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お念仏を申す生活法話

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夕方4時40分に本堂のチャイムが鳴ります

2020-08-27
 昨日の夕方本堂のチャイムが鳴りました。
あれっと思って時計を見たら4時40分でした。
 いつもUHさんがお孫さんを保育園に迎えに行って
そのままお寺の納骨堂にお参りする時間だったのです。
 
 えっと思ってカーテン越しに外の様子を見ました。
駐車場にUHさんの車らしいものがとまっていました。
 しばらくしてピンポーンとチャイムが鳴って
お参りの方が本堂から出てきました。
 UHさんの息子さんといつも一緒にお参りされるお孫さん
そしてUHさんの奥さんの三人でした。
 有り難いことだなあと思います。
 
 人が亡くなってから家族でも知らないことを
弔問に来られた方から教えられることが結構あります。
「生前大変お世話になりました。こういう人でした。
こういうことをしていただきました」と
初めて聞くようなこともあります。
 
 UHさんとお孫さんのお寺参りは家族の方は知ってますが
どのようにお参りしてたかはUHさんとお孫さんの二人
その前のお兄ちゃんのお孫さんの三人だけのことです。
 
 息子さんはお勤めで平日この時間にお参りできません。
たまたま昨日は時間があって保育園に迎えに行きそのまま
お寺にお母さんも一緒にお参りされたのでしょうね。
 
 このお寺参りを言い出したのはお孫さんではないかと
思い浮かべます。
 いつも「じいちゃんじいちゃん」と言って
UHさんと一緒でした。
「じいちゃんお寺にお参りしようえ」と
じいちゃんを連れてお参りされたのではないでしょうか。
 
 お孫さんにとってじいちゃんが死んだことについて
まだまだ本当にわかってないところがあると思います。
 まだじいちゃんと一緒のいつもの日常の生活です。
いつも保育園に迎えに来てもらってそのままお寺に一緒に
お参りする日常の生活が身についているということです。
 お念仏申す生活のなかに
「じいちゃんどこにいったの。じいちゃん今何してるの」
と聞かせていただきます。
 
 夕方4時40分に本堂のチャイムが鳴って
ご一緒にお念仏申させていただきます。
 私たちの仏教は死んだらしまいの教えではありません。
確かに人の命は終えますが
先に往かれた方も後に遺った人も南無阿弥陀仏の
いのちのつながりのなかにこれからもご一緒なのです。
 
 お念仏のご縁をいただいて今日も皆さん
毎朝6時半のお朝事にお参りです。
 私がしなければならないとか
人に見せようとかいうことではありません。
 お念仏申してそのままさせていただく仏さまのご縁です。
 
 阿弥陀さまが見てございます。
「ようこそようこそ円光寺にお参りされました。
ようこそようこそご一緒に生きてまいりましょう」と
南無阿弥陀仏のおはたらきの中に
私たちの日々の生活があるのです。
 
 私たちの生活ぶりはそれぞれ違います。
今日も皆さんそれぞれに色んなことがあるでしょうが
どんな境遇にあってもナンマンダブツとお念仏を申して
生きて往けるお浄土から開かれた仏道です。
 私一人ではなく皆さんと共々に
お浄土への人生をご一緒させていただける尊いご縁です。
 お念仏申すなかに今日も一日生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.27)

コロナ感染の後遺症

2020-08-26
 お勤め間何度も雷が鳴って外はどしゃ降りの雨です。
先ほど6時の梵鐘をつく時は少しの雨でしたので
傘もささずに雨に濡れて鐘楼に行きましたが
鐘をつき始めたらもの凄い雨になって
帰りは走って庫裡の玄関に駆け込みました。
 
 新型コロナウイルス感染の後遺症が言われています。
感染回復後も体の不調で生活がままならない方がいます。
 そして心の後遺症です。
コロナ感染者や家族へのいじめや誹謗中傷が起きています。
 
 感染した子どもや学校への差別を防ごうと
昨日文部科学相省から全国の児童生徒や教職員保護者に
メッセージが発表されました。
 
 誰もが感染する可能性があるとした上で
「感染した人が悪いのではありません。
早く治るように励まし
治って戻ってきたときには温かく迎えてほしい」
と呼びかけています。
 
 そして保護者らには
「身のまわりに差別につながる発言や行動があったときは
同調せず『そんなことはやめよう』と声をあげて」
と促しています。
 
 お盆で皆さんのお家にお参りしてコロナの話になって
感染者のその後のことについて聞くことがありました。
 公の情報はみんなが共有できるもので
個人が特定される情報は入っていないのですが
詳しい個人的な情報です。
 感染した人はどこのどういう人で
今はこうしているといったことです。
 実際の関係者なのか誰からか聞いた話なのか
真偽のほどはわかりません。
 
 昨日お参りのお家で同じことを聞きました。
初めて聞いたときは本当かなと思いましたが
別の人から同じことを聞くと確かなものになって
そんな情報を聞くと他人に言いたがるんですね。
 ここが一番のNGです。
人から人へと伝わる中にウソもホントになる危うさです。
 実際に本当のことかもしれませんが
そのことが結果当該の人を苦しめることにもなるのです。
 
 自分は差別していないというけれども
気づかないうちに差別に加担している
私の言動があるということです。
 自分のことではありません。
他人のことを無責任に面白がるのです。
 コロナより恐い人間の言動です。
 
 日本国内の感染者は6万人を超えました。
そのなかで様々な偏見や差別に苦しみ悩んでいる方が
たくさんいらっしゃるということなのです。
 ある方は職を失い住所を転居する事態に追い込まれ
自ら命を絶った方もいらっしゃるといいます。
 
 何でこんなことになるのでしょうか。
この私も感染してもおかしくない
十分注意してても感染するときは感染するのです。
 決して他人事ではありません。
 
 この後ご一緒に「浄土真宗の教章」を唱和します。
最後に「自他ともに心豊かに生きることのできる
社会の実現に貢献する」とあります。
 自分だけがよかったらいいのではない
他というのは特定の人だけということではありません。
 みんなが本当に生きてよかったねといえる社会です。
 
 私たちが生きる社会には
老いも若きも病気の人も健康な人も貧しき人も富める人も
それぞれ生活ぶりが違う人がいます。
 一人一人の違いをまず受けとめ認め合って
みんなが等しく生きて往ける
自他ともに心豊かに生きることのできる社会になるように
私にできることをさせていただくことこそ
阿弥陀さまが願われているお浄土の具現であり
南無阿弥陀仏のおはたらきだといただきます。
 
 お念仏のみ教えはこの現実社会と切り離れたところに
死んでから後に発揮されるものではなく
今こここの私にはたらいてくださってあるのです。
 お念仏のお心を聞かせていただくなかに
今日一日も精いっぱい生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.26)

子どもたちから大事なことを教えてもらいました

2020-08-25
 コロナ禍で人人の生活に様々な影響がでています。
地域によって異なりますが
この辺の小中学校で今日から二学期が始まります。
8月13日からわずか13日間の夏休みです。
 コロナ感染が拡大し始めた2月末に全国一斉休校になり
緊急事態宣言に伴って再度休校になったことで
授業時間を確保するということでの処置です。
 
 短い夏休みをどう過ごしたかという昨日のニュースで
東京の小学校6年生たちが署名活動に取り組んだ話題です。
 小学校最後の6年生ですが色んな行事が中止になり
修学旅行も運動会もできなくなったということです。
 ある子が去年5年生の時に運動会の応援団の副団長をして
6年生では絶対応援団長をすると意気込んでいたのですが
できなくなって6年生をもう一年させてほしいということで
署名を集めて文部科学省に提出するというのです。
 
 皆さんはどう思いますか。
えっえっえっそんなことできるわけないだろうというのが
常識ある大人の見方ではにでしょうか。
 近くの商店街を回って署名を集めます。
相手は大人です。ちゃんとわかってます。
 子どもらしい発想といえばそうですが
子どもだからということで署名をした人もいるし
「そんなことをしたら他のみんなが困るじゃないか」と
正論を言って門前払いされることもあったそうです。
 
 そこで作戦会議をしたそうです。
どうして署名が集まらないのかと考えました。
 代表の子どもの発言です。
言われてみるとやはり僕たちの考えは自己中心的だったと
もっと署名をお願いする人の意見を聞いていかないと
署名に同意してくれるのは難しいことに
気づいたと言うのです。
 
 すごい気づきだと思います。
善いことをしようと思い立ち
善いことをしていると自分が思っていても
賛同を得られなかったら「何を考えているのか」と
逆に反対意見も出てきます。
 
 商店街の人たちの意見を聞きに回ったといいます。
ある方は「また来年6年生をすることは難しいけど
何か一つでも今年の6年生でできることがあったら
そのことをみんなでまとめて署名してもらったら」と
アドバイスしてくれたそうです。
 
 本当に子どもらしい発想だけれども
それを行動に移す子どもって本当にいいなあと思います。
 
 先日の24時間テレビの今年のテーマが「動く」でした。
私たちは何かしたい何かしなければという思いがあって
こうしようああしようと色々と頭の中で考えますが
一歩前に踏み出すことが中々難しいのです。
 こんなことをしたら何か言われないだろうか
笑われないだろうかと周囲の反応ばかりが気になって
一歩を踏み出せずに時間ばかりが
経っていくってことがありませんか。
 コロナ禍の生活を振り返ると自粛自粛で
あっという間に時間が過ぎ去っているようなことです。
 
 私にできることを一つでもさせていただくことです。
一つすることが人に伝わり二つ三つと広がっていきます。
 また逆に一つすることによっていろんなことを
見直す反省させられることになります。
 
 子どもたちから大事なことを教えてもらいました。
この私のことです。
 ああやこうやと色んなことを考えをめぐらしては
一歩踏み出す前にやめてしまう。
 それで歳を取って人生の終盤一体何をしてきたのかと
ため息をつくのではこれほど空しい人生はないと
仏さまはおっしゃるんでしょうね。
 
 南無阿弥陀仏の本願力に遇ったならば
空しく過ぎる人生はないよと
親鸞聖人は本願念仏のお心を聞いてくれよと
私たちに勧められているのです。
 南無阿弥陀仏のお心にかなうことを一つでも
今日の日暮らしの中でさせていただきたいと思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.25)

24時間テレビ「愛は地球を救う」

2020-08-24
  土曜日曜にかけて「24時間テレビ」がありました。
「愛は地球を救う」というテーマで43回目だそうです。
 夏の終わりの恒例行事のようになっていますが
今年はコロナ禍で実施するのかどうかと思っていました。
 24時間のテレビ番組です。
制作者は放送内容をどうするか毎年悩まれるところです。
 
 それで今回はコロナ禍です。
日本の代表的な伝統行事が軒並み中止になる中で
24時間テレビも放送の可否を含め
内容を大きく見直し検討されて今年も放送されました。
 続けるということの意味です。
無観客で出演者もコロナ対策を十分心がけるなど
色んな工夫をし苦労してのことだったと思います。
 
 24時間テレビについて批判も含め色んな見方があります。
障がいをもっている人ももっていない人も
共に生きるというコンセプトです。
 障がいをもっている方が
自分の夢をもって懸命にいろんなことに挑戦する姿は
周囲の人に感動と勇気を与え本当に尊いことだと思います。
 
 ただテレビで紹介される皆さんは頑張れる方なのです。
夢をもって頑張って生きたいけれども
頑張れない方ご家族がいることも
決して忘れてはいけないテーマです。
 これは障がいをもっている方だけの問題ではなく
この社会に共に生きる私たちこの私の問題です。
 
 お釈迦さまは経典に
「お念仏の教えを信じる人もいれば謗る人もいる」と
説かれています。
 南無阿弥陀仏のおはたらきで
どんな人も等しく救われるというお念仏のご法義は
真実まことであっても
私たち衆生に信じる者も謗る者もいるという
私たちの側に問題があると言われるのです。
 
 私たちのものの見方はどこまでも自分中心的で
自分の都合に合わせて物事を見て判断し行動します。
 自分のはからいに執われた見方は窮屈な生き方になって
自分の小さな世界に閉じこもり孤独に陥るのです。
 
 そういう私たちを見て取った阿弥陀の仏さまです。
広い世界に生まれて来いよと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 24時間テレビに賛同して募金をされる善い行いです。
でもみんながみんなができることではありません。
いろんな意見の方もいらっしゃいます。
 
 できることが善いことではない
できない方もいらっしゃるということです。
 頑張れない方がいらっしゃるということを思いつつ
私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
 
 さらに人助けをする行為は尊い善行ですが
私がすることはどこまでも仏さまのお手伝いの真似事です。
 
「善いことをしたと思ったら忘れなさい」との教えです。
私たちはちょっと善いことをしたら
ずっとどこかに思い続けます。
 逆に悪いことはすっかり忘れてしまいます。
どこまでも自分に都合のいいようにできているのです。
 
 共に生きる社会を思ってみんなが一緒にと言いながら
人と人とのつながりが薄くなり
生きにくい迷いの世の中になることを
仏さまはかねてご存知だったのでしょうね。
 
 迷いの中にありながら迷いを迷いと気づかず
私が私がと煩悩の心を起こし苦悩の中に生きる私が心配で
すっとお立ちになって南無阿弥陀仏と来てくださり
いつでもどこでもご一緒くださる阿弥陀さまです。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申して
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.24)

自信教人信、お念仏喜び申す姿がそのまま隣の人に伝わります

2020-08-23
 お盆が明けて一週間です。
平生の生活に戻りちょっと落ち着きました。
 
 この日曜日毎週UHさんがお朝事にお参りでした。
UHさん独特な所作がありました。
 作務衣に式章をかけ座る所も決めて
皆さん椅子に腰かけていますが
一人正座をしてお勤めするという姿スタイルでした。
 
 自信教人信ということを思います。
自ら信じ人に教えて信ぜしむという
お念仏を喜び申す者の姿生き方です。
 
 浄土真宗は大乗仏教の極致といわれます。
大乗とは大きな乗り物のことで
自利利他円満の仏さまのおはたらきで
すべてのものが救われると説かれます。
 
 自利自らの利益救いが利他他を救うといいます。
他を救うことによって自ら救われるということで
十方衆生が救われなければ私は仏に成らない救われないと
本願を起こし成就して阿弥陀仏と成られた
南無阿弥陀仏のおはたらきそのものなのです。
 
 私がこの世で悟りを開き仏に成る教えではありません。
阿弥陀さまのご本願を信じお念仏申す身になって
仏さまの願いにかなう生き方をしようとつとめても
それは所詮仏さまのまねごとであって
そこに固執すると思い上がりの煩悩になってしまいます。
 
 皆さんの日々のお姿です。
お朝事参りされてお念仏を申す今日のお姿そのままです。
 人に見せるためにしているのではありませんが
そのまま仏さまが見てござるのです。
 仏さまに見守られて大きなお慈悲のなかに
私たちの日々の生活があるのです。
 
 お念仏喜び申す姿を周りの方々が見て
私もあのようになりたいあの人のように生きたいと
思って今の私たちの日々の生活があるのです。
 
 有縁の方々に導かれ阿弥陀さまの前に座らせていただき
お念仏申す身にさせていただいたと
そのまま喜びいただいてお礼のお念仏を申すなかに
大乗の大きな乗りもの弥陀の願船に共々に乗って
今日もお浄土参りをさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.8.23)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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