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お念仏を申す生活法話

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お念仏に生かされて一日一日を大切にお浄土への人生を生きて往きましょう

2020-08-02
 東海道中第40宿の鳴海(なるみ)の宿です。
愛知県名古屋市に入ります。
 広重の浮世絵はどの宿場も3点ずつあって
宿場町のそうすがそれぞれ描かれていますが
鳴海の宿は3点すべてが有松絞の店のものです。
 
 有松の地区は有松染絞りで有名で
町にはお店が並び繁盛していたということです。
 まさに鳴海の宿の名物です。
有松絞を求めて旅をする人が多かったのでしょう。
 
 今日はサマースクールをします。
今年はコロナ禍でいつもの1泊2日ではなく一日の会です。
 今年でサマースクールは40回目です。
40宿40回と同じ40です。
 ただこの40回は一年に一回のことですから
第1回から40年が経ちました。
日数でいったら14500日です。
 
 一日一日の積み重ねがあって一か月
一か月一か月の積み重ねがあって一年
一年一年を40回積み重ねて40年です。
 
 私事でいうと40年歳を重ねてきました。
色んなことがありました。
 あっという間に40年が経ったということですが
この身は確かに老いていき病むこともありました。
 
 生きることは老いて病んで死んでいくことと
生老病死の四苦を逃れられないわが身を実感します。
 本当のことです。
そこだけでこの人生を生きる意味を思うと
思い通りにならない身の事実に憂鬱になります。
 
 仏さまのご縁に遇って
南無阿弥陀仏の救いの法を聞かせていただきます。
 老いて病んで死んでいく人生そのままが
阿弥陀さまのお浄土への人生と聞かせていただけます。
 南無阿弥陀仏の大きなお慈悲に抱かれて
お念仏申して老いていき病んでいき
命終わってそのままお浄土参りをさせていただけるのです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.2)

お寺参りの楽しみです

2020-08-01
 東海道中第39宿の池鯉鮒(ちりゅう)の宿です。
愛知県の知立市です。
 知と立という字ですが昔は池に鯉に鮒に池鯉鮒と書いて
ちりゅうと読んだそうです。
 池鯉鮒の宿は江戸日本橋から約330㎞のところにあって
当時は歩いて10日間で旅をしたと言われます。
 
 知立神社に池があり鯉や鮒がいたということで
鯉や鮒の川魚の名物で知られていたといいます。
 名物の美味しいものを訪ねていく旅の楽しみです。
長旅の道中疲れがでてきますが
池鯉鮒に行けば美味しい鯉や鮒が食べられるという
楽しみで元気が出るということです。
 
 8月に入りました。
8月は盆月でお盆参りが始まります。
 今朝一番に本堂を開けるのに本堂が蒸せ返るように
暑かったので戸を開け放しにしました。
 
 何でこんな炎天下にお盆かということですが
仏さまの楽しみといただきましょう。
 一年一度のお盆の時節です。
遠くから故郷に家族が子や孫が帰ってきます。
 皆さん一堂に御仏前に身を置いて
ナンマンダブツとお念仏を申して
阿弥陀さまご先祖有縁の仏さまにお礼をさせていただきます。
 
 仏さまの楽しみです。
明日はサマースクールで夏の行事が続きますと
一月があっという間に過ぎていきます。
 一日一日を大事に大切に生きていきましょう。
お朝事のご縁にナンマンダブツとお念仏を申して
阿弥陀さまがご一緒の今日一日を始めさせていただきます。
 お寺参りの楽しみです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.1)

梅雨が明けて本格的な猛暑の夏到来です

2020-07-31
 東海道中第38宿の岡崎の宿です。
徳川家康が生まれた岡崎城があります。
 広重の浮世絵には「矢矧(やはぎ)之橋」とあります。
町中を流れる矢矧川にかかる470mの街道一の長い橋です。
その橋を大名行列が渡っていくようすが描かれています。
 
 昨日ようやく梅雨が明け朝から汗が吹きだす暑さです。
雨が降るのも困るけど暑いのも困るといって
何が一番いいのでしょうか。
 大自然の恵みをいただいて生きている私たちですが
大自然の営みは人間が思うように制御できるものではなく
良くも悪くもうまく共存共生していかねばなりません。
 
 コロナの感染者が95日ぶりに大分県にも出て
東京大阪名古屋の大都市圏を中心に
連日感染者数が記録更新し続けています。
 ウイズコロナとコロナとの共存共生が言われますが
コロナとうまく付き合っていくといって
これもまた私たちの思い通りになるものではありません。
 
 あらゆるいのちのつながりのなかに
私たちは共に生かされて生きていると
仏教の縁起の法を聞かせていただきます。
 大自然の営みのなかにコロナも私も生きているのです。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きていると
阿弥陀さまのお心おはたらきを聞かせていただき
お念仏申す生活をさせていただきます。
 
 「困ったときはお念仏に相談しなされや」と
この人生は私一人で生きて思い通りになるものではなく
お念仏のつながりのなかに阿弥陀さまに相談して
今私にできることをさせていただく大切さをお示しです。
 
 阿弥陀さまがいつでもどこでも私とご一緒くださり
決して見捨てることなく必ず救うとおはたらきです。
 お念仏申し阿弥陀さまがご一緒してくださってあると
生きる力をいただきます。
 南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲の中に
今日も一日生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.31)

「黒い雨」裁判

2020-07-30
 東海道中第37宿の藤川の宿です。
愛知県の岡崎市に入ります。
 広重の浮世絵には「棒鼻之図」とあります。
棒鼻とは宿場町の出入り口を表すもので
二頭の馬を引く行列に町の人が土下座をしている絵です。
 江戸時代毎年8月1日に幕府が京都の朝廷に献上する馬を
町の境の棒鼻で見送っているのです。
 
 昨日広島での黒い雨裁判で原告勝訴の判決がありました。
黒い雨とは昭和20年8月6日広島に原爆が投下されて
その後黒い雨が降ったというのです。
 原爆で町中が焼き焦がれ煤が入って黒くなった雨です。
放射性物質が入った雨に濡れたり
汚染された水を飲んだり野菜を食べて
被爆した人がたくさんいらっしゃったのです。
 
 国の行政は黒い雨が降った地域を線引きし特定指定して
地域内の人には被爆者健康手帳を交付し
健康診断や治療を継続してしたものの
地域外の人には被爆被害があるにもかかわらず
被爆者手帳は交付されず除外したというのです。
 
 今から75年も前のことですが
今も被爆被害に苦しんでいる方がいらっしゃるのです。
 原告は80歳前後以上で多くの方は亡くなっています。
それぞれの人生を歩んできて色んな思いで裁判です。
 行政の言われるままに
声をあげることもできなかった方々の苦しみを思います。
 
 今回のコロナ禍もそうです。
国の行政は法律を定めてある程度の線を引きます。
 線を引かないと動いていかないこともあり
訴え出たものにみんないいよってはいかないのです。
 
 ただそれに漏れる人がいるということです。
実際に被爆被災しているのに線引きの外に追いやられた
法律の基準に漏れた人たち除外排除された人たちです。
 そういう人に目を向けるのが阿弥陀さまのお救いです。
御文章さまに「10人は10人100人は100人ながら」と
蓮如上人がしたためられた阿弥陀さまのお救いです。
 
 私たちは往々にして100人のうち98人99人が救われたら
もう十分だと思ってしまうのです。
他の1人2人が漏れて何か文句でも言ってこようものなら
何を言っているのかという見方さえするのが私たちです。
 阿弥陀さまはその1人2人と漏れる人を救うのです。
阿弥陀さまは全てのものを一人も漏らさず必ず救うのです。
阿弥陀さまのご本願のお心おはたらき無漏の救いです。
 
 原告団の弁護士支援者の方々に深い敬意を表します。
法治国家にあってすべての人が法の下で自由平等です。
 法の正義を守る人たちのことに思いを致し
阿弥陀さまのお心が生きていることを思います。
 
 阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせていただきましょう。
お念仏に生きるといって何でもできませんが
阿弥陀さまのお心おはたらきの私にできるお手伝いを
精いっぱいさせていただくことの尊さを
昨日の黒い雨裁判で教えていただきました。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.30)

式章とお念珠を身につけてお念仏の旅すがたです

2020-07-29
 東海道中第36宿の赤坂の宿です。
歌川広重の浮世絵には赤坂の宿場町の宿屋の中の
宿屋の人や旅の人のようすが多く描かれていて
大変興味深いものになっています。
 
 昨日はMYさんのお葬儀をこの本堂でお勤めしました。
100人ほどのたくさんのお参りでした。
 お葬儀は葬送の儀といって送るといいます。
先に往かれた方を阿弥陀さまのお浄土に送るのです。
 
 人の命は終えますが
お念仏のおはたらき一つでお浄土に往生して仏さまとなり
この世に還って来て後に遺った有縁の人たちと共に
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
これからもずっと生きていくと聞かせていただきます。
 
 故人はもとより喪主遺族の有縁の三佐の方が殆どで
ご門徒さんも多くお参りでしたが
皆さん式章をつけてお参りだったことが有難かったです。
 
 今日も皆さんいつものように式章をつけてお参りです。
もうすっかり式章が身についていて
式章がない方が何か違和感があるほどです。
 
 ただ葬儀社での葬儀にお参りするときは
式章をつけることに何か抵抗感があるのではないですか。
 それも遺族親族が式章をつけていないときは
式章をつけることがはばかれるのではないでしょうか。
 
 仏事に門徒が式章をつけるのは当たり前のことですが
その時どきのご縁で色んな思いはからいが入ってきます。
 
 昨日はお寺の本堂でのお葬儀ですから
堂々と式章をつけてお参りされたことだと思います。
 いつものお寺参りのすがたです。
お葬儀といって特別なことではなくそのままでいいのです。
 
 お寺参りはお浄土参りなのです。
まさにお念仏の旅です。
 四国の八十八か所お遍路さんの旅のすがたは白装束です。
私たちのお念仏の旅は平服に式章とお念珠があれば
そのままお念仏の旅すがたです。
 阿弥陀さまのそのまま救うまかせよの
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせるお念仏の人です。
 
 先に往かれた方もお浄土ならば後に遺った私たちも同じ
お浄土にお参りさせていただくと聞かせていただきます。
 先に往くか後に遺るかの順番はわかりませんが
私のいのちの往く先をすでにご用意をしてくださってある
阿弥陀さまのお浄土に共々に生まれさせていただくのです。
 
 昨日はお葬儀の悲しみのご縁で
浄土真宗のご本尊お寺の本堂の阿弥陀さまを中心に
お参りの皆さんとご一緒にお念仏の尊いご縁をいただいて
本当に有り難く思ったことです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.29)
円光寺
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