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お念仏を申す生活法話

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フライデーオベーション金曜日の正午に拍手をして感謝しましょう!

 先ほどお朝事前にテレビニュースで
プロ野球広島カープの選手たちが昨日球場のマウンドに横一列に並んで全員で拍手をしていたようすを観ました。
フライデーオベーションというそうです。
 金曜日の正午から一分間みんなで拍手をしてコロナ禍の最前線で頑張っている医療従事者をはじめ
私たちの命を守ってくだっている皆さんに感謝しましょうとの呼びかけに応じたものです。
 
 ヨーロッパから始まったといいます。
私たちの命を守ってくださっている方々です。
 ステイホームで自宅で自粛生活していても私たちは生きています。
生きるということは食べることであり食べることはごみを出すことです。
 ごみを出しっぱなしにしていたら衛生上よくありませんし社会生活をするうえで秩序が保たれません。
ごみを収集する人がいなかったらこの社会はとんでもないことになってしまいます。
 何かいつもは当たり前のように思っていることが決して当たり前ではない
多くの方々が支えてくださってある社会に私たちは生きているのです。
 
 一週間に一度ですが時間を決めて皆さんでということです。
時間を決めるからこそれぞれ生活ぶりの違う皆さんが思いを一つにしてできるんですね。
 
 このお朝事もそうです。
時間を決めて皆さんでということです。
 皆さんで一緒にということですが
皆さんお一人お一人が思いをもって日を決めてお参りさせていただくご縁です。
 
 お朝事のご縁は毎朝6時半と決めてお勤めをさせていただいています。
朝6時半に皆さんお参りしましょうと決めてくださり呼びかけてくださってあるのです。
 仏さまのご縁です。
阿弥陀さまが決めてくださってあるご縁といただきましょう。
 
 決めてくださらないと中々自分からお参りしようということができない私です。
今できなくてもいつかできる今日じゃなくても明日があると
往々にして大事なことを先延ばしにする私です。
 
 今はコロナ禍で自粛生活を送る中自分一人の時間がたっぷりあります。
こうしてこうしてこうしようと自分で決めて自分の思うようにできたらいいのですが難しいです。
 決めてくださってあることの有難さです。
こうしなさいと強制されるものではありません。
 
 ご一緒しましょうと南無阿弥陀仏のおはたらき一つで呼びかけてくださる仏さまのご縁です。
往生浄土の人生です。
 阿弥陀さまが私のことをいつでもどこでも南無阿弥陀仏と思い取ってご一緒くださり
この命終わって私が生まれ往くところをお浄土と決めてくださってあることの有難さです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきに安心してまかせて
今日一日も阿弥陀さまがご一緒の日暮らしをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.23)

「あなたたち 今こんなことしてて 本当に大丈夫なの?」

 昨日大阪京都兵庫に出ていた緊急事態宣言が解除になり
あとは首都圏1都3県と北海道を残すだけになりました。
 いよいよコロナ後に向けて自粛生活から新たな生活へということです。
 
 このままでは経済が持ちこたえられないという危機感もあり不安な社会生活のなかで
昨日渦中の東京高検検事長が賭けマージャンをしたという週刊誌報道を受けて今日にも辞職するということです。
 緊急事態宣言の最中にマージャンをする。一部屋に籠って4人が雀卓を囲む光景が目に浮かびます。
コロナ感染防止で常に言われる三密の典型です。
 マスクはしていたのでしょうか。
 
 何もこんな非常時にさすがにそれはないだろうと思うようなことですが
私たちの身の上に置き換えてさあどうでしょう。
 私たちに何の根拠もなく私は大丈夫というところがありませんか。
大分県はずっと感染者が出ていないし緊急事態宣言も解除されたからもう大丈夫という油断です。
 100%大丈夫というのが本当の大丈夫です。
大丈夫であってほしいと思いたい私ですが
何が我が身の上に起こるかわかりません。
 
 どこまでも自己中心に自分の都合に合わせてものごとを見て考え行動する私たちです。
そして縁次第ではそれが大方の人から見て滑稽にさえうつることも
平気でどんなことでもしかねない私がいます。
 仏さまはそんな愚かな私を見てとってくださっているのです。
 
 コロナ感染が収束していないなかにも
世界の政治経済のリーダーたちはコロナ後のあり方を自分たちの都合のいいように考え
互いにつばぜり合いを始めています。
 
 アメリカと中国です。
何やかんやと非難の応酬合戦です。
 今はまだコロナの真っただ中で
これからコロナと長く付き合って共存共生していかねばならないといわれるなかに
お互いの利権を求めてどこまでもです。
 世界中の科学医学の英知を集めて治療薬やワクチンの一刻も早い開発が望まれますが
これも各国間の競争になっている現状です。
 
 人類の危機とまで言われるなかでわが身のことばかり繰り返し主張しています。
コロナが私たちに「お前たち本当にこんなことしていて大丈夫か」と問いかけているようです。
 コロナの話は遠い遠い世界の話ではなくて今現在この私の命と生活に係ることです。
このコロナの時代をどう生きていくのか
仏さまのみ教えに聞かせていただき
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.22)

全国高校野球大会も中止です

 全国高校野球大会<夏の甲子園>が中止になりました。
今年で102回となる歴史のある大会で全国3800校の高校が参加して
地方大会が6月下旬に沖縄から250か所の球場で始まるということでした。
 選手監督スタッフといったチームの関係者
審判団など大会の運営に多くの人が係る一大イベントで
お盆をはさむ夏休みの期間テレビ観戦を楽しみにしていた高校野球ファンもたくさんいて大きな関心の的でしたが
このたびのコロナのことについては中止も致し方ないということです。
 
 春の選抜に続き高校三年生の球児には甲子園出場の夢ははかない夢と消えました。
来年があるということではありません。
 甲子園を目ざして練習を重ねてきた者の喪失感ははかり知れないものですが
昨日監督や選手そしてOBなどの関係者が寄せたコメントを聞いて
「仲間」という言葉がとても印象的でした。
 
 仲間です。
共に一つの白球を追って同じ目標を目ざしてきた仲間です。
 野球は9人のチームプレーです。
試合になると18人です。
 一人では決して成り立たないチームスポーツです。
仲間を信じ仲間と共にあることのすばらしさです。
 
 その仲間が一つのチームとなって目ざすのが甲子園です。
どんな弱小チームでも甲子園を目ざします。
 それは高校生になって3年生になってからの目標ではなくて
小さい頃野球を始めた頃からの夢なのです。
 その夢が試合をすることなく途絶えたということですが
同じ目標を目ざし互いに切磋琢磨した日々があった仲間がいたということです。
 
 私たちもお念仏の仲間といいます。
この後ご一緒に唱和する『浄土真宗の教章』に
「私たちの宗門は親鸞聖人の教えを仰ぎ念仏を申す人々の集う同朋教団であり」とあります。
 同朋なかまです。
親鸞さまはお念仏の人を御同朋御同行と申されました。
 御同朋とはお念仏の仲間ということです。
 
 私たちは阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせて信心いただきお念仏申す身にさせていただいて
お浄土を目ざしてこの人生を生き抜かせていただきます。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つです。
南無阿弥陀仏のみ教えを伝えてくださった方がいらっしゃいます。
数えきれないたくさんの方々のお育てをいただいて今お念仏を申す身にさせていただきました。
 お念仏を申す私のすぐそばに同じお念仏を申すお仲間がいます。
お浄土への道すがらをご一緒に歩んでくださる御同朋御同行です。
 ナンマンダブツのこの声は私の声ですが
隣の人の声でありそしてこの目には見えないけれども私をお育てくださったご先祖有縁の仏さまの声であり
南無阿弥陀仏のおはたらき一つに支えられ励まされて共々に生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.21)

お聴聞の心得です

 昨日は満中陰のご縁をいただきました。
49日の中陰期間中七日七日のご縁にお参りします。
 ご往生の時からお通夜お葬式七日七日のご縁があって四十九日の満中陰です。
お家のお仏壇の御前でご一緒にお勤めをさせていただきます。
 大切なお方とお別れをする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうとご法話お取り次ぎさせていただきます。
 
 初七日から満中陰まで7度のご縁です。
私も住職を継いで二十数年になり多くのご門徒衆のご往生にあってご法話をさせていただきますが
何度もご縁をいただくなかで同じ話になってきました。
 お家によってはこの間に2回も3回もご縁があり
ご親族が参り合うところでは何度も何度も同じ話を聞かれるようなことです。
 
 ただお話自体はいつもの同じ話ですが
お話をさせていただく私もそうですがお聴聞される皆さんもこのご縁は
今こここの私のために仏さまからいただたご縁だということです。
 
 お聴聞の心得に
一、このたびのこのご縁は初事(はつごと)と思うべし
二、このたびのこのご縁は我一人(われひとり)のためと思うべし
三、このたびのこのご縁は今生最後(こんじょうさいご)と思うべし
とあります。
 
 私たちの日々の生活は自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
仏さまのご縁に遇うことは本当に難しいことです。
 そういう私が今ここ仏さまの御仏前に座らせていただいていることの有難さです。
 
 南無阿弥陀仏の同じお話です。
阿弥陀さまがこの私一人を必ず救うとおはたらきの法を聞かせていただくのです。
 どうか聞いてくれよと聞かせていただくなかに
この人生思い通りにならない色んなことがある人生だけれども
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに生き抜かせていたき
命終わって死んだらおしまいではなくて浄土に生まれて仏さまとなり
この世に還って来て南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。
 
 大きな大きな南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに生かされてある今日一日ただ今という
心ひとつにご縁ご縁にお聴聞させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.20)

霧の朝になりました

 昨日までの雨が上がり今朝は霧が出ています。
そんなに深い霧ではありませんが
毎朝いただくお正信偈さまのなかに「雲霧」という言葉が三度続けて出てまいります。
 
 「貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)」と貪りや怒りの煩悩の心を雲や霧に譬えて
「常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)」といつもまことの信心の空をおおっているといわれます。
 それは「譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ)」とたとえば日光が雲や霧にさえぎられるようなことだが
「雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)」とその下は明るくて闇がないのと同じであると
その前の「摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)己能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん)」に返って
阿弥陀仏の光明はいつも衆生を摂め取ってお護りくださっているとのお示しです。
 
 高僧和讃第六祖源信大師讃の
「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」
をあわせていただきます。
 
 煩悩に眼をさえぎられて
あらゆるものを摂め取るという阿弥陀仏の光明を見ることはできないが
その大いなる慈悲は見捨てることなく
常にわたしを照らしてくださっているとのことです。
 
 雲や霧のような煩悩に覆われて阿弥陀さまの摂取の光明のおはたらきのなかにあることに気づかない私に
阿弥陀さまはあくことなく私を照らし護り気づいてくれよ聞いてくれよとおはたらきなのです。
 摂取の光明に遇うことがないままにこの命終えていく人生はこれほど空しいことはないとの仰せです。
 
 毎朝お正信偈さまのお勤めをさせていただきます。
親鸞さまが私に届けられたお手紙です。
 南無阿弥陀仏のおはたらきのなかにご一緒に阿弥陀さまのお浄土への人生を
今日も一日生きていきましょうねと有難く読ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.19)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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