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お念仏を申す生活法話

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「雑行雑修のこころをすてて」のお心

昨日は浄土真宗のご法義を「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と
蓮如上人の法語から味わわせていただきました。
 今日の御文章さまにも「雑行雑修のこころをすてて」とありました。
雑行雑修の言葉は御文章さまに何度もでてまいります。
 
 法然聖人は著書の『選択本願念仏集』の三選の文で
出家在家にかかわらず誰もが救われる仏道は
聖道の道ではなく阿弥陀仏のお浄土に往生する浄土の道であり
浄土の道の正行と雑行から雑行を捨て
五つの正行の中から称名行を正定業と選んで
念仏一つで救われる専修念仏の仏道を明らかにされたのです。
 
 寺に寄進をしたり仏塔を建てるなどの善行を雑行といわれるのです。
善行をいくら積んでもお浄土に往生することはできないということで雑行なのです。
 正行こそがお浄土に往生できる正しい行ということですが
正行には、経典を読む読誦の行、瞑想して仏と会う観察行、仏を拝む礼拝行
口に仏の名を称える称名行、仏の徳をほめたたえる讃嘆供養行があります。
 
 法然聖人は5つの正行の中の称名行を正定業と選ばれ他の行を補助的な助業とすてられます。
親鸞聖人はお正信偈さまのなかに「本願名号正定業」といただかれています。
 阿弥陀さまがご本願を成就され南無阿弥陀仏のお名号に私たちの救いの手立てを全てととのえて
おはたらきくださってあるのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に往生させていただけるのです。 
 
 蓮如上人は『領解文』に
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて 一心に阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生
 御たすけそうらえとたのみもうしてそうろう」と信心獲得をお勧めです。
 
 浄土真宗のご法義は自力の心を捨てて他力に帰すことが肝要なのです。
他力とは阿弥陀仏の本願力南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 南無阿弥陀仏の「必ずたすける」のおはたらきを「必ずたすかる」と聞かせていただき
私の仏道は阿弥陀さまが選んでくださったお念仏の道といただいて
お念仏申すなかに今日の一日もお浄土への道を共々に歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.28)

「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と蓮如さまのご催促です

 毎朝御文章さまを拝読させていただきます。
本願寺第八代宗主の蓮如上人が私たちにくださったお手紙です。
 親鸞聖人からいいますと250年ほど後のお方です。
浄土真宗のご法義を中興された本願寺ご再興の上人ともいわれます。
 
 今日の御文章さまのなかにも一貫して示される中心的法語が
「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」です。
 
 タスケタマヘトタノムといったら
私たちは「助けてくださいお願いします」と理解するのではありませんか。
 私の方から助けてくださいと相手に頼むお願いするということで
宗教行為でいえば神仏に祈願請求する受け止め方が一般的です。
 
 弥陀にたのむというと「おたすけください阿弥陀さま」ということになりますが
親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗のみ教えは
私が阿弥陀さまにお願いするということではないと蓮如上人が明らかにしてくださったのです。
 
 私が阿弥陀さまに助けてくださいとお願いして、お願いしたから助かるのではありません。
私がたのむお願いする前から阿弥陀さまは迷いの世界に苦悩する私たちを見てとって
必ず救うとご本願を建てられ成就されたお姿がお立ち姿の阿弥陀さまであり
私が救われるすべての手立てを南無阿弥陀仏に成就して私に届けてくださってあるのです。
 
 「たすけてください阿弥陀さま」ではなくて「たすけてくださる阿弥陀さま」なのです。
「必ずたすける」との南無阿弥陀仏の仰せを「必ずたすかる」と聞かせていただきます。
 
 浄土真宗のご法義の肝要であり間違って了解されるところでもあります。
雑行をすててと自力の心を捨てて他力をたのむ弥陀をたのむとの肝要です。
 他力とは阿弥陀さまの本願力必ず救うのおはたらきです。
必ず救うの仰せに「はいおまかせします阿弥陀さま」とお礼のお念仏を申させていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.27)

梵鐘の音に南無阿弥陀仏の声を聞きお念仏申す生活をさせていただきます

 朝夕6時に梵鐘をつきます。
梵鐘には「南無阿弥陀仏」と二か所彫られています。
 
 この後納骨堂で『讃仏偈』さまのお勤めをします。
お経さまのなかに「正覚大音(しょうがくだいおん) 響流十方(こうるじっぽう)」とあります。
 正覚おさとりの声は高らかに十方すべての世界に響きわたるというのです。
南無阿弥陀仏のおさとりの声が十方に響きわたりおはたらきだといただきます。
 
 ゴーンと響き渡る梵鐘の音にのって阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただきます。
「われにまかせよ必ず救う」南無阿弥陀仏と私を喚んでくださるみ声です。
 「6時半からお朝事のお勤めが始まりますよう」と聞こえてお寺にお参りされる皆さんです。
「6時になった」と朝の支度をして今日の一日を始める方もいらっしゃるでしょう。
 
 緊急事態宣言が全国で解除になりました。
コロナの前の生活にすぐ戻ることはなかなか難しいことですが
私たちの日常はコロナの前も今もこれからもナンマンダブツとお念仏を申す生活です。
 この人生いろんなことがあるけれども南無阿弥陀仏に安心して
今日も一日生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.26)

フラットホームなお寺です

 昨日ご法事がありました。
今この時期ですからご親戚の方が一人お参りでした。
 私より数年先輩の若い頃から知ってる方でお勤めの後しばらくいろんな話になりました。
コロナ下で生活が変わりましたかとお尋ねしました。
 
 仕事を退職されてずっとお家中心の生活だそうです。
毎日家の近くの畑をしたり植木の剪定や草取りをしたりとかでコロナの前も今も生活は変わっていないということです。
 変わったことは月に2回なじみのお店に飲みに行っていたのが
コロナでお店が閉まっていて行けなくなったとちょっと寂し気に言われました。
 
 飲みに行くのが楽しみだというのです。
ただ飲むだけだったらステイホームで家でも十分できることですし
お金もそんなにかからないから月2回以上は十分に飲めます。
 人に会って話をしたり聞いたりする楽しみです。
お店に行くと常連客といういつもの人がいます。
 いつもの人がいなくてもその人の話になって盛り上がります。
いろんな人の話も聞けて情報源になります。
 たまり場です。
そこに行くと誰かに会える楽しみです。
 
 もう一つ散髪に行く楽しみを言われました。
床屋さんも常連客のたまり場です。
「最近あの人見らんのやけどどうしちょるん?」と聞くと
床屋の店主が「この前来たで元気やったで」と何か安心し
「ひそう来てねえなあ」と心配して連絡を取ることもあると言います。
 
 何かいいですね。
人と人とがいい距離でしっかりつながっている感じです。
 
 お寺もこうしたたまり場になるといいですね。
仏さまのご縁はいつでもどこでも誰にでも開かれた阿弥陀さまのおはたらきの場です。
 このたびのコロナ禍でお寺の4月5月の法要行事は中止にさせていただきました。
ただお寺自体はずっと開けていました。
 お朝事はいつものようにお勤めしていましたし納骨堂にも皆さんお参りされていました。
お寺にお参りしていつもの人に会える楽しみです。
 
 ふらっと立ち寄れるところです。
よくお寺は敷居が高いと言われますが本来はフラットな平らなところです。
 フラットホームです。
ふらっと帰って来れる家です。
 お寺はご門徒皆さんの家そして皆さんはお念仏の家族です。
南無阿弥陀仏のつながりのなかに今日もまたお朝事のご縁をいただく有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.25)

私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです

 私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです。
ただいまの御文章さまに「当流の安心(あんじん)の一義というは ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり」とあり
「南無阿弥陀仏の六字のすがたは すなわちわれら一切衆生の平等にたすかりつる すがたなりとしらるるなり」と
いただきました。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきひとつで誰もがみんな平等に救われるというのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきは勝行とも易行ともいわれます。勝れた易しい行です。
 南無阿弥陀仏が勝行というのは
阿弥陀さまがすべてのものを必ず救うとご本願を起こされ修行されて成就されたおはたらきだからです。
 
 勝の反対は劣、劣るということです。
仏さまの真実に背を向けてどこまでも自己中心に生き迷いのなかに苦悩する愚かな私を見てとって
そのまま救うとこの上ない勝れた行を阿弥陀さまが南無阿弥陀仏と成就しておはたらきなのです。
 
 そして易行です。
易行の反対は難行です。
 一般に仏道は厳しい学問修行を積んで仏のさとりを開くとの教えです。
ところが家が在り家族と共に生活する私たちには一つの修行さえままなりません。難しいのです。
 そこで阿弥陀さまは社会生活を営みながらも救われて往く仏道を工夫してこしらえてくださったのです。
それが念仏一つで救われる仏道なのです。
 南無阿弥陀仏のおいわれを聞いて信心いただきお念仏申す身にさせていただいてこの人生を生き抜き
命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏のさとりを開かせていただく仏道です。
 それも私に何一つ救いの条件を出されるのではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つに成就してあるとの仰せなのです。
「われにまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せにそのまままかせてお念仏の道を歩ませていただけるのです。
 難しい修行の一つもない念仏一つの易行なのです。
 
 南無阿弥陀仏を聞いてt信心いただきお念仏申す身にさせていただくといって
聞くことも信じることもナンマンダブツとお念仏申すことも何か私の手柄のようですが
すべてが南無阿弥陀仏のおはたらきなのです。
 
 念仏一つで救われるとは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるということです。
阿弥陀仏の本願力回向のおはたらきだからこそ一切衆生が平等に救われるのです。
 私もそうだし隣の人もそうだし先に往かれた方もそうだしこれから後に続く者もそうだし
みんな南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきに生かされて
大きないのちのつながりのなかに生きていると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.24)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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