お念仏のいのちのど真ん中に生きる
2020-07-10
東海道五十三次第17宿は静岡の興津(おきつ)の宿です。
広重の絵には田子の浦という地名が出てきます。
百人一首に「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ」(山部赤人)があります。
田子の浦からみる雪をかぶった富士山の絶景が
目に浮かぶようです。
コロナ禍で昨日はリモートの会議を
庫裡の事務所で横から見させていただきました。
京都のご本山と九州各地のお寺さんを結ぶ10人程の会で
それぞれのお寺の現状と課題を踏まえて
これから5年後10年後どんなお寺になっていきたいか
お互いに私案を発表して意見交換するということでした。
新院が円光寺についての発表をするということで
昨日は総代さんも一緒に参加してもらいました。
最後に主催する方から感想とアドバイスがあり
興味深く聞きました。
お寺の活動はそれぞれのお寺でいろいろと違います。
先人から受け継いだ伝統もあり
現代社会に対応する工夫もされていて
参考になることも多くありますが
我が寺でとなるとできることは限られてきます。
そこでお寺の活動の基本を一つ大事にして
今できることがさせていただきたいと思いました。
その基本ということについて
今回のコロナ禍で東洋の思想とりわけ仏教
仏さまのものの見方考え方を見直すことができた
と言われたことに共感しました。
いのちをど真ん中においた仏教のものの見方です。
阿弥陀さまのご本願のお救いは人間だけではなく
十方衆生を必ず救うとすべてのいのちにおはたらきです。
ありとあらゆる世界の生きとし生けるものです。
コロナウイルスもまたいのちです。
南無阿弥陀仏の大きないのちにみんなつながった
私たちお互いなのです。
お念仏のいのちを基本にしたお寺の活動です。
親鸞さまが蓮如さまが示してくださった
お念仏一つで救われる私たちのお念仏の活動なのです。
阿弥陀さまの本願を信じお念仏申す身にさせていただく
お念仏を申す生活です。
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに
私たちの生活ぶりは皆さんそれぞれ違います。
今日一日もいろんなことがあります。
私の思い通りにいくことも思い通りにならないことも
良くも悪くもすべてのいのちがつながって
今こここの私を生きているのです。
みんな一つにつながって一人じゃないということです。
阿弥陀さまの誰一人取り残さないとの願いおはたらきです。
そのこと一つ聞かせていただくなかに
私たちの円光寺の活動があります。
お念仏のみ教えに多くの人に出遇ってほしいと思います。
お念仏のいのちのど真ん中に生きる有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.10)
お念仏は生きる力です
2020-07-09
東海道五十三次第16宿は由比の宿です。
九州各地が大変な豪雨災害に遭って
避難所での生活を余儀なくされている方が
たくさんいらっしゃいます。
コロナ禍で避難所でどう対処していくのか
前々から議論のあったところです。
ソーシャルデイスタンスといって
避難所で十分なスペースをとることは困難です。
コロナ後の新しい生活様式ということが言われます。
人に近づかない、向き合わない、話をしないといって
私たちがこれまで当たり前のようにしていた生活を
改めていこうというのです。
何とも窮屈な生活です。
人間らしい生活ということではありません。
たとえば食事です。
食べることは生きることの根幹です。
食事は単なる栄養補給のためだけではなく
人と人とのコミュニケーションの原点といわれます。
人間以外の動物は食欲を満足させればいいのです。
食べて自分が満足すれば他のことは知らなくていいのです。
でも欲求がかなわないときは
他の者のものを奪ってでも食べようとします。
本能のままに生きる動物のすがたです。
ただ人間も動物に変わらないところがありますね。
人間は本来自分だけがよかったらいいのではなく
周囲のことみんなのことを思いそこに喜びを見出します。
仏事のお斎(とき)です。
仏さまにお供えする思いで客人に食事をふるまい
一緒に食べるのです。
人と人とが同じ場所同じ時間に集まって同じものを
食べることでコミュニケーションがはかられます。
これが人間の人間らしい生活の原点なのです。
仏法を聞くということも食べることと同じように
味わいましょうというお話です。
お念仏のみ教えを聞くということを
食べることと心得なさいというのです。
今日のこのご縁です。
皆さんこの円光寺の本堂に集まって同じ食事をするのです。
お朝事のお勤めが私たちの朝の食事です。
皆さんご一緒にナンマンダブツとお念仏申して
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくのです。
お念仏を味わいます。
自分勝手に味わうのではなく皆さん一緒に味わうのです。
食べることで生きていけます。
仏法を聞くことで本当に生きていけるのです。
お念仏に生きる私たちの生活の原点です。
お念仏を申し聞かせていただいて
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.9)
人間の思いをはるかに超える大自然の脅威です
2020-07-08
東海道中第15宿は蒲原の宿です。
行政区でいいますと昨日の富士市から静岡市に入ります。
富士川を渡ります。
富士川の渡しが広重の浮世絵になっています。
昨日は大分県も大変な豪雨で筑後川が氾濫し
日田天ヶ瀬の温泉街が濁流に飲み込まれる光景は
水の力大自然の脅威をまざまざと見せつけられました。
夜は夜で雷が鳴り響き物凄い雨になって
今朝どういう状況になっているのか心配で目覚めました。
大自然のいのちです。
大きな自然の営みの中に私たちは共々に生きています。
自然の恵みをいただいて生かされていますが
大自然は私たち人間の思いを超えた大きな力で
私たちの命そのものを脅かします。
大自然の恩恵と脅威のはざまに
私たちの先人は大自然と共に共生してきたのです。
私たちの人生を旅にたとえて
穏やかな道中もあれば様々な困難に出くわします。
旅の途中引き返すことも立ち止まることもままならず
生きていかねばなりません。
阿弥陀さまと二人連れのお念仏の旅です。
私たちの思いを超えてどんな状況にあっても
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒です。
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲に生かされて
お念仏申して今日一日も生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.8)
アラームがひっきりなしに鳴ります
2020-07-07
東海道中第14宿の吉原の宿です。
広重の浮世絵によりますと左富士といって
海沿いの松林の街道から左に富士山を望むところです。
昨日テレビで大雨情報を観ていましたら
アナウンサーの声が急に変わって
「大雨特別警報が長崎佐賀福岡県に出ました」と絶叫し
「命がなくなる危険が迫っています。
今すぐ安全な場所に避難をしてください。
命を守る行動をすぐとってください」と
何度も何度も言われました。
つい先日熊本球磨川の氾濫があって
多くの方が亡くなり悲惨な状況を目にしたばかりですが
ただ自分のことと受け止めるのは難しく
まだこの辺は私は大丈夫ということでしょうか。
早朝からスマホのアラームが鳴りっ放しです。
早く避難をしてください命を守りましょうと
避難をするときの心得や持ちものまで
事細かに書かれてあります。
「数十年に一度のこれまでに経験したことがない」との
特別警報の発令ですが
九州の同じ地域では数年連続の数十年に一度のことで
これまでに何度も経験した本当に異常な状況が続きます。
この同じ時間にも身の危険を感じて不安ななかに
過ごしている方がいらっしゃると思います。
アラームです。びっくりします。
私たちに次の行動を促します。
今日も朝6時に梵鐘をつき
6時半の喚鐘でお朝事のお勤めを始めました。
お寺の近くの方はどういう思いでお寺の梵鐘や喚鐘を
聞いているのかなと思ったりします。
私は皆さんがお参りされる本堂のチャイムの音が
毎日本当に有り難いです。
阿弥陀さまのお喚び声に聞こえてきます。
「今日もお同行がお参りですよ。
準備を整えてお朝事のお勤めをご一緒しましょう」と
南無阿弥陀仏のお名号となって私のところに来て下さり
いつも私と共にご一緒くださる頼もしさです。
お念仏を申してこの状況から助かるということは
難しいかもしれませんが
どんな状況にあっても阿弥陀さまがご一緒です。
ナンマンダブツとお念仏申して
「必ず救うまかせよ」のおはたらきにまかせて
阿弥陀さまの往くところにご一緒させていただきます。
阿弥陀さまのお浄土であるお念仏の世界に
皆さんと共々にご一緒して
今日もこうしてお朝事のお勤めができたことを喜び
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.7)
「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」
2020-07-06
東海道中第13宿は駿河の国(静岡県)の原の宿です。
歌川広重の原の宿の浮世絵には
富士山が一面に大きく描かれています。
他の宿の富士山は背景に小さく描かれているのですが
富士山自体を描いたもののようです。
箱根を下りて相模の国から駿河の国に入って
すっと富士山の雄姿が目に広がったのでしょうね。
「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」は別府観光の父
油屋熊八のキャッチフレーズです。
今大分合同新聞に油屋熊八を主人公にした小説が
「万事オーライ」のタイトルで連載されており
楽しく読ませていただいています。
波乱万丈の人生です。
伊予の国(愛媛県)宇和島の米問屋に生まれ
大阪で株で大儲けしたものの散財し
借金をしてアメリカに渡ります。
数年後日本に帰国しますが
長い船旅の末に富士山が見えた時の感動を
日本の象徴として「山は富士」と詠まれたのでしょう。
小説では熊八は今は別府で小さな旅館業を
夫婦二人で営んでいます。
大阪から船で瀬戸内海を西に渡ると
そこは豊後の国湯の町別府です。
何か物語になって絵が描けますね。
お念仏のご法義を重ねて思います。
山は「動かざること山のごとし」の
真実変わらない仏さまの教えです。
南無阿弥陀仏一つで必ず救うという
どんな時代でもどんな人にでも変わらない教えです。
このお念仏の教えを京都大阪から瀬戸内航路で
お念仏の船に乗せて西に渡って
蓮如上人がこの豊後の国に届けてくださったのです。
そしてお念仏の湯です。
あたたかいお湯にゆったりつかって
疲れた身体を心身ともに癒してくれます。
どんな人もみんなが入れるちょうどいい湯加減です。
ほっとしてお念仏がナンマンダブツとこぼれます。
お念仏を申して今日の一日を始めさせていただきます。
原の宿を立ち富士の山に見守れながら次の宿を目ざします。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.6)