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お念仏を申す生活法話

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同じ空の下に大野町旧沈堕発電所跡で

2020-06-15
昨日の大分合同新聞の『東西南北』欄に大野町の沈堕の滝近くの旧沈堕発電所跡のことが書かれていました。
今月3日の新聞見開き二面にスマホ用ゲーム会社の配信五周年記念として
ゲームのキャラクターが全国の名所を訪れる企画で旧沈堕発電所跡が大きな写真で紹介されていたのです。
 私も初めて知ったことでした。
 
 アンダー・ザ・セイム・スカイ同じ空の下にと英字がつづられ
「あなたが生きる、この世界に。いつか終わるから、この一瞬は美しい。
変えられないから、その選択は尊い。歩んできた旅路を、どうか忘れないで。
物語は、あなたのそばにあり続けるから」と文章がありました。
 
 浄土真宗のご法義南無阿弥陀仏の救いの法を思います。
ずっとずっとはるか遠い昔に法蔵という菩薩さまがいらっしゃって阿弥陀という仏さまに成られたという
大無量寿経というお経さまのお話です。
 
 南無阿弥陀仏のいのちの物語にして実は私のいのちの物語なのです。
法蔵菩薩さまは十方衆生を必ず救うというご本願を建てられました。
ありとあらゆる世界の人間だけではなく生きとし生けるすべてのものを必ず救うという大きな願いです。
 はるかずっと長い間迷いのいのちを繰り返し経めぐってこのたびは人間に生まれ今ここに生きているこの私のことを
はるか遠い昔から必ず救うと思い取ってくださり
南無阿弥陀仏の仏さまと成って必ず救うまかせよとおはたらきくださっているのです。
 南無阿弥陀仏とお念仏を申す私に仕上げてくださってそのまま救うというのです。
 
 同じ空の下にと阿弥陀さまの大きな光明のお慈悲に摂め取められて
私だけではなく隣の人も人間だけではなく生きとし生けるものすべてが共々に
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに生かされ救われてあると
そのこと一つお願いだから聞いてくれよとおはたらきです。
 
 これまで積み重ねてきた知識を振りかざす人間の理屈では到底理解できないことでしょう。
だからこそ物語にして私たちに届けてくださっているのです。
 南無阿弥陀仏のいのちの物語です。
私のいのちの物語です。聞かせていただきましょう。
 
 今日もこうしてお朝事のご縁に南無阿弥陀仏のいのちの物語を聞かせていただいて
私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいました。
 ナンマンダブツとお念仏を申して日々の生活を共々にお浄土への人生を歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.15)

お寺の門徒であることの安心

2020-06-13
  電力会社やネット関連の業者から新規勧誘の電話がよくかかります。
今使っているものよりずっと安くなりますと言われるとすっと心が傾きかけますが
基本的に今の現状でいいですからとはっきりお断りします。
 ただ敵もさるもので「はいそうですか」と簡単には引き下がりません。
色々と話を聞き出してはこちらの無知を先刻承知で付け込んできます。
 わかりやすい数字をもち出して私の損得勘定をくすぐるのです。
ちょっとでも相手の土俵に乗ってしまうと大きな落とし穴が待っているということです。
 
 お寺とご門徒との関係を重ねて思います。
門徒の寺離れということが言われます。
 昭和30年40年代の高度経済成長期に日本の社会構造が地方から都市中心のものになり
核家族が一気に進んでお寺とご門徒との関係つながりが薄くなってきました。
 故郷の家から遠く離れて生活する日頃お寺にご縁のない世代が親の葬儀の喪主をつとめるようになって
所属寺を離れるケースが増えてきました。
 元々のお寺を離れても今住んでるお家の近くの同じ宗派のお寺のご門徒になることもできますが
親の葬儀は故郷のお寺にお願いしてもその後のお寺との関係は自分たちで決めるというのです。
 それは個々人の自由でありお寺がこうしなさいとかこうしないといけないということではありませんが
お寺のご門徒であることのお話をまず聞いていただきたいものです。
 
 お寺とご門徒の関係は一朝一夕にできたものではなく
お家のご先祖からつながる何十年何百年の関係なのです。
 仏さまのご縁をいただいたつながりであり
それは葬儀の時だけの関係ではなく浄土真宗のご門徒のお家に生まれて生きてきた
日頃からの関係なのです。
 
 これからは皆さんがお寺を選ぶ時代になったといえます。
現に今は葬儀の時だけお参りしてくれるお坊さんもいるとのことです。
 お寺の門徒であることの意味を知らないままにお寺との平生のつながりを非常に嫌がるのです。
お寺の門徒になったら財的人的な義務ができて務め事をしないといけないということです。
 
 まさに損得勘定でお寺を見られたらお寺がお寺でなくなります。
お寺はご門徒のお寺でありご門徒皆さんによって護持されるものなのです。
 浄土真宗のお寺はお念仏のご法義のお寺です。
お念仏の心で平素からご門徒皆さんにお寺を思っていただきたいのです。
 
 損得勘定を超えたお寺とご門徒のつながりです。
お念仏の心布施の心でご門徒皆さん一人一人ができることを精いっぱいしていただきたいと思います。
 布施の心は見返りを求めない仏さまのお心です。
仏さまに布施をさせていただくことですから仏さまのお心にかなう行いです。
 
 南無阿弥陀仏の仏さまのお心を聞かせていただき
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて
円光寺四百年の歴史つながりがあって今日の円光寺とご門徒皆さんの関係があるのです。
 
 その時々の私の思いはからいでその都度お寺と離合集散を繰り返していけばこれほど不安なことはないと思います。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきに「おまかせします」でいいのです。
 お念仏申すつながりのなかでお寺の門徒であることの安心です。
仏さまのご縁に遇って南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.13)

納骨のご縁です

2020-06-12
  昨日二件納骨堂に納骨のご縁がありました。
一件は満中陰のご縁での納骨です。
もう一件は初めてのご縁の方で宮崎県にあったお墓を閉まって新たに円光寺の納骨堂に納骨されたことです。
 
 それぞれご事情は違いますが
同じ納骨堂阿弥陀さまのもとに納骨できたということで「安心ですね」と声をかけました。
「安心しました」と声が返ってきました。
 
 浄土真宗のご法義は死んだらおしまいではなく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでこの迷いの人生をお念仏申して生き抜き
命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまに成らせていただくみ教えです。
 先に往かれたお方は阿弥陀さまと同じ南無阿弥陀仏の仏さまとなって
これからもずっと後に遺った私たちを護り救うというおはたらきをしてくださると聞かせていただきます。
 
 人の命終えて火葬されお遺骨が遺ります。
私たちのこの目で見えるおすがたです。
 墓地や納骨堂に埋葬いたします。
お墓や納骨壇にご安置したお遺骨を縁に後に遺った者はお参りします。
 
 人の命は終えましたが今は仏さまとなって私たちにお念仏のご縁をつくってくださるのです。
お墓や納骨壇は日々の日暮らしの中で私たちが手を合わせお念仏申してお礼ができるところです。
 
 南無阿弥陀仏とお念仏申すところにいつでもどこでも「私がいるよ大丈夫だよ」とご一緒してくださり
「必ず救うまかせよ」とおはたらきの阿弥陀さまのお手伝いをしてくださるのです。
 
 納骨のお勤めをして「どうぞご縁ご縁に納骨堂にお参りしてください」と声かけしました。
お寺の納骨堂にお参りされてご本尊の阿弥陀さまにお礼ができます。
 お念仏のご縁をつくってくださった南無阿弥陀仏のお父さんお母さんです。
「また会いに来てください」とお話させていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.12)

南無阿弥陀仏のおはたらきに抱き取られてお念仏の日暮らしです

2020-06-11
朝から雨になりました。
今日から梅雨入りということが言われています。
 
 梅雨の花というと紫陽花ですね。
雨に咲く花です。
 今お内陣のご本尊の前にお供えしているお花はグラジオラスです。
すっと伸びて品がいいですね。
 お花にはそれぞれ花言葉があって
グラジオラスは「たゆまぬ努力」とか「ひたむきな愛」だそうです。
 
 皆さんのお家のお仏壇にもお花をお供えしていると思います。
お花はお仏壇の中にお供えします。
 お花のいのちをこの私のいのちと重ねてみます。
無常のいのちです。常にとどまることなく刻々と変化していきます。
 
 花のいのちです。
蕾の時がありました。
 段々と花を開かせていき満開になって
それから萎んで枯れて離れ落ちていきます。
 
 私のいのちです。
命生きるということは老いること病むことそして命終えていくことです。
 
 阿弥陀さまは生滅変化する私たちのいのちを
そのまま抱き取ってくださってあるのです。
 若くて健康な時ばかりでなく
老いていく中にも病む時もいつでもご一緒してくださり
命終えて必ずわが浄土に生まれさせると南無阿弥陀仏となっておはたらきくださってあるのです。
 
 雨に濡れて庭の紫陽花が生き生きと花を咲かせています。
雨の中にも阿弥陀さまがご一緒です。
 ナンマンダブツとお念仏申してお念仏の花を咲かせましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.11)

ネットでご法話聴聞させていただけます

2020-06-10
コロナ禍で今はまだお寺で通常のご法座ができない状況で
ネットでご法話を発信されているお坊さんがいらっしゃいます。
 ユーチューブでご法話聴聞させていただけます。
コロナ自粛のこの時期に発信を始めた方や随分前から発信されている方もいます。
 
 お二方のお説教を昨日スマホでお聴聞させていただきました。
今のご法座でいうと無観客の野球の試合やコンサートのように
お寺にお参りする方が誰もいないなかで本堂の演台や高座からお説教されていました。
 カメラを聴衆に見立ててご法話されます。
一方的なお話にならないように聞いている方の反応を伺うように工夫されています。
笑いを引き出すものであったり間を取って話す話術です。
 ただそこは無機質な空間が広がり聴衆の反応は見えません。
 
 もう一つは20年前のお寺でのご法座です。
お参りの方がたくさんいらっしゃる様子でお聴聞の方の声が入ってきます。
笑い声であったりせき込んだ声もしてお念仏の声が聞こえてきました。
 生身の人人の反応息遣いが聞こえる中でのご法座です。
 
 お朝事のご縁に毎日お話をさせていただきます。
お同行の皆さんがいつもご一緒です。
聞いてくださる皆さんがいらっしゃってお話ができます。
 私が話すお話ですが私の話ではありません。
仏さまのお話です。
 仏さまのお話を私もまた聞かせていただくのです。
 
 阿弥陀さまのご法座です。
阿弥陀さまを中心に皆さんがこうして阿弥陀さまの御仏前に座ってらっしゃることが一番の肝要なのです。
 仏さまの御前に座らせていただき
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるご法義を聞かせていただく有難さです。
 
 今は本当に便利な世の中になりました。
家に居ながらにしてお寺に行かずに有難いご法話が聞けます。
面白い漫才もコンサートも聞けます。
 
 リモート法話のご縁もこれから益々工夫されて広がってくると思います。
お寺にお参りされることを待ってということでは間に合いません。
 ここは積極的にお寺から出かけていくお聴聞の場づくりも大切ですし
ネットを最大限に活用した新しいご法座のあり方も考え実践していかねばなりません。
 
 随分前からネットでご法話のご縁もあったのですが
現状でできていることに満足して新しい試みに踏み出すことが中々できませんでした。 
 今回のコロナ禍で一つ背中を押されるように新しい経験をさせていただき
新しいチャレンジにつないでいきたいものです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.10)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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