿弥陀仏」
今こそ阿弥陀さまのご本願のお心南無阿弥陀仏のおはたらきに聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.8)

私たち一人一人それぞれのお念仏申す生活の営みです

 今は6時には太陽がすっと上がって明るい朝を迎えます。
新緑の風薫る候です。
 光り輝きさわやかな風が吹いて本当に気持ちのいい季節になりました。
いつもでしたらこんな日は外に出ろうということです。
 
 緊急事態宣言が延長になりました。
感染者の多い特定地域を除いて各県によっては対応がそれぞれ違ってきました。
 外出の自粛や休業要請も取り立ててしないということですが
私たち一人一人の自覚と行動にまかせるということで
私たちができることを一つ一つして生活していきましょうということだと思います。
 
 ステイホームから一歩外に出ましょうと受けとめます。
コロナ感染以前の生活に戻るということではありませんが
一つずつでも私にできることをさせていただこうと思います。
 
 外に出て新緑の空気をいっぱい吸うこともいいでしょう。
人に会うのもいいと思います。
 何かずっと気にかかっていたことを始めるのもいいのではないでしょうか。
 
 人人それぞれの日々の生活の営みです。
まだまだみんなで何かをしようということではありませんが
みんなというのも一人から始まることです。
 一人から二人に三人四人にということです。
 
 お念仏申す生活の営みを思います。
私たち一人一人のことですが
お念仏を申すところに阿弥陀さまがいつでもどこでもご一緒してくださる南無阿弥陀仏のご法義につながって
私たちは生きているのです。
 お念仏申すことで隣の人にもお念仏の声が届けられるということです。
 
 皆さんそれぞれに生活ぶりは違いますが
一人一人私ができる精いっぱいのことを今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.7)

共生といういのちのお付き合いです

 今日は振替休みでゴールデンウィークが終わります。
今年はコロナ禍の緊急事態宣言下でのステイホームウィークとなりました。
 今日までだった緊急事態宣言が5月31日までに延長されました。
生活の自粛要請が続きます。
 会社での仕事や学校での勉強ができないといった
これまでの社会活動のあり方が見直され工夫され変わりました。
 休業を余儀なくされている飲食店などのサービス業は
今後の見通しが困難を極め死活問題になっています。
 
 対コロナ戦争と世界のリーダーはコロナとの闘いを語り対策を講じてきましたが
コロナ感染は世界中に拡大蔓延しウイルスを止めることはできていません。
 今回のコロナウイルスは特にしつこく厄介で
今後も長期の取り組みになるとの専門家の見方です。
 
 強い気持ちをもってこの問題に立ち向かうことは本当に大事なことですが
コロナとうまく付き合っていくという視点で
これからの私たちの生活のあり方を展望することも大切になってくるのではないでしょうか。
 
 お念仏のみ教えに聞かせていただきます。
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法は十方衆生といって
人間だけではなくあらゆる世界の生きとし生けるものに広く開かれた教えです。
コロナウイルスもその中のいのちだということです。
 
 長い長い人類の歴史の中でこれまでにも人類存亡の危機があったと思います。
感染症の問題もありました。
 私たちの一生にしてもそうですが
私たちがこの社会世の中を生きることについて
人間にとって自分にとって不都合なことがたくさんあります。
 私たちの先人は知恵と工夫でそうした不都合なこととうまく付き合って
生きてきたのです。
 
 自分に都合の良いものは取り込んで都合が悪くなったら排除すれば
結局最終的には自分が一人だけ取り残されることになってしまうのです。
 今回のコロナ禍は私たちのこれまでの人間中心のあり方自分中心の生き方が
根底から問われているような気がします。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに共々に生かされて
共存していくという基本的なあり方です。
 専門者会議は新しい生活様式を具体的に提案しています。
この数か月で培った経験を活かし
今できる精いっぱいのことをさせていただく今日の一日でありたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.6)
円光寺
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