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お念仏を申す生活法話

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「黒い雨」裁判

2020-07-30
 東海道中第37宿の藤川の宿です。
愛知県の岡崎市に入ります。
 広重の浮世絵には「棒鼻之図」とあります。
棒鼻とは宿場町の出入り口を表すもので
二頭の馬を引く行列に町の人が土下座をしている絵です。
 江戸時代毎年8月1日に幕府が京都の朝廷に献上する馬を
町の境の棒鼻で見送っているのです。
 
 昨日広島での黒い雨裁判で原告勝訴の判決がありました。
黒い雨とは昭和20年8月6日広島に原爆が投下されて
その後黒い雨が降ったというのです。
 原爆で町中が焼き焦がれ煤が入って黒くなった雨です。
放射性物質が入った雨に濡れたり
汚染された水を飲んだり野菜を食べて
被爆した人がたくさんいらっしゃったのです。
 
 国の行政は黒い雨が降った地域を線引きし特定指定して
地域内の人には被爆者健康手帳を交付し
健康診断や治療を継続してしたものの
地域外の人には被爆被害があるにもかかわらず
被爆者手帳は交付されず除外したというのです。
 
 今から75年も前のことですが
今も被爆被害に苦しんでいる方がいらっしゃるのです。
 原告は80歳前後以上で多くの方は亡くなっています。
それぞれの人生を歩んできて色んな思いで裁判です。
 行政の言われるままに
声をあげることもできなかった方々の苦しみを思います。
 
 今回のコロナ禍もそうです。
国の行政は法律を定めてある程度の線を引きます。
 線を引かないと動いていかないこともあり
訴え出たものにみんないいよってはいかないのです。
 
 ただそれに漏れる人がいるということです。
実際に被爆被災しているのに線引きの外に追いやられた
法律の基準に漏れた人たち除外排除された人たちです。
 そういう人に目を向けるのが阿弥陀さまのお救いです。
御文章さまに「10人は10人100人は100人ながら」と
蓮如上人がしたためられた阿弥陀さまのお救いです。
 
 私たちは往々にして100人のうち98人99人が救われたら
もう十分だと思ってしまうのです。
他の1人2人が漏れて何か文句でも言ってこようものなら
何を言っているのかという見方さえするのが私たちです。
 阿弥陀さまはその1人2人と漏れる人を救うのです。
阿弥陀さまは全てのものを一人も漏らさず必ず救うのです。
阿弥陀さまのご本願のお心おはたらき無漏の救いです。
 
 原告団の弁護士支援者の方々に深い敬意を表します。
法治国家にあってすべての人が法の下で自由平等です。
 法の正義を守る人たちのことに思いを致し
阿弥陀さまのお心が生きていることを思います。
 
 阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせていただきましょう。
お念仏に生きるといって何でもできませんが
阿弥陀さまのお心おはたらきの私にできるお手伝いを
精いっぱいさせていただくことの尊さを
昨日の黒い雨裁判で教えていただきました。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.30)

式章とお念珠を身につけてお念仏の旅すがたです

2020-07-29
 東海道中第36宿の赤坂の宿です。
歌川広重の浮世絵には赤坂の宿場町の宿屋の中の
宿屋の人や旅の人のようすが多く描かれていて
大変興味深いものになっています。
 
 昨日はMYさんのお葬儀をこの本堂でお勤めしました。
100人ほどのたくさんのお参りでした。
 お葬儀は葬送の儀といって送るといいます。
先に往かれた方を阿弥陀さまのお浄土に送るのです。
 
 人の命は終えますが
お念仏のおはたらき一つでお浄土に往生して仏さまとなり
この世に還って来て後に遺った有縁の人たちと共に
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
これからもずっと生きていくと聞かせていただきます。
 
 故人はもとより喪主遺族の有縁の三佐の方が殆どで
ご門徒さんも多くお参りでしたが
皆さん式章をつけてお参りだったことが有難かったです。
 
 今日も皆さんいつものように式章をつけてお参りです。
もうすっかり式章が身についていて
式章がない方が何か違和感があるほどです。
 
 ただ葬儀社での葬儀にお参りするときは
式章をつけることに何か抵抗感があるのではないですか。
 それも遺族親族が式章をつけていないときは
式章をつけることがはばかれるのではないでしょうか。
 
 仏事に門徒が式章をつけるのは当たり前のことですが
その時どきのご縁で色んな思いはからいが入ってきます。
 
 昨日はお寺の本堂でのお葬儀ですから
堂々と式章をつけてお参りされたことだと思います。
 いつものお寺参りのすがたです。
お葬儀といって特別なことではなくそのままでいいのです。
 
 お寺参りはお浄土参りなのです。
まさにお念仏の旅です。
 四国の八十八か所お遍路さんの旅のすがたは白装束です。
私たちのお念仏の旅は平服に式章とお念珠があれば
そのままお念仏の旅すがたです。
 阿弥陀さまのそのまま救うまかせよの
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせるお念仏の人です。
 
 先に往かれた方もお浄土ならば後に遺った私たちも同じ
お浄土にお参りさせていただくと聞かせていただきます。
 先に往くか後に遺るかの順番はわかりませんが
私のいのちの往く先をすでにご用意をしてくださってある
阿弥陀さまのお浄土に共々に生まれさせていただくのです。
 
 昨日はお葬儀の悲しみのご縁で
浄土真宗のご本尊お寺の本堂の阿弥陀さまを中心に
お参りの皆さんとご一緒にお念仏の尊いご縁をいただいて
本当に有り難く思ったことです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.29)

お家の阿弥陀さまとお寺の阿弥陀さま

2020-07-28
 東海道中第35宿の御油(ごゆ)の宿です。
愛知県の豊橋市から豊川市に入ります。
 街道の面影を残す松並木が有名で
観光に訪れる方も多いそうです。
 
 広重の浮世絵には「旅人留女」という
今までと違う宿場町のようすが描かれています。
 旅人留女とは旅の人を宿屋に引く女性のことで
腕や荷物をつかんで強引な客引きの様です。
 何か宿場町の日常の生活が感じられて
親しみ深く思います。
 
 昨日はMYさんのお通夜に皆さんようこそお参りでした。
今日はこの本堂でお葬式をお勤めします。
 お通夜でお話したことですが
お家のお仏壇の阿弥陀さまとお寺の本堂の阿弥陀さまは
同じ阿弥陀さまでも
お参りする私たちの心持ちが違うというお話です。
 
 お寺はご門徒皆さんにとってのホームお家です。
自宅とお寺と二軒お家があるということです。
 自宅のお家は日々の生活の拠点であり
家から職場や学校に行って帰って行って帰っての
私たちの日常生活です。
 
 お寺もやはり帰る所で私たちの家なのです。
お寺のお家は阿弥陀さまのお浄土のお家ですから
この人の命終えて帰らせていただくいのちの古里なのです。
 
 命終えて帰るといって日常お寺は関係ない所かというと
皆さんは毎日こうしてお寺のお朝事にお参りです。
 この後はお寺から皆さんそれぞれのお家に帰られます。
私たちのいのちの古里のお寺に行ってお参りして
お家に帰って今日一日の生活が始まるということです。
 
 行くも帰るも南無阿弥陀仏なのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりおはたらきに
私たちは生かされてあるということです。
 
 今は人間のこの身を生きていますが
いつかは必ずこの身を終えていかなければなりません。
 ただ死んだらおしまいではなくてお父さんお母さんが
往ってらっしゃる懐かしいお浄土に還らせていただきます。
 
 お寺の本堂の阿弥陀さまのお浄土です。
阿弥陀さまを中心にお葬式をお勤めさせていただいて
夕刻には白骨となって還ってみえます。
 この目で懐かしいお姿を見ることはかないませんが
仏さまとなって私たちのところに還って来られて
これからも南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださると
お念仏申す生活の中に確かに確かに聞かせていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.28)

お寺の鐘がどのように聞こえてますか?

2020-07-27
 東海道中江戸から数えて34番目の宿場町吉田の宿です。
広重の浮世絵には豊川乃橋が描かれています。
 町の中を豊川が流れ大きくかかった橋を
町の人たちが往来しているようすです。
 豊橋の名前の由来であり
今の豊橋市の中心部にあって吉田城があります。
 
 昨日はMYさんのご往生のご縁で
ご自宅のお仏壇でお夕事(ゆうじ)のお勤めをしました。
 夕方の事と書きます。
浄土真宗門徒の日暮らしはお朝事(あさじ)のお勤めで始まり
夕方お夕事のお勤めで終えるという習わしでした。
 家族みんなが御仏前にお参りしお念仏申して
阿弥陀さまにご先祖有縁の仏さまにお礼をさせていただく
お念仏申す生活の大事な大切なご縁です。
 
 ちょうど6時のお寺の梵鐘が聞こえる中で
「帰命無量寿如来~」とお正信偈のお勤めを始めました。
ご家族ご親族有縁の皆さんと共々に
先に往かれたMYさんもご一緒です。
 
 毎日円光寺の鐘の音が聞こえてきます。
朝夕6時の梵鐘と朝6時半の喚鐘です。
 喚鐘は喚ぶ鐘と書きます。
時刻を告げるだけでなく
仏さまが私を喚んでくださる鐘の音と聞せていただきます。
 
 梵鐘は「そろそろ準備してお寺にお参りなさい」と
喚鐘は「今からお勤めを始めます」と知らせる鐘です。
 阿弥陀さまのお喚び声です。
ご縁ご縁にこの耳に聞こえてまいります。
 南無阿弥陀仏のお喚び声です。
「われにまかせよ必ず救う」と私の所に至り届いて
「目覚めよ目覚めよ」とおはたらきです。
 
 もうこの時間目が覚めている人が殆どだと思いますが
この目ではありません。
 私たちはこの目でものごとを見て思って生きています。
仏さまはこの目のものの見方に問題ありとご教示で
真実本当のことに目覚めてくれよとご催促なのです。
 
 自己中心の見方で自分の思い通りにいけばよいのです。
ただ自分の思い通りにいくことは中々ないというか
あったとしてもそれは一瞬のことで満足できず
次から次に欲の心が湧いてきます。
 そして少しでも自分に都合の悪い事があったら怒ります。
縁があれば怒りの心が爆発し何をしでかすか分りません。
 
 仏さまからいったらどこまでも愚かな凡夫の私なのです。
真実本当のことに気づくことなく
自分が一番正しいと思い上がり
煩悩の心で苦しみ悩み迷いの中にある私です。
 
 だからこそ放っておけない見捨てることができないと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
真実本当のことに目覚めてくれよ目覚めてくれよと
何度も何度も繰り返し繰り返し喚び続けておられるのです。
 
 今日は夕方6時からご自宅でお通夜のご縁です。
今はコロナのことで難しいところがありますが
ご縁の方とご一緒にお勤めさせていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.27)

阿弥陀さまとご一緒のお念仏の旅の楽しさです

2020-07-26
 東海道中第33宿の二川(ふたがわ)の宿です。
これから三河の国に入ります。
愛知県の豊橋市です。
 
 歌川広重の浮世絵には猿ケ馬場と描かれています。
長い旅で疲れもでて病気になったりとか
いろんな事情で歩くのが難しいという方は
馬で行くこともあったようです。
 
 そして道中に柏餅を売る茶屋が描かれてあります。
柏餅が大変有名だったそうです。
 名所名物を訪ねる旅の楽しみです。
 
 私たちのお念仏の旅は
南無阿弥陀仏とお念仏申して阿弥陀さまとご一緒に
お浄土への旅をさせていただく楽しみです。
 
 今日の一日もお浄土への旅をお念仏申して
楽しくご一緒させていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.26)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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