南無阿弥陀仏の軒に雨宿りです
2020-10-15
最近近くにモダンな家を見かけるようになりました。
小さな窓の箱型の造りで昔のような軒がありません。
家の軒です。
にわか雨にあって傘がなく
知らない家の軒下に駆け込んで雨宿りをします。
テレビのドラマやコマーシャルでそんな光景を観て
ロマンチックを感じたことがありませんか。
さだまさしさんの「雨宿り」という歌を思い出します。
雨にあって軒に入った見知らぬ二人が出会い
再会して交際を始め結婚して家庭をもつというお話です。
偶々急な雨にあってすぐ近くの軒下に入って
偶々そこで人と出会い少しの間話もできたということです。
昨日の新聞のコラムに
軒のある家を見かけることが少なくなったが
街中に人が少しの間立ち寄り出会い憩う場所
駅の待合室や公園のベンチのような所が
今はどこにあるのだろうかと書かれていました。
ふらっと立ち寄れる所です。
お寺のことと重ねて思います。
お寺は敷居が高くバリアがいっぱいで
入りにくいというお話です。
この前はお寺にはいつも同じ人ばかりがお参りして
初めてお参りする人は相当な決心がいるという話でしたが
お寺は構造的にもお参りしにくい所になっています。
円光寺も本堂に入る前に階段があります。
あんのん館はちょっと離れて一戸建てでフラットですから
本堂より少しは入りやすいかなと思いますが
部屋の中に入るということが
大きなバリア障害になっているのではないでしょうか。
お寺の境内です。
円光寺は一年中山門その他の出入口を開放しています。
山門は開閉するのが本当でしょうが開けていますので
いつでも境内に入ることができます。
入ることはできてもどこかにベンチのような
腰かけて座る場所があるといいなと思います。
お寺の軒です。
お寺には大屋根がありますから
ちょっとした大雨でも対処できそうです。
実はお寺には元々軒のような場所があったのです。
それがお寺のお縁です。
皆さんの家の縁側です。
今の家には軒もそうですが縁側も見かけなくなりました。
隣近所の人が家の玄関から入るのではなく
縁側に腰かけて家の人と話ができるお茶が飲める所です。
円光寺もお縁がなくなりました。
お縁のあるお寺にお参りしますと本堂の中に入らなくても
周囲のお縁に腰かけてゆっくり時間を過ごせます。
雨宿りもいいですが暑い夏の日にお縁に座っていると
涼しい風が吹いてきて何とも贅沢な風情です。
コラムの最後に
「人には雨宿りをする軒が必要です。
それがあってこそ、また晴れた空の下に
踏み出して行けるのです」とありました。
お寺で雨宿りです。
南無阿弥陀仏の軒に雨宿りです。
私のことをいつも思うてくださる
阿弥陀さまの大きなお心おはたらきをいただいて
今日もお念仏申して生きていけるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.15)
阿弥陀さまに対面してほれぼれとお立ち姿を拝しお念仏申して御礼をさせていただきます
2020-10-14
ちょっと前のニュースになりますが
大学で対面授業が一部始まったということです。
小中高校は既に対面授業の学校が始まっていますが
大学はずっと自宅でオンラインの授業が続いて
一年生は入学したものの大学に行けず半年が過ぎました。
やっと大学が始まるということです。
授業は学問の習得のためにあり学ぶということです。
学校で級友と一緒に学ぶことの意義を思います。
知識だけの習得でしたら対面でなくてもいいわけです。
自分で本を読んで勉強したりオンラインでいいわけです。
自分の時間に合わせてという点からいうと
機能的効率的ともいえます。
対面授業となるとカリキュラムに合わせて
教室に行かなければなりません。
ただ対面授業の良さは
単に聞いて書いて覚えるだけに終わらないで
授業の中でも後でも先生にわからないことを質問できたり
友だち同士でディスカッションができることです。
一緒にお茶を飲んだり食事をしたりと楽しみができます。
オンラインは個人的一方的でそういうことができません。
コロナ後はオンラインの生活が多くなると思います。
ただ基本は対面です。
人と人とが会って話をすることです。
仏さまのご縁は阿弥陀さまと私の対面です。
阿弥陀さまに対面させていただくご縁です。
今日もこうしてお朝事に皆さんようこそお参りです。
阿弥陀さまに対面してほれぼれとお立ち姿を拝し
ご一緒にお念仏申して御礼をさせていただきます。
落ち着きます。安心です。
私たちの日々の生活を振り返ると
人と人との間にはいろんなことがあります。
よかったねと喜びを共有する嬉しいこともあれば
お互いにため息をつくようなこともたくさんあります。
嬉しいときも悲しいときもいつでも
私たちは阿弥陀さまをご本尊として仰いでいけるのです。
私が対面しているようなことですが
阿弥陀さまの方からいつでもどこでも
南無阿弥陀仏のおはたらきで私のところに来てくださって
対面以上に丸抱えにしてご一緒してくださり
私の口からナンマンダブツとお念仏がでてくださる
大安心のなかに今日も生かされて生きていけるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.14)
ようこそ円光寺へみんなの法話会にいらっしゃいました
2020-10-13
昨日あんのん館で<みんなの法話会>をしました。
いつものメンバーで始めましたが少し遅れて
一人の女性がいらっしゃいました。
初めてお会いする方です。
そのまま法話会を続けてお茶の時間になりました。
そしてその方と少しお話をしました。
他県から越して来られて
今は大分市内にお住まいだということです。
この会のことはお寺のホームページで知ったといいます。
先日の仏事相談室でもそうですが
今はネットの社会でホームページは不特定多数を対象に
その発信力のすごさを改めて知らされます。
他のメンバーは円光寺のご門徒さんばかりで
未知の世界に飛び込んできてくださったのです。
お寺は敷居が高いといわれます。
いつもの顔ぶれそれも門徒の中に入ることの難しさです。
お寺参りしたい思いがあっても
想像以上に難しいものなのでしょう。
今朝のご和讃をいただきます。
「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」
(現代語訳)たとえ世界中が火の海になったとしても
ひるまず進み阿弥陀仏の名号を聞き信じる人は
決して迷いの世界にもどることのない身となるのである。
命がけで南無阿弥陀仏のお心を
聞かせていただきなさいと
仏法聴聞の一大事と難しさを教えてくださいます。
お寺参りには重大な決心が要ります。
相当な決心をもって昨日のご縁に遇われたのですね。
本当に有り難いことです。
もう一つ仏法聴聞のご縁ができていることの有難さです。
みんなの法話会もそして今日のお朝事もです。
いつもの皆さんがお参りされる仏さまのご縁があって
誰もがお参りできるご縁が用意されているということです。
私がつくったご縁ではありません。
阿弥陀さまがつくってくださったご縁なのです。
南無阿弥陀仏のご縁つながりです。
昨日もお話を聞いていましたら
他県のお寺さんにご縁があったといいます。
仏さまのお話を聞いていたといわれました。
まだ会ったことがない方がたくさんいらっしゃいますが
私たちはもうすでに南無阿弥陀仏のご縁つながりのなかに
からめとられつかまっているのです。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお心おはたらきのなかに
共々に生かされてあるのです。
お念仏のみ教えに聞かせていただきましょう。
お念仏申す身にさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.13)
阿弥陀さまがこの私を追っかけて来て南無阿弥陀仏に捕まってお念仏申す身にさせていただきました
2020-10-12
今朝のご和讃に真実信心という言葉がありました。
他力の信心と御文章で何度も出てまいりますが
他力とは真実ということです。
親鸞聖人は真実という言葉に左訓といってそのお心を
「いつはりへつらわぬを真といふ
実といふは必ずもののみとなるをいふなり」
と示されています。
「もののみとなる」とは
十方衆生の生きとし生けるものの身になりきるという
阿弥陀さまのおはたらきのことです。
十方衆生のいのちの身になって「必ず救うまかせよ」
と南無阿弥陀仏のおはたらきを届けてくださるのです。
この私の身になりきって必ず救うと
いつでもどこでもおはたらきくださっているのです。
今日も私の口から何度も何度もナンマンダブツと
お念仏が出てくださったのがその証です。
阿弥陀さまはこの私のことが心配で心配でならないで
いつも思うてくださっているのです。
阿弥陀さまに背を向け逃げて行く私を
どこまでも追いかけて摂め取って捨てないのです。
阿弥陀さまが私のこの身に来てくださるのです。
阿弥陀如来さまの他力のおはたらきです。
真実真如の世界からこの私をこそ救うと
この身に来てくださって阿弥陀さまに捕まったのです。
この身そのままを救うと南無阿弥陀仏のおはたらきです。
私は「はい」とおまかせするしかありません。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.12)
南無阿弥陀仏のご縁つながりでお葬儀をさせていただきます
2020-10-11
昨日朝早く遠方のお寺さんから電話があって
大分にお住いのご門徒のご縁の方が亡くなって
お葬儀をお願いできないかということです。
早速連絡を取ってもらってお寺に来ていただき
ご相談させていただきました。
明野にお住まいで80歳後半の方です。
明野は新日鉄の関係者が多い所です。
大分で新日鉄が創業を始めた今から40年50年前の頃
全国各地から大分に就職され家を建てられ家族と暮らし
退職して今もう70歳80歳代になっている方が多くいます。
お葬儀は予定できることではありません。
いくら病状が悪くても家族の葬儀は考えたくないですが
いよいよ亡くなってお葬儀これからのことをどうするか
急なことで時間の猶予もなくまた相談する人もなく
今は一般的に葬儀社に相談する方が多いと思います。
どこの葬儀社に頼むかという問題です。
もう一つはどこのお寺にお願いするかということです。
お家のお寺があるときは
所属のお寺に連絡すればいいことですが
決まったお寺がない場合は大変悩まれるところです。
日頃のご縁つながりがないと困ります。
逆にお家のお寺が決まっていることの安心です。
皆さんは円光寺に所属する浄土真宗の門徒なのです。
今はお葬儀も直葬といってお坊さんもお経も要らない
葬儀が増えているようです。
お寺とのつながりを嫌がるのです。
お寺の檀家門徒になると後々色々大変だという
不安な思いがあるといいます。
今はその時だけの便利なお坊さんが重宝されています。
葬儀社やネットを通じて
葬儀の時だけお勤めに参るお坊さんです。
頼む方も頼まれる方も万事都合のいい話のようですが
葬儀の後で四十九日初の盆一周忌などのご法事のお勤めを
お寺に頼みに来られる方がいらっしゃいます。
都合にあわせてその都度お勤めを頼まれるのです。
法名の意味をしっかり聞かせていただきたいのです。
生前に法名を戴いている方もいらっしゃいますが
どんな方も法名をつけてお葬儀をさせていただきます。
法名は仏弟子になった証のお名前で
法名をもって仏教の仏式のお葬儀をさせていただくのです。
もう一つ法名の大事な意味は
お寺の過去帳に法名を記載するのです。
所属のお寺の過去帳に記載することで
お寺とのご縁がこれからもずっとつながっていくのです。
南無阿弥陀仏のご縁つながりの安心です。
若くて元気な時は死の縁は考えない
考えたくないということでしょうが
そういう時がわが身のこととして必ず来ます。
大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
南無阿弥陀仏のご縁つながりのなかに
仏さまのご縁といただける安心のみ教えなのです。
このたびのご縁で本当に有り難かったのは
ご先祖のつながりでお寺さんとのご縁があったことです。
そのお寺さんから私の方にご連絡がありました。
同じ浄土真宗本願寺派のお寺同士で
日頃からつながりがあるということです。
南無阿弥陀仏のご縁つながりです。
今日皆さんがお寺のお朝事にお参りして
御仏前に座ってらっしゃるのも南無阿弥陀仏のご縁です。
円光寺の門徒というご縁です。
南無阿弥陀仏のご縁つながりを日頃から大切に
南無阿弥陀仏に安心して今日もお念仏申して
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.11)