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お念仏を申す生活法話

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俱会一処のお念仏の世界でいつも会ってる私たちです

2020-06-02
昨日円成会のご法座を久しぶりに開きました。
4月5月と二か月間お寺の行事をお休みして6月から徐々にいつもの仏さまのご縁をいただくことです。
 三か月ぶりのご縁で皆さんに会うのはしばらくぶりですが
お会いするとそんなに懐かしいということではなく昨日も一昨日もいつも会ってるという感じがしました。
 
 お念仏申す私たちがこの命終わって生まれて往くお浄土を俱会一処とお経さまに説かれてあります。
俱会一処のお念仏の世界です。
 南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきで私たちは共に一つ処で会わせていただけるのです。
遠く離れていても長い間会っていなくてもお念仏申すなかにご一緒させていただけるです。
 
 どんな人もこの命終えていきます。
皆さんの有縁の方々も命終えていかれました。
 ただ遠い遠いわからないところに行ってしまわれたということではありません。
阿弥陀さまのお浄土に往って仏さまに生まれて
南無阿弥陀仏のおはたらきとなってこの世に還ってみえてると聞かせていただきます。
 
 ただ懐かしいから帰ってくるのではありません。
この私を必ず救うという目的一つに還って来られていつでもどこでもご一緒くださる仏さまなのです。
 
 この目には見えないけれども南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまと仰いで
お念仏申すなかに今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.2)
 

6月新たなスタートです

2020-06-01
6月に入りました。新しい月です。
今日は月曜日で新しい一週間を迎えます。
 
 今日から全国的に学校の普段の授業が始まるということです。
学校が始まって子どもたちだけではなく大人もみんな社会全体の生活が始まるということで
新たな気持ちで今日の日を迎えます。
 
 まだまだコロナ感染は収束しておらず油断大敵ですが
長い間待ちわびた新たな一歩を踏み出すことです。
 
 新しい生活様式ということが言われます。
コロナ以前のような生活に戻ることは今は到底かないません。
 今回のことで今までの生活を見直すチャンスにもなりました。
コロナと共にある生活です。
 みんなでこうしましょうということも大事です。
ただこうしないといけないと言われてする前に
何か一つでも私にできることをさせていただく新たなチャレンジもいいのではないでしょうか。
 
 私たちの日々の生活はそれぞれ違いますが
私たちはお念仏のみ教えにつながったお仲間御同朋(おんどうぼう)です。
ご一緒にお浄土への人生を歩ませていただく御同行(おんどうぎょう)です。
共々にお念仏申す生活をさせていただきましょう。
 
 6月新たなスタートです。
お寺の行事もぼちぼち再開してまいります。
 今日は10時から円成会をします。
懐かしい皆さんとまたお会いできる楽しみです。
 
 コロナ禍のなかにもずっと皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをさせていただきました。
お念仏の灯を毎日絶やさず守っていただいて今日のお念仏の生活があるのです。
 皆さんのおかげで6月新たなスタートをさせていただきます。
ありがとうございます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.1)

「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」

「雑行をすてて 後生たすけたまへと 一心に弥陀をたのめ」という蓮如上人の法語を通して
浄土真宗のご法義の要を引き続き味わわせていただきます。
 
 昨日届いた仏教こども新聞の6月のことばは
「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」です。
 
 諸行無常の真理です。
この世の中で変わらないものは一つとしてない、この私自身も変わってゆくという仏さまの教えです。
 これからもいろいろなものが変わってゆくだろうけど
変わることを教えてくださる仏さまの真理だけは変わることがありません。
 
 南無阿弥陀仏の真実まことの法です。
生きとし生けるすべてのものを必ず救うそのまま救うおはたらきは
いつでもどこでも誰にでも変わらず行き届いてくださってあるというのです。
 
 この人生いろんなことがあるけれども南無阿弥陀仏を畢竟依として生きていけよと
親鸞聖人のお正信偈さま蓮如上人の御文章さまを今日もいただきます。
 
 5月最後の一日になりました。
お念仏申して精いっぱい生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.31)

悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口からお念仏が出てくださいます

 コロナ禍の外出自粛の生活で人と人とが会うことが難しくなりました。
ただ今はネット社会でオンラインで人と人とがつながります。
 遠く離れた人と即座につながって顔を見て言葉を交わせます。
日進月歩の科学技術の進歩で私たちの生活は飛躍的に変わりました。
 
 ネットのSNSで誹謗中傷された女性プロレスラーの方が自殺され大きな問題になっています。
仏教でいう身口意の三業の口業です。
 私たち人間が行うすべての行為を3種に区別し、身に行う身業、口に言う口業、心に思う意業といいます。
仏教でいさめる悪い行為に
①殺生(せっしょう/生きものを殺す)②偸盗(ちゅうとう/ぬすみ)③邪淫(じゃいん/よこしまな性の交わり)
④妄語(もうご/うそいつわり)⑤両舌(りょうぜつ/二枚舌、人を仲たがいさせる言葉)
⑥悪口(あっく/ののしりの言葉)⑦綺語(きご/まことのない飾った言葉)⑧貪欲(とんよく/むさぼり)
⑨瞋恚(しんに/いかり)⑩愚痴(ぐち/真理に対する無知おろかさ)の10種があり
その中の4種が口業なのです。
 
 わが身を振り返ってこれまでに人を傷つける言葉を言ったことがなかったでしょうか。
言う側は忘れてしまっても言われた方はずっと忘れられない言葉ってありませんか。
 
 先ほどのSNSの件で有名人がコメントしています。
有名人は特に標的にされやすいといいます。
 「殆どは応援してくれる言葉で元気づけられるが
百の応援の言葉があっても一つ傷つくような言葉はずっと残って忘れられない」と言われていました。
 
 厳しい言葉でも言ってもらうことで気づくこともあり言葉が人を育てることもありますが
ネットの言葉の恐さは相手の顔が見えないということです。
 発信する方もその時の乗りとか感情のままに書き込みをするというようなことを聞きます。
 
 このコロナ禍で見えないウイルスより見える人間の方が怖いと言われます。
十悪といわれる悪業です。
 悪業を積み重ねて後生です。
私たちは何度も何度も生まれ変わり死に変わってこのたびは人間に生まれたといいます。
そしてこの命終えてまた生まれ変わるのです。
 善因善果悪因悪果の道理で
善いことをしたら善い世界に生まれ悪いことをしたらその報いで悪い世界に生まれると聞くと
何かうなずけますが
この私のことでいったらどうでしょうか。
 
 十悪の一つとして思い当たらないことはありません。
まさに十悪を積み重ねてきた私です。
 その私が後生に生まれるところは地獄でしかないと
親鸞聖人は「地獄一定すみかぞかし」といただかれ
地獄に真っ逆さまに堕ちる私をそのまんま抱き取ってくださる仏がいらっしゃっると教えてくださいます。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまです。
 南無阿弥陀仏とわが名をよんでくれよとのおはたらきにあって
この口からお念仏が出てくださるのです。
 悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口です。
南無阿弥陀仏のおはたらきが十悪罪業の私に届いてくださってあるおすがたです。
 
 声に出してお念仏申しましょう。
その声は私の声であって阿弥陀さまのお喚び声です。
 私だけではなく私の周りの人にも聞こえるその声は
すべてのものを分け隔てなく必ず救うとおはたらきの尊い南無阿弥陀仏のみ名なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.30)
 

後生の一大事の解決があって今ここを本当に生きることができるのです

 「雑行をすてて 後生たすけたまへと 一心に弥陀をたのめ」という蓮如上人の法語を通して
浄土真宗のご法義の要を引き続き味わわせていただきます。
後生たすけたまへです。
後生とは後に来るべき生涯の意で来生・来世のことです。
 ただそこだけをいいますと仏教お念仏の教えは死んでから後のことで
今の私には関係ないと受けとめられる方が多いのではないでしょうか。
 
 仏教では生死(しょうじ)の迷いといいます。
どんな人も生まれて老いて病んで死んでいきます。
どんなものも変わってゆくという真理です。
 ただ私だけは変わらないという自己中心の見方でいつまでも若く健康で長生きしたいと思い
本当のことに向き合うことなく真理にあがなうように生きている私がいます。
 自分の思い通りにならずに悩み苦しみ迷いの中にあると
私のありのままのすがたを見てとられた仏さまの教えです。
 
 生死の迷いを離れて真実変わらないさとりの世界に生まれて仏に成ること
生死の解決こそが仏教の目的です。
 仏法に遇い生死に向き合うことで後生の一大事の解決があって
今ここを生きる意味がはっきりするのです。
 
 生死の迷いに苦悩する私に阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
「われをたのめ わが名を称えてくれよ」と喚び通しに喚んでくださるのです。
 この人生思い通りにならない色んなことがあるけれども
南無阿弥陀仏を畢竟依といただきます。
 ただ単なる依りどころではありません。
生死の帰依処です。生きる依り処死して帰する処です。
 
 私たちの生きる依りどころは何でしょうか。
健康であったり家族であったり友だちであったりお金であったりではありませんか。
 皆さんそうだと思いますが
これらは全て生きてる間のことだけで死んで持っていけるものではありません。
 
 南無阿弥陀仏です。生きても死んでも阿弥陀さまのお慈悲の中です。
ナンマンダブツとお念仏申して健康に留意し家族やお友だちを大事にして生きていきましょう。
 私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけると聞いて
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日も一日共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.29)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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