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お念仏を申す生活法話

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24時間テレビ「愛は地球を救う」

2020-08-24
  土曜日曜にかけて「24時間テレビ」がありました。
「愛は地球を救う」というテーマで43回目だそうです。
 夏の終わりの恒例行事のようになっていますが
今年はコロナ禍で実施するのかどうかと思っていました。
 24時間のテレビ番組です。
制作者は放送内容をどうするか毎年悩まれるところです。
 
 それで今回はコロナ禍です。
日本の代表的な伝統行事が軒並み中止になる中で
24時間テレビも放送の可否を含め
内容を大きく見直し検討されて今年も放送されました。
 続けるということの意味です。
無観客で出演者もコロナ対策を十分心がけるなど
色んな工夫をし苦労してのことだったと思います。
 
 24時間テレビについて批判も含め色んな見方があります。
障がいをもっている人ももっていない人も
共に生きるというコンセプトです。
 障がいをもっている方が
自分の夢をもって懸命にいろんなことに挑戦する姿は
周囲の人に感動と勇気を与え本当に尊いことだと思います。
 
 ただテレビで紹介される皆さんは頑張れる方なのです。
夢をもって頑張って生きたいけれども
頑張れない方ご家族がいることも
決して忘れてはいけないテーマです。
 これは障がいをもっている方だけの問題ではなく
この社会に共に生きる私たちこの私の問題です。
 
 お釈迦さまは経典に
「お念仏の教えを信じる人もいれば謗る人もいる」と
説かれています。
 南無阿弥陀仏のおはたらきで
どんな人も等しく救われるというお念仏のご法義は
真実まことであっても
私たち衆生に信じる者も謗る者もいるという
私たちの側に問題があると言われるのです。
 
 私たちのものの見方はどこまでも自分中心的で
自分の都合に合わせて物事を見て判断し行動します。
 自分のはからいに執われた見方は窮屈な生き方になって
自分の小さな世界に閉じこもり孤独に陥るのです。
 
 そういう私たちを見て取った阿弥陀の仏さまです。
広い世界に生まれて来いよと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 24時間テレビに賛同して募金をされる善い行いです。
でもみんながみんなができることではありません。
いろんな意見の方もいらっしゃいます。
 
 できることが善いことではない
できない方もいらっしゃるということです。
 頑張れない方がいらっしゃるということを思いつつ
私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
 
 さらに人助けをする行為は尊い善行ですが
私がすることはどこまでも仏さまのお手伝いの真似事です。
 
「善いことをしたと思ったら忘れなさい」との教えです。
私たちはちょっと善いことをしたら
ずっとどこかに思い続けます。
 逆に悪いことはすっかり忘れてしまいます。
どこまでも自分に都合のいいようにできているのです。
 
 共に生きる社会を思ってみんなが一緒にと言いながら
人と人とのつながりが薄くなり
生きにくい迷いの世の中になることを
仏さまはかねてご存知だったのでしょうね。
 
 迷いの中にありながら迷いを迷いと気づかず
私が私がと煩悩の心を起こし苦悩の中に生きる私が心配で
すっとお立ちになって南無阿弥陀仏と来てくださり
いつでもどこでもご一緒くださる阿弥陀さまです。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申して
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.24)

自信教人信、お念仏喜び申す姿がそのまま隣の人に伝わります

2020-08-23
 お盆が明けて一週間です。
平生の生活に戻りちょっと落ち着きました。
 
 この日曜日毎週UHさんがお朝事にお参りでした。
UHさん独特な所作がありました。
 作務衣に式章をかけ座る所も決めて
皆さん椅子に腰かけていますが
一人正座をしてお勤めするという姿スタイルでした。
 
 自信教人信ということを思います。
自ら信じ人に教えて信ぜしむという
お念仏を喜び申す者の姿生き方です。
 
 浄土真宗は大乗仏教の極致といわれます。
大乗とは大きな乗り物のことで
自利利他円満の仏さまのおはたらきで
すべてのものが救われると説かれます。
 
 自利自らの利益救いが利他他を救うといいます。
他を救うことによって自ら救われるということで
十方衆生が救われなければ私は仏に成らない救われないと
本願を起こし成就して阿弥陀仏と成られた
南無阿弥陀仏のおはたらきそのものなのです。
 
 私がこの世で悟りを開き仏に成る教えではありません。
阿弥陀さまのご本願を信じお念仏申す身になって
仏さまの願いにかなう生き方をしようとつとめても
それは所詮仏さまのまねごとであって
そこに固執すると思い上がりの煩悩になってしまいます。
 
 皆さんの日々のお姿です。
お朝事参りされてお念仏を申す今日のお姿そのままです。
 人に見せるためにしているのではありませんが
そのまま仏さまが見てござるのです。
 仏さまに見守られて大きなお慈悲のなかに
私たちの日々の生活があるのです。
 
 お念仏喜び申す姿を周りの方々が見て
私もあのようになりたいあの人のように生きたいと
思って今の私たちの日々の生活があるのです。
 
 有縁の方々に導かれ阿弥陀さまの前に座らせていただき
お念仏申す身にさせていただいたと
そのまま喜びいただいてお礼のお念仏を申すなかに
大乗の大きな乗りもの弥陀の願船に共々に乗って
今日もお浄土参りをさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.23)

「重病人にはお粥が一番」の譬えです

2020-08-22
 連日の猛暑ですが
朝夕が少しよくなりました。
 太陽が昇る時間が遅くなり
沈むのが早くなったということです。
 太陽のエネルギーって本当に凄いなあと改めて思います。
ただ地上に熱がたまっているんですね。
 夜も相当な熱帯夜で
熱中症対策に冷房は欠かせませんが
これがまた猛烈な暑さの大きな要因になって
何とももどかしい地球温暖化の深刻な事態です。
 
 南無阿弥陀仏の救いの法を
「重病人にはお粥が一番」との譬えで教えてくださいます。
 お朝事のご縁で毎日拝読するお正信偈さまのなかに
「極重悪人唯称仏(極重の悪人はただ仏を称すべし)」とあります。
 どんな愚かな凡夫もお念仏一つで救われるというのが
私たちの浄土真宗のご法義なのです。
 
 極重悪人を重病人にたとえて
高熱で食欲もない人には
いかに栄養があるからといって
ステーキや鰻丼はとても食べられません。
 年老いてくるとかたいものや味が濃く脂っこいものは
受け付けないようになります。
 でも食べます。
食べないと死んでしまいます。
 そんな重病人にとって最上の食べものが
お粥というのです。
 
 極悪最下の重病人には
お念仏の救いしかないのです。
 こんなにうまいものがあるのに何で食べないのか
うまいものが食べられないようなら
生きてる楽しみがないなどと言われても
私にとってはお念仏一つで十分なのです。
 
 学問修行を極めてさとりの仏に成る仏道ではありません。
学問修行されて仏道を究める方はその人人で尊いのです。
 私が学問して救われるのではないのです。
すべてのものを必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきで
愚かな凡夫のこの私がそのまま救われるのです。
 
 私が救われる全てのお徳を南無阿弥陀仏に施されて
「重病人にはお粥が一番」と
私のところに届けてくださったのです。
「極重悪人唯称仏」といただいて
今日も一日お念仏申す生活をさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.22)

今日初めてのいのちを生かされて生きて往きます

2020-08-21
 将棋の藤井聡汰棋聖が挑戦した王位戦に勝って
二冠になったというニュースで
最年少記録を塗り替えたと話題沸騰しています。
 まだ18歳1か月です。
最年少で二冠そして八段に昇段したということです。
 
 アメリカでは11月の大統領選挙に向けて
民主党の副大統領候補に
黒人女性の方が指名されたということです。
 民主党候補が大統領になると
史上初めて黒人女性の副大統領が誕生することになります。
 
 何か初めてと聞くと新鮮ですよね。
史上初というとすごいことだなと心が動かされます。
 
 仏教のみ教えを聞かせていただきますと
いのち毎日新しくて今日のいのちも初めてなのです。
 昨日その前からずっとつながって
生きているということですが
今こここの私をいのちが生きているということについて
他人の話ではなくて私のこと初めてのことなのです。
 
 東井義雄先生の詩「目が覚めみたら」です。
  目が覚めてみたら 生きていた
  死なずに 生きていた
  生きるための 一切の努力をなげすてて
  眠りこけていた 私であったが
  目が覚めてみたら 生きていた
  劫初以来 一度もなかった
  まっさらな 朝のどまんなかに
  生きていた
  いや 生かされていた
 
 まっさらな初めての朝に
目が覚めてみたら生きていたのです。
 いのちの新たな誕生です。
これほどの感動喜びはないはずなのに
何か毎日を当たり前のように過ごしていませんか。
 
 詩は「生かされていた」と結ばれます。
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきです。
 私が私がと頑張って生きているように思っても
私を育む大きないのちのおはたらきがあるのです。
 
 初めての朝にお朝事の初事で
今日一日を始めさせていただきます。
 今日初めてのいのちを恵まれて
今ここ阿弥陀さまの前にこの身をはこんで
ナンマンダブツとご一緒にお念仏申しお礼ができて
今日初めての一日を始めさせていただくことです。
 
 今日も一日生かされて生きて往ける有難さ尊さを
お念仏のご縁に遇うなかに深く味わわせていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.21)

篤い思いをもってご法事のご縁に遇わせていただきましょう

2020-08-20
 電話でご法事の申し込みがあります。
何日がよろしいですかと日時を決めますが
「お経だけお願いします」「家族だけです」と
言われるところが最近多くなったように思います。
 
 今はコロナ禍で家族だけでお勤めをし
お斎も控えるということはよくわかります。
 ただお葬式を家族葬でといわれるようなことで
ご法事も家族だけでお経だけということには
少し考えさせられます。
 
 先日も家族だけというご法事にお参りしましたら
家族の代表一人だけのお参りで
普段のお参りのような様子でした。
 
 僧侶の私は普段の布袍(ふほう)輪袈裟(わげさ)から
ご法事の時の黒衣(こくえ)五条袈裟(ごじょうげさ)
僧衣を着替え正してお勤めをします。
 
 ご法事をお勤めさせていただく気持ちが
伝わってきません。
 何かお坊さんにお経をあげてもらえば
それで事足れりといった感じです。
 
 ご法事はお家の施主が思い立ってお勤めする
大事な仏さまのご縁なのです。
 ご法事を迎えるにあたって案内等の準備から
お仏壇をきれいにお荘厳して
お参りされる親族ご縁の方への対応など
施主の役割は大変重要です。
 
 家族だけのお勤めといっても
僧侶への対応はどんなご法事でも同じです。
 ご法事によってお経が違うとかではなく
僧侶は同じようにお勤めをします。
 
 今は親族とのつながりが疎遠になっています。
だからこそご法事のご縁はその関係を結ぶものです。
 
 そしてご法事は何といっても仏さまのご縁です。
先に往かれた方が今はお浄土の仏さまとなって
ご法事のご縁をつくってくださったのです。
 私一人ではなく家族親族有縁の方に一人でも多く
仏さまのご縁に遇っていただきたいというのが
施主の思いであり仏さまの願いなのです。
 
 仏法に遇ってお念仏申す身になってくれよと
仏さまの大きな願いお慈悲のなかに生かされてあるという
浄土真宗のご法義が発揮されるのがご法事のご縁なのです。
 
 各々のお家でできることもできないこともありますが
私にできる精いっぱいのことをさせていただこうとする
施主の篤い思い心意気です。
 
 これは仏事だけのことではなく
世間のいろんなことにもつながることだと思います。
 お念仏のご縁に生かされていると聞かせていただき
今日の一日も共々に生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.20)
円光寺
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