フラットホームなお寺です
昨日ご法事がありました。
今この時期ですからご親戚の方が一人お参りでした。
私より数年先輩の若い頃から知ってる方でお勤めの後しばらくいろんな話になりました。
コロナ下で生活が変わりましたかとお尋ねしました。
仕事を退職されてずっとお家中心の生活だそうです。
毎日家の近くの畑をしたり植木の剪定や草取りをしたりとかでコロナの前も今も生活は変わっていないということです。
変わったことは月に2回なじみのお店に飲みに行っていたのが
コロナでお店が閉まっていて行けなくなったとちょっと寂し気に言われました。
飲みに行くのが楽しみだというのです。
ただ飲むだけだったらステイホームで家でも十分できることですし
お金もそんなにかからないから月2回以上は十分に飲めます。
人に会って話をしたり聞いたりする楽しみです。
お店に行くと常連客といういつもの人がいます。
いつもの人がいなくてもその人の話になって盛り上がります。
いろんな人の話も聞けて情報源になります。
たまり場です。
そこに行くと誰かに会える楽しみです。
もう一つ散髪に行く楽しみを言われました。
床屋さんも常連客のたまり場です。
「最近あの人見らんのやけどどうしちょるん?」と聞くと
床屋の店主が「この前来たで元気やったで」と何か安心し
「ひそう来てねえなあ」と心配して連絡を取ることもあると言います。
何かいいですね。
人と人とがいい距離でしっかりつながっている感じです。
お寺もこうしたたまり場になるといいですね。
仏さまのご縁はいつでもどこでも誰にでも開かれた阿弥陀さまのおはたらきの場です。
このたびのコロナ禍でお寺の4月5月の法要行事は中止にさせていただきました。
ただお寺自体はずっと開けていました。
お朝事はいつものようにお勤めしていましたし納骨堂にも皆さんお参りされていました。
お寺にお参りしていつもの人に会える楽しみです。
ふらっと立ち寄れるところです。
よくお寺は敷居が高いと言われますが本来はフラットな平らなところです。
フラットホームです。
ふらっと帰って来れる家です。
お寺はご門徒皆さんの家そして皆さんはお念仏の家族です。
南無阿弥陀仏のつながりのなかに今日もまたお朝事のご縁をいただく有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.25)
私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです
私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです。
ただいまの御文章さまに「当流の安心(あんじん)の一義というは ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり」とあり
「南無阿弥陀仏の六字のすがたは すなわちわれら一切衆生の平等にたすかりつる すがたなりとしらるるなり」と
いただきました。
南無阿弥陀仏のおはたらきひとつで誰もがみんな平等に救われるというのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきは勝行とも易行ともいわれます。勝れた易しい行です。
南無阿弥陀仏が勝行というのは
阿弥陀さまがすべてのものを必ず救うとご本願を起こされ修行されて成就されたおはたらきだからです。
勝の反対は劣、劣るということです。
仏さまの真実に背を向けてどこまでも自己中心に生き迷いのなかに苦悩する愚かな私を見てとって
そのまま救うとこの上ない勝れた行を阿弥陀さまが南無阿弥陀仏と成就しておはたらきなのです。
そして易行です。
易行の反対は難行です。
一般に仏道は厳しい学問修行を積んで仏のさとりを開くとの教えです。
ところが家が在り家族と共に生活する私たちには一つの修行さえままなりません。難しいのです。
そこで阿弥陀さまは社会生活を営みながらも救われて往く仏道を工夫してこしらえてくださったのです。
それが念仏一つで救われる仏道なのです。
南無阿弥陀仏のおいわれを聞いて信心いただきお念仏申す身にさせていただいてこの人生を生き抜き
命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏のさとりを開かせていただく仏道です。
それも私に何一つ救いの条件を出されるのではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つに成就してあるとの仰せなのです。
「われにまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せにそのまままかせてお念仏の道を歩ませていただけるのです。
難しい修行の一つもない念仏一つの易行なのです。
南無阿弥陀仏を聞いてt信心いただきお念仏申す身にさせていただくといって
聞くことも信じることもナンマンダブツとお念仏申すことも何か私の手柄のようですが
すべてが南無阿弥陀仏のおはたらきなのです。
念仏一つで救われるとは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるということです。
阿弥陀仏の本願力回向のおはたらきだからこそ一切衆生が平等に救われるのです。
私もそうだし隣の人もそうだし先に往かれた方もそうだしこれから後に続く者もそうだし
みんな南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきに生かされて
大きないのちのつながりのなかに生きていると聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.24)
フライデーオベーション金曜日の正午に拍手をして感謝しましょう!
先ほどお朝事前にテレビニュースで
プロ野球広島カープの選手たちが昨日球場のマウンドに横一列に並んで全員で拍手をしていたようすを観ました。
フライデーオベーションというそうです。
金曜日の正午から一分間みんなで拍手をしてコロナ禍の最前線で頑張っている医療従事者をはじめ
私たちの命を守ってくだっている皆さんに感謝しましょうとの呼びかけに応じたものです。
ヨーロッパから始まったといいます。
私たちの命を守ってくださっている方々です。
ステイホームで自宅で自粛生活していても私たちは生きています。
生きるということは食べることであり食べることはごみを出すことです。
ごみを出しっぱなしにしていたら衛生上よくありませんし社会生活をするうえで秩序が保たれません。
ごみを収集する人がいなかったらこの社会はとんでもないことになってしまいます。
何かいつもは当たり前のように思っていることが決して当たり前ではない
多くの方々が支えてくださってある社会に私たちは生きているのです。
一週間に一度ですが時間を決めて皆さんでということです。
時間を決めるからこそれぞれ生活ぶりの違う皆さんが思いを一つにしてできるんですね。
このお朝事もそうです。
時間を決めて皆さんでということです。
皆さんで一緒にということですが
皆さんお一人お一人が思いをもって日を決めてお参りさせていただくご縁です。
お朝事のご縁は毎朝6時半と決めてお勤めをさせていただいています。
朝6時半に皆さんお参りしましょうと決めてくださり呼びかけてくださってあるのです。
仏さまのご縁です。
阿弥陀さまが決めてくださってあるご縁といただきましょう。
決めてくださらないと中々自分からお参りしようということができない私です。
今できなくてもいつかできる今日じゃなくても明日があると
往々にして大事なことを先延ばしにする私です。
今はコロナ禍で自粛生活を送る中自分一人の時間がたっぷりあります。
こうしてこうしてこうしようと自分で決めて自分の思うようにできたらいいのですが難しいです。
決めてくださってあることの有難さです。
こうしなさいと強制されるものではありません。
ご一緒しましょうと南無阿弥陀仏のおはたらき一つで呼びかけてくださる仏さまのご縁です。
往生浄土の人生です。
阿弥陀さまが私のことをいつでもどこでも南無阿弥陀仏と思い取ってご一緒くださり
この命終わって私が生まれ往くところをお浄土と決めてくださってあることの有難さです。
南無阿弥陀仏のおはたらきに安心してまかせて
今日一日も阿弥陀さまがご一緒の日暮らしをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.23)
「あなたたち 今こんなことしてて 本当に大丈夫なの?」
昨日大阪京都兵庫に出ていた緊急事態宣言が解除になり
あとは首都圏1都3県と北海道を残すだけになりました。
いよいよコロナ後に向けて自粛生活から新たな生活へということです。
このままでは経済が持ちこたえられないという危機感もあり不安な社会生活のなかで
昨日渦中の東京高検検事長が賭けマージャンをしたという週刊誌報道を受けて今日にも辞職するということです。
緊急事態宣言の最中にマージャンをする。一部屋に籠って4人が雀卓を囲む光景が目に浮かびます。
コロナ感染防止で常に言われる三密の典型です。
マスクはしていたのでしょうか。
何もこんな非常時にさすがにそれはないだろうと思うようなことですが
私たちの身の上に置き換えてさあどうでしょう。
私たちに何の根拠もなく私は大丈夫というところがありませんか。
大分県はずっと感染者が出ていないし緊急事態宣言も解除されたからもう大丈夫という油断です。
100%大丈夫というのが本当の大丈夫です。
大丈夫であってほしいと思いたい私ですが
何が我が身の上に起こるかわかりません。
どこまでも自己中心に自分の都合に合わせてものごとを見て考え行動する私たちです。
そして縁次第ではそれが大方の人から見て滑稽にさえうつることも
平気でどんなことでもしかねない私がいます。
仏さまはそんな愚かな私を見てとってくださっているのです。
コロナ感染が収束していないなかにも
世界の政治経済のリーダーたちはコロナ後のあり方を自分たちの都合のいいように考え
互いにつばぜり合いを始めています。
アメリカと中国です。
何やかんやと非難の応酬合戦です。
今はまだコロナの真っただ中で
これからコロナと長く付き合って共存共生していかねばならないといわれるなかに
お互いの利権を求めてどこまでもです。
世界中の科学医学の英知を集めて治療薬やワクチンの一刻も早い開発が望まれますが
これも各国間の競争になっている現状です。
人類の危機とまで言われるなかでわが身のことばかり繰り返し主張しています。
コロナが私たちに「お前たち本当にこんなことしていて大丈夫か」と問いかけているようです。
コロナの話は遠い遠い世界の話ではなくて今現在この私の命と生活に係ることです。
このコロナの時代をどう生きていくのか
仏さまのみ教えに聞かせていただき
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.22)
全国高校野球大会も中止です
全国高校野球大会<夏の甲子園>が中止になりました。
今年で102回となる歴史のある大会で全国3800校の高校が参加して
地方大会が6月下旬に沖縄から250か所の球場で始まるということでした。
選手監督スタッフといったチームの関係者
審判団など大会の運営に多くの人が係る一大イベントで
お盆をはさむ夏休みの期間テレビ観戦を楽しみにしていた高校野球ファンもたくさんいて大きな関心の的でしたが
このたびのコロナのことについては中止も致し方ないということです。
春の選抜に続き高校三年生の球児には甲子園出場の夢ははかない夢と消えました。
来年があるということではありません。
甲子園を目ざして練習を重ねてきた者の喪失感ははかり知れないものですが
昨日監督や選手そしてOBなどの関係者が寄せたコメントを聞いて
「仲間」という言葉がとても印象的でした。
仲間です。
共に一つの白球を追って同じ目標を目ざしてきた仲間です。
野球は9人のチームプレーです。
試合になると18人です。
一人では決して成り立たないチームスポーツです。
仲間を信じ仲間と共にあることのすばらしさです。
その仲間が一つのチームとなって目ざすのが甲子園です。
どんな弱小チームでも甲子園を目ざします。
それは高校生になって3年生になってからの目標ではなくて
小さい頃野球を始めた頃からの夢なのです。
その夢が試合をすることなく途絶えたということですが
同じ目標を目ざし互いに切磋琢磨した日々があった仲間がいたということです。
私たちもお念仏の仲間といいます。
この後ご一緒に唱和する『浄土真宗の教章』に
「私たちの宗門は親鸞聖人の教えを仰ぎ念仏を申す人々の集う同朋教団であり」とあります。
同朋なかまです。
親鸞さまはお念仏の人を御同朋御同行と申されました。
御同朋とはお念仏の仲間ということです。
私たちは阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせて信心いただきお念仏申す身にさせていただいて
お浄土を目ざしてこの人生を生き抜かせていただきます。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つです。
南無阿弥陀仏のみ教えを伝えてくださった方がいらっしゃいます。
数えきれないたくさんの方々のお育てをいただいて今お念仏を申す身にさせていただきました。
お念仏を申す私のすぐそばに同じお念仏を申すお仲間がいます。
お浄土への道すがらをご一緒に歩んでくださる御同朋御同行です。
ナンマンダブツのこの声は私の声ですが
隣の人の声でありそしてこの目には見えないけれども私をお育てくださったご先祖有縁の仏さまの声であり
南無阿弥陀仏のおはたらき一つに支えられ励まされて共々に生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.21)