本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

私のお寺です

 今日で春のお彼岸の期間が終わります。
先程梵鐘をついて本堂の方を見ると本堂の入口の電気がついていました。
朝6時の時間も周囲が明るくなって本堂に戻って電気を消しました。
 今からいよいよ明るくなってきます。
 
 昨日まで三連休という方もいて東京のお花見の風景をテレビで観ました。
コロナ対策での外出の自粛は少し弱くなった感がありますが
宴会は禁止ということでいつもとは違ってそれぞれにお花見を楽しんでいるようです。
 
 大分は今大変です。
次から次に感染者が出てそれもこのすぐ近くの病院でのクラスターということで
コロナ禍が急に身近になりました。
 今は我慢の時辛抱する時だといわれます。
ただこれがいつ収束するのかわかりません見通しが全くと言っていいほどつきません。
 この緊急事態にあって私にできることをさせていただく
日々の営みを思います。
 
 先日はお彼岸のお中日のお勤めをさせていただき
久しぶりにご門徒有縁の皆さんにお会いできましたが
やむなく中止せざるをえない今の状況です。
 このお朝事も中止かどうかという話になるのかもしれませんが
本来お寺はいつも開いているところです。
 何の行事でということではなく
どうぞ皆さんご縁ご縁にふらっとお参りに来てください。
 
 自粛自粛で何かどこかここかすべてが閉ざされていたら
それこそ行き場のない私になってしまいます。
 その私にここにあなたの居場所があるよと用意してくださってあるのが
このお寺、皆さんのお寺、私のお寺なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.23)

「今はそんなこと言わないでくれ」

 毎月3回届く本願寺新報に「みんなの法話」のコーナーがあります。
3月20日号を読んで考えさせられました。
 
 お寺の役員さんが余命数か月という告知を受けて若院さんがお見舞いに行くことになったといいます。
何と声をかけていいものか心の準備をしていったそうですが
中々言葉も出ないなかで「よく来てくれたね」と声をかけてくれたそうです。
 そして何もできないなかで気がついたら
「一緒にお念仏申しましょう。阿弥陀さまは南無阿弥陀仏と、あらゆるいのちに入り満ちてお念仏となってくださいます。
いのち終えたらお浄土がありますよ…」と口走っていたそうです。
 
 いつもご法座にお参りされている方だから喜んでくれるのかと思ったら
「ぼんちゃん、言いたいことはわかるで。でもな、今はそんなこと言わないでくれ。
こんな病気に負けない。またみんなの前に元気になって立つから。
今は仏さまとか、お浄土があるとか言わないでくれ」と言われて、ショックだったというお話です。
 
 私にも心当たりがあります。
お坊さんだからと何か力が入って仏さまのお話をしなければとなるんですね。
 聞かれる人の今ある状況を考えることもなく
一方的なお話になってしまうのです。
 仏さまのお話です。
本当のことであってもその人が今聞きたいことではないのです。
 
 それから毎週お見舞いに行ったそうです。
会うたびにお姿が変わっていくなかで
ある日帰り際に「ぼんちゃん、一緒にお念仏しよう」とおっしゃって一緒に念仏申されたそうです。
 それが最後になったといいます。
 
 思い通りにならない体を抱えて毎日不安に押しつぶされそうになりながら生きていく中で
どんなことが起こったのか想像するしかありませんが
仏さまのご縁に聞いていた仏さまのお話が聞こえてきたのではないでしょうか。
 
 仏さまのご縁は日頃からのご縁です。
常日頃からお聞かせいただく聞いておくことが大事です。
 その時になって聞こうと思っても難しいです。
聞いておくことです。聞いておけば思い起こすこともあるでしょう。
 
 仏さまのご縁は阿弥陀さまと一対一のご縁です。
そこに他の人がお坊さんであっても立ち入ることはできません。
 
 阿弥陀さまのお救いはそのままのお救いです。
どんな状況にあっても苦しい中にも阿弥陀さまのお慈悲は南無阿弥陀仏となって届けられているのです。
 いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒してくださる大安心の中に
この身を生きそして安心していのち終えていくことができると日頃から聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.22)

フィールドバックのお念仏

 昨日オリンピックの聖火がギリシャから空路宮城県に着きました。
いよいよオリンピックが始まるんだなと盛り上がるところですが
テレビで観た歓迎式典の様子は凄い強風の中で予定していた招待客も少なく
無観客といったようななかでのちょっと寂しいことでした。
 
 フィールドバックということを思います。
ビジネス社会で教育や指摘評価という意味で使われるそうです。
 フィールドは野原平原とか競技場野球場という意味でオリンピックにも重なりますが
バックとは戻るということです。
 フィールドには現場という意味もあります。
私たちが生きているいのちの現場です。
 バックですから生きてきた現場に返る過去を振り返るということになります。
フィールドフォワードという言葉もあってこれから未来に向けて生きていこうとする現場ということでしょうか。
 
 そんなことを思ったのは
新型コロナウイルスのことで無観客で野球やサッカーをしたりコンサートや漫才をして
閉塞感のある現在の社会に発信することが話題になっていますが
テレビで無観客の相撲中継を観てやっぱり何か変な感じ違和感を感じます。
 
 現場とは生きているところです。
観客という人と一緒になっての現場というのが本来のすがたでしょう。
 
 フィールドバックで過去の現場をたずねます。
その現場には共に生きてきた人がいるそれもたくさんいるということです。
 現場をたずねるとはそうした人に会いに行くということでしょう。
 
 今ということでいったら生きている現場ここにも人がいます。
一人で生きているわけではなく今日のお朝事のフィールド現場でいったら皆さんがご一緒です。
 
 そしてフィールドフォワード
これから生きていこうというなかで思い描く現場です。
そこにも人がいます。
 
 過去現在未来といってその人人は切れているわけではありません。
過去の人今の人未来の人みんながつながっているということです。
 つながっているが人それぞれに生きているということで歳を重ねていきます。
 
 今こここの現場を生きる私が思うこと
若い時に思い描いたことが今できているのかということ
そして時間は少なくなりましたがこれからやろうと思うことについて
今その準備ができているのかということです。
 それは私が思うことであり最終的に判断するのも私ですが
大きないのちのつながりの中に人から教えられることもたくさんあります。
 
 フイールドバックで人に会いたいですね。
人に会って教えてほしいと思います。
 若い時分こんなことを言ってたじゃないかと言われてふっと気づくこともあるのではないでしょうか。
思っていたことができなかったと今ある自分を悔いることではありません。
 そうしたこれまでの人生の歩みのなかでいろんなことがあって今の私があるのです。
そして明日の私があるのです。
 
 私たちのフイールドバックの一番の大本は私たちのいのちの古里阿弥陀さまのお浄土と聞かせていただきます。
阿弥陀さまの本願念仏の救いの法に出遇って共々に阿弥陀さまのお浄土をたずねていく営みが日々のお念申す生活です。
 阿弥陀さまの智慧の光明に照らされて私の有り様が知らされそのまま摂取されて
頑張れ頑張れではなく一緒に生きていこうとおはたらきの
大きな大きないのちのつながりのなかに今日一日も生かされて生きていくことができるのです。
 
 私が生きる現場をいつでもそのまま支えてくださってあるフィールドバックのお念仏の頼もしさです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.21)

お彼岸のお中日です

 お彼岸のお中日です。
お彼岸といいますとお墓参りが一つの風物詩になっていますが
今年は新型コロナウイルスの影響でしょうね、納骨堂のお参りもちょっと寂しいようなことです。
 
 もちろんいつものようにお参りされる方もいて
ピンポーンピンポーンと昨日一昨日ぐらいから本堂に出入りする人の音が聞こえます。
 ピンポーンピンポーンのチャイムに何かほっとします。
有難いことです。
 
 このお朝事のお勤めの後円光寺墓地にお参りに行きます。
皆さん気持ちをもってお参りされることですが
今このような事態にあって人人それぞれに気を付けましょう。
 
 昨日は臼杵在住のご夫婦2人の感染者が出たという報道です。
ウイルスの脅威が急に身近になってきました。
 
 ウイルスはこの目には見えません。
いつどこでどんな形で感染するかわからない不安を抱えて心配です。
 
 今各国の指導者が見えない敵との戦争という言葉まで使って
ウイルスとの戦いを喚起しています。
 
 本当に何があるかわからないまさに無常の世を生きている私たちです。
どんなことがあっても私がいるよ大丈夫だよとおはたらきくださってある
南無阿弥陀仏のみ教えに聞かせていただきましょう。
 
 お彼岸のお中日お昼の1時半からお勤めをさせていただきます。
どうぞお参りください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.20)

どんな状況にあっても仏さまのご縁は開かれています

 昨日お寺の会議で
今新型コロナウイルスの感染拡大防止でいろんな行事が中止になる中でお寺の行事も中止になり
お彼岸のお勤めも中止ということを聞くがちょっと違和感があるという話を聞きました。
 
 お寺のお勤め今日のお朝事もそうですが
このお勤めは私が仏さまにお礼を申す日々の営みです。
 お念仏申す日々の営みのなかで時節折々により多くの方にご縁をいただいてほしいと願い
開くのが法要でこのたびのお彼岸のお勤めであり仏さまのご縁なのです。
 
 そのご縁にお参りするとかしないとかはその人人の思いであって
仏さまのご縁はいただきものですから中止するとかしないとかの問題ではないのです。
 私がつくるご縁ではなく仏さまからのいただきものですからそのままいただいて
お寺の住職の私のつとめできることをさせていただくというのが
今日のお朝事のご縁でもあるわけです。
 
 ただ年に何回かの法要になりますとご法話いただく予定のご講師の先生に対しても
ご出講いただくかどうか決めないとということで中止とご案内したお寺さんもあると思います。
 お彼岸のご縁にお参りしていただいてよいのです。
ご一緒にお勤めをして住職がご法話させていただければ尊いご縁です。
 どんな状況にあっても仏さまのご縁は開かれているのです。
これが私たちのお寺の日々の営みです。
 
 今回のコロナウイルスのことで行事は中止になっても生きることは中止になりません。
どんな状況にあっても私たちは生きていかねばなりません。
 ものがのどに通らないというような悲しい時でも私たちは食べています。
生きているのです。
 
 仏さまのご縁お勤めは食べることだといただきます。
いただくということです。
 仏さまのお慈悲をいっぱいいっぱいいただくということです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきをいただいて
どんなことがあってもどんな状況にあっても阿弥陀さまがご一緒だという思いのなかに
今日も一日生かされて生きていけるのです。
 
 その思い一つに明日一日ですがお彼岸のお中日の法要をお勤めさせていただきます。
どうぞ隣の人に声をかけられお誘いあわせお参りしていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.19)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
4
7
1
9
8
TOPへ戻る