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お念仏を申す生活法話

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お浄土からのお届けもの

2024-09-12
 この時期、いつものご門徒さんから
いつもの葡萄が届きました。

 県内の葡萄の名産地にブドウ狩りに行かれて
おすそ分けを持ってきてくださるのです。

 今年はいつものご門徒さんではなく
長男のお嫁さんが持って来られました。

 いつものご門徒さんは
一か月前にご往生されたのです。
 急な悲しいお知らせでしたが
最期は自宅でご家族お友だちとも
最後のお別れができたと聞いていました。

 先年病気になって入退院を繰り返し
お寺のご縁はご遠慮されていたようですが
お家にお参りに行くと
コーヒーを煎れて
手作りのケーキや果物など盛りだくさんに
お接待してくださいました。

 「一年一度のお寺参りのご縁です」と
決まってシャインマスカットと巨峰のお供えです。

 ご家族の方も知っていたと思いますし
申し送られたことかもしれませんが
いつもの葡萄が届きました。

 お浄土からいつものお届けものです。
お念仏申して有難くいただきました。
 
 これからはいつもお浄土から
南無阿弥陀仏のお喚び声を届けてくださるのですね。
 お念仏申して有難くいただき
往生浄土の道をご一緒させていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.12)

被爆体験者

2024-09-11
 被爆体験者44人が
被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で
長崎地裁は一部15人を被爆者と認め
手帳の交付を認めました。

 被爆体験者とは
国が引いた被爆地域から漏れた
被爆者と認められずにいる人です。

 同じような訴訟が広島でもあり
2021年の広島高裁判決では
全員が被爆者と認定され
国は控訴せず判決が確定した先例があり
今回も同じ期待があったのですが
判決は従来通り被爆者と被爆体験者を
線引きするものでした。

 被爆者も被爆体験者も
平均85歳前後の超高齢者になっています。
 今回被爆者と認定されなかった88歳の原告団長は
「最後までたたかう」とコメントしています。

 被爆から79年です。
日本が戦後復興していくなかで
私たちは豊かで便利な生活を享受してきましたが
被爆され多くの病気に苦しみ
被爆体験者と名づけられて
「人間の尊厳」を取り戻すために
救済を求めてきた人たちがいるのです。

 朝ドラ『虎に翼』で
原爆裁判のことが取り上げられていました。
 大きな力に翻弄されて
今なお分断され差別される人たちに
憲法14条「法の下の平等」は
本当に生きているのでしょうか。

 その時代人間社会の仕組みの中で
それぞれの人の立場や思いはからいで
動いているようなところがあって
それぞれの人が生きる現実に
本当に向き合っているのでしょうか。

 仏法のなかの平等です。
どんな人も分け隔てなく必ず救うとおはたらきの
阿弥陀仏のご本願のお心です。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
分断も差別もない
生きとし生けるものすべてが
共々に寄り添い支え合って
自他共に心豊かに生きて往ける世界が
広がっているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.11)

1631回連続出場

2024-09-10
 大相撲の玉鷲関が
2004年初場所の初土俵以来
1631回連続出場の新記録を達成しました。

 大相撲の醍醐味は
巨漢力士が真っ向からぶつかる
ガチンコ勝負です。

 年6場所90日間の壮絶な肉弾戦は
ケガがつきもので
休場力士がいない場所はないし
大けがで番付がずっと下がることもあります。

 そんななかで20年間休まず出場し続けるだけでなく
勝ち星を上げなければ番付が下がり
引退していくしかありません。

 「自分一人だったら、ここまで来ていない」
玉鷲関のコメントです。
 モンゴルから異国の地日本に来て
未知の相撲界に入ってと
大変苦労も多かったと思いますが
周りの人たちに支えられ頑張ってこれたのでしょうね。

 「継続は力なり」と言葉があります。
物事に向き合い一つ一つ続けることで
それが身につき生きる力になるといいます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきは
「まかせよ救う」の阿弥陀仏のお喚び声の継続です。
 お念仏の声に励まされて
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながり
お慈悲のなかに生かされて生きて往ける
お念仏の道がどんな人にも開かれているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.10)

「何かあった時は……」

2024-09-09
 「何かあった時は私に連絡してください」
同窓会を開くことで
体調不良の夫のことを心配して
電話でお願いがありました。

 「何かあった時」とは
緊急を要する時のことで
今までどのようなことがあったかわかりませんが
「わかりました」とこたえました。

 「何かあった時」などと
不吉なことを想いますが
この歳になって病気持ちの人もそうですが
若くて健康などんな人にも当てはまることです。

 この身の上にいつ何が起こってもおかしくない
無常の世に生きている私たちです。

 「仏法には明日はない」と言われますが
私たちは何か自分に不都合な嫌なことがあると
「明日がある」といっては
そのことに向き合おうとせず
結局は先送りしてしまいます。

 後生の一大事といいます。
この人間界に生まれたことの一大事です。
 「何のために生まれて来たのか?」
「生きることの意味は?」
「どこに向かって生きていくのか?」と
仏法に聞かせていただきましょう。

 「何があっても大丈夫!」
いつでもどこでもどんな時でも
お念仏申して
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.9)

「人生は苦しいなあ」※転載

2024-09-08
 人生には楽しいこともあれば
苦しいこともある。
 私たちはそう思って
人生を歩んでいます。

 ところが釈尊は
「人生は苦だ」とおっしゃいます。
 何か身も蓋もない感じがしますが
今回はこの釈尊の言葉について
考えたいと思います。

 釈尊は
「変化し続けている(無常である)ものは
苦である」とおっしゃいます。

 私たちはずっと若く健康でいたいと思いますが
それはかないません。
 誰でも年を取り病気にもなります。
あらゆるものは「変化し続ける」のです。

 この「変化したくない」という願望と
「変化し続ける」という事実との間で
苦を感じるのです。

 では私たちはどうすればいいのでしょうか。

 釈尊は「苦であるものは私ではない。
私のものではない」とおっしゃいます。
 人生も「私の人生」という思いが強すぎると
自分の願望と現実の違いに苦悩を感じます。

 「私の」という思いをなくすことは難しいですが
「変化し続けているもの」は「私のもの」ではなく
「頂いたもの」と捉え方を変えてみるとどうでしょう。

 この人生は頂いた人生である。
そう受けとめると人生の見え方が変わるように思います。

※『本願寺インスタ倶楽部』
   (本願寺派総合研究所 芝原弘記研究員)より転載
    ー本願寺新報2024年9月1日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.8)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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