一枚一枚切手を貼ります
2020-09-09
昨日ご門徒さんにお彼岸のご案内を発送しました。
三佐地区はお世話人にご門徒のお家に届けてもらい
地区外のご門徒には郵送させていただきます。
お寺の法要案内を主に二か月に一度年6回の郵送です。
今は三佐地区外の方が大変多くなりました。
郵便局で切手をたくさん求めます。
郵便局の局員さんから
「スタンプも使えますが…」と言われました。
切手を一枚一枚貼るのは大変です。
スタンプだったらそんなに時間もかかりません。
「(それは)わかっていますが…」とこたえて
切手を受け取りました。
こだわりです。
以前はわざわざ記念切手を求めていましたが
同じ種類のものが少なく大きさなど使い勝手が悪くて
今は普通の切手にしています。
何でそんなことにこだわるのかと思われるでしょうが
手間暇かかってもこだわりたいのです。
手間暇かかることこそ大事だと思うのです。
スタンプは何か事務的機械的な感じがして
今は宛名も手書きのものではなく
だからこそせめて切手を貼ろうと思うのです。
お寺からの仏さまのお便りです。
少しでも仏さまのお心を届けたいのです。
郵便を受け取るご門徒さんの対応は様々だと思います。
円光寺の封書を見ただけで封を切らずにそのままにして
ゴミ箱に直行ということもあるかもしれません。
阿弥陀さまのお便りは南無阿弥陀仏のお喚び声です。
「いつも私が一緒だよ安心しなさい。まかせよ救う」と
私をいつでもどこでも喚び続けてくださっているのです。
声になってくださった仏さまです。
私が背中を向けて無関心を装っていても
あきらめることなく声をかけ続けてくださるのです。
自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
お寺のことなど関係ないとうそぶく私がとても心配で
摂取の光明を放って
もうすでに抱き取ってくださってあるのです。
大悲弘誓(だいひぐぜい)のお心です。
そのお心を少しでもお届けしたいと思うのです。
切手を貼るには時間がかかりますが
阿弥陀さまのご苦労を思えば何のその
辛抱強く何度も何度も喚び続けられた
南無阿弥陀仏のお手回しのおはたらきがあってこそ
今この私がここ阿弥陀さまの御仏前に座っていることを
有難くいただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.9)
猫ちゃんの仏さまのご縁です
2020-09-08
大型で非常に強い台風10号という数日前からの予報で
備えをよくされていたということでしょうね。
個々で小さな被害はあったと思いますが
大きな被害にならずに済んだということのようです。
ただ周到に準備をした分後片付けがあって
台風一過の昨日も大変だったと思います。
日曜日のお参りは法事は延期になり他は休みにして
昨日の法務は控えさせていただきました。
お朝事もお休みしました。
そうしたなかで朝お葬式の連絡があって
昼お参りに行きました。
お勤めの後「お幾つでしたか」と聞きましたら
「23歳でした」と答えられその後に
「人間の年でいったら108歳です」と言われました。
ペットの猫ちゃんのご縁だったのです。
そのお家の猫ちゃんのお葬式はこれで2回目です。
3匹の猫ちゃんがいて
一番長寿の猫ちゃんが亡くなったということです。
電話口からもう涙声です。
お家にお参りしますと大勢の人でいっぱいです。
昨日は学校がお休みで子どもたちも多く
15人ほどのお参りでした。
皆さん黒っぽい服を着ていました。
悲しみのご縁では当たり前のようですが
今は少人数の簡素なお葬式が増えている中で
何か珍しい感じさえしました。
少しお話をしました。
猫といっても阿弥陀さまの救いの目当てで
私たちと同じ十方衆生です。
生きとし生けるもの全てを分け隔てなく必ず救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
お仏壇の真ん真ん中にご安置の
阿弥陀如来さまのお慈悲のお救いです。
今皆さんがここ阿弥陀さまの御仏前に
お参りされていることこそ
仏さまのおはたらきですというお話です。
この私を仏さまの御前にはこんでくださったのは
誰でしょう。猫ちゃんです。
ただの猫ではありません。
仏さまが猫の姿になってくださってのおはたらきです。
どこまでも私が私がと自分中心に生きて
御仏前に座ることなどないしぶといこの私を
御仏前に座らせてお念仏申させてくださったのです。
猫ちゃんの仏さまのご縁です。
家族同然に一緒に生きた猫ちゃんの悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
お念仏申すなかに共々に
これからも生かされて生きてまいりましょう。
人猫犬とそれぞれにみんな違います。
私たち人間もそれぞれに生活ぶりは違いますが
生きとし生けるいのちをすべて
それぞれに等しくそのまま救うとおはたらきの
仏さまがいらっしゃると聞かせていただき
今日も一日お念仏申す生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.8)
「後生の一大事油断あるまじく候」
2020-09-06
嵐の前の静けさと言います。
台風がどこかに逸れて行ったのかと思ったら
予報通り勢力はそのままで九州の方に向かっています。
大型で非常に強い台風という形容詞がついていますが
もう一つ今までに経験したことがないという凄い文句です。
とにかくできる限りの備えをしましょう。
昨日少しふれましたが
「後生の一大事油断あるまじく候」という
越中赤尾の道宗という蓮如上人の頃のお同行の言葉です。
後生の一大事とは後生は今生の後のことで
この命終えてどうなるのか命のゆく先の解決を
油断なく聞いておきなさいと
仏法に遇うことを勧められるのです。
今日は忙しいから明日聞けばいいとか
まだ若いから歳をとってから聞けばいいからと
油断していたら
若くて健康な人もどんな人もいつどんな形で
この命を終えていくか分からないのだから
仏法を聞かずじまいに命終えるのは空しいもったいないと
今日この時に仏さまのご縁に遇って
早く後生の一大事の解決をして
お念仏申す身になってくれよというのです。
阿弥陀如来のご本願のお力おはたらきをいただいて
お念仏申す人生を歩ませていただき
命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏さまに成らせていただける南無阿弥陀仏の救いの法です。
死んでから後では間に合いません。
仏さまのご縁に遇って今聞けよとのご催促なのです。
台風が来てからでは間に合いません。
油断なく今できることを精いっぱいして
台風10号に備えましょう。
明日の朝に最接近との予報です。
明日のお朝事はお休みさせていただきます。
どうぞ皆さんお気をつけください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.6)
台風襲来の備えはできていますか?
2020-09-05
強烈な台風が来るというニュースで大騒ぎです。
これまでの強い台風の映像が流れます。
2年前の台風21号はちょうど今頃の時期でした。
大阪を中心に大きな被害が出て
関西空港が大浸水で閉鎖され
トラックが横転し家屋も吹き飛ばされるなど大変でした。
そうした映像を見せつけられると
じっとしておれません。
わが家も備えをしなければということで
昨日の夕方ナフコに行きました。
お店に入ったらレジの前に大勢の人が
列をつくって並んでいました。
時間がかかって大変だと思いつつも
防災グッズを買おうとお店の人に尋ねたら案の定
「もう早く売り切れました」と即答されました。
台風対策の備えです。
備えはしておかないといけません。
かといってどれだけ備えればいいのか
これは分かりません。
これでもかと備えを十分ばっちりしていても
災難に遭うときは災難に遭うんですね。
災難を逃れる方法を聞かれて
良寛さんが「災難に遭うときは災難に遭うのがよい」
と言われたそうです。
私たちは災難から逃れよう逃れようとしますが
災難に遭うときは遭うわけで
これはどうしようもないことです。
そこで「災難に遭うときは災難に遭うのがよい」とは
究極の仏さまの教えですが
私たちは中々そのまま受けとめることはできません。
台風が来るぞ来るぞといって
じたばたするのが私たちです。
あっちに行ったりこっちに行ったり
不安におののき苦悩し迷うこの私を
阿弥陀さまはしっかり見て取って必ず救うそのまま救うと
阿弥陀さまの方で私が災難から逃れる苦悩から逃れる法を
南無阿弥陀仏とつくってくださったのです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる
お念仏の救いの法です。
ただナンマンダブツとお念仏申したら
台風がどこかに逸れて消えてなくなるのではありません。
ナンマンダブツとお念仏申したから
今の困難な状況が思い通りになるのではありません。
どんなことがあってもあなたを見捨てることがないと
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでも私にご一緒くださり
命終わるときそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれさせて
私をさとりの仏にしてくださるのです。
お釈迦さまは「諸行は無常なり怠りなくつとめよ」と
最期にお説法されたといいます。
「後生の一大事油断あるまじく候」とは
お念仏の先人の言葉です。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただき
準備万端怠りなくこのたびの台風10号に備えましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.5)
コロナ禍も平生普段のお念仏申す日常の生活です
2020-09-04
昨日大海組の法中会というお寺の会議がありました。
毎月1回の開催ですが
8月は盆月で7月以来2か月ぶりのことでした。
大海組で例年僧侶門信徒のいろんな行事があります。
7月までの前期は壮年会婦人会などの総会行事
そして9月からは各会の大会研修会です。
今年はコロナ禍で前期の行事は殆ど中止しましたが
今後の行事をどうするかが主な議題でした。
それぞれの会のあり様が異なります。
ただ大海組の行事ですから
組内17のお寺が足並みを揃えることが大事です。
コロナの感染状況によりますが
大分県内でしばらく感染者が出ていなかったなかで
それぞれの会で取り組みを始めていたのです。
全国的にも大分県内にも感染者が再び増える中で
当面の行事については取り止めにして
これから先のことは感染状況をみながら
各会の担当者がもちかえることになりました。
担当者のご苦労を思うと大変です。
行事をするとなると企画から種々相談し準備して実行
そして行事が終わっても二週間は
体調が悪い人がでたらなどと心配が尽きません。
今度のコロナ禍では殆どの行事が中止されました。
公共団体などの大きな組織は横並びで
中止の決定がされやすかったと思いますが
組織の中には多くの人がいて意見も色々様々で
中々小回りが利かないで決定が遅れる傾向です。
今の感染状況をどう見るか
そしてGOTOキャンペーンなどで
人の往来が勧められている現実があります。
新しい生活様式が求められ
どう生活していくのか問われるなかでの
行事をやるやらない
やるんだったらどのようにやるのかということです。
そして果たして今やるべきことかという問題です。
何か私たちは前年踏襲で毎年同じように
行事を繰り返し行っていますが
何のためにするのか
根本がわからなくなっているとの指摘です。
コロナ禍で一つ立ち止まり
これまでの行事を見直すチャンスになると思います。
お寺のあり様についてもお寺によって対応が違います。
円光寺はずっと毎日お朝事のお勤めを続けています。
日常普段のお寺の生活です。
食事をすることに譬えます。
コロナでもどんな悲しみの中でも災害に遭う中も
私たちは食事をします。
食べるということは生きるということで
私たちは生きているのです。
お朝事のお勤めも食べる食事といただきます。
普段日常のことです。
食事をして今日一日の生活が始まります。
お念仏申して今日の一日が始まるのです。
お念仏を申す生活です。
普段日常の生活です。
お念仏申すなかに生きとるぞということです。
円光寺は生きとるぞということです。
このコロナの時に朝早くから喚鐘をついて
誰がお参りしてお勤めしているのかなどと
外から見る人の見方は平生でも色々あります。
お念仏を申すご縁をいただいているということです。
特別なご縁ではないいつも平生日常のご縁です。
お念仏のご縁をいただいて
私たちの確かなお浄土へのお念仏の歩みがあるのです。
お念仏が身についている皆さんです。
お朝事のご縁にお念仏の食事をいただいて日々の営みを
今日もこうして始めさせていただきます。
平生もコロナの非常時もまた同じく
お念仏申す生活を有難くさせていただきます。
一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.4)