本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

これからコロナとながーいおつきあいになります

 昨日緊急事態宣言解除の発表がありました。
47都道府県のうち39県は解除でその他の8都道府県については特定警戒が続くということです。
 
 コロナ禍で毎日数字が気になります。
東京都の感染者数です。
 この一週間でずっと減少傾向が続き一昨日は10人でした。
これでこのままいくのかなと思っていたら昨日は30人に増え
お隣りの神奈川県も31人で前日の3倍です。
 
 今の現状を数字で表し分析してこれからの対応を考え実行するということです。
極めて科学的な対処法ですが
私たち一般の見方は数字だけを見て一喜一憂するばかりで本当のことが実は分かっていません。
 数字を冷静に分析して分ってらっしゃる方が専門家科学者です。
専門的な知識をもって科学の目で冷静に分析できる人です。
 
 昨日昼の情報番組でノーベル賞の山中伸弥さんが出演していました。
コロナ禍でずっと発言発信を続けられています。
 マラソンの瀬古利彦さんも出ていました。
山中さんはマラソンをすることでも有名で瀬古さんとも大変懇意にしている間柄だそうです。
 
 山中先生は科学者ですから冷静に今の状況を分析して
「今まではコロナとの闘いといってましたがこれからはコロナとの平和的共存です」と
話されたことがとても印象的でした。
 新型コロナウイルスをこの地球上から無くすゼロにすることは不可能だといわれます。
感染者がたとえゼロになってもコロナはこれからも存在し続けるというのです。
 そこでこれからはコロナと長く付き合っていかなければならないと
コロナとの平和的共存を提言されたのです。
 
 一方で瀬古さんの聞きたいことはただ一つ
「来年の東京オリンピックはどうなりますか」と聞かれました。
 山中先生の答えはできるともできないともおっしゃいません。
何をもってコロナの感染収束をいうかは見方が分かれるところですが
収束するのは一年後になるかもしれないし一年以上かかるかもしれないと言われました。
 
 山中先生の発言はすごく説得力のあるものでした。
政治の中枢にいる国のリーダーは社会経済のことを考えて早く良い答えが聞きたいばかりです。
 オリンピックの一年延期が決まったときに安倍首相をはじめ関係者が口をそろえて
「人類がコロナとの闘いに勝った証として明るい未来に向けてのオリンピックにしましょう」
と言われたことを鮮明に思い出します。
 
 このたびのコロナ禍に遭遇した私たちの立ち位置が問われています。
何を依りどころに何のために生きているのかということです。
 今月のお寺の掲示伝道のことば
「この星に 住むわれら みんなつながって 一つのいのちを 生きている」私たちです。 
 
 歎異抄に「煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろづのこと みなもつてそらごとたはごと まことあることなきに
ただ念仏のみぞまことにておはします」と親鸞聖人の仰せです。
(わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって
 すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである) 
 
 私たちが生きる無常の虚仮不実の世界にあって
私たちは真実に遇うことがないままに自分の都合を振り回し
結果自分の思うようにいかずに苦しみ悩み迷っていると
阿弥陀さまはこの私のありのままのすがたを見抜かれて必ず救うそのまま救うと
南無阿弥陀仏のお喚び声(お念仏)となっておはたらきくださってあると聞かせていただきます。
 
 コロナの時代にあって私たちはコロナ禍から抜け出ることはできません。
緊急事態宣言が解除になって私たちの生活が元通りになるということではありません。
 コロナとながーく付き合っていく覚悟をもって平和的共存です。
コロナも共々に阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに生かされてあると聞かせていただき
今私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.15)

私のことを思うてくださる人がいる

 昨日はお通夜のご縁で10人ほどのお参りでした。
このたびのコロナ事情で家族葬ということです。
 葬儀社のいつもの広い会場に椅子と椅子の間隔を十分とってありました。
家族葬とはいえ葬儀社の職員はいつも通り司会の方もお世話をしてくださる係の方も普段通りでした。
 
 こんな話をするのは今は家族葬というとお参りされる方を想定していませんから
司会もない会葬御礼の品もないお斎もないとないない尽くしの極めて簡略なお葬儀になっています。
 家族だけで静かに見送りますというお気持ちはよくわかります。
亡くなられた方以上に喪主の関係者のお参りが多い大人数のお葬儀は何かと大変です。
 ただ人と人との最後のお別れです。
家族だけではなく生前お世話になったご縁のある方とのお別れでもあります。
 
 葬儀が済んだ後から次々と自宅にお弔問の方のお参りがあって大変だったと
家族葬をされた方の後日談です。
 有難いじゃないですか。
思うてくださる人がいるということです。
 それは亡くなってからということではありません。
人と生まれて長いご生涯のなかに多くの人と出会ってご縁をいただくということです。
 今たくさんの方が私のことを思うてくださるということです。
それこそ退職されて高齢になって日々のおつきあいは縁遠くなりますが
「あの人は今頃どうしているかな」とお互いに思い思われるなかに私たちの日々の生活があるということです。
 
 この目には見えないけれどもたくさんの方々に支えられて生かされてあることを
お念仏のみ教えを聞かせていただくなかに有難く思います。
 「いつも私が一緒だよ。どんなことがあってもあなたを見捨てることはないから大丈夫だから」と
南無阿弥陀仏のお喚び声を聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.14)

仏さまのご縁お念仏の講です

 昨日中陰(ちゅういん)七日日(なぬかび)のご縁が2件ありました。
七日日にはご家族をはじめご親族の方がお参りです。
 昨日の1件のお家は近所のお友だちがお参りでした。
仏さまのご縁です。
 
 お念仏のご縁に集う念仏講といいます。
講とは集い集まりということです。
 人人が寄り合うということでお寄り講とも寄合い講ともいって
お念仏の先人は日々の生活の中で講を催し仏さまのご縁をいただいて
お同行のお友だちと会うことを楽しみにしてこられたと伝えられます。
 
 今はコロナ禍で外に出ること人に会うことが自粛されていますが
ラジオやテレビなどの娯楽がない時代に
月に何度か日を決めて集落の人たちがそれぞれのお家に集まってお念仏の講をしていたと聞きます
 
 このお朝事のご縁もお念仏の講です。
人数の多い少ないではなく思いをもった人人がご一緒にご縁をいただけるのがお念仏の講です。
 お念仏の講は阿弥陀さまがこの私を必ず救うと開いてくださった
南無阿弥陀仏のお救いの法に遇わせていただくご縁なのです。
 
 何か人が多く集まる会を盛会とほめたたえるところが私たちにありますが
人が多く集まったから私が救われるわけではありません。
 阿弥陀さまの真実のお心おはたらきを聞かせて信心いただきお念仏申す身にさせていただくなかに
この私が阿弥陀さまのお浄土に往生させていただくお救いがあるというのです。
 
 私一人のためのお念仏の講ですが
お念仏の人人が集うことの有難さを思います。
 お念仏を喜び申す人に遇わせていただく楽しみです。
その尊いおすがたにふれてまた仏さまのご縁をいただけるのです。
 
 今はコロナで大変です。
早く収束を願うばかりですが
このコロナ後です。
 コロナ以前の元通りの生活にすぐ戻ることは難しく
コロナ後の家庭生活社会生活が変わってくると思います。
 
 お念仏申す生活のあり方お寺のあり方も変わります。
お寺とご門徒有縁の方との関係でいうと講ということが大事になってくると思います。
 方々から大人数が集まってということではなく
近くのご縁の皆さんが気持ちをもって集うお念仏の講です。
 ただ仏さまのご縁といって私たちがじっとしていて
仏さまがすべて段取りしてくれるものではありません。
 皆さんでつくっていくご縁です。
 
 今日のお朝事もそうです。
皆さんお一人お一人の思いがあって今日もこうしてお朝事のご縁に遇うことができたということです。
 私一人のために阿弥陀さまがつくってくださったご縁といただいて
どうぞこれからもご縁ご縁にお念仏のみ教えを聞かせていただきましょう。
そして一人でも多くの方に伝えてまいりましょう。
 私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.13)

御和讃より「念仏成仏是真宗 万行諸善是仮門」

 今日のご和讃で「念仏成仏これ真宗」といただきました。
歎異抄には「本願を信じ念仏申さば仏に成る」とあって
念仏申すことが成仏の条件のようにもいただけます。
 ご和讃は「万行諸善これ仮門」と続きます。
さまざまな善い行いによりさとりを開くという教えは方便であるというのです。
 つまり前述の句は
念仏により仏のさとりを開くという教えこそが真実であるいうことなのです。
 
 お念仏のおはたらき南無阿弥陀仏の他力の回向によるものということです。
ただいまの御文章さまのなかに
「南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入せり」とご和讃をいただきました。
 
 浄土真宗の教義は
阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせて信心いただき
南無阿弥陀仏のおはたらきにひとつで阿弥陀さまのお浄土に往生して仏となり
この世に還って来て衆生を救うというみ教えです。
 
 南無阿弥陀仏の六字のお名号に私が救われるすべての手立てを成就されて
私に届けてくださってあるのです。
 南無というは帰命なりと「われにまかせよ」というのです。
阿弥陀仏はその行「必ず救う」の阿弥陀さまのおはたらきです。
 
 阿弥陀さまは生きとし生けるすべてのものを必ず救うとご本願を起こし成就され
「われにまかせよ 必ず救う」と南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
阿弥陀さまの方から私を喚びづめに喚んでくださってあるのです。
 
 そのお喚び声に「はい おまかせします 阿弥陀さま」とお念仏申すところ
阿弥陀さまはいつでもどこでも摂取の光明のなかに私とご一緒くださってあるのです。
 
 本願を信じ念仏申さば仏に成るとは
私をして本願を信じせしめ念仏申させて仏に成らせるという阿弥陀さまの誓願のお心
南無阿弥陀仏の他力の回向おはたらきによるものなのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.12)

遇うこと難き仏法に今ここに遇わせていただきます

 昨日は母の日でした。
今は高齢のお母さんはお父さんもそうですが
介護施設に入所したり病院に入院されている方が多くいらっしゃいます。
 お母さんに会って感謝の気持ちを伝えたいということですが
コロナ感染防止のために施設や病院に行っても会うことができないといいます。
 東京の施設でガラス越しに母と子が手と手を重ねる写真が新聞に掲載されていました。
お互いに姿は見えますし声も携帯電話で聞こえますが
ガラスで仕切られた空間では触れ合うことができません。
 
 大切な方に会いたくても会えないのです。
この前のゴールデンウイークでも遠方から故郷に帰省したり観光に行ったりすることがかないませんでした。
「今は来ないでください」という観光地からのメッセージです。
 当たり前のようにできていたことができないもどかしさです。
これが今の現実です。
 
 今日もお朝事のご縁で皆さんと会うことができた有り難さです。
阿弥陀さまの御尊前でご一緒にお勤めができお念仏申してお礼をさせていただきます。
 南無阿弥陀仏の仏法に遇わせていただく尊いご縁です。
南無阿弥陀仏と阿弥陀さまの方から私のところに遇いに来てくださってあるというご法義です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つに皆さんご一緒にお念仏の世界に遇わせていただくことを
本当に有り難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.11)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
5
4
3
4
8
TOPへ戻る