「イノベーター上人がやってくる」
2020-09-14
今はコロナの時代です。
コロナ禍で私たちの生活は一変しました。
コロナが収束したときはまだ変わっていると思います。
著しく変動する社会生活にあって
お寺の日常も変わりました。
変わらざるをえないところもありますし
積極的に変わっていくことも大事だと思うなかで
あらためて蓮如上人のご事績に親しく引き付けられます。
今から22年前の平成10年に蓮如上人の五百回忌法要が
「イノベーター上人(しょうにん)がやってくる」のスローガンで
ご本山で勤修されました。
蓮如上人は本願寺第八代宗主で
京都の小さなお寺で参詣者も少なかった本願寺を一代で
全国区の教団にされ中興の祖として宗祖親鸞聖人と並んで
お仏壇の左右に御影をご安置させていただいています。
「イノベーター上人がやってくる」の法要スローガンは
当時かなり衝撃的なものでした。
それまでも刺激的な言葉で周知の目を引きつけようと
工夫されたスローガンがありましたが
カタカナ交じりの意味不明の言葉で
私はまだ40代で新しいものを受け入れる感覚があっても
お寺の住職世代の60代70代の方には
反発する人も少なくなかったように記憶しています。
イノベーターとは変革者です。
蓮如上人は「ご再興の上人」といわれ
本願寺の大変革をされたということです。
ご再興といって本願寺の建物や組織に目が行きますが
その根本は浄土真宗のみ教えの中心信心のご再興です。
親鸞聖人が開かれた阿弥陀如来の他力信心の救いの法を
私たちの生活のなかにわかりやすく示して
浄土真宗門徒の新しい生活様式をつくって下さいました。
朝夕親鸞聖人の「お正信偈」をお勤めさせていただき
蓮如上人のお手紙「御文章」を拝読して
お念仏申す生活の実践です。
コロナの時代になって
「イノベーター上人がやってくる」の意味するところが
少しわかるような気がします。
蓮如上人の「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり
威のおほきなることにてはなく候ふ。
一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ」
のお言葉をいただきます。
一宗の繁昌とはお念仏の繁昌のことです。
一人一人が他力の信心をいただいて
お念仏申す身にさせていただくことです。
今はコロナ禍で人が多く集まることがはばかれます。
お寺の行事もお休みすることが多くあります。
ただ人人がお寺にお参りし仏法に遇うことで
お念仏のみ教えが人人に伝わるのです。
お寺の行事をコロナだからと何もかも止めてしまったら
それこそご法義のおはたらきを邪魔することにもなります。
人が多く集まるお寺になるように
これまでいろんな試み工夫を重ねてきました。
ただお寺参りの人が多くなることに一所懸命になって
一番大事なご法義が抜けてしまったら
お寺の意味が全くないということなのです。
阿弥陀さまの本願念仏のみ教えを聞かせていただき
他力の信心をいただくことが肝要なのです。
私たちにお念仏申す生活の大事な基盤を
蓮如上人がつくってくださったのです。
あなたから私へ私からあなたへと
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかで
お念仏のみ教えが確かに確かに伝わり
これからも伝わっていくのです。
コロナの時代にふさわしい新しい生活様式がいわれます。
私たちにとって新しいお念仏申す生活様式です。
蓮如上人に学ばせていただくことです。
お念仏のみ教えを私たちに届けてくださった
変革のイノベーター上人に学ばせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.14)
南無阿弥陀仏の声となっていつもご一緒くださる仏さまです
2020-09-13
朝夕が大分涼しくなったように感じます。
今日は月に一度の仏教壮年会の月例会です。
先月8月の時にはいつもの場所にUHさんが座って
皆さんとご一緒にお勤めされたことです。
急なご往生で皆さんもびっくりされたと思います。
今年に入ってHMさんがご往生されました。
MTさんのご往生は5年前になりますが
お寺によくご縁のあった仏壮会のメンバーが
亡くなるとやっぱり寂しいものです。
悲しいご縁ですが今日も先に往かれた方々とご一緒に
お朝事のお勤めをさせていただく有難さを思います。
皆さんの声に交じって先に往かれた方々の
懐かしい声が聞えてくるようです。
この仏教壮年会は仏さまのご縁の会です。
円光寺を中心としたお念仏のご縁つながりの会です。
毎月お朝事のご縁に例会をもたせていただきます。
お寺参りがそのままお浄土参りのご縁です。
先に往かれた方はどこか知らないところに
行ってしまったのではなくて
阿弥陀さまのお浄土のおさとりの国に生まれて
今は仏さまとなって私たちを護り救うおはたらきを
してくださっていると聞かせていただきます。
お浄土の仏さまです。
お浄土から南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
この世に還って来て私たちとご一緒してくださる
仏さまなのです。
阿弥陀さまが生きとし生けるすべてのものを
分け隔てなくそのまま救う必ず救うと
南無阿弥陀仏の救いの法をつくってくださいました。
南無阿弥陀仏とお念仏申してくれよと仏さまのご催促です。
お念仏を申して自分の都合のいいことが
起こるのではありません。
お念仏申しても生死の迷いの身は変わりません。
生老病死の苦悩を抱えて生きていく私たちですが
お念仏申すなかに先に往かれた方も私たちも共々に
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりに生かされて
往生浄土の人生を生き抜くことができると
教えていただきます。
ナンマンダブツとお念仏申すところがみんなの居場所
私たちが本当に安心できるところなのです。
今日も何度も私の口から
南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださいました。
お浄土の仏さまのおはたらきです。
先に往かれたお方のお喚び声と聞かせていただいて
今日一日もご一緒にお念仏申す生活をさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.13)
お寺で仏事のご相談です
2020-09-12
昨日の午後ゆっくりしていたら
「今日は仏事相談の日ですね」と
ご門徒さんがみえました。
第2第4金曜日は「仏事なんでも相談室」のご案内です。
あんのん館でお話を聞きました。
お仏壇を新調することについてのご相談です。
もうすでに仏壇店に行ってほぼ決めているのですが
仏壇屋さんから「お寺さんは?」と聞かれて
「円光寺さんだったらお寺に相談してください」
と言われて相談にみえたというのです。
気になったのは「円光寺さんだったら」ということです。
お寺お寺によって仏壇店の対応が違うのかと思いました。
今までの事でいうとお仏壇にしてもお墓にしても
ご門徒さんが直接仏壇店や石材店と話を進めて
お仏壇の入仏法要やお墓の建碑式のお勤めにお参りして
初めて新しいお仏壇やお墓を拝見することが多いのです。
仏壇店は所属寺の宗派を確認し仏壇をお世話しますので
各宗派の仏壇を間違えることはありません。
ただ「ご本尊はご本山からお迎えしましょう」と
常々ご門徒皆さんにお話していることもあり
それで仏壇店もお寺に相談してとのことだったと思います。
昨日のご門徒さんはお寺によくお参りされてる方ですが
ご本尊はご本山からの話は聞いたことがないと言われます。
平生日頃からの仏法聴聞ですが
自分のことと聞くことの難しさです。
お寺のお話はいつものお話と右から左へ聞き抜けて
お寺に置いて帰るのでしょうか。
何でもお寺にご相談いただくことは大事なことです。
自分の問題ですから真剣に分かるまで聞きます。
お寺に相談にお参りされて聞かせていただきます。
お念仏申す生活です。
お仏壇は飾りものや調度品ではありません。
お家の真ん中にご安置して一代限りでなく
二代三代と続いて伝えていくお家の大黒柱宝ものです。
お仏壇の真ん真ん中にご本尊の阿弥陀さまです。
お家の中心にあって夜も昼も四六時中立ち放しで
お家の人たちの生活を見守ってくださってあるのです。
仏事の相談は現実的には寺の住職との相談ですが
ナンマンダブツと阿弥陀さまに相談させていただいて
今日も一日お念仏申す生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.12)
<お坊さんユーチューバー>のお話です
2020-09-11
コロナ禍でお寺の法座が中止になったり
少なくなったりするなかで
お坊さんがユーチューブで法話を発信されている話題です。
名づけて<お坊さんユーチューバー>というそうです。
誰もいないお寺の本堂でカメラに向かってお話をしますが
中々できることではありません。
今もこうしてお話をしていますが
聞いてくださる皆さんがいるからお話ができるのです。
生身の皆さんと私の今ここでのライブです。
皆さんの表情しぐさが気になります。
頷いたりにこっとしたり下を向いたり目をつぶったりと
気持ちが高揚したり落ち込んだりして
原稿通りの話にならなかったりすることもあります。
ユーチューブの法話発信にはいろんな見方があって
そんなことをしたら益々お寺にお参りする人が
いなくなるのでないかという心配ですが
お坊さんユーチューバーの見方は違います。
お寺にお参りする人の数ではなく
これまでお寺にご縁がなかった人
本当にご法話を聴聞したい人にとっては
今までにない方策だというのです。
お寺参りは門徒の務め義理参りという見方があります。
それはそれで大変有り難いことで
その姿を子どもや孫が見て育って
おかげで今のお寺参りの私たち皆さんがあることです。
ただお寺の社会は門徒だけの小さな限られたもので
今は核家族で子どもや孫と同居するところが少なく
親の姿を見て育つというご縁は中々難しい状況です。
そうした現状コロナ禍のなかで
ユーチューブでの法話発信です。
門徒だけでなく不特定多数の人が対象です。
どんな人にも観て聴いてもらえるということです。
お寺の敷居は高いと言われます。
お寺に仏教に興味があってお寺にお参りしたくても
お寺の門をくぐることが難しいというのです。
そしてやっとの思いでお寺にお参りしても
何かキョロキョロ見られている感じがして居心地が悪く
「とても嫌だったもうお参りする気になれない」と
言われたこともあります。
どこの誰々か門徒か門徒でないか
若い者がどうしてお寺にお参りかといった見方です。
本当に窮屈な世界になってしまっているのです。
そしてお寺の内に居るものがそのことに気づくことなく
ただお参りが少なくなったと愚痴をこぼしているのです。
誰でもどんな人にも開かれたお念仏のみ教えなのに
南無阿弥陀仏のおはたらきを広めるのではなく
邪魔をしているのではないでしょうか。
これまでお寺に縁もゆかりもない人が
ユーチューブでご縁をいただき
こんなお寺に行ってこのお坊さんのお話を聞きたいなと
思ってくれたらしめたものです。
その人自らの意思で目的をもってお参りするのですから
周囲の人がどのような見方をしようと関係ありません。
コロナ禍でお寺がご法座のあり方が変わるチャンスです。
みんながみんな今すぐ早速できることではありませんが
これからのお寺ご法座のあり方を提案することが大事です。
私自身スマホ一つ自由自在にできませんが
分からない知らないからと全て若い人に任せるのではなく
私にできることを一つでもさせていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.11)
何をもってコロナの収束を言うのでしょうか、その時私たちの生活はどうなるのでしょうか。
2020-09-10
今はコロナ感染の時ですが
何をもってコロナの収束を言うのでしょうか。
昨日のニュースでイギリスの製薬会社が開発している
ワクチンの臨床試験(治験)を一時中断したといいます。
治験とは開発中のワクチンの有効性を試す実験で
健康な人にワクチンを接種するのですが
何か不都合があったということでしょう。
ワクチンの開発は大変難しく巨額の費用もかかって
専門家がいうには通常ワクチンの開発実用化には
10年以上かかるとのことです。
ワクチンの接種で事故が起こらないか
副作用がないか慎重にならざるをえないのです。
ワクチンの実用化をコロナの収束と訴える
世界の政治指導者はワクチンの早期開発に前のべりです。
アメリカでは11月までにワクチンは完成すると
大統領選をにらんだ自己保身の演説が聞えます。
ワクチンを開発するのは科学者であって
政治家ではありません。
科学と政治の役割をわきまえないで
コロナとの闘いを声高に言って
中国では「コロナに大勝利」の政治スローガンが踊り
人類がコロナに打ち勝った証としての
オリンピック開催が言われています。
何か違和感があります。
何をもってコロナの収束を言うのでしょうか。
私たちは収束までじっとしているわけではありません。
生活しています。今を生きているのです。
コロナの前も今もそしてこの後も
私たちは食べることを欠かさず
今日もこうして生きています。
そしてこのお朝事も毎日欠かしていません。
お念仏申して今日一日の生活を始めさせていただきます。
仏さまのご縁をいただくご法座です。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらき場所です。
コロナ禍で「コロナだから」と行事が軒並み中止になり
お寺のご法座もまた中止になっています。
コロナが収束した後です。
私たちの生活もご法座のあり方も変わっていくのでしょう。
コロナ以前のように戻ると安心と思うのが私たちですが
今新しい生活様式が言われ新たな試みがなされています。
果たして以前のようなご法座が
これからもできるのでしょうか。
ご法座が命の私たちのお寺です。
ご法座のあり方お寺のあり方そのものを見直し工夫して
新しい様式に変わっていく今がチャンスかもしれません。
誰彼に考えてもらうことではありません。
私たちのお寺です。
今このコロナの時代にあってご一緒に考え
できること一つから始めてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.10)