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お念仏を申す生活法話

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墓じまいの御礼のお勤めです

 昨日は2件のお家の墓じまいのお勤めをさせていただきました。
墓地のお墓からお遺骨を納骨堂に移すということで改葬といいます。
 
 墓じまいや仏壇じまいということを聞くことが多くなりました。
何か仕舞うというとそれで終わりということですが
お遺骨の居場所が変わるということです。
 
 ご本尊の阿弥陀如来さまをお供して
お墓の前でお御礼のお勤めをさせていただきました。
 お墓でもお仏壇でもこんなときに
魂を抜くとか魂を入れるとか言われますが
誰が何をもって魂を抜いたり入れたりするのでしょうかね。
 そもそも魂って一体何でしょうか。
 
 これまで長い間ご先祖のお遺骨をお守りしてくださり
仏さまのご縁をいただいたお墓に御礼をする大きな節目のご縁です。
 一件のお家はご法事のようにたくさんのご親族有縁の方々がお参りされて
大変にぎやかでした。
 
 お遺骨の居場所は変わりますが
お参りされるときはナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すことに変わりはありません。
 
 阿弥陀さまのお浄土に先に往かれたご先祖を偲び
同じお浄土に生まれさせていただくお念仏のみ教えを聞いて
南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりのなかに
これからも共々に日暮らしさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.29)

お花見は来年もできますよ

 先日大分で桜の開花宣言がありましたが
九州では鹿児島が一番遅かったといいます。
 これも異常気象によるものなのでしょうか
東京は先週から桜が満開ということで多くの花見客があったそうです。
 
 今週明けからずっと小池東京都知事をテレビで拝見します。
オリンピックのことも大変でしたが今はコロナウイルスです。
 先の連休が終わった途端ガラッと変わった緊張感の中で
爆発的感染とか首都封鎖とかすごい言葉が飛び出しました。
 
 今日明日の週末の外出は控えてほしいとの自粛要請です。
今は花見の絶好の時期です。
 東京の花見の名所はことごとく閉鎖です。
閉鎖したら花見に出かけることもないだろうということですが
昨夜今朝のニュースを観ても若者を中心にたくさんの人が街に繰り出しています。
 
 昨日NHKテレビにノーベル賞の山中伸弥教授が出演して
「桜は来年も帰ってくるがコロナウイルスで命を亡くした人はもう帰ってこない」と言っていました。
 そうなんです。分かっていますが
分かっているといって自分は大丈夫という私がいるということです。
 このたびのコロナウイルスの事だけではなくて
実は私は大丈夫私は大丈夫というところに一番の落とし穴があるのです。
 
 大丈夫でない私がいると見抜かれたのが私たちの阿弥陀さまです。
大丈夫じゃない私がいるから南無阿弥陀仏となって私のところに来てくださって
大丈夫でない私をそのまんま救うとおはたらきなのです。
 南無阿弥陀仏「まかせよ救う」と喚んでくださるのですから
「はいおまかせします」とそのまま聞かせていただきましょう。
 
 自粛といってこれもいけないあれもいけない全部いけないといっているのではありません。
この一大事にお念仏申して阿弥陀さまのお心を聞かせていただき
私にできることをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.28)

今朝6時の梵鐘をつけませんでした

 朝起きていつもの事をするのですが
今日は不思議な体験というか
いつもの時間に起きて洗面をして仏さまにお仏飯をお供えしてお線香を炊き
本堂を開けて庫裡に戻り鐘をつきに行こうと思って時計を見たら6時8分でした。
 いつもより10分遅れていました。
それで今日は梵鐘をついていません。
 
 空白の10分一体何をしていたのだろうと
いつもの事を一つ二つ三つと思い返しても心当たりがありません。
 今でも何とも不思議な感覚です。
 
 何か考え事をしていていつもする事がゆっくりになったのではと坊守は言いますが
テンポがゆっくりといって10分は結構長い時間です。
 
 そういうなかにもこの時間いつものように皆さんご一緒にお朝事のお勤めができました。
何か安心します。安心できます。
 
 私たちはこうしてこうしてこうなってほしいという思いで日々生活していますが
そういうことってほぼありません。
 自分の思いはそうでも私一人で生きているのではなく
そこに皆さんそれぞれが思いをもって生きているということで
自分の思い通りにはいきません。
 
 仏法を聞かせていただくと
自分一人ではなく皆さん共々に生きているなかに実は安心できているということです。
お互いに生かされているということなのです。
 
 私が私がと自分に力が入るからこんなはずじゃなかった思い通りに行かなかったと
ある時には落ち込んだりある時は周りのものを責めたりすることもあるのです。
 
 コロナウイルス感染の脅威の中にも
私たちは生きています。
 お互いにいつもの生活ではありませんが
共々に生きています。
 
 いつでもどこでもどんな状況にあってもご一緒くださる阿弥陀さまです。
南無阿弥陀仏のお念仏を依りどころに今日も一日生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.27)

南無阿弥陀仏のお念仏の鏡です

 昨日大分の桜の開花宣言がありました。
お寺の境内のしだれ桜も数日前から開花ということですが
何かいつもと違います。
 何でもコロナウイルスの影響といってしまってはいけないのですが
何か春を迎えるお花見に行こうという気分になれません。
 
 ただもう春は来ています。
そろそろ身支度をして外に出ろうということになるといいなあと思います。
 
 自粛といいます。
ある意味自分を見つめることかなと思ったりします。
 自分を見つめるといってどんな見方で私たちは自分を見るのでしょうか。
自分で自分を見るということでしょうが
どうしても自分に甘くなる見方になってしまいがちです。
 
 仏法を聞くことを仏法の鏡を見ることと言われます。
南無阿弥陀仏のお念仏の鏡をいただきます。
 こうして皆さん仏さまの方に身を向けてますよね。
仏さまの鏡にあっているのです。
 
 朝起きて鏡を見ます。
外出する時も鏡を見ますね。
 鏡を見て髪をとぎ顔を整えます。
直すのです。
 鏡を見ないとこの顔自体は見えないわかりません。
鏡を見て顔にご飯粒がついていることに気づいて直すのです。
 
 南無阿弥陀仏の鏡本願念仏のみ教えです。
お念仏の鏡にありのままの私が映し出されます。
 私が私がと自分中心に生きて苦悩する私を知らせて
そのままお念仏申す私に直してくださるのです。
 
 お念仏の携帯の鏡がついて離れず私にご一緒です。
ナンマンダブツとお念仏申して今日も一日阿弥陀さまと共に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.26)

私の都合あなたの都合みんなの都合

 東京オリンピックパラリンピックの開催について
延期を含めた話に入るということです。
 
 この社会の事柄は何についても一人でできることはありません。
そこに二人三人と人が入ればそれぞれの都合があります。
 その事柄が大きくなればなるほど今回のオリンピックでいえば
世界中の都合を思いはかってのことで
こっちを立てればあっちが立たずで中々物事が決まりません。
 
 ただ決めなければなりません。
10人が10人ではありませんが大方皆さんが「ああそうやな」と納得できる形で
政治の世界では根回りというのでしょうか
関係者の方々に連絡を取りながら決定するということです。
 
 コロナウイルス感染が急に身近なものになりました。
予定していたことを変更しまた変更するという事態です。
 先行きが見えない不安が判断を難しくします。
そして私の都合が大きくなります。
 
 私たちのこの社会生活はお互いが生きているということです。
今5人の方が円光寺の本堂にいらっしゃいます。
 この時間この場所に皆さんの思い一つに阿弥陀さまのご尊前に座ってらっしゃることです。
皆さんの都合が合ったのです。
 
 みんながいつでも一つになればということですが
そのこと自体も私の思い私の都合です。
 思いが一つになるそれぞれの都合を合わせることの難しさです。
 
 家庭生活の中もそうだし地域社会の中でも会社組織の中でも
自分の都合を言い張っていくばかりではうまくいかないし
時には他の人の都合に合わせることでお互いに思い合って共々に生きていくということでしょう。
 
 仏さまのご縁に遇って皆さんと共々にお朝事のお勤めができて
今日の一日をまた始めさせていただくことを本当に有り難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.24)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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