球磨川の氾濫
2020-07-05
東海道五十三次今日は第12宿の沼津の宿です。
これから駿河の国に入って行きます。
江戸時代に歌川広重という浮世絵師が
東海道五十三次の絵図を描いていますが
これから富士山の美しい姿が描かれてまいります。
富士の山を見ながら旅をしてまいります。
昨日は熊本が大水害に遭いました。
特に日本三大急流の一つ球磨川が大洪水となり
何箇所も氾濫してすごいことになっています。
今は皆さんスマホで撮影が簡単にできますから
臨場感をもって映像を観ることができます。
スマホ撮影している人は大丈夫なのでしょうか。
濁流と化した水の威力です。
どんなものも根こそぎ持って行ってしまう迫力です。
命の危険を感じます。
多くの方がお亡くなりになり行方不明になっています。
三年前のこの時期九州北部豪雨があり
福岡の朝倉そして日田が大災害に遭いました。
次の年は西日本豪雨で去年は関東を中心に台風で
毎年大きな災害が日本列島各地で多発しています。
気象庁は今回「数十年に一度」と特別警戒を発し
住民に避難喚起をしました。
7、8年前でしょうか
気象庁が「50年に一度の今までに経験したことがない」
という表現で大雨洪水警報以上の警戒を促す目的で
九州中部を襲った豪雨の時に初めて発表しました。
それから毎年のように「数十年に一度」といいますが
今や常習化しています。
単なる集中豪雨ではない特別警戒ということです。
これは偶々その地で起こったことではなく
地球温暖化による世界の異常気象がもたらした必然です。
科学的に原因が明らかに分かっていながら
被害を最小限に防ぐことができず
抜本的な対策がとれないのは何故でしょうか。
私たちの三佐も乙津川大野川に囲まれた洲の地です。
これまでに何度も何度も川の氾濫が繰り返され
その都度治水治岸工事を行って今にきています。
これで大丈夫と思いたいですが
100%大丈夫絶対大丈夫ということではありません。
川が氾濫し堤防が切れたら今球磨川沿いの惨事が
そのまま私たちの現実になるのです。
あくなき人間の欲望がもたらした大自然の脅威ですが
「熊本は大変だが大分でなくてよかった」と思うような
どこまでも自己中心の見方しかできない私たちです。
この私をこそ必ず救うという阿弥陀さまのご本願の
お心を聞かせていただきましょう。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされてある私たちと知らされて
私にできる精いっぱいのことをさせていただくのも
お念仏に生きるもののつとめではないかと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.5)
十余か国の境を越えてお念仏の旅は続きます
2020-07-04
熊本の方が大変な大雨になっていて心配です。
お見舞い申し上げます。
東海道五十三次の旅は箱根から下ってきて
第11宿場の三島の宿です。
歎異抄の第二条に関東のお弟子さんたちが
京都の親鸞聖人を訪ねてこられる場面があります。
「十余か国の境を越えて」で始まります。
お弟子さんたちが居たであろう常陸の国(茨城県)を出て
京都まで十余りの国々ということです。
東海道は武蔵の国(東京都)から相模の国(神奈川県)
そして今日の三島は伊豆の国(静岡県)です。
伊豆の国は唯一三島の宿だけで
これから同じ静岡県でも駿河の国に入って行きます。
私が学生の頃に小田原から箱根を越えて三島に抜ける
同じコースを歩いて旅したことがあります。
伊豆半島の縦断が目的で
川端康成の小説「伊豆の踊子」の行程を訪ねて
東海道を離れ三島から天城峠を越えて下田に行き
下田から船で三原山で有名な大島に渡る旅でした。
さて関東のお弟子さんたちは十余か国の境を越えて
「身命をかえりみずして」と続きます。
まさに命がけで親鸞さまのもとを訪ねたわけは
ただ往生極楽の道を問い聞きたいためだったといいます。
親鸞さまのおこたえは
「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」という
法然さまの仰せを信ずるほかにはないとのことでした。
そして私の信心はそのこと一つであり
あなたがたがお念仏を信じようとも捨てようとも
それは面々のはからいだと突き放すように言うのです。
緊迫したすごい臨場感です。
実は私たちのはからいが問題なのです。
お念仏一つで救われる南無阿弥陀仏のご法義は
どこまでも阿弥陀さまのおはからいなのです。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのおはからいにまかせて
私のあなたもどんな人も等しく阿弥陀さまのお浄土に
往生成仏させていただけるのです。
お念仏一つで救われる南無阿弥陀仏のお心を訪ねて
お念仏のみ教えを聞いていけよといわれるのです。
お念仏の旅は往生極楽の道をたずねていく旅です。
私のはからいで生き惑い苦悩し迷う凡夫と見抜かれて
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでそのまま救うと
お念仏申し聞かせていただいて
阿弥陀さまのお浄土参りの旅を
これからもご一緒に続けてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.4)
箱根の山は天下の嶮
2020-07-03
今日は東海道五十三次第10宿の箱根の宿です。
小田原から箱根まで4里箱根から次の三島まで4里で
箱根八里といいます。
「箱根の山は天下の嶮函谷関もものならず」で始まる
『箱根八里』は明治34年に作られた初めての唱歌で
滝廉太郎が作曲したものです。
函谷関というのは中国にある旅程の大きな難所で
箱根の山はそれに負けず劣らず旅人の行く手を阻む
厳しい難所であるといわれます。
箱根駅伝では5区の区間です。
小田原から箱根まで20㎞800mの山を登って行きます。
箱根駅伝の最近の傾向をみると5区を制した大学が
総合優勝するパターンが多いですね。
4区までトップのチームを山の神といわれるランナーが
ぐいっと追い抜いて逆に大差をつけます。
追い抜くのは格好いいですが追い抜かれるほうは
何ともみじめでつらいですね。
お念仏の旅と申します。
思い通りにならないことが多い人生の旅ですが
そのなかでも旅の難所とは本当に何をしても
うまくいかない八方塞がりという状況かもしれません。
そういう厳しいなかにあっても
お念仏の旅は楽しいというのです。
親鸞聖人は60歳を過ぎて関東から京都にお帰りになり
途中この箱根の難所を越えられます。
御絵伝という親鸞聖人の御生涯を第三代覚如上人が
書かれたものに「箱根霊告」という場面があって
箱根の険しい山道にさしかかった親鸞さま一行を
「ここを通る大事な方を丁重におもてなししなさい」との
夢のお告げを受けて箱根権現の神官が館に泊めて
歓待されたというお話です。
大きな難所を越えましたが旅は箱根で終わりません。
これから下りの三島です。後43の宿場が残っています。
お念仏の旅の楽しさはさまざまな困難の中にも
阿弥陀さまのお浄土への旅をご一緒できるということです。
阿弥陀さまの方から迎えに来てくださり
南無阿弥陀仏と喚び続けて
「我にまかせよ必ず救う」と仰せなのです。
「はい」とお念仏申して
今日もまたお念仏の旅を続けてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.3)
「親鸞さまに叱られました」
2020-07-02
ただ今は東海道中第9宿の小田原の宿です。
小田原は小田原提灯やかまぼこが特産で
戦国時代豊臣秀吉の北条氏小田原城攻めが有名です。
いよいよこれから箱根に向かって
天下の剣の難所を登っていくという行程です。
昨日は円成会の月例会をしました。
毎月誕生会をしますが7月は大津さんの誕生月で
昨日は早くからお寺に来られて本堂納骨堂にお参りされ
会場のあんのん館に行かれました。
誕生会ではお花のプレゼントをした後で
誕生日を迎えられた感想を一言述べていただくのですが
「さっき本堂に参って親鸞さまから叱られました」と
おっしゃいました。
最近お寺にお参りしていないじゃないかと
叱られましたと言うのです。
今月で91歳になります。
親鸞さまは90歳ですから親鸞さまを超えたわけです。
90歳を過ぎたからといって最近あんまり見てないが
お参りに来いよと叱られましたと何度も言うのです。
その人人の思いですが決して親鸞さまは叱りません。
「ようお参りなさいましたね。
阿弥陀さまにようお参りなさいましたね。
ご一緒にお念仏申しましょう」と言われます。
ただ大津さんの心情として「叱られました」というのも
ちょっとわかるような気がします。
阿弥陀さまも親鸞さまも蓮如さまも
決して叱る仏さまではありません。
よう来たねようお参りされたね。
これからもご一緒にお浄土参りさせていただきましょうね
とやさしく声をかけてくださいます。
叱るというのも実は見守っている思っている
ということなのです。
思っているから叱るんですね。
思っていなかったら叱りもしません。
思われているのです。
ナンマンダブツとお念仏を申すなかにご一緒くださる
大きな大きな心の支えいのちの依りどころです。
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のおはたらきの中に
私たちの日々の生活があるのです。
厳しい箱根越えに向かいますが
阿弥陀さまがご一緒してくださいます。
今日も一日いろんなことがあると思いますが
お念仏を申すなかに共々に過ごさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.2)
一味平等の阿弥陀さまのお救いです
2020-07-01
7月に入りました。
一年の半分が過ぎたことになります。
コロナの影響か今年はいつもの年よりずっと
月日が経つのが早いように感じます。
いつものことがいつものようにできないなかで
あっという間に毎日が過ぎていくようなことです。
ただおうち時間が増えて
これまでできなかったことができたり
これまでの生活を見直す機会にもなりました。
東海道五十三次のお話です。
今朝は第8宿の大磯の宿です。
大磯といいますと吉田茂元首相を思い出します。
戦後日本を大きくリードした政治家の一人です。
ちょっと気取って葉巻をくわえて鷹揚な感じでしたが
占領下にあって欧米人に対等に接する気概がありました。
今の麻生太郎副総理財務大臣のおじいちゃんです。
何か人を食ったような言動が似ています。
この大磯は鎌倉に近く広く湘南といわれるところで
吉田茂邸をはじめ財界政界文学界の重鎮が住いでした。
古くは石原裕次郎や加山雄三
今はサザンオールスターズなど
時代を代表する人たちが好んだところです。
庶民からいったら別世界ということでしょうか。
私たちのお念仏の旅はそうした地位や名誉財産を得た
有名人だからの旅ではありません。
世界の片隅で名も知れず貧しい中にも生活している
私たちを目当てに必ず救うとおはたらきの仏さまが
いらっしゃるという教えです。
ナンマンダブツとお念仏を申してくれよと
喚んでくださる南無阿弥陀仏の仏さまです。
ナンマンダブツとお念仏申すところに
清濁大小いろんな川も大海に入ると一つの味になるように
どんな人も等しく救われる一味平等のみ教えなのです。
この私こそを目当ての阿弥陀さまのお救いと
聞かせていただいて今日は小田原に向けて
ご一緒にお念仏の旅をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.1)