蓮の花がきれいです
2024-07-07
今朝早起きして臼杵石仏に蓮の花を見に行きました。
6時前の時間でしたが
すでに多くの人が見学に来ていました。
蓮畑一面にいっぱい植わった蓮から
白やピンクの花が咲き誇っています。
『阿弥陀経』には
「池中蓮華 大如車輪
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
微妙香潔 舎利弗 極楽国土 成就如是 功徳荘厳」
(池の中には車輪のように大きな蓮の花があって
青い花は青い光を、黄色の花は黄色の光を
赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち
いずれも美しく、その香りは気高く清らかである。
舎利弗よ、極楽世界はこのようなうるわしい
すがたをそなえているのである)と説かれています。
仏教では、仏さまが蓮華に譬えられます。
泥の中から美しい花を咲かせる蓮華は
さまざまな煩悩をもつものが
さとりをひらくことの比喩として用いられます。
『観無量寿経』では、念仏するものは
「人中の分陀利華(白蓮華)」と喩えられ
親鸞聖人は『正信偈』のなかで
「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願
仏言広大勝解者 是人名分陀利華」
<一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば
仏、広大勝解のひととのたまへり
この人を分陀利華と名づく>
(善人も悪人も、どのような凡夫であっても
阿弥陀仏の本願を信じれば
仏はこの人をすぐれた智慧を得たものであるとたたえ
汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになる)
とお念仏のひとを讃嘆されています。
蓮のお花一輪一輪がお念仏のひとで
阿弥陀さまの大きなみ光につつまれて
それぞれお互いが輝き合って
共々に生かされて生きているのです。
お念仏申して
お念仏の花を咲かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.7)
降っても 照っても ナモアミダブツ お慈悲の中
2024-07-06
まだ梅雨の真っ只中というのに
今日も朝から物凄い暑さです。
数日前よりまさに真夏の装いで
まとまった雨の天気から後の
蒸し風呂のような湿った暑さで
気温以上に体がぐったりします。
天気予報士の方が
「こんな暑さの予防は涼しくした部屋の中に
じっとしていることです」と言っていました。
コロナの頃よく聞いた
「不要不急の外出は止めましょう」ということです。
大分の夏祭りの先陣を切る
「長浜さま」(大分市長浜神社夏季大祭)が始まりました。
いつも梅雨のこの時期にあることで
「雨の長浜さま」といわれ
今年は雨の心配をしなくて済むと思いきや
猛暑が続く中に「少しは雨が降ってほしい」と
関係者から声がこぼれるということです。
天気をはじめ大自然の営みは
私たち人間の思うようにはなりません。
自分たちの都合に良くも悪くも
今日一日を生きていかねばなりません。
阿弥陀さまのご本願のお救いは
私たちがどんな状況にあっても
いつでもどこでもご一緒してくださるという安心です。
雨の日も晴れの日も曇りの日も風の日も
暑い中も寒い中も
「われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
今日一日もお念仏申してお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.6)
お念仏の間合い
2024-07-05
昨日大分グランシアタで前進座公演の
『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』を観劇しました。
浄土真宗の宗祖親鸞さまと
お連れ合いの恵信尼さまの物語です。
親鸞さまは日本で初めて肉食妻帯された
お坊さんといわれ
末娘の覚信尼さま宛のお手紙『恵信尼消息』をもとに
脚色構成されています。
比叡山で堂僧として修行され
六角堂に籠もり夢告を受けて法然聖人の門弟になり
念仏禁制で越後に流罪され
その後関東に赴き多くの人びとにお念仏のみ教えを伝え
京都に帰って著述活動につとめて
90歳で往生されるご生涯を
有名なエピソードをもって演じられます。
ご夫婦で周囲の方々と生活を共にするなかで
色んな相談事があり事件もあったりして
お念仏のみ教えをお味わいする
劇中で「お念仏申しましょう」という場面が
何度も出てまいります。
親鸞さまが恵信尼さまがそして周りの方々が
「ナモアミダブツナモアミダブツ」と声をそろえて
お念仏申します。
その間合いがさすがプロの俳優さんの演技です。
「ナモアミダブツナモアミダブツ」と
人人に連なるようにお念仏の輪が広がっていきます。
お念仏の間合いとでもいいましょうか
「ご一緒にお念仏申しましょう」と
阿弥陀さまから促されるように
私に届けられるお念仏です。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきが
私に届いて
「おまかせします阿弥陀さま」とお念仏とともに
阿弥陀さまにお礼を申させていただきます。
このたびのご縁で
『恵信尼消息』を読み返してみたくなりました。
親鸞さまと恵信尼さまのお念仏申す生活を想いつつ
今日も一日お念仏申して
往生浄土の歩みをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.5)
朝から笑顔が弾けます
2024-07-04
アメリカ大リーグドジャースの
大分翔平選手の活躍が止まりません。
昨日は7月に入って初めての試合で
27号ホームランを打ち
6月からの好調を持続しています。
朝の情報番組から昼夜のニュースも
大谷選手の話題でいっぱいです。
伝える人もそして聞く私たちもみんな笑顔です。
「朝から日本中を笑顔にしてくれる」と声が弾みます。
みんなを笑顔にする効果は
経済効果それ以上のもので
それもほぼ毎日みんながそのまま享受できる
優れものです。
これも期待通りに活躍できている今だからこそで
これからもずっとというわけにはいきませんが
今は素直にそのまま楽しませていただきましょう。
この人の世のことは悲喜こもごもで
喜びもあれば悲しみもあると
みんなが喜びの中にあったらいいのでしょうが
喜び笑う人の隣りで悲しみ泣く人がいることの現実です。
プロ野球でひいきの球団が勝てば
機嫌よく一日を始める人もいれば
反対に負けて一日中機嫌が悪い人がいます。
所詮勝ち負けの道理でいえば
勝つチームがあって負けるチームがあることで
どのチームも全て勝つ道理はありません。
大谷選手のことは
個人の成績が優先して伝えられ
それがアメリカ大リーグの日本選手の活躍です。
アメリカの中の日本人ということで
自分事と重ねて見れることなのでしょうね。
大谷選手がホームランを打てば
自分事のように誇らしく思えて
何かルンルン気分ですが
自分中心の思いはからいが強くなると
逆効果にもなりかねません。
南無阿弥陀仏のご法義は
勝者も敗者も笑顔の人も涙する人も
すべて等しく平等にそのまま救うとおはたらきです。
今日も一日お朝事のご縁に遇って
お同行の皆さんとご一緒にお念仏申して始まります。
人それぞれに自分の思いは良くも悪くも
お念仏申す身にさせていただき安心して
お慈悲の中に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.4)
壱萬円の顔が変わります
2024-07-03
福澤諭吉から渋沢栄一へ
壱萬円紙幣の顔が変わります。
私が初めて見た壱万円札の顔は聖徳太子でした。
戦後復興の中で
庶民にはあまりご縁のなかった聖徳太子の時代から
高度経済成長期を経てバブルの頃には
福澤壱萬円が飛ぶように経済を席巻しました。
40年ぶりの交代だそうです。
今は現金ではなく
カードやスマホでの決済が当たり前になって
日常現金を持ち歩かない生活が一般的になりました。
私はというと
最近一つのカード決済を覚えて利便性に称賛しますが
やはり現金派です。
現金を持つことで安心します。
出かける用事によりますが
少し多めに持つようにしています。
逆に現金をあまり持っていないと不安になります。
浄土真宗のみ教えは
阿弥陀仏の他力の信心一つで救われるご法義です。
阿弥陀仏の「まかせよ救う」のご本願を信じ
「おまかせします阿弥陀さま」とお念仏申し
大きな安心をいただくのです。
阿弥陀さまの他力の信心を
安心(あんじん)といいます。
私がいつどこで何をしようとも
「まかせよ救う」の
南無阿弥陀仏のおはたらきの中にあって
阿弥陀さまがご一緒くださる安心をいただくのです。
他力の信心は一度この身についたら
阿弥陀さまがついて離れず
摂取不捨のおはたらきです。
私が阿弥陀さまのことを忘れても
阿弥陀さまは私のことを忘れずに
いつでもどこでもこの私にご一緒です。
お念仏申す日暮らしのなかに安心して
今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.3)