蓮如上人のご功績
2024-07-02
『蓮如上人御一代記聞書』を読みました。
本願寺第八代宗主の蓮如上人は
本願寺中興の祖・御再興の上人といわれます。
宗祖親鸞聖人が開かれた浄土真宗のみ教えを
日本全国津々浦々に届けてくださったご功績です。
今はインターネットで
世界中に瞬時に情報通信がなされますが
電話や無線機もない時代です。
人から人への通信は手紙で届けることでした。
浄土真宗のみ教えを一人でも多くの人に
正しく分かりやすく伝えようと
蓮如上人が書かれたお手紙が『御文章』です。
御本尊のお名号と御文章を有縁の方々に届けることで
各地でお念仏の講(集まり)ができ
お念仏のみ教えが一気に広まっていったのです。
蓮如上人ご自身
一処に留まって人の集まりを待つのではなく
各地に本願寺の御坊を建立し出かけて行っては
人人と同座してお念仏のご法義を語ったといわれます。
その言行録が『蓮如上人御一代記聞書』として
伝えられてきたのです。
三百条余りの箇条書きの文章で
浄土真宗の肝要を基に
お念仏の生活、倫理、儀礼に至るまで
懇切に興味深く記されています。
『御文章』と同様に
蓮如上人は「信をとれ信をとれ」と
他力の信心を得ることの大事を語り
私たちに信心獲得を勧めます。
このたび有縁の皆さんと『蓮如上人御一代記聞書』を
拝読することになりました。
法味愛敬と申します。
色々と教えていただくことも沢山あって楽しみです。
またこの欄でもご紹介させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.2)
一年の半分が過ぎました
2024-07-01
1月1日の能登半島地震発生から半年が経ちました。
全半壊の家屋の殆どがそのままの状態で
避難所や仮設住宅の生活を強いられている人も多く
まだまだ復興の道筋が見えないとも言われます。
1月に母が往生して半年になります。
ぼちぼち母の遺品を整理しようと思いつつ
あっという間に時間が過ぎ去って行きます。
みんな同じ時間を過ごすなかで
人それぞれに色んなことがあり
時間の過ごし方感じ方の違いはありますが
皆さんこの半年生きてきました。
私にとって良いことも悪いこともあって
今日現在今の私です。
月の初めです。
今月こそは今日こそはと色々思い廻らしては
先延ばししてため息をつく私に
毎月1日(ついたち)の『御文章』さまです。
<聖人一流章>
「聖人一流の御勧化のおもむきは
信心をもって本とせられ候
そのゆゑはもろもろの雑行をながすてて
一心に弥陀に帰命すれば
不可思議の願力として
仏のかたより往生は治定せしめたもう
その位を一念発起入正定之聚とも釈し
そのうえの称名念仏は
如来わが往生を定めたまいし
御恩報尽の念仏とこころうべきなり
あなかしこあなかしこ」
(大意/親鸞聖人のひらかれた浄土真宗のみ教えでは
信心が根本です。
そのわけは、自力のはからいを捨て
一心に阿弥陀如来に帰命すれば
思いも及ばないすぐれた本願のはたらきによって
如来が私たちの往生を定めてくださるからです。
往生が定まったその位を
「一念発起入正定之聚」と示されています。
そして信心を得た後に称える念仏は
如来が私の往生を定めてくださった
ご恩を報じる念仏であると心得るべきです)
阿弥陀如来の「われにまかせよ必ず救う」
本願を信じまかせてお念仏申す生活をお勧めです。
これからも色んなことがあるけれども
お念仏を申して往生浄土の人生を
今日一日も歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.1)
お寺は何のためにあるのでしょうか?
2024-06-01
お寺は何のためにあるのでしょうか?
新型コロナウイルスの感染症5類移行で
全国各地の催しものが復活し
人出の賑わいが
コロナ前に戻ってきているとのことですが
私たちの身近な日々の生活のなかでは
大きな変化が起こっているようです。
年間の恒例行事は元通り
に行われるようになりましたが
行事に携わる関係者そして参加する人の変化です。
主な顔ぶれが変わり参加人数もぐっと減りました。
以前からやっている
前年度踏襲型の行事のあり方が見直され
役員の参加義務付けが効かなくなり
逆に「何でしないといけないの?」と
行事をする意味自体が
問われるようなことが起こっています。
お寺の法要行事も然りです。
役員さんの参加はありますが
門徒一般の参加は明らかに少なくなりました。
これはコロナ以前から見られていたことですが
コロナを契機にその傾向が顕著になった感じがします。
これはある意味お寺の本来のあり方を見直す
チャンスなのかもしれません。
「お寺は何のためにあるのか?」という
根本的な問いです。
古くからお寺と門徒の関係は
同じ地域社会にあって人々が互いに支え合い
共に生きる生活の基盤でした。
お念仏の先人が代々伝えてくださった
お念仏のご縁つながりです。
昔のような家制度の実態がなくなり
今は核家族世帯が中心になって
日頃からお寺とのご縁が薄い生活環境の中で
お寺は葬儀や法事の時だけの存在になりつつありますが
お念仏のご縁をいただいた私たちです。
どうぞお寺にお参りください。
南無阿弥陀仏のみ教えを聞かせていただきお念仏申して
この人生を心豊かに生かされて生きてまいりましょう。
お寺は仏さまが私たちに開いてくださった
仏法聴聞お念仏の道場です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.6.1)
わが身の事実
2024-05-24
私たちは生死流転罪悪深重の身を生きていると
仏法は教えます。
生まれては死に生まれては死にと
何度も何度も生死を繰り返し迷い続けているわが身です。
今日も朝から食事をしましたね。
わが身を保つために他のもののいのちをいただき
殺生し続けている私です。
殺生は仏教の戒律の中で最大の罪として
不殺生戒を第一に掲げていますが
他のいのちを奪うことなしに
この身を生きることはできません。
迷い続け殺し続けてわが身を生きていることは
どんな人も否定できない本当の事実であると
仏法は教えます。
その上で罪悪の身のままに生死の迷いを超えて生きる
真実さとりの道を仏法は開いてくださるのです。
浄土真宗の仏道は
阿弥陀如来がすべてのいのちをそのまま救うと
開いてくださった本願他力のお念仏の道です。
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきに
お念仏申してそのまままかせて
阿弥陀さまの真実報土のお浄土に生まれ
真実さとりの仏にさせていただくのです。
この世を生きる限りは
生死流転罪業深重の身は変わりませんが
如来の仰せに信順して
お念仏申す身にさせていただくのです。
人の世に生まれて
仏さまのご縁に遇わせていただきます。
お念仏のみ教えを聞きましょう。
お念仏申す身にさせていただきましょう。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
あらゆるいのちが生かされ支え合って
共々に阿弥陀さまのお浄土に生きて往ける
お念仏のご法義をこの身にいっぱいいただいて
今日一日もお念仏申す生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.5.24)
袴田事件再審裁判
2024-05-23
袴田事件の再審裁判で結審があり
検察は再度「死刑」を求刑しました。
事件から58年の歳月を経て
2014年の再審開始決定で袴田さんは今は釈放の身ですが
死刑が確定し47年間の拘置所収容で拘禁状態が残り
意思疎通が困難な88歳の袴田さんに代わって
最大の支援者の91歳の姉が
「余命を人間らしく過ごさせてください」と
最終意見陳述をされました。
9月26日に判決が下りますが
検察は有罪とする新たな証拠を提出することなく
事件当時の捜査官検察官から引き継いだ
証拠資料物件に基づく有罪立証を繰り返しました。
事件が起きた事実は
そこに必ず犯人がいることを意味し
検察は犯を人を特定し裁判で処罰を課すべく
立証する重い職責を担います。
罪を裁き処罰することで
社会の治安をまもる大きな使命があるということですが
そのために自白を強要したり無理な証拠立てをして
犯人を特定する冤罪は重大な人権侵害です。
検察のメンツを保つために
一人の人間の生きる権利が奪われることは
決してあってはならないことです。
お念仏のご法義です。
すべてのものを分け隔てなく必ず救うと
阿弥陀さまは本願を建てられ成就され
南無阿弥陀仏となっておはたらきです。
罪業深重のわが身の事実を知らせ
罪を裁くのではなく
「いつも私が一緒ですよ」と
いつでもどこでも誰にでも
寄り添ってくださる
大悲の仏さまになってくださったのです。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
わが身に聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.5.23)