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お念仏を申す生活法話

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「明日会いに行こう。」お墓参りに行きましょう

2020-10-05
 昨日はUHさんの満中陰のご縁で
お勤めの後納骨堂にお遺骨を納めました。
 毎日保育園にお孫さんを迎えに行って
納骨堂に孫を連れてお参りするのがUHさんの日課でした。
 その納骨堂に帰って行かれました。
 
 親鸞聖人の墓所京都大谷本廟から出ている法語に
「明日会いに行こう。」とありました。
お墓参りに行きましょうと言葉が添えられていました。
 
 お墓に会いに行くといって
先に往かれた大切なお方の懐かしいお姿に
会えるわけではありません。
私たちの目に見えるお姿はお遺骨です。
 会いに行くというお気持ちです。
会いに行ける処をつくってくださってあるということです。
 大切なお方のお遺骨を納めてあるお墓に
会いに行く会いに行けるのです。
 
 仏さまからいうといつも会ってくださっているのです。
仏さまはいつでもどこでもどんなことがあっても
「いつもあなたと一緒だよ」と
南無阿弥陀仏とおはたらきくださっているのです。
 
 会いに行く処はお墓でもあり
皆さんのお家のお仏壇でもありこのお寺の本堂なのです。
 阿弥陀さまのお浄土です。
大切なお方が往ってらっしゃるお浄土を憶うて
お念仏申します。
 お浄土から南無阿弥陀仏のおはたらきで
お念仏申すところに会わせていただけるのです。
 
 お浄土にこの私も命終わって
そのままお参りさせていただきます。
 いのちのつながりです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先に往かれた方も後に遺った私たちもあなたも私も
みんな一緒につながってあるのです。
 
 この命を今日も生きてまいります。
色んなことがあるけれども南無阿弥陀仏のおはたらき一つ
南無阿弥陀仏のいのちにつながって
共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.5)

コロナ禍だからこそ工夫して生きてまいりましょう

2020-10-04
 昨日は小学校の運動会でしたが
午前中の競技で昼食弁当はなく
応援は家族二人に限定ということだったと聞きました。
 
 コロナ禍でいつも当たり前にできていたことが
できないということです。
 ただ感染対策をし工夫をして
できることをするということではないでしょうか。
 
 運動会や修学旅行などの学校の行事は
今年は中止でまた来年といっても
小学6年生には来年はありません。
 「コロナだから」という理由で
何でも中止になるようなあり方には違和感を覚えます。
 
 学校に休校要請があり緊急事態宣言が出された
3月4月5月の頃は不要不急の外出を止まったり
マスクの着用手洗いの励行三密を避けるなどがいわれ
ほとんどの行事が中止になりました。
 
 ただ感染対策が私たちの生活に浸透していくなかで
徐々に社会生活を再開しようということです。
 コロナがいつ収束するのか分かりません。
収束したところでコロナ以前の生活に戻ることではなく
新しい生活様式が今から言われています。
 
 ここはイエスかノーかの二者選択ではなく
どんなことだったら何ができるのか
「コロナ禍だからこそ」と
みんなで知恵を出し合って創意工夫することです。
 
 お寺の法要行事も中止になったり
内容を変更したりが続きます。
 これまで通りのことはできないにしても
できる限りの感染対策をし工夫して
精いっぱいできることをさせていただくことです。
 
 何のためにお寺参りしているのかと問われます。
お寺参りしたら何かいいことがあるといって
病気が治るとか宝くじが当るということではありません。
 仏さまのご縁に遇わせていただきます。
仏法聴聞してお念仏申す身にさせていただくのです。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきにつながって
この人生色んなことがあるけれども
お念仏を申して生きていけると聞かせていただきます。
 
 外から見る人には理解しがたいことかもしれませんが
それはそれで
ご縁ご縁にお寺参りさせていただきましょう。
 お寺参りの皆さんのお念仏申す姿を見て
私もお寺参りをしようと思い立つ人が出てくれば
ご一緒させていただきましょう。
 
 コロナ禍のなかでもお念仏は生き生きとおはたらきです。
お念仏のいのちにつながって共々に今日一日も
生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.4)

今日は三佐小学校の運動会です

2020-10-03
 今朝6時にドドドーンと大きな花火が上がりました。
今日は三佐小学校の運動会です。
 私たちの頃は運動会は10月の第1日曜日でした。
暑くもなく寒くもなく何をするにも丁度いい時候です。
 
 スポーツの秋です。
今はコロナ禍でいつものような運動会はできませんが
できることを工夫し考えてということで
思い出に残る運動会になってほしいと思います。
 
 昨日が満月ということで
朝早く目が覚めて3時半頃門徒台所の窓から
南西の空を見上げたら真ん丸お月さんが
ちょっと雲がかかっていましたが見えました。
 
 きれいだなあと思いました。
そして月明りが本当に明るいなあと思いました。
 先人はこの月明りで
本を読んだり勉強したという話を聞きます。
 
 境内の山道がはっきり見えました。
そして本堂の屋根の影がくっきり見えました。
 影をつくってくださる月明りです。
この光と影は表裏一体のもので
光が影をつくるということで
影も光の中にあるということなのです。
 
 阿弥陀さまの智慧と慈悲の光は
この私をありのままに照らし煩悩具足の身と知らせて
そのまんまお念仏申す身にさせて救うてくださるのです。
 
 私たちはこの身を生きる限りは
煩悩から離れることはできません。
煩悩具足といわれる具足とはこのことです。
 欲の心怒りの心愚かな心を持ち合わせた私をこそ
目当てに南無阿弥陀仏のおはたらきで
必ず救うそのまま救うと
お念仏申す身にさせていただくのです。
 
 そしてこの身は命終わりますが
そのまま南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏にさせていただけると
月明りの影を私のこの身といただいて
真ん丸お月さんをしばらくほれぼれと眺めたことです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.3)

中秋の名月です

2020-10-02
 昨夜は中秋の名月で月明りがとてもきれいでした。
旧暦8月15日の月で一年で最も月が美しいといわれます。
 暑くもなく寒くもないほどよい時候で
晴天に恵まれこれ以上ない月見日よりになりました。
 
 真ん丸お月さんをぼやっと眺めます。
月は煌々と太陽は燦々と輝くといいます。
 太陽を眺めることはできません。
目を悪くします。
 ただ月はゆっくりじっくり眺めることができます。
月を眺めながら物思いにふけります。
 
 昨日は全国的に晴天で月を眺めることができたようです。
月を眺める私が生活している場所は
みんなそれぞれ違いますが
みんな同じ月を眺めます。
 
 世界中で時間は変わりますが同じ月を見るのでしょう。
「昨日ローマで眺めた月が今日は都の空照らす
4年経ったらまた会いましょう」と
三波春夫さんが歌った東京五輪音頭の歌詞を思い出します。
 
 何年経っても月は変わらないといって
厳密に言ったら月も変わっているのですが
月を見るこの私は変わっています。
 
 昭和39年の東京オリンピックから56年が経ちます。
私たちはすっかり変わりました。
そしてこれからも変わっていきます。
 
 中秋の名月を家族で子どもたちと一緒に
本堂の向拝の階段に座って
ハンバーガーを食べながら見たねという話です。
 あれから長い年月が経って
今はそれぞれがそれぞれの生活の場所で
同じ月を見ているのです。
 
 何一つとしてこの世の中で変わらないものはないと
変わることのない真実まことのお念仏のみ教えに
諸行無常の理(ことわり)を聞かせていただきます。
 
 阿弥陀さまは無量の光といのち仏さまです。
十二光のおはたらきのなかに超日月光とあります。
 太陽や月の光を超えた阿弥陀さまの
智慧と慈悲のおはたらきです。
 智慧の光の明るさでありのままの私の姿を見せて
慈悲の光のぬくもりでそのまま私をつつんで
救うてくださるのです。
 
 私たちは何か一人で頑張って頑張って生きていますが
いつも私のことを心配して思うてくださり
智慧と慈悲のおはたらきを
南無阿弥陀仏と届けてくださってあるのです。
 
「どんなことがあってもいつでもどこでも私が一緒だよ」
と大きな大きな南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 今日も阿弥陀さまの摂取の光明につつまれて
ナモアミダブツとお念仏を申すなかに
日暮らしさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.2)

墓じまいのご縁に御礼のお勤めをさせていただきます

2020-10-01
 10月に入りました。
太陽がすーっと昇って清々しい気持ちで
今日一日が始まります。
 
 今日が中秋の名月です。
天気予報は星マークで名月を楽しめそうです。
 鐘楼前の彼岸花が今満開の花盛りです。
 
 昨日から今日、今日から明日へと
自然のいのちの営みの中に生かされて
生きていることを有難く思います。
 
 昨日は墓じまいのご縁がありました。
初めてお参りする墓地で
石材店の方も立ち会ってお勤めをしました。
 初めての石材店の方です。
お勤めの前にお家の方に
「塩をもってきましたか」と聞いていました。
塩で清めるということでしょうか。
 
 お勤めの後でお遺骨を取り出す時に今度は
「声に出して今からどこに行くよと言ってください」
と言われました。
 私は口を挟まず黙って聞いていました。
「声に出して言わないと魂がどこに行くのか分からず
ずっとここにいることになります」と話していました。
 
 お墓をあたったり家を建てる時にも
職人さんに昔から言われていることがあり
それを一つ一つ済ませて
いよいよ作業に取りかかるということです。
 
 墓前のお勤めも墓じまいにあたり
魂を抜いたり霊を慰めたりするためのお経と
言い伝えられてそれが決まり事になっているようです。
 
 現代の科学万能の世の中にあっても
こうした言い伝えは守られてきているのです。
 
 墓じまいのご相談にお寺に来られてお話するのは
御礼のお勤めをさせていただきましょうということです。
 お勤めをするしないはお家の皆さんのお気持ちで
お勤めしなかったら霊魂が祟って
悪いことが起こるということではありません。
 
 私たちの人生生活の節目のご縁にお勤めをして
ご先祖有縁の仏さまに奉告し御礼を申し上げます。
 
 お経はお釈迦さまの教えそのものであり
阿弥陀さまの本願念仏の救いの法を聞かせていただきます。
 先祖の霊が祟るとか迷い苦悩する私たちのために
必ず救うまかせよとおはたらきの南無阿弥陀仏の教えです。
 
 先に往かれた大切なお方は今はお浄土の仏さまとなって
私のところに還って来て南無阿弥陀仏のおはたらきを
してくださってあるのです。
 
 ナモアミダブツとお念仏申すところ
阿弥陀さまがご先祖有縁の仏さまがご一緒です。
 私たちの日々の日暮らしそのままが
南無阿弥陀仏のおはたらきの場所なのです。
 ナモアミダブツとお念仏申して
仏さまに御礼をさせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きる今日一日を
ありがとうございますと生き抜かせていただける
お念仏のみ教えを真実の依りどころに
この新しい月もまた生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.1)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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