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お念仏を申す生活法話

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七日七日のご縁に一堂に御仏前に座りお念仏申させていただきます

2020-09-19
 お葬式のご縁で七日七日のお勤めをさせていただきます。
いつものご法事のように聖典をお持ちして
ご一緒にお勤めをいたします。
 
 今はコロナ禍ということもあって
ご親族がお参りするところが本当に少なくなりました。
 お寺によくご縁のある方がお参りされますと
皆さんのお勤めの声が結構聞こえますが
今までご縁がなかったお家に行きますと
声が中々出なくて聖典をめくる気配だけが
聞こえるような感じです。
 
 お勤めの後でご法話をさせていただきます。
これまでの経験から初七日から満中陰までお話を決めて
何度もご縁に遇った人は同じ話を何回も聞くことですが
初めてお聴聞される方もあり
聞くも初事話すも初事とお取り次ぎさせていただきます。
 
 浄土真宗のみ教えがそのまま形となっている
阿弥陀さまのお浄土を表すお仏壇のお話です。
 昨日は3七日のご縁でご本尊のお話をしました。
お茶をいただくなかでお家の方が
「念仏したらそれでいいんですね」って言われました。
 ちょっとびっくりしました。
これまでお寺にお参りされたことがない方で
ご法話を聞いてそのままの感想だったと思います。
 
 浄土真宗のみ教えは念仏一つで救われるご法義です。
私がこの口で称える念仏ですが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるということです。
 阿弥陀さまのご本願のおはたらきが南無阿弥陀仏となり
私に届いて私の口からお念仏が出てくださるのです。
 
 私が今こうしてお念仏申すところに
もうすでに阿弥陀さまの「あなたを必ず救う」という
お手回しのおはたらきが届いているということです。
 
 お念仏の大本は阿弥陀さまのご本願です。
十方衆生すべてのものを分け隔てなく必ず救うという
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
お念仏申す身になって私が救われていく
お浄土への人生を歩ませていただくのです。
 
 ご法義のお話は話して聞いて覚えて理解して
わかったということではありません。
 どうぞこれからも聞いてください
ご縁ご縁に何度も何度も聞いてくださいと申しました。
 
 仏さまのご縁です。
大切なお方とお別れする悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
今日も皆さんご一堂に御仏前に座らせていただけることを
また有難くお礼申させていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.19)

「信を獲れ信を獲れ」と蓮如さまのご催促です

2020-09-18
 お朝事で毎日御文章さまを拝読させていただきます。
私たちにお手紙くだされた蓮如上人のお心は
他力の信心をいただいてお念仏申す身になってくれよ
ということに尽きます。
 
「信を獲れ信を獲れ」と言われます。
獲るというと私がと力が入りそうですが
阿弥陀如来の本願力ご本願のおはたらきにまかせて
南無阿弥陀仏のお心を聞くことなんだよというのです。
 念仏一つで救われるとのご教示で
お念仏のご縁に遇うことを勧められるのです。
 
 毎月18日に拝読させていただく「大坂建立の章」は
蓮如さまのお心持ちを強くいただくところです。
 84歳になって夏から体調が悪くなり
冬には往生するであろうと思うなかで
「あわれあわれ存命のうちに
みなみな信心決定あれがしと朝夕おもいはんべり」と
生きているうちにみんなが信心決定するようにと
いつもそのことばかり思っていますと述べられて
最後に「あいかまえてあいかまえて
この一七箇日報恩講のうちにおいて信心決定ありて
われひと一同に往生極楽の本意を
とげたまうべきものなり」と
今日11月21日から勤まる七昼夜の報恩講にお参りされて
どうかどうか誰もがみんな信心を決定して
共々に浄土往生をとげたいものですと結ばれるのです。
 
 蓮如さまのお心持ちがそのままいっぱいです。
一人でも多くの人ではありません。
みなみな信心決定してほしいというお心です。
 信心決定することこそ阿弥陀如来や親鸞聖人のご本意に
沿うものであるとの蓮如さまのご催促をいただいて
お念仏を申すなかに今日の一日も
生き抜かせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.18)

寄合と談合のお念仏のご法座です

2020-09-17
 蓮如上人はお念仏のみ教えを私たちに
どう届ければいいのかいろんな工夫をされて
寄合と談合というお念仏のご法座のかたちを
つくってくださいました。
 
 今はコロナ禍で人が多く集まることは憚れますが
人人が集まって話をすることは
今も蓮如さまの当時(室町時代)も同じように
庶民の日常の楽しみだったと思います。
 
 蓮如さまは人々が楽しみに集まる講に着目して
お念仏の講をつくって皆さんに勧められたのです。
 蓮如さまが直接各地の講に参るということではなく
南無阿弥陀仏のお名号を揮毫してそれぞれの講に送り
講が開かれるお家の中心に掲げてご本尊としました。
 
 ご本尊を中心としたお念仏の講です。
講にお参りした皆さん一緒にお正信偈さまのお勤めをし
後で車座になってお茶を飲みながら色んな話になります。
 楽しい世間話のなかに
お念仏のご法義の話になります。
 
 お念仏のお話はお坊さんがするもので
ご門徒衆はご法話を聞く人というイメージが
皆さんどこかにありませんか。
 蓮如さまは平座同座ということを言われて
お坊さんもご門徒さんもそれぞれ役割があるけれども
一堂に阿弥陀さまの御前に座らせていただく
お念仏のお同行だといわれるのです。
 
 そして「物をいへ物をいへと仰せられ候。
信不信ともにただ物をいへと仰せられ候。
物を申せば心底もきこえ又人にもなをさるるなり。
ただ物を申せ」といわれました。
 
 黙っていると自分の聞き違いなり
理解不足を直してもらうことができません。
ものを言って、自分の意見を言い張るのではなく
みんなに直してもらうことが
何ごとにつけても大切だといわれるのです。
 
 お念仏のご法義にもとるようなことがあったら
直してもらえるというのです。
 談合です。
お互いにものを言い話し合うのです。
自分の主義主張を述べるのではありません。
 ご本尊を中心としたお念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏のご本尊のお心おはたらきを
皆さんお互いに聞かせていただくのです。
 
 お念仏の講ご法座の最後に蓮如さまのお手紙の
御文章さまを皆さんで拝読します。
 浄土真宗のみ教えの肝要です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も等しく
そのまま必ず救われるとのご法義です。
 
 お念仏一つで救われると聞かせていただき
お念仏申して今日の一日も生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.17)

日々お念仏申す生活をさせていただきましょう

2020-09-16
 今日16日は親鸞聖人の御命日です。
浄土真宗のみ教えを開かれたのは親鸞聖人ですが
このみ教えを私たちに届けてくださったことでいうと
蓮如上人のご功績によるところが大変大きいのです。
 
 蓮如さまは私たち浄土真宗門徒の生活の基盤を
つくってくださいました。
 お念仏申す生活のスタイルであり
日々のお勤めのあり方です。
 
 私たちの生活は皆さんそれぞれにお家があり
その生業も様々で生活ぶりは違いますが
日々の生活でご本尊にお礼をさせていただくという
生活の中心を示してくださったのです。
 
 このお朝事のお勤めがそうです。
 お正信偈さまを読誦して親鸞聖人のお心をいただき
蓮如上人が私たちに届けてくださった
お手紙の御文章さまを拝読させていただきます。
 親鸞さまも蓮如さまも重ねて
阿弥陀さまの本願他力の救いの法を勧め
お念仏申す身になってほしいと願われてます。
 必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のおはたらきで
今日一日も生き抜かせていただくのです。
 
 こうして毎日親鸞さま蓮如さまのお言葉をいただいて
お念仏申す身を生きることほど贅沢な生活はありません。
 
 お念仏申す生活です。
コロナの時代になって新しい生活様式が言われます。
 コロナ以前とは変わった生活になると思いますが
お念仏申す生活は変わりません。
 
 南無阿弥陀仏とお念仏を申すといって
お寺にお参りしないとお仏壇にお墓にお参りしないと
お念仏申せないのではありません。
 南無阿弥陀仏のおはたらきはいつでもどこでも
この私のところに届いているのです。
 
 皆さんそれぞれの生活ぶりは違いますが
お念仏申して精いっぱい御恩報謝の営みをさせていただき
共々にお浄土への道をご一緒させていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.16)

「施し票」って何でしょうか?

2020-09-15
 今朝ちょっとひんやりしたので
長袖ものを一枚上にかけて梵鐘をつきに外に出ました。
 空を見ると秋の空です。
うろこ雲が広がってやっと秋が来たなという感じです。
 
 昨日は自民党の総裁選挙で予定通り菅さんが当選し
明日国会で内閣総理大臣の指名を受ける段取りです。
 
 三人の候補者の票の出方を見るとおもしろいですね。
政治記者の解説を聞いての話ですが
岸田さんの得票が予想より20票多かったといいます。
 菅さんの陣営から流れたもので
これまでの経緯もあって
地方票が伸びない岸田さんに票を回してあげて
次の総裁選の望みを残してやろうということのようです。
 
 岸田さんに回した票を「施し票」といっていました。
施すといって布施ではありません。
 布施は普く施すということで
布はどんなものも自在に包めるということで
広く万遍なく分け隔てなくという意味です。
 
 私たち人間がする施しは違います。
そこに魂胆があります。
 してあげるのです。
してあげたからお返しを期待するという
見返りを求める心が見え隠れします。
 
 布施は見返りを求めない仏さま菩薩さまのお心です。
私たちが行う布施は所詮まね事に過ぎませんが
精いっぱいできることをさせていただくことが大切です。
 
 してあげるとさせていただくの違いです。
かわいそうだから困っているからしてあげるでは
してもらった方も何か窮屈です。
 ずっと貸し借りの関係が続くようで
頭があがらないような上下の関係にもなってしまいます。
 
 私にできる精いっぱいのことをさせていただいて
忘れればいいのですが
私たちは悪い行為は忘れても善い行為は忘れられずに
何かの時にふっと思い出すのです。
 
 どこまでも自分の都合に合わせて生きてる私たちですが
阿弥陀さまはそういう私が心配なのです。
 南無阿弥陀仏と「大きな広い世界に生まれて来いよ」と
私たちを分け隔てなく喚んでくださるおはたらきです。
 お念仏申すなかに共々に生かされて
お互いに今できることをさせていただきましょう。
 
 布施の心はお念仏の心です。
お念仏申して南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
今日一日も皆さんそれぞれの生業に
精いっぱいつとめてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.15)
円光寺
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